1話 襲来

1.

「とりあえず家に運んだはいいものの、どうしようかな……」

頭をかく。

緊張する。


オレ、真壁春樹。

17歳。

母親以外、女とまともに接点を持ったことのない男子校暮らしをしているオタク。


だからこそ、今目の前でソファに横たわる女子高生(?)

──それも、見た感じ完全にカースト上位っぽいギャル──を自宅に連れ込むのは、割と人生の中でもトップクラスに自殺行為だと思っている。


身長だけは無駄にデカいが、肉付きはモヤシ。

このギャルをここまで運べたのも、半ば奇跡と言っていいぐらい非力だ。

つまり、自信なんてまるでない。


一応オタクカテゴリに属するんだろうけど、昨今よくいる「ライトなオタク」とはだいぶ違う。

アニメやソシャゲに軽くハマるとか、FPSでボイチャ荒らしするタイプでもない。

PCの組み立てが得意だとか、鉄道が大好きという感じでもない。


オレが好きなのは、アングラ。

表には絶対に出てこない、消えていく運命にある泡沫(うたかた)の文化。

狭い界隈でだけ輝き、そのまま消えていく。

そんな世界の片隅に、魅力を感じている。


そんなことを考えているうちに、目の前のギャルが目を覚ました。


「キミ、名前は?」


突然そう尋ねられて、反射的に返す。

「……真壁春樹。君は?」


彼女は身を起こし、満足そうにニヤッと笑った。

「南條リサ。で、今って何年?」


「……2024年だけど」


すると彼女は、信じられない言葉を吐き捨てた。

「マジか。25年も先じゃん。ウケる」


「……25年も先?」

オレの口から勝手に反響する言葉。

ついさっき、完全に気絶してた人間が言うセリフにしてはぶっ飛びすぎてる。


「うん、25年。だって1999年の夏だったもん、アタシがここに来る前。」

南條リサと名乗ったギャルは、ソファに座りながら当たり前みたいに言う。

……待てよ、1999年って。

アレか? オカルトだとかノストラダムスだとか、やたら世紀末感出してたあの年?


「いやいや、それ冗談だよな?」

思わず聞き返す。けど彼女の顔には、冗談を言うときの余計な笑いがない。


「冗談? だったらアタシがこんなこと言って、どう得するの?」

そりゃ、そうだけど。


リサは腕を組み、少し考えるように首を傾げた。

その仕草さえ、妙に洗練されて見えるのが怖い。


「ま、信じる信じないはどっちでもいいけどさ。」

「でも現実、こうしてアタシはここにいるし、PHSも公衆電話もない世界になってる。それが証拠。」

確かに、それは妙な説得力がある。


「……でさ、真壁春樹くん。」

「は、はい?」

急に名前を呼ばれて、ビクッと体が反応する。


「アタシ、ここで何したらいいと思う?」

「えっ?」

「1999年からいきなり2024年に来たら、普通戸惑うじゃん? 何もかも変わってるし、アタシの知ってる世界じゃないし。」

「そりゃまあ、そうだろうけど……」


その質問をされたところで、オレにどう答えろと?

彼女はもともとどこかの学校の生徒だったんだろうか。

家族とか、友達とか、何かしら彼女の世界に戻る方法があるんじゃないのか?


でも、その前にひとつ気になることがあった。


「そもそも、どうして1999年からここに?」

「わかんない」

あっさりと答える。


「は? いや、さすがになんか覚えてるだろ?」

「いやいや、マジで覚えてないんだってば。なんか……気がついたら、ここにいたって感じ」

軽い口調で言うけど、内容は全然軽くない。


「とにかく、倒れてたところを春樹くんが助けてくれたんでしょ? サンキュー」

そう言って軽くウィンクするリサ。

その仕草に、なぜか妙に心臓が跳ねる。


「いやいやいや……お礼はいいから! もっとちゃんと説明してくれよ!」

自分でも何に苛立ってるのかわからないまま、そう言い返す。


するとリサは、ため息をついて頭をポリポリとかいた。

「説明もなにも、アタシが知りたいくらいだっつーの。」


「……じゃあさ、これからどうする気なんだよ?」

気づけば、半ば怒鳴りそうな勢いで質問してた。


リサは一瞬だけ考え込む仕草を見せると、にっこり笑った。

「とりあえず腹減ったからさ、何か飯食わせて?」


飯。

話の流れ的に、どこからそれが出てきたんだ。


「いや、飯って……今そんな状況じゃないでしょ」

「だって、お腹減ったし」

そう言い切られると、言い返す気力もなくなった。


「……なんか食えるもの、冷蔵庫にあるから勝手に見てくれよ。」

「おっ、サンキュー!」

リサは嬉々としてソファから立ち上がり、まるで自分の家みたいに冷蔵庫を忙しなく漁り出した。


どうすりゃいいんだ?


頭を悩ませる俺を他所目に、リサは冷蔵庫を漁り始めた。

「あ、これいいじゃん。焼きそば。」

「あ、それやめといた方がいい。今日捨てる予定だったやつだから。」

「はあ? マジかよ。じゃ、なんか作ってよ。」

「作ってって……」


リサは冷蔵庫の扉を閉めると、そのまま堂々とソファに腰を下ろした。

「だってアタシ、腹減って死にそうだし。つーか、それぐらいは恩返しでしょ?」

どこからその上から目線が来るんだか。


「……分かったよ。冷凍庫になんかあったはずだから、適当に作る。」

とりあえず台所へ向かい、冷凍庫を開ける。

中には冷凍餃子と冷凍うどんが少しだけ残っている。

どうにかこれで腹を満たすしかないな……と思った矢先、リサの声が背後から飛んできた。


「あ、そうだ。アタシ、シャワー浴びてくるわ。」

「は?」

思わず振り向く。


「だって、汗でベタベタなんだもん。気持ち悪くてさ。」

「いや、ちょっと待て。うち風呂ないから。」

「え?」

リサの動きが止まる。


「風呂ないの? 2024年なのに?」

「しょうがないだろ。ここ古いアパートなんだよ。風呂なんか最初からついてない。」

「え、じゃどうしてんの?」

「近所の銭湯行ってる。」

「……銭湯?」

リサは眉をひそめ、何かを考え込むような表情をした後、声を張り上げた。


「マジかよ! 2024年で銭湯使ってんの!? ウケるんだけど!」

「あのな、バカにするなら帰れよ。」

「バカになんかしてないってば!」

リサは笑いをこらえるように口元を押さえながらも、続けた。

「でもさ、そんなの1999年でも少ない方だったよ? ってことは、25年経っても意外と世の中変わってないんだなーって思っただけ。」


「……そのテンションで言われると、なんか腹立つな。」

俺は小さくため息をつきながら冷凍餃子を取り出し、フライパンに乗せた。

どうにかこの会話を終わらせたかったのに、リサは全然気にせず話を続ける。


「で、銭湯ってどこ?」

「え?」

「教えてよ、銭湯の場所。行ってくるからさ。」

「……勝手に行けば?」

「サンキュー!」


そう言うなり、リサは立ち上がり、バッグを持って玄関へ向かった。

なんなんだ、このギャルは。

こっちは頭抱えてるってのに、本人だけやけに楽しそうだ。


「じゃ、行ってくるー!」

リサが勢いよくドアを開けて出て行く音を聞きながら、俺はフライパンの餃子をじっと見つめた。

……本当にこのまま大丈夫なんだろうか?


俺が疑問に思った次の瞬間、玄関のドアが勢いよく開いた。

「ねえ、あんたの家、女物の着替えとかない?」

リサが顔を覗かせ、まるでそれが当然かのように聞いてくる。


「……あるけど、母さんのしかないよ。」

俺は半分呆れながら答えた。


「マジで? どんなのあるの?」

「知らないよ、俺がそんなの把握してるわけないだろ。」

「えー、見てきてよ。アタシ、さすがにこの服で銭湯はヤバいっしょ?」


確かに、リサの派手なミニスカートとオフショルのトップスは、銭湯で浮きまくるだろう。

でもだからといって、俺が母さんの服を探してくるのもどうかと思う。


「……わかったよ、ちょっと待ってろ。」

そう言って渋々立ち上がり、押入れを漁る。

確か、母さんがこっちに来たときに置いていった服があったはずだ。

手探りで探してみると、古びたTシャツとスウェットが出てきた。


「これでいい?」

リサに手渡すと、彼女はじっとそれを見つめた。


「ダッサ。でもまあ、いいか。風呂行くだけだし。」

そう言って肩をすくめると、服を抱えて再び玄関へ向かう。


「じゃ、今度こそ行ってくる!」

「……行く前にもう一回聞くけど、財布とか持ってんだろうな?」

俺は念のため確認する。


「持ってる持ってる、大丈夫。」

「そもそも、2024年にテレカ持ってるやつが大丈夫なわけないだろ……」

「うるさいなー、細かいこと気にしすぎだって!」


そう言って軽く舌を出すと、リサは再びドアを閉めて行ってしまった。

俺は手元のフライパンに目を戻し、じりじりと焦げる餃子を見つめながら考えた。


本当にこれでいいのか?

いや、そもそもなんで俺がこんな状況に巻き込まれてるんだ?

全く理解できないまま、俺は餃子をひっくり返し、ため息をついた。


すると、扉がまた開く音。


「まだなんかあるのか、シャンプーだったら銭湯にあるから……」

俺が振り返ろうとした瞬間、首筋ギリギリに何かがピンと張り詰める感触がした。


……これは、ワイヤー!?


冷や汗が背中を伝うのを感じながら、恐る恐るゆっくり振り返ると、そこには見知らぬギャルが立っていた。

いや、正確にはリサとは違うタイプのギャルだ。

量産型の制服ギャルって感じで、長い黒髪に爪をピカピカに光らせたネイル、首にはチョーカー。

どこかで見たような、学校に1人くらいはいそうな子だ。

ただ、明らかに普通じゃない。


「南條リサはここにいるか?」

冷たい声と共に、ワイヤーがさらに俺の肌に食い込みそうな勢いで迫る。


「今……銭湯に行ったけど……」

俺の返答を聞くなり、彼女はワイヤーを引き戻し、踵を返して走り去ろうとする。


「いや、ちょっと待ってくださいよ!」

思わず声を上げると、彼女は振り向き、鋭い目でこちらを睨む。


「なんだ」


その一言に、喉が詰まる感覚を覚えるが、なんとか続ける。


「なんでアイツを追ってるんですか? アイツ、なんか1999年から来たとか言ってて、変なことばっかり言ってて……」


俺が言葉を続けるたびに、彼女の表情はわずかに硬くなる。

そして、短く息をついた。


「だからだ。彼女が現代に来た以上、とんでもないことが起きる」


「……なんですか、それは。」


「私の口からは言えない」


そう言うと、彼女はポケットから名刺を取り出し、俺の足元に投げつけた。


「私は日本政府のものだ。今日、私に会ったこと、彼女に会ったこと――すべて忘れるように。」


俺は床に落ちた名刺を拾い上げる。

そこにはシンプルに「北条 雅音」という文字が刻まれていた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいって!」

そう叫ぶ間もなく、彼女はドアを開け、疾風のように消えていった。


「……なんなんだよ、これ。」


俺はその場に座り込み、名刺を見つめながら呆然とするしかなかった。

焼きそばが焦げた匂いが漂い始める中、俺の頭の中には無数の疑問だけが残された。


    ◇


「〜〽︎!」


銭湯の広々とした空間に、軽やかな鼻歌が響く。

湯気が漂う中、南條リサは湯船に浸かり、すっかり満喫した様子で伸びをしていた。


「久々の風呂って最高! しかも一人占めなんて贅沢~……あ、いや、違うか」


その瞬間、彼女の表情が一変した。

どこか気だるそうだった目元は一気に鋭くなり、鼻歌の代わりに静寂が場を支配する。


空気が変わった。


同時に、それは目に見える形で現れた。

飛来するワイヤー。


「おっと!」


リサは湯船から瞬時に手を伸ばし、そのワイヤーを右手で正確にキャッチする。

まるで目に見えていたかのような素早さだった。


「うっそ、マジで?」


湯船の外から滑るように転がり込んできたのは、また別の女子高生──いや、そう見える何者かだった。

長い黒髪を揺らし、どこか冷たい眼差しを持つその少女は、リサの持つ派手で古典的なギャルの雰囲気とは正反対。

彼女──雅音は冷静な声で問いかける。


「南條リサだな?」


リサはその問いに答えず、ニヤリと口元を歪めて言った。


「最近のギャルってのは、エンコーだけじゃ飽き足らず暗殺とかまでやるんだね。貧相な体してるから、金なさそうだもんね~」


その言葉に対して雅音は眉一つ動かさない。

しかし、その無反応な態度が逆に挑発するようで、リサは得意げに胸を張った。

大きすぎる、形の良い乳房が湯気の中で揺れる。


「……細いのは今どきのトレンドだ。それより、他の〈GAL〉はどこだ?」


〈GAL〉──その言葉を雅音が発音する瞬間、舌を巻くような響きがリサの耳に届く。

その響きにリサは意外そうに眉を上げる。

やや大げさな動きで肩をすくめた。


「うっわ、それ聞いちゃうんだ。聞き方が古臭いっていうか、何っていうかさ」


雅音の態度をからかうように、リサはひらりと髪を揺らしながら言葉を続ける。


「全員、堕とされちゃったよ。『恐怖の大王』にね」


その言葉に雅音の目がかすかに見開かれる。


「やはりか……」


彼女の声は小さく、どこか重い響きがあった。

リサはその反応を見てさらに面白そうに笑う。


「やっぱりって? もしかして、あんたも何か知ってるわけ?」


雅音はその問いに答えず、ただ沈黙したままリサを見つめる。

湯気の中で二人の視線が交錯する。


一方の視線は冷徹に、もう一方は好戦的に。


沈黙はどこかひどく重く、だが一触即発の危うさを伴っていた。


その中で、リサは愉快そうに口を開く。


「ねえ、なんか話してくんない? その無口なキャラ、いつまで引っ張るの?」


雅音はその挑発にも動じず、ついに静かに口を開いた。


「1999年7月7日。あの日に何があったのか、全部話せ。あなたが知っている限りのことを」


「おー、急に真面目な顔。いいねえ。話すかどうかは気分次第だけどさ」


リサは湯船から悠々と立ち上がり、雅音に向かって笑みを浮かべる。

湯気に包まれたその姿は、どこか非現実的で、しかし確実に何かを秘めているようだった。


「じゃあ、どうする? まずはそのワイヤー片付けてから話そうか」


雅音は黙ったまま、リサの様子を静かに見つめていた。


その視線の先には、ただの女子高生ではない何か──それは確かに感じ取れるものだった。

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〈SEVENSINS GAL〉 TAKEUMA @atsushiA1210

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