第3話
「えっ……」
「ハヤク」
サルは、片手を腰に当てて、強引に歩かせる。
いくらかの分岐を繰り返していると、目の前に真っ黒い扉が現れた。
「ハイッテクダサイ」
「……何、これ?」
「ブラックボックス、デス」
よく見ると、ここには全ての道が集まっている。
「コチラヲ、ヨク、ゴランクダサイ」
ブラックボックス、という名の箱の前には、一つの木の立て札が立っていた。
札には、入り口と同じような、涙で書いたような読みにくい文字が書かれている。
『迷路、お疲れさまでした。
入り口の時点で、左のルートを選んだあなたは、人生で最も幸せだった経験三つが消え、およそ二十万円が。
真ん中のルートを選んだあなたは、人生で大切な友人と歩んだ日々が消え、およそ百万円が。
右のルートを選んだあなたは、人生で最も大切な人たちと歩んだ日々が消え、およそ五百万円が支払われます。
この金額は、あなたの記憶によって多少変化いたします。
ボックスでは、十分ほどの時間を要しますが、ご容赦くださいませ。
このボックスを出れば、そこには一台のバスがあり、それに乗れば、元来た場所に帰ることが出来ます。
銀行口座を確認すれば、上記の金額が振り込まれているはずです。
ただし、その時点で、当てはまる記憶は、あなたの脳内には存在しません』
「えっ……?」
その時、メガホン頭のサルが最初に言い放った一言が脳裏に蘇った。
――キエルオモイデ。
まさか。
振り向いてみれば、さっきのサルは、忽然と姿を消していた。
「嫌だ! 絶対に嫌だ!」
元来た迷路から、男の絶叫が聞こえた。
「やだ」
ゾゾゾゾゾゾゾッ、とウジ虫が身体中を這いずり回るような悪寒が走る。
脳内は、ホワイトアウトしていた。
「やだ、やだやだ」
グオオオオオッ、と地獄の怪物の腹の音みたいな低温で、目の前の黒い扉が左右に分かれてゆく。
その向こうから、雪交じりの冷風が注ぎ込んだ。
身体の震えは、一向に止まない。
「やだやだやだヤダヤダヤダヤダ」
ふらりと、景色が揺らいだ。
背中が壁に付き、そのままズルズルと雪を削りながら身体が落ちてゆく。
地獄の怪物は、大口を開けて待っている。
「ダメ、無理、もう、そんなのムリ」
《パパもママも、今は詩央が一番大好きだよー》
《しおも! 大好きー》
《ありがとう。ギュー》
《きゃはははは!》
脳裏に、あの日の、あの時の、会話が、チカチカ点滅する。
「やめて……」
刹那。
「……あるぞ」
どこかから、声が聞こえた。
「えっ?」
「……別の手段も、あるにはあるぞ」
ハスキーな声が、すぐ耳元から聞こえた。
でも、気配はしない。
「……別の手段、って?」
「左側を見てみなさい」
その声の通りに、私は首を動かした。
左の突き当りには、『パラダイス・ゲイト』と書かれた、水色と黄緑と朱色で彩られた扉があった。
「あそこに入れば、記憶が消えることも、大金を手にすることなく、苦しみの荷を下ろすことが、出来るにはできる。少し、そこに至るまでに、必要じゃが」
「ホントですか?」
ブラックボックスの向こうから、一筋、黄金色の光が差した気分だった。
「そうじゃ。ただ、君を見ていると、あそこに入れば恐らく後悔するとは思うんじゃが……」
「でも、もう何にも苦しむことが無くなって、平和に生きれるんですよね?」
「まあ、ある意味は、なあ……」
「なら、もう迷いません」
「……いいんじゃな?」
「はい!」
自分でも信じられないほど、ふわりと尻が浮き上がった。
これで、私は、金に縛られること無く、尚央くんと関係を作り直して、詩央と共に幸せな家庭を作るのだ。
スウッ
扉を引くと、中は、暗闇の中にいくらか、赤い点があるだけの空間だった。
「えっ……?」
まるで、パラダイスには見えなかった。
――まあ、そこに至るまで、時間が必要って言ってたし。
若干沸き立つ胸のざわめきを感じつつも、私はその中に足を踏み入れ、扉を閉じた……
…………管理人室に並べてあるモニターを見て、私は一つ溜息をついた。
――やはり、言うべきではなかったか。
モニターのうちの一つでは、三本の鋭いかぎ爪を持った怪物に硬直している女が見える。
――この苦しみを乗り越えれば、とりあえずは楽なところに行くことが出来るが。
上から傍観するだけで、二度と、元夫とも娘とも会話したり、食事をしたり、遊んだりすることが出来ない、というのはさぞかし無念なことだろう。
――しかし、選んでしまったものは仕方がない。
私は、目を瞑り、机の上で両手を結んだ。
イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!
瞼の裏に、天国までの地獄絵図が思い浮かぶ。
この世のものではないほどの絶叫。
雪の館はガタガタがたがた、揺れて続けている。
思い出売却ノ城 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555
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