日本人の条件

佐倉千波矢

日本人の条件

 ディスプレイに予定を表示して再度確認した。報告書は仕上げてしまったので、今やるべきことはやはりなにもない。ASの調整が済むまで手持ち無沙汰な状態となったわけだ。

 宗介は、このような空き時間のために東京から持参した、MD一枚とA4サイズの紙一枚を取り出した。

 だがそこで、さてどうしたものか、と腕を組む。MDをかけるにはプレーヤーがいるわけだが、宗介には音楽を聴く習慣がないので所有していない。

 同僚のクルツがミニコンポをもっている。しかし、如何せん彼の部屋は雑多に物が散らかっており、ある程度の空間を必要とする今回の目的に向いているとは思えなかった。直属の上司であるマオの部屋にも一式あるものの、こちらは当人の趣味で非常に高価なものをそろえているために、誰にも触らせないのを知っている。

 ふと、整備兵の一人に思い至った。ポータブルなプレーヤーを持ち歩いて、出身地なのだろう南米の民族音楽を仕事中にもよく流しているのだ。

 彼に頼んでみることにしよう。そう決めて、宗介はSRTオフィスを後にした。

 格納庫へ入ると、自機担当の整備兵となにやら話し込んでいたマオが目に入った。向こうもこちらに気付いたので、軽く手を挙げて通り過ぎる。

 目当ての整備兵はすぐに見つかった。ちょうど当番だったようで、ガーンズバックの肩に乗ってなにやら作業をしている。そのASの足元にある作業台上に目当てのものが載っているのを確認してから、宗介は彼の名を呼んだ。

「すまないが、このプレーヤーを三十分ほど貸してもらえないだろうか?」

「構いませんよ。どうぞ」

「感謝する」

「軍曹が音楽を聴くなんて珍しいですね」

「音楽は音楽だが、これは伴奏だ」

「はっ? 伴奏、ですか?」

「ああ」

 宗介がMDを挿入口に銜えさせると、それはすぐにプレーヤーに飲み込まれていった。スイッチを入れる。三秒後、いきなり威勢よく日本語で号令を掛ける声が響き、ピアノ曲が流れ出した。

 ちゃんちゃーちゃちゃちゃちゃちゃ、ちゃんちゃーちゃちゃちゃちゃちゃ……。

 それは変に明るいのに微妙に哀愁を感じさせ、むりやり軽快さを装って逆に単調でのんびりして聞こえる、奇妙なメロディーだった。

 宗介は、プレーヤーの前に立ち、その曲に合わせておもむろに身体を動かし始める。

「なにやってるんです?」

「なんか風変わりな踊りだな」

「体操、なんですかね?」

 近辺にいた整備兵が次々に集まり、宗介を取り囲んだ。

「学校の……授業の……課題だ」

 身体を前後に曲げる運動をしながら、宗介は答えた。

「そういや、軍曹は先月から任務で東京の学校に通ってるんでしたね」

「肯定だ」

 宗介は、両腕を揃えて左右に大きく振る。

「日本の高校って、体操なんかが課題で出るわけ?」

 指示を終えたのか、いつの間にやらマオがプレーヤーの脇に立っていた。

「いや、これは俺だけに課せられた。この体操ができることは、体育の授業で前提とされているそうだ。小学校で習得するらしい。知らないのは俺だけだったので、授業中に指導はなく、独修するように命じられたんだ」

 宗介が護衛任務の一環として都立高校に通い始めてから、日本人であれば知っていて当たり前とみなされているのに、知識が無いために困った事柄はいろいろあったが、ラジオ体操もその一つだった。伴奏曲に合わせて十三の動作を順にこなせばいいのだが、この一週間というもの日に数度練習しているにもかかわらず、未だ覚えきれていない。音楽に合わせるということが、やり慣れないせいか、どうもネックとなっているようだ。

 案の定、途中でつかえてしまった。宗介は一旦音楽を切り、プレーヤーの隣に置いておいた一枚の紙に目を落とす。

「うむ、そうか、次は跳躍だったな」

 マオが手元を覗き込んできた。

「なに、それ?」

「身体の動かし方を図示したものだ。MDといっしょに、カナメが用意してくれた」

 紙面には、人の姿を丸と線だけでシンプルに表現した図がいくつも並んでいる。

「……跳躍の後は手足の運動と深呼吸で終わりだったか。惜しいことをした」

 プレーヤーのスイッチを入れて、宗介はもう一度始めからやり直した。

 最初に背伸びの運動。次に手足の曲げ伸ばし。音楽に乗ってというにはぎこちないものだったが、どうにか曲に遅れることも先んじることもない。

 そして三番目の動きを始めた途端、

「おーい、その音楽、やめてくれえ」

 と聞き慣れた声がASの向こうから響いてきた。声の主であるクルツがすぐに姿を現し、近寄ってくる。

 そのクルツだが、どういうわけか宗介同様に腕を振り回している。やがて真横に並んだかと思うと、そっくり動きをシンクロさせた。

「なにしてんのさ?」

 怪訝そうなマオに、クルツはどこか情けなさそうな表情を浮かべてみせた。

「日本人はな、その曲が流れると条件反射で身体が動いちまうんだよ!」

「うむ、そうらしいな。この体操は日本人の身体に染みついているのだと、カナメも言っていた」

「あ~、ちきしょう。やめたいのにどうしてもやめらんないぜ」

「ちょうどいい、手本になってくれ、クルツ。どうも音楽と動きとがずれてしまうのだ」

 宗介は、肩に当てた手を真上に伸ばし、また肩に戻して下に下げる、という動作をしながらクルツの背後に回り込んだ。

「クルツってドイツ人じゃないのか?」

「外見はね。中はソースケよりよほど日本人よ」

 誰かのもっともな疑問に対して律儀にマオが答えていると、出入口から二つの人影が入って来た。コックのカスヤと通信士のシノハラである。二人とも両腕を上げ下げしながらやってくる。

「なんでラジオ体操の曲がかかってるんです? やめてくださいよぉ」

「お願い、それ、とめて~。今更ラジオ体操なんてやりたくないったらぁ」

 苦情を言い立てながら、クルツの横にカスヤが、宗介の隣にシノハラが並んだ。

 それぞれ等間隔を取って綺麗に整列した四人は、きっちりそろって体操を続けた。斜め前方に上体を倒してから起き上がると、両腕を左右に拡げて胸を押し出す。

「カスヤはわかるけど、なんだってシノハラまでやってるのさ。あんた、アメリカ人じゃなかった?」

 マオはコックの男と通信士の女を交互に見やった。

「子供の頃、親の方針で土曜は日本人学校に通わされてたから、毎週これやってたのよ。ああ、もう、たまたま通りかかっただけなのに、こんなのが流れてるもんだから……」

 シノハラはどこかふてくされたような顔をしている。

「それよりいい加減、プレーヤーを止めてもらえませんか?」

「マジ、止めてくれ」

 カスヤとクルツが口を挟んだ。

 だがマオは、スイッチを切るどころか、演奏をリピートにセットした。

「あはは、おもしろいから見てよっと」

「そんな~~~」

 宗介を除く三人の声が重なった。

 体操は順調に進行し、やがて二回目が繰り返された。至って真面目な顔の宗介と、なげやりな表情の残り三人は、相変わらずそろって動き続ける。

 が、身体を横に曲げる運動の最中に、突然音楽がぷつんと途切れた。全員の視線はプレーヤーに集中した。

 そこには、テスタロッサ大佐、通称テッサの姿があった。

 走ってきたらしくぜーはーぜーはーと肩で息をしたテッサは、スイッチから手を離すと、どういうわけかほっとした様子で胸をなで下ろした。

「皆さん、いったい……なにをしてるん……ですか。……この曲の演奏は……許可できませんよ」

 戦隊長の突然の出現に周囲の者が一様に戸惑っている間に、なんとか息を整えようとする。

 個人的にテッサと親しいために、マオだけは唯一動揺しなかった。

「なによお、いいとこなのに邪魔しないの!」

「邪魔もなにも……だいたい勤務中じゃ……ありませんか」

 テッサは可能な限り威厳を保とうと勤めたが、赤い顔でまだ少し息切れしている状態では、あまり効果はなかった。

「堅いこと言いなさんなって」

 軽くいなして、マオがプレーヤーに手を伸ばした。

「ダメですよ、メリッサ!」

 テッサが強い口調でそれをやめさせようとする。

 しかし、時すでに遅し。「ラジオ体操第一よぉーい!」という号令と共に前奏が鳴り出した。件の(くだん)四人は、本人の意志とは無縁にまたまた腕を振り上げる。

「メリッサ、なんてことを……やめてって言ってるのに……せっかく一度はなんとか曲を止めることができたのに……あんまりです……」

 ぶつぶつと抗議しながらも、なぜかテッサはシノハラの後ろへとぼとぼと歩いていき、隊列に加わった。そして腕と脚の曲げ伸ばしを始める。

「へ? テッサまでどうしちゃったの?」

「わたしは一時期、日本の小学校に通っていたんですぅ~」

 テッサは半泣きになっていた。運動音痴の彼女にしては珍しく周囲とぴったり同じタイミングで腕を大きく回しながら、音楽を止めるように哀願した。

 とはいえ、それでやめるマオではなかった。もう一度プレーヤーをリピートにセットする。

「この体操って、そんな中毒みたいになるものなの? 一種の催眠状態かしらね。ちょっとあたしもやってみよっと」

 マオがテッサの横に付いて、見よう見まねで身体を横に曲げる運動を始めた。すると他の者も次々と加わりだす。やがてはその場にいた全員が、きちんと整列して、日本の国民的健康体操の習得に勤しむこととなった。

 この様子は、日本の夏休みに早朝の児童公園などでよく見られる光景を彷彿とさせた。ほとんどの者は与り知らないところだが……。

 その後、いつまで経っても戻らないテッサを探しに来たマデューカス中佐がプレーヤーを止めるまで、ラジオ体操は続いたのだった。伴奏が録音されたMDは、危険物として即座に処分された。

 その危険物を持ち込んだ宗介は、当然ながら延々と小言を食らう羽目となった。正規の訓戒処分ではないものの、これが中佐から以後なにかと目を付けられるきっかけとなったので、彼にとってかえって災いだったかもしれない。

 不幸中の幸いは、ラジオ体操第一をすっかりマスターできたことだった。


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日本人の条件 佐倉千波矢 @chihaya_sakurai

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