奪われた愛しの我が子を取り戻したら、夫の溺愛が始まりました。なぜ?
もり
第1話 プロローグ
この世界は魔力がすべて。
魔力が強い者が、国を統べる。世界を統べる。
そうした不文律が昔からあったため、世界中で魔力による――魔法による大きな戦いがいくつも起こった。
その結果、いくつかの国が成り立ち、今に至る。
それでもやはり、上に立つ者は強い魔力を求められた。
女性は出産の際に程度の差はあれど魔力を必要とするため、いつしか魔力量の多い女性のほうが強い子を産むと考えられ、上流階級の間では魔力量の大きさで嫁ぎ先が決まるようになっていった。
そのため、上流階級にある者たちは娘に幼い頃は基礎教育として簡単な魔法を教えはするが、成人すると魔力を消費しないために魔法を使うことを禁止した。
もちろん魔法や出産で魔力を消費しても、通常は体力と同様に徐々に回復する。
それでも、強い魔力を持つ者――貴族たちの間では成人女性の魔法の使用は禁忌とされるようになったのだった。
* * *
「何を言っているの? 冗談でしょう?」
「残念ながら、本気です」
「馬鹿なことを言わないで! どうしてっ……どうして私がこの子を諦めると思うの!?」
ルシエンヌは診察を終えたばかりの主治医――アマンをまっすぐに見て訴えた。
ここ最近、あまりに貧血が酷く、心配したアマンがいつもより念入りに診察したのだ。
その結果は信じられないものだった。
アマンは目を逸らすことなく、もう一度丁寧に説明する。
「本来ならあり得ないことですが、ルシエンヌ様のお腹にいらっしゃる御子は、発育過程で膨大な魔力を必要としているようです。このままでは、ルシエンヌ様の魔力が枯渇してしまいます」
「別にかまわないわ」
「それこそ馬鹿なことをおっしゃらないでください。魔力の枯渇は死を意味するのですよ?」
「ええ、それがどうかして? 私は絶対にこの子を無事に産んでみるわ。その後に死ぬのだとしてもかまいません」
ヘルツオーク帝国皇太子妃であるルシエンヌは断固として医師の提案を受け入れなかった。
愛する皇太子の――クレイグの子を絶対に守るという強い意思が感じられる。
アマンは眉間をもみながら考えた。
堕胎薬を飲むなら急がなければもう時間がない。
これ以上は母体にも負担が大きくなってしまう。
確かに胎児は成長過程で母親の魔力をある程度必要とするようだが、母体の魔力を出産時以外でこれほど多く消耗させてしまうことはアマンが知る限り例がなかった。
そうでなければ、歴代最強レベルのクレイグの誕生もあり得なかったはずである。
クレイグの母親――オレリアは、ルシエンヌより明らかに魔力が弱かったのだから。
今回のルシエンヌの妊娠経過は異例としか言いようがなく、母体を優先させるためには堕胎以外に対処する術がないと思われた。
「ルシエンヌ様、今ならまだ間に合います。また御子を授かることも可能なので――」
「また、なんてないわ! この子に代わりなんていないの!」
「ルシエンヌ様の代わりもいらっしゃいません!」
思わず声を荒らげてしまったアマンははっとした。
ルシエンヌは傷ついた表情になっている。
慌てて謝罪しようとしたアマンだったが、ルシエンヌは声を震わせてながら呟いた。
「いる、わ……。私の代わりは、いるのよ……」
「ルシエンヌ様……」
アマンは否定しようとして、愚かにもすぐに慰めの言葉が出てこなかった。
実際、ルシエンヌの代わりはいるのだ。
多くいた妃候補の中からルシエンヌが選ばれたのは申し分のない身分に教養、何よりも魔力が候補者の中で抜きん出て強かったからだった。
クレイグは本当のところ、ルシエンヌと同じ年の従妹であるクロディーヌを選ぶだろうと噂されていたのだ。
ルシエンヌは幼い頃に両親を亡くし、クロディーヌの父親であるアーメント侯爵が引き取ったために、二人は従姉妹というより姉妹のように育った。
そんな二人は妃候補として皇宮に上がり、皇太子であるクレイグと一緒に過ごすことが多かった。
クレイグは子供の頃からすでに強力な魔力を有していたからか、どこか人を寄せ付けない雰囲気があったのだが、クロディーヌにだけは笑いかけていた。
クロディーヌがクレイグを想っていることは傍から見ていても明らかで、将来的にはこの二人がこのヘルツオーク帝国を統べるのだろうと思われていたのだ。
数人選出された妃候補もただ慣例に従って成人まで決定を保留していただけだろう、と。
そのため、神殿の神官が魔力の強さを理由に推すルシエンヌをクレイグがあっさり選んだときには、皇宮内に激震が走った。
ルシエンヌとクロディーヌが従姉妹であるため、アーメント侯爵が将来の皇妃の後見人であることに変わりはなく、取り巻きたちにとっては幸いだったものの、誤算だったのはクロディーヌにばかり取り入ろうと贈り物をしていたことである。
聡明と評判だったが物静かで地味な印象のあるルシエンヌよりも、明るく可愛らしいクロディーヌは皆から愛されていた。
クレイグがルシエンヌと結婚した今も、クロディーヌの人気は衰えることがないのだ。
ルシエンヌは思わず唇を噛んだ。
周囲の思惑がどうであれ、結婚当初はルシエンヌもクレイグに対して期待していた。
クレイグに甘い言葉や愛情までを望んでいたわけではないが、それでも少しくらいはルシエンヌに関心を向けてくれるのではないかと思っていたのだ。
多忙を極めるクレイグにもっと時間を割いてほしいとまでは願ってはいなかった。
皇帝であるベルトランが病床にあり、皇太子としてクレイグがかなり忙しいのは間違いなかった。
これまでベルトランがおざなりにしていた国政を、今の世に合わせて次々改革しているからだ。
ただ急ぎすぎているのではないかと、ルシエンヌは心配だった。
それでもせめて一緒に過ごす時間――クレイグの秘書官が気を遣ってか組み込んでくれている夫婦として食事をとる時間にもう少し会話が弾めば、ほんの少し笑いかけてくれればルシエンヌは今こうして苦しんだりはしなかっただろう。
(クレイグが私を選んだのは、きっと出産でクロディーヌを危険にさらしたくなかったから……)
ルシエンヌがそう思うほどに、クレイグに妊娠を打ち明けたときも何も変わらなかった。
喜びに顔をほころばせ、よくやったと抱きしめてくれる――などといった反応をしてくれるのではないかと夢を見ては、さすがにそれはないわ、自身で打ち消しつつもやはり期待していたのだ。
妊娠がわかってからいつ打ち明けようかと期待に胸を膨らませ、二人きりになれる時間――夜の寝室への訪れを待って、ルシエンヌは緊張しながらお腹に子がいるのだと告げた。
そのときのクレイグはルシエンヌに伸ばしかけていた手をぴたりと止めると同時に、ほんの一瞬驚きに目を見開いたが、すぐにいつもの無表情へと戻った。
そしてルシエンヌから離れてベッドから下り、簡単な祝いの言葉と労い、無理をしないようにといったようなことを淡々と告げて去っていったのだった。
あれ以来、決められた予定以外でクレイグと会うことはなく、顔を合わせても体調を――お腹の子を気遣う言葉しかかけられていない。
そのためルシエンヌは、気分が悪くても無理して微笑み、「お腹の子は順調です」と答えるしかなかった。
「アマン、お願いよ。私に求められているのは、この子を産むことだけなの。何より、私がこの子を産みたいの」
「……わかりました。ひょっとして、魔力の吸収も今の時期だけかもしれません。御子がもう少し発育されたら、安定するだろう可能性に賭けましょう。その分、私の指示にはちゃんと従ってくださいね」
「ありがとう! アマンは最高の医師だわ!」
ようやく笑顔の戻ったルシエンヌを見て、アマンも微笑んだ。
患者の体よりも気持ちを優先させるなど、医師失格かもしれない。
それでもルシエンヌがクレイグを幼い頃から深く愛していることを知っているがために、拒否できなかったのだ。
クレイグは皇太子としてはとても頼もしいが、感情があるのかと思えるほどアマンにとっては冷たく感じるので、ルシエンヌをそこまで惹きつけるのはなぜなのか不思議だった。
だが、幼い頃から知っているからこそ、何か魅力があるのだろう。
とにかく、皆の期待に応えるためではなく、愛する人の子を産みたいというルシエンヌの願いを叶えるために、アマンは頑張らなければと気合いを入れた。
しかし、アマンの楽観的期待も虚しく、ルシエンヌの魔力は減っていく一方だった。
できる限り、魔力生成によいとされる食べ物を口にし、日光を浴びても、日に日に弱っていく。
軽い散歩さえできなくなり、予定日のひと月前にはベッドから動けないほどになってしまった。
ルシエンヌの魔力減衰については本人の強い希望で伏せられ、夫であるクレイグにさえ、妊娠によるただの体調不良とだけ伝えられている。
未だにクロディーヌを推す者たちがルシエンヌの不調の原因を知れば、母親としての資質を問われるのではないかと危惧したからだ。
何よりルシエンヌが恐れたのは、子に何か問題があるのではないかと疑われることだった。
だが、それが裏目に出てしまい、ほとんど付きっきりで部屋に籠っているアマンとのよからぬ噂を流され始めた。
――皇太子妃様は、主治医とあまりにも親密すぎるのではないか、と。
その理由も、寝室にはアマンと嫁ぐ前から仕えてくれている侍女のリテしか入れないようにしているからだ。
もちろん、夫であるクレイグが望めば入れるしかないが、一度見舞いをルシエンヌが断ってからは、彼が部屋を訪れることはなかった。
「アマン、今までありがとう。私の我が儘で、あなたには苦労をかけてしまったわ」
「何をおっしゃるのですか。まだまだこれからですからね。私はルシエンヌ様の主治医として、しっかりお給金を頂戴するつもりですから」
当然、噂されるような関係にはないものの、二人の間には医師と患者ではなく、確かな友情があった。
そんなアマンに対し、ルシエンヌはまるでこれでお別れかのような言い方をする。
このまま出産に臨めば、ルシエンヌの命は危うい。
しかし、アマンは過去の文献などを読みあり、一つの可能性を見出していた。
ただそれを、ルシエンヌが承知させるために、説得しなければならないのだ。
「ルシエンヌ様、これから申し上げることを最後までお聞きくださいますか?」
「ええ、もちろんよ」
「……ルシエンヌ様がこのままご出産に臨まれれば、お命はかなり危うい状態になります」
「子どもは!? この子は大丈夫なの!?」
「……おそらく」
「それなら、かまわないわ」
なんてことのないような答えたルシエンヌを見て、アマンは歯を食いしばった。
本当にルシエンヌは自分の命など子どものためなら惜しくないのだ。
医師として不甲斐なさを感じながら、アマンは続けた。
「では、ご出産された後、すぐにでも御子から離れるため、離宮へお移りください」
「出産後すぐ? 子は抱けるの?」
「残念ながら、それは叶いません。またかなり魔力体力を消耗されての移動になりますので、それさえもお身体にご負担となり、お命はさらに危うくなるかと思います。ですが、ルシエンヌ様が御子のご成長を見守られたいのなら、一時的に御子から離れなければなりません」
「それは……なぜ?」
「母子の絆はとても強いのです。ご出産後もお傍にいらっしゃれば、ルシエンヌ様の魔力が御子へと吸収されてしまうでしょう。それを避けるためには物理的に離れるしかないのです」
「……この子と離れる……。それは、どれくらい?」
ルシエンヌは震える手で大きくなったお腹を撫でた。
その仕草は子を愛する母そのもので、アマンは答えを口にするのにわずかな時間を要した。
「……一年ほどかと」
「一年も!?」
「耐えてくださいませ、ルシエンヌ様。ご無事にご出産され、御子のご成長を見届けられるためにも、どうかご決断ください!」
「……わかったわ。でも、すべて……このことは秘密にしてほしいの」
「ご出産後もですか!? それでは皇太子殿下にますます誤解されてしまわれます!」
「私は……殿下の邪魔をしたくないの。この子の母親でいられるなら、それで十分なのよ」
邪魔をしたくないと言いながら、それが言い訳でしかないことがルシエンヌは苦しかった。
様々な改革に取り組むクレイグが多忙なのは事実であり、自分のことで煩わせたくないとルシエンヌが思っているのは真実ではある。
だが、心の片隅では、クレイグに関心を持たれず無視されてしまったら、と思うと怖かった。
アマンは寂しげに微笑むルシエンヌを目にして、もう何も言えなかった。
ルシエンヌが何を考えているのかはわからないが、医師として患者の希望が第一なのだ。
アマンは辞去の挨拶をすると、リテたちルシエンヌを慕う使用人たちと秘密裏に準備を進めたのだった。
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