第4話 山楂茶

  青磁せいじの片手にすっぽり収まり、仔猫は落ち着いてミルクを飲んでいた。


「・・・案外上手。小児科の先生ってそんな特技もあるんだ」


乳児検診もあるからだろうか、と呑気に言う虹子にじこ青磁せいじは、あのね、と口を開いた。


「・・・人間の新生児にミルクあげた事があるのは虹子にじこだけ。猫の授乳慣れてるのは、姉さんに押し付けられてたせい。柚雁ゆかりはしょっちゅう猫だの犬だの狸だの拾って来てあれこれ指図するけど、実際面倒は見ないからな」

急にそう言われて、虹子にじこは驚いた。


「・・・そうなの?」


青磁せいじは積年の恨みのように頷いた。

「そう。それで、何で俺が虹子にじこにミルクをせっせと上げていたかと言うと、お前の母ちゃんが、うちの母ちゃんとおしゃべりに夢中でしょっちゅう忘れるからだ。俺だってまだ子供だったのに」


ああ、となるほど、と虹子にじこは合点がいった。

母と彼の母は友人同士で仲が良く、いつも酸欠になる程に喋っていた。

そんな二人だから、きっと自分の腹が減ったと言う訴えは二の次にされていたのだろう。


「わかるー」


目に浮かぶようだとウケていると、青磁せいじはため息をついて、テーブルの上に置かれたガラスの蓋碗がいわんの茶をすすった。


小さなサクランボ程の実はほんのり甘酸っぱく、柑橘の香りが心地よい。


山楂さんざし柚子ゆずのお茶。どうせお酒飲んで来たんでしょ」


酒を飲んだ時に解毒作用がある。

同窓会だったのだと青磁せいじは言った。


「・・・それから。この猫達がきっかり二時間で騒ぎ出すって言うなら。それだけ虹子にじこが真面目にミルクをあげていたって事だよ。・・・虹子にじこもそうだった」


彼女が時計を見て、ちゃんと二時間ごときっかりに授乳をしていたからこそ、仔猫達は覚えたのだ。

だからそのくらいになると訴え始めるのだ。


「・・・俺がきっかり三時間毎にミルクやってたら、今までは寝てるばっかで腹が減ったら泣くからあげれば良かったのに、きっかり三時間で腹へったと騒ぐようになったと華子は文句言ったんだぞ」


華子というのが虹子にじこの母親だ。

華子はつまり「もう、今までは泣いたらあげれば良かったのに、三時間置きにあげなきゃいけなくなっちゃったわ。なんて面倒くさい事してくれたのよ」と言ったのだ。

とんでもない母親だ。こっちが心配して必死にやったのに。


「わあー、言いそうー」


虹子にじこはこれまたウケた。


「母さんに言ったらさ。アンタそれも一理あるんだって。パブロフの犬って言うのがあってさ、決まった時間にエサを上げると、それ覚えちゃうんだよねって。だからさ、良いことじゃん、知恵がついたって事なんだからって言ったらさ、じゃあ違う時間に腹減ったら?じゃあ何かがあって貰えなかったら?この子どうすんだってさ」

「・・・あー、それも言いそう・・・」


亡くなった彼の母親がまさに言いそうなセリフだ。


「で?青磁せいじは何て言ったの?」

「・・・何も言わなかった」


彼の母親の、子供扱いしないで、容赦ない程に事実を突きつけてくるあの厳しさは、ドライな優しさでもあった事。

虹子にじこは話題を変えた。


「・・・新しいお客さんが来てくれてねえ。ゾンビみたいな顔で朝フラフラしてたもんだから、朝ごはん食べて行ってって言ったの。その人がこの仔達見つけたのよ。お母さん猫は、角の薬局のおばちゃんが市役所に連絡したら、焼いてくれたんだって。で、お骨にしてくれたのを庭に埋めてくれたって」


ランチを食べに来た近所のコンビニの店長に仔猫を拾ったと言ったら、それが広まって、多分それ私が埋めた猫の子供だと言って、午後には薬局の奥方が慌てて飛び込んで来たのだ。


仔猫こっちに気が行って、母猫は後で見てこようと思ったらすっかり忘れてたから助かっちゃった」


ミルクを飲んだ猫は、満腹になった様子で腹を見せてすっかりリラックスしていた。

青磁せいじもほっとした様子で籠の上に毛布をかけ直した。

しかし、これを二時間毎か。

もう少しすれば、三時間、四時間毎となるのだろうが、それでも1ヶ月半は目を離せない。


「・・・よしわかった」

「はあ、何が?」


パンケーキを平らげた虹子にじこが満足気な顔で尋ねた。


「夜は預かる」

「・・・・え・・・いいって・・・」


何を言い出すのか。


「だって、この店、今は、夜閉めてるんだろ」


個人経営の良し悪しで、あまり営業時間に拘っていないのだが、本来、早めのランチタイムから始まり、夜の十時までは営業していたのだが、最近は仔猫にかかりきりになるあまり、ディナータイム時間が終わるとさっさと暖簾のれんを下ろしていたのだ。

仕込みにも時間がかかる。

二時間毎の授乳なのだから、熟睡もままならず日々、睡眠を削っているわけだが。


「とりあえず1ヶ月半。つまりあと1ヶ月。人間の子供なんか1年くらい離乳しないんだから、それに比べたらまだ見通しが立つし」

青磁せいじは言いながら、部屋にある必要そうなものを見て回っていた。

「・・・でも、そしたら青磁せいじが大変でしょ・・・」


しかし、青磁せいじは仔猫の入ったかごを離さない。

ペットショップに行って、見るだけと言っていたのに、試しに抱っこしてみませんかと言われて抱っこしてしまったらもう情が移って・・・と言うヤツだろうか。


しかし、正直、ありがたい申し出ではあった。

まるで焼き菓子のようなちんまりとした仔猫を再び見てから、虹子にじこはよろしくお願いしますと頭を下げた。

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