マッチング心霊スポット

月待 紫雲

マッチング心霊スポット

――自分がどういう未練を持っていたのか。どんな名前だったのか忘れてしまった。


 トイレの花子さんと呼ばれていたのだから、花子というのかもしれない。昔は賑わっていたこの小学校は今や、昼夜問わず暗闇が支配する場所となっている。


 輝かしい新時代とも呼べる形の別の校舎ができてから、この木造の、歩けばギシギシ軋むような、そんな旧時代の校舎はゆったり廃れていくしかなかった。


 響いていた様々な音色も、今や決まった時間に『エリーゼのために』しか流れないし、たくさんの子どもたちで賑わっていた校庭はひとりが延々と徒競走の練習をするだけになった。


 実験で楽しそうだった理科室は、もう体のコリを気にした人体模型が運動するだけの部屋だ。


 誰一人、正しい意味で利用する人間は幽霊しかいない。


 トイレの窓から懐中電灯の光が見えた。そこを覗き込む。ひとりの大人が、こちらに向かってきていた。


 不法侵入者だ。


 幽霊が出るから、と若者が肝試しに学校を荒らしていく。


 大事な、大事な場所なのに。


 わーきゃー騒いで、落書きして、我が物顔で物を持っていく。


 外の人間なんか、嫌いだ。


 だから、攻撃することにした。椅子を投げつけたり、怒鳴ったりして。そうすると人はいなくなるが、一時的で、来る人間が増えた。


 薄い板を持ってきて、カメラみたいに使う者も増えた。


 うんざりだ。こちらに嫌がらせしかしてこない。


 ため息を吐きながら、女子トイレから廊下に出る。


 扉でも、ぶつけてやろうか。





 一時間ほどして、花子はいつもと様子が違うことに気づいた。

 校庭から笑う声がしたし、音楽室から『エリーゼのために』ではない曲が聞こえてきた。そうして廊下からやってきた彼は、霊感があるらしく花子と目が合うと、足を止めた。


 茶髪で、シルバーのメガネをかけていて、へびみたいな目をした、チャラチャラした男だった。「SUSI」とプリントされたシャツを着ており、首元には紐に吊るされたシルバーリングが下げてある。


「……可愛いな」

「――は?」


 顎に手をあて、真剣に呟く男。


「ぼくに憑依しません?」


 これからお茶しない? と同じノリだった。ナンパだった。チャラチャラした見た目に反して声は優しそうで、敬語だった。


 思考が停止する。


 無論、男の思考回路から発言まで、余さず理解できる部分がなかったからだ。


「いや、ぼく睡眠障害がありまして」


 目元を指さす。確かにはっきりと隈が見えたし、顔も白い。


「幽霊って、よく怪談話で標的以外寝かすじゃないですか。あと夢に出たり。そんだけ睡眠にアプローチできる能力があるなら、ぼくを寝かしつけてください。あと見た目が好みなので憑りついてもらってもいいですか」

「……は?」


 理解不能だった。


「ほ、ほかの幽霊でいいじゃない」

「嫌です好みなので」

「音楽室の子は」

「一緒に連弾曲やって成仏してもらいました」

「は?」


 音楽室の幽霊だって数十年は除霊だとかされていないはずだ。だというのに成仏させたという。


「校庭の子はかけっこしたら満足してくれましたし」

「え、は……?」


 理解が追いつかなかった。

 今まで除霊しようとした人間だってできずにいたし、素人なんて怖がるだけだったのに、今の一時間で二人成仏したという事実が意味わからないし、今花子を成仏させるどころか取り憑けとか言い出しているのが重ねて意味がわからない。


「理科室の人体模型は……?」

「え、知りませんけど」

「そ、そうなの」

「それで? 取り憑いてもらえるんですか」


 両手を広げて期待の眼差しを向けてくる男。


「ま、待って。お互い名前も知らないし、そもそもその、わたしができることなんてものをぶつけるくらいで」

「シュウヘイです」

「いや名乗れば良いって問題じゃないわ。わたし子どもだし」

「何年幽霊やってるんですか、もう立派な大人ですよ。見た目大人びてますし」


 目をキラキラさせながらシュウヘイが歩み寄る。


「お嬢さんの名前は」

「……花子。たぶん」

「トイレの花子さんか〜」

「そうなるわね」

「うん、それっぽい見た目」


 ニッコリと微笑まれ、ないはずの心臓がどきりとした。思わず顔をそらす。


「いつかこの建物も壊されちゃいますよ。その前にぼくに乗り移った方がお得ですって」

「そんな優良物件みたいなアピールされても」


 確かに優良物件かもしれないけど、という言葉は飲み込んでおく。


「だいたい、なんで寝かしつけるのよ。お薬飲めばいいじゃない」

「丁度いいのがないんですよ。体しんどくなるし。だから幽霊なら自由自在なんじゃないかって。三年探しました」

「三年!?」


 かけた年数に驚くものの、シュウヘイは気にせず話を続ける。


「幽霊に関する勉強してたらいつの間にか成仏させたり、除霊できるようになりまして。いやぁ、結構友好的な幽霊っていないものですね〜。やべえ呪ってくるのとか、たくさんいましたよ」

「わたしはそれでへらへらしてるお兄さんのほうが怖いわよ」

「つっ! どうせならお兄ちゃんって呼んでくれませんか」


 人差し指を立てて、訴えてくるシュウヘイ。よくわからない期待の眼差しが向けられている。


「いやよ」

「一回、一生のお願い!」


 土下座をしてくるシュウヘイ。

 ドン引きだった。

 とはいえ、希望通りに呼ばないと話が進まなそうだった。咳払いをし、込み上げてくる羞恥に耐えながら、口を開く。


「……お、おにい……ちゃん」

「か、可愛い。最高、死んでも良いです」

「いや、やめてくれる?」


 立ち上がり、ぱっぱ、と埃を払うシュウヘイ。


「それで、続きは」


 あまりにも脱線しすぎていたので話を戻そうとする。シュウヘイは首をかしげた。


「どこまで話しましたっけ」

「やべえ呪ってくるのがたくさんいたって話」

「あぁ。だから花子さんすっごい良いんですよ。こうやって会話できるし、可愛いし」


 生前を思い出せないので記憶上言われていない褒め言葉を、この先ないくらいに言われる。シュウヘイの顔が良いのも相まって、悪い気はしなかった――いや、目つきは悪いのだが。


「花子さんって何が未練なんです?」

「未練……?」

「校庭の子はかけっこだったし、音楽室の子は曲を聴いてくれて一緒に弾ければって感じだったし。『トイレの花子さん』の未練ってなんなんでしょうって」

「……覚えてないわ」


 女子トイレを見る。

 あそこに縛られていて、少なくとも好きではない場所であるのは確かだった。出られるのも女子トイレ前の廊下くらいだ。


「出られるなら出たくないです?」

「……まぁ」

「じゃ、出ましょ。未練を覚えてなくとも、ぼくと一緒ならそのうち思い出すかもしれません」


 心霊スポットにあるまじき、優しげな笑みを浮かべて、手を差し出してくるシュウヘイ。


 未練。


 未練がなくなったら自分はどうなるのだろうか。成仏できるのだろうか。成仏って良いことなんだろうか。


 女子トイレとシュウヘイを交互に見る。


 少なくとも、女子トイレに縛られるよりは、ずっと――


『――逃さぬぞ』


 知らない、男の声がした。二人でそちらに振り返る。廊下の奥でガタガタと人体模型が歩み寄ってきた。


 背中には校庭の子と音楽室の子が、縛り付けられたかのようにくっついている。


「成仏したんじゃないの」


 シュウヘイを睨む。


「うーん、成仏しきる前に捕まっちゃったのかな。あの人体模型だけやばい雰囲気するし」


 今まで見たことないような雰囲気の人体模型に戸惑う。表面が黒ずんでいるように見えた。


「な、なんかやばそうだけど……」


 かばうように前に立つシュウヘイの背に隠れながら、花子は言う。


「まぁ任せてください」


 シュウヘイは余裕を持ちながらポケットから数珠を取り出すと拳に巻き付ける。


『この学校はワシのもの! ワシのもの! 全て、全部まとめてワシのものだぁあああ!』


 腕を振り回しながら人体模型が走り出す。

 シュウヘイは拳を構える。


「娘さんを」

『死ねええ!』

「ぼくにくださーーーい!!」


 拳を突き出して、シュウヘイは人体模型を攻撃する。


――嘘みたいに木っ端微塵になった。


『ギャアアアああ!』


 叫び声と共に、床に散らばる人体模型だったもの。校庭の子と音楽室の子は解放されたかのように浮かんでいく。


 校庭の子と音楽室の子は笑顔でシュウヘイに手を振って天井に消えていった。


――今までに見たことがない、そんな満ち足りた笑顔で。


「ふぅ。除霊完了」

「え、あんな雑なパンチで?」


 花子が疑問を解消する暇もなく、校舎が揺れ始めた。


「え、何?」

「なんでしょう」


 ボロボロと天井の木片が落ちる。


「もしかしてやばいやつです?」


 床が揺れる。バキバキと亀裂が入り、もう見るからに崩れそうな様子が見て取れた。


「え、えっ」


 校舎がなくなったらどうなるんだろう。花子の脳裏にはそんな疑問が浮かぶ。

 女子トイレと、その前の廊下にしかいられないのに。それがなくなったら自分はどうなるのか。


――成仏? 未練がなくなったわけでもないのに?


「いきましょう花子さん!」


 シュウヘイが手を差し出してくる。


「え、でもわたしここから出られないし、取り憑き方とかわからないし」

「手を掴めばいいんですよ」


 轟音が響いて、奥に見える階段が崩れる。


「ほら」


 おそるおそる、差し出された手を握る。


 不思議と温かかった。


「行きますよぉー!」


 シュウヘイは女子トイレに向かって駆け出した。握られた手が、しっかり引っ張られる。

 女子トイレの扉を開けて、中に入り、そして窓枠に足をかけて――


――跳んだ。


「え、ここ二階」


 ふわっと落ちていく。花子自身は幽霊なので大丈夫だが、シュウヘイは無事では済まないだろう。


 地面が急速に近づき、シュウヘイが着地する。花子は一瞬目をそらしたが。


「では、行きましょうお姫様!」


 何事もなくシュウヘイは花子の手を引っ張って走り出した。


 後ろを振り返る。


 長年暮らしていた校舎が形を保てず崩壊していく姿がそこにあった。





 住宅街の中を二人で歩く。

 手を繋がなくとも、外に出れている。取り憑けたということでいいのだろうか。


 シュウヘイは笑顔を浮かべながら背伸びをした。


「ほら見て、綺麗でしょう」


 朝焼けの空に太陽が登る。空をまじまじと見上げて、こんなに綺麗な空を見れたのはいつぶりだろうか。少なくとも記憶にはない。


「……わたしで良かったの? 眠らせたりとかできないけど」

「んーまぁ、いいです。可愛い子が近くにいるだけで癒やしになるし」

「うわぁ」


 なんでこいつは睡眠障害なのか、と思えるほどチャラチャラしてる発言だった。


「これからやり方覚えたら最高ですけど、とりあえず話し相手になってくれればいいです。よろしくお願いします、花子さん」


 朝日に照らされて物理的に眩しい笑顔を向けるシュウヘイ。


 成仏した二人を思い出す。

 自分にも満ち足りた気分で成仏する日が来るのだろうか?

 少なくとも、校舎と共に消えていくよりは良かったのかもしれない。


「まぁ、その……よろしく」


 眩しいのでとりあえずそっぽを向いた。

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