第9話 TERMINATION

僕はあの後、テセウスに合流した。そして今、僕らはNRセブンスラボの屋上に立っていた。その日は雨が降っていて、時折雷が轟いた。テセウスはというと、めっきり口数が減った。あんなことが起これば当然ではあるが、彼女の精神状態がまともではないと僕もイカロスも分かっていた。


NRセブンスラボは、24:00〜00:45の間、第三区画の点検が行われる。その際にイカロスの操作するドローンが空調ダクトから侵入し、ドアロックを解除する。次に、僕が正面から侵入する。研究員は、僕が撃ち殺す。パンドラを絶縁アームカバーを装着した状態で取り外す。すると警備システムが起動するため、テセウスと合流し撤退する。orderが到着するまで十五分はかかるため、その内に指定のルートから撤退するという計画だ。


沈黙に耐えかねたのか、イカロスが言った。

「NRか...テセウス、俺はや。」

「君はイカロスじゃない。」

テセウスが間髪入れずにそう言い放つ。

「...へいへい、ただのAIですよ。」

24:00になり、イカロスがドローンを操作し始めた。僕の小さな拳よりもさらに一回り小さく、無音でプロペラが回転している。光学迷彩で周囲の景色に溶け込んでいくのを、じっくりみていた。不思議だ。空調ダクトの入口を開けるも、侵入したかどうか判断できなかった。


十分以上経過し、イカロスが合図した。

「いいぜ、ゴースト。」

それを聞くと、テセウスは僕を抱えて屋上の端に移動した。雨風が吹き付ける。

「嫌なら、君は今ここで辞めてもいい。そのアームカバーを渡せば、私があれを取ってくる。」

彼女は言った。絶縁アームカバーは気休め程度で、サイバネティック器肢はミーム感染を免れない。僕は言った。

「いや、僕がやる。ずっと一緒にやってきたんだ。」

テセウスは顔を逸らすと、そう、とだけ答えて飛び降りた。


ラボの中は明るすぎるほど照明が強かった。単に僕が慣れていないだけかもしれないが。サプレッサーを装着したSIGピストルを握る。この2年間、依頼で何人も撃ち殺してきた。彼らにも愛する人がいて、帰るべき場所があっただろう。でも、これがイデアなのだ。

僕は9名の研究員を撃った。マップに映らない僕は、彼らの意識の外から死を届けることができる。必要以上には殺さなかった。

指定されたルートを辿り、ロックの解除された6号室の扉を開ける。中には初老の研究員がいた。彼女は床に倒れ込み、必死に命乞いをしてきた。彼女らが生きるために研究をするように、僕も生きるために引き金を引く。

「...ごめん。」

思わず口をついて出た言葉に自分で驚くも、僕はそのまま彼女を殺した。これで10名。


パンドラは複雑な機械の中に厳重に保管されていた。僕は指定された操作をこなし、パンドラを取り出した。それは立方体で、青緑色の光が一定周期に発せられている。次の瞬間、警報が鳴り出した。僕は出口に向かって走る。すると、僕が6号室を出るより早く、テセウスが迎えに来ていた。

「早く!」

彼女に背負われるように乗る。ラボから脱出するのは一瞬だった。彼女は1秒弱でトップスピードの120km/hが出せるようになっていた。待機しているバイクまであと少しのところで、小走りで逃げる研究員を発見した。すると、テセウスはさらに加速し、研究員の頭を素手で吹き飛ばした。飛び散る血液と、サイバネティック器肢の駆動音。僕はその凄惨な光景と、彼女から感じる激しい恨みに絶句した。イカロスが叫ぶ。

「何やってんだテセ」

「分かってる!」


バイクに乗る。指定の逃走ルートをかなりの速度で進んでいた。警報装置の作動から7分半。充分に撤退する時間はあるように思えたものの、僕は視界の端に高速で飛来する小型自爆ドローンを捉えた。

「ドローンだ。」

「ハックするには時間がねぇ!」

「ッ」

テセウスは軽く舌打ちし、脇の裏道に減速することなく車体を傾けて入った。しかし雨による視界不良と濡れた地面によってスリップし、僕らは路面に投げ出された。バイクは派手に爆発した。テセウスは僕を庇い、左足の器肢が動作不良を起こしていた。

「けほっく、ごふっ」


僕らは走った。片足だけでもテセウスは僕より速かったが、僕を背負うにはあまりに不安定だった。そしてついに、エアクルーザーの音が聞こえてきた。orderだ。僕は混乱した。まだ9分しか経ってないのに。すると、彼女は立ち止まった。

「何してるんだ...はぁ...。」

彼女は目を伏せて答えた。

「私が奴らを止める。」

僕は叫んだ。

「行っちゃだめだ!」

「なんで!」

「死にたいのか!」

「そうだよ!NRをぶっ壊して、私も死ぬんだ!」

彼女の手を掴む。

「僕と、一緒に生きていこう。」

彼女は目を見開いて、一瞬硬直した。そして目を瞑ると、優しく微笑んだ。初めて会った、あの日のように。

「私、君のこ」


その時、赤いレーザーがテセウスの頭を貫通した。僕の目の前で、エチルグリーンの潤滑油と、真っ赤な血液の花火が咲いた。彼女は倒れた。僕は何も考えられなくて、ただそこに立ち尽くすしか無かった。雨の音と機械音が、体を引き裂くように感じられた。

「ぇ...ぁ、ぁ...」

漆黒のサイバネティック装備に身を包み、骸骨を模したフェイスシールドを付けた死神。彼らはテセウスの体をうつ伏せにし、複雑な機械を首筋に当てた。チップを回収しようとしているのだ。僕はいつかのソフィストの言葉を思い出した。チップこそが本人を証明する。気づけば僕は駆け出していた。




僕は幽霊で、奴らにも見えてない。複雑な機械に思いっきり体当たりし、半ば無理やりチップを奪い取った。奴らはなんの抵抗もしなかった。見えない何かに困惑し、恐怖したのだろうか。いや、きっと奴らに感情なんて無いだろう。

ひたすら走った。足はとっくに限界を迎えていたが、慣れ親しんだ路地裏の構造が、奴らとの距離が縮まる速度を軽減していた。パンドラはかなり重く、腕もだるい。僕は叫んだ。

「イカロス...ぅ..は、イカロス!」

彼は今まで聞いたことの無い程低く、震えた声で答えた。

「...ゴースト、よく聞け。チップさえあればテクニカがなんとかできるかもしれねぇ。それと、このイヤテックを捨てろ。奴らにトレースされてる。」

僕は首を横に振った。これ以上何も失いたく無かった。

「俺のせいでお前に死んでほしくない。お前は...いい奴だった。」

「ふ...はっ、できない!」

「いいから捨てろぉ!」

イカロスは怒鳴った。

「くっそぉぉおおお!」

右耳から二年を共に過ごした友人を剥ぎ取り、投げ捨てた。


僕はorderから逃げ切った初めての人間になった。



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