冬猫怪談

冬野瞠

冬猫怪談

 私が大学生だった頃の話です。

 入学以来ずっと実家から都内の大学へ通学していた私は、当時三年生でした。年末も近づき、飲み会が増えてきた時節のある夜、日付も変わろうかという時刻に帰宅しました。着替えと歯磨きとメイク落としはかろうじて済ませましたが、酔っていたためお風呂など入れる状態ではありません。重たい体を引きずるように、一部がこんもりと膨らんだ自分のベッドに潜り込んで横になりました。

 その頃実家では、クロという安直な名前の黒猫を飼っていました。つやつやとした毛並みの、金いろの目をした立派な体格の猫です。人には滅多にすり寄らず、抱っこなど夢のまた夢、鳴くのは決まってご飯をねだるときという無愛想な猫でしたが、人間が眠るときだけは寝床に潜って一緒に寝てくれるのでした。

 その夜も、私は「ああ、クロが先にベッドで寝ていたのだな」としか思いませんでした。布団の中で膨らみを抱えるような体勢になると、指先が温かいものに触れました。クロはふさふさとした手触りのはずが、その日のクロの毛はなんだか妙にヌメヌメとしていて、私は反射的に指先を引っ込めました。何か粗相でもして、水をかぶったまま布団に入ってきたのだろうか? 瞑目したままぼんやり考えましたが、暗がりにいざなう眠気はとてつもなく強く、確かめるいとまもなく眠りに落ちていきました。


 翌日は土曜日でした。遅い時間に目覚めると、クロは既にベッドからいなくなっていました。

 リビングへ降りると、当時まだ中学生だった妹がテレビを観ていました。昨夜のクロの毛並みが普段と違っていた、という趣旨の話をすると、相手は小首を傾げました。彼女が言うには、クロは二十二時前から妹のベッドにずっといたというのです。

 日付が変わる頃に一旦私のところに来たのでは、と問うと、それはない、という返答でした。妹は昨晩部屋のドアの鍵を閉めて寝てしまい、明け方に扉を開けろとクロに催促された、と言います。その話には信憑性がありそうでした。

 私は気温による寒さだけではない、精神的な寒気を感じ始めていました。では、あれは何だったのでしょう。確かに私のベッドに潜り込んでいた、あの温かい物体――ヌメヌメとした、まるで何日もお風呂に入っていない、あぶらぎった人の頭のような手触りの……。

 私は一体何と寝床を共にしたのでしょうか。


 実家でおかしな体験をしたのはそれ一回きりです。ああいう怪談めいた出来事って、夏限定じゃないのですね。

 あの冬以降も普通に実家で過ごしていましたが、就職を機に家を出て、そのまま結婚してしまうと、なんとなく足が向かなくなりました。特に、冬場は。

 年末年始は毎年義実家で過ごすため、冬季に帰省する機会もめっきり減りました。義理の両親は私にとても良くしてくれ、それに安堵するとともに、実家の家族を思うと後ろめたさが湧いてもきます。実家から遠い土地の相手と結婚したのも、思い返せばあの家から離れたい気持ちがあったからかもしれません。妹は今でも両親と実家で暮らしています。特に何の問題も起こってはいません。

 この話を今したのは、実家からクロが老衰で息を引き取った、という連絡があり、あの冬の不可解な体験を思い出したからです。

 私のお話はこれで終わりです。これきりで、終わらせて下さい。

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