第10話 TURNING
指定の場所に、一人きりで立っていた。テセウスも、イカロスもいない。朝日はとっくに昇っていたが、この空間だけ太陽に見捨てられたかのように真っ暗だった。僕の両手に包まれたパンドラは、青緑色に奇妙に発光し続けている。時間になると、あのヒューマノイドが現れた。ジョンだ。こいつを恨む道理はない。いくらでも断るチャンスはあった。ジョンはパンドラをちらりと確認し、頷いた。
「素晴らしい働きだ。彼女はどこに?」
僕が何も言わないのをみて、彼は事務的に言った。
「それは残念。哀悼の意を示そう。」
僕はそれに連れられ、古びた工場に足を踏み入れた。幾重もの厳重な扉を通過する。そこには工場の外見からは想像できないほど、ハイテクな設備や装置が連なっていた。ジョンは、一つの装置の前で止まった。周りのものより一際大きく、ちょうどパンドラが保管されていたNRセブンスラボでの装置と酷似していた。
「ここに挿入してくれ。」
言う通りに、パンドラを挿入する。僕はジョンに訊いた。
「後になれば分かる。ご苦労だった。」
僕は工場を後にした。テクニカに連絡する。次にやることは決まっていた。
僕はある建物に身を隠した。テセウスに勧誘されたときのあのビルの屋上。イデアの景色は変わらずそこにあった。今でもあのときのタコスの味を鮮明に思い出すことができる。僕はそこに寝転び、テセウスのチップをポケットから取り出した。月灯りにかざす。その瞬間、あの光景がフラッシュバックし、僕は嘔吐した。
「ゔぅっ...ぉ゛っ」
酸っぱくて、苦い。口を拭き終わると同時に、テクニカと思しき人物が現れた。彼は飄々とした口調で言った。
「どーも、テクニカ201だ。おたくがゴーストさん?」
「...あぁ。」
僕は事情を必要なことだけ、嘘も織り交ぜて伝えた。遺体からチップだけ回収されるケースは滅多にないらしい。
「なんつったってorderが奪っちまうからなぁ。ところでゴーストさん...」
テクニカは声を潜めて言った。
「噂の幽霊フォールンですかい?こりゃたまげたなぁ。」
彼は珍獣を眺めるような目で、僕を観察した。
「...このチップの人物を蘇生してくれないか?」
彼はチップを受け取ると、幾重にも連なったコンタクトインターフェースでそれを調べた。
「ちと難しいな。ミームに感染してる。知らねぇコードだ。」
僕は自分の間抜けさを恨んだ。パンドラのミームに感染したのだ。不注意だった。彼は続けて言った。
「...だが、方法が無いわけでもない。あんた、これはあんのか?」
すると、請求書が送られてきた。かなりの金額で、生活費以外の一切を貯金に回した僕がぎりぎり払える値段だ。僕は迷わず送金した。
「こいつはどーも。俺に任せろって。」
施術は廃ビルの一室で行われた。しばらくすると大きなキャリーケースを持ったテクニカたちが次々と入ってきた。全員が寸分違わず同じ姿だ。正式名称ウォズ=テクニカnは、256人存在するものの、全員同一の意識を共有しているらしい。一つの頭に数多の体。彼はこのイデア全域で並行して多くの修理、改造を請け負っているのだろう。恐ろしいほどの天才で金にがめつい。そんな印象を持った。
作業は半日以上かかった。僕は飲まず食わずで彼らの作業を眺めていた。再起動には十三時間は必要らしい。義体が完成し、テクニカらが去った後も、僕は眺め続けた。
どうしてこんなことになったのだろう。彼女はNRに異常な復讐心を持っていた。ソフィストの言動から彼女の兄が関係しているんだろうが、それ以上は分からない。しかし初めて会った彼女は復讐に駆られるような人物には見えなかった。サイバネティック器肢の代替。これは人格を変質させる可能性がある。死にたいのに生きたい。そんな矛盾した人格。そんな考えが頭の中を巡っていた。
テセウスが起きた。
「テ...セウ...ス?」
人工声帯の、彼女とは少し異なる声でそれは言った。
「やぁ、少年。」
僕は何も言えず、ただ彼女を眺めていた。
その時だった。彼女は僕の腰からSIGピストルを抜き取ると、チップの入っている首筋に銃口を当てて、引き金を引いた。テセウスは自殺した。
「ははっ」
僕は思わず笑った。誰もいなくなった。二年前に逆戻りだ。義体の握りしめているSIGピストルを手に取る。チップが本人を証明する。そんな社会は真っ平御免だ。イカロスの言っていた記憶。この二年の記憶は僕の中で生き続ける。やるべき事は分かっていた。orderを、NRを、イデアをぐちゃぐちゃにしてやる。
テセウスの船 Alice10009 @acid_protein
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