第2話 1
「おめでとうございます! 元気な皇子殿下でいらっしゃいます!」
元気な産声が上がると同時に、産婆の明るい声が聞こえる。
子が無事に生まれたことがわかって安堵の息を吐いたルシエンヌの耳に、アマンの驚愕に満ちた声も届く。
「これほどの魔力量とは……」
アマンの言葉の意味を確かめたくて、ルシエンヌは力強い泣き声を上げる我が子へ目を向けようとしたが、その力がなかった。
そのまま意識を失いそうになり、リテが強く手を握る。
「ルシエンヌ様! しっかりなさってください!」
その声に励まされ、ルシエンヌは閉じかけたまぶたを上げようとした。
しかし、愛しい我が子に触れることも、一目見ることも叶わず、声が遠ざかっていく。
「リテ……お願い……」
「ルシエンヌ様……」
「あの子を、抱きたいの……少しだけでいいから……」
「堪えてください、ルシエンヌ様。殿下はとてつもない魔力を発していらっしゃるのです。今、ルシエンヌ様が触れれば――」
「お願い、アマン……」
「なりません!」
抱くことも触れることもできないなら、せめて顔だけでも見たい。
そう言いたいのに言葉は口から出ることなく、ルシエンヌは意識を失ったのだった。
◇ ◇ ◇
初めてルシエンヌが夫となるクレイグに出会ったのは、まだ七歳の時だった。
クレイグの十歳の誕生日を盛大に祝った翌日の午後、母について出席した庭園でのお茶会に退屈したルシエンヌは、一人で庭園を探検していた。
すると、突如バシンバシンと草木が悲鳴を上げるような音が聞こえ、おそるおそる近づいたルシエンヌは息を呑んだ。
「やめて! なにをしているの!?」
男の子が枝を鞭のようにしならせ、綺麗に咲く花々を叩いていたのだ。
驚いたルシエンヌが飛びかかるようにして止めると、男の子はびっくりして枝を落とした。
そこでどうしてそんな意地悪をするのかと訊こうとしたルシエンヌは、口を開けたもののすぐに閉じた。
意地悪な顔をしていると思っていた男の子は、まったく正反対の今にも泣きそうになっていたからだ。
そこからクレイグと名乗った男の子とは、ルシエンヌが母に連れられて皇宮に行くたびに、こっそり遊ぶようになった。
遊ぶとはいっても、ルシエンヌがクレイグを見つけ出し、傍で一人でおしゃべりしているだけである。
クレイグは自分から何かを話すことはなく、ただルシエンヌのおしゃべりを聞いて、たまに相槌を打つくらいだった。
それが変化したのは、クレイグが十五歳になる少し前のことだった。
「クレイグ、これからはここに、女の子がいっぱい来るんだって。みんなクレイグのお嫁さん候補で、私もそのうちの一人なんだって」
「……ルシエンヌは嫌?」
「そんなの嫌よ……」
ルシエンヌにとってクレイグと過ごす時間は大切な宝物のようだった。
その宝物を他の子たちと共有しなければいけない。
そう思うと悲しくて、ルシエンヌは正直に告げた。
しかし、クレイグは特に何も言わず、そのまま無言で別れることになってしまったのだった。
それからすぐに、悲劇は起きた。
ルシエンヌの両親が馬車の事故でこの世を去ったのだ。
葬儀で悲しみに暮れるルシエンヌを慰めてくれたのは、皇妃オレリアと一緒に参列していたクレイグだった。
クレイグから何か言葉をかけてもらったわけではない。
ただ静かに涙を流すルシエンヌの手を黙ったままずっと握ってくれていた。
たったそれだけで、ルシエンヌは多くの慰めの言葉よりも励まされたのだった。
しかし、喪中であるルシエンヌは、クレイグの婚約者選定のために頻繁に催される茶会などには参加することができなかった。
そのため、クレイグとは会うことさえできなくなってしまったのだ。
その間、叔父が後を継いでアーメント侯爵となり、娘のクロディーヌが婚約者選定の催しに出席しては、クレイグの話を聞かせてくれていた。
――今日は殿下から話しかけられた。
――今日も殿下と話をした。
――今日はずっと殿下と話をしていた。
――今日は殿下が笑ってくださった。
ルシエンヌにはクレイグから話しかけてくれたことなどない。
会話が続いたことなんてない。
クレイグの笑顔を見たことなんてない。
ひと月に一度程度の催しの後にはしゃぐクロディーヌを見ていると、ルシエンヌはどんどん気持ちが落ち込んでしまっていた。
(私とクロディーヌのいったい何が違ったの?)
従姉妹なだけあって、ルシエンヌとクロディーヌは顔立ちが似ていた。
だからこそ、余計にルシエンヌはつらかった。
両親に続いて、友達まで失ってしまったようで、そこで違和感に気づく。
(違う。私にとってクレイグは友達じゃない……好きな人なんだ……)
初めて知った――気づいた『好き』という感情。
クレイグとの二人きりの時間――まるで宝物のような時間をクロディーヌと共有するようで嫌だと思った気持ちは独占欲であり、嫉妬でもあったのだ。
しかし、ルシエンヌの初恋は、実ることなく終わろうとしていた。
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