第3話 2
ルシエンヌの両親が亡くなってから三年。
ようやくル喪が明け、ルシエンヌがクレイグ皇太子のお妃候補として皇宮に上がったときには、候補者はかなり絞られていた。
その中でも一番の有力候補はクロディーヌで、そう皆が噂するのも、皇太子が唯一心を許しているから、というものだった。
しかし、それだけの理由ではお妃にはなれない。
皇太子であるクレイグの魔力は歴代皇帝の中でも突出しており、彼に相応しい魔力を持った女性を選ぶために神殿の神官たちは苦労していた。
魔力の強さと相性が合わなければ、子を成すことは難しいのだ。
クレイグ相手だと完璧な相性の女性など存在しないだろうが、せめて少しでも近い女性をと魔力を計測する神殿の神官たちは慎重になっていた。
いっそのこと一人に絞らなくてもいいのではないかと密かに囁かれているのは、歴代皇帝が愛妾を持っていたことも関係あるのだろう。
それでも無事に生まれる子は一人、二人で、当代皇帝のベルトランもオレリア以外に愛妾が三人いたが、子どもはオレリアが産んだクレイグ一人だった。
やはり皇妃には魔力が一番相性のいい相手を選ぶためか、歴代皇帝もほとんどが皇妃との間にしか子をもうけることはできなかったのだ。
だが、それは単に相性というよりも、神が認めた相手――皇妃にしか子を成すことができないのではないか? それなら愛妾ではなく妃を二人娶ればよいのでは、などといった論争も密かにされていた。
「――ねえ、ルシエンヌ。久しぶりに殿下にお会いする気分はどう?」
「……緊張しているわ」
「そんな必要ないわよ。殿下はとてもお優しい方だもの。まあ、皆は冷たい方だとか、厳しい方だとかって言っているけど、本当はそんなことないのよ」
秘密を打ち明けるように小声で言い、うふふと楽しげに笑うクロディーヌを見るのが、ルシエンヌは嫌だった。
本当は私が一番にクレイグのことを知っていたのに。
そう思う自分が何より嫌で、ルシエンヌは陰鬱な気持ちで懐かしい部屋へと足を踏み入れた。
そこは亡き母がオレリアとお茶をするとき、よく利用していた日当たりのいいサロンで、そのままテラスから中庭へと出ることができる。
中庭は高い塀に囲まれて王族以外に出入りする者を制限しているので、幼いルシエンヌでも自由に歩き回れたのだ。
それはもちろんクレイグも同様で、だからこそ二人で一緒に過ごすことができたのだった。
しかし、思い出のサロンはこの三年ですっかり雰囲気が違っていた。
母がいつも座っていたソファはなく、ずいぶん派手な柄のソファが据えられている。
オレリアお気に入りのテーブルの代わりに、主張の激しい大きなテーブルが置かれ、それを囲むように数人の令嬢とお付きの女性たちが座ってお茶を飲んでいた。
その女性たちの視線が一様にルシエンヌに向き、見定めるように上から下から眺められる。
(オレリア様が離宮に移られた今は、この皇宮に女主人はいらっしゃらないのよね……)
ルシエンヌの母親とかなり親しくしていたオレリアは、失意のあまり離宮で喪に服しているとされている。
だが、本当のところは以前から夫であるベルトランと不仲であり、息子であるクレイグのことも毛嫌いしており、離宮で暮らしているのだと噂されていた。
それが半分事実であることを、ルシエンヌはオレリアからの手紙で知っていたが、誰にも知らせることなく固く口を閉ざしている。
オレリアは不治の病に侵されているのだ。
ただプライドの高い皇妃は自分を顧みない夫に知らせるつもりはないらしく、息子であるクレイグにも秘密にしていた。
オレリアはあまりに魔力が高すぎる息子を恐れ、親子関係に失敗してからどう接していいかわからないまま今に至っている。
ルシエンヌの母が亡くなり、オレリアと交流するようになってから知ったことだが、幼いクレイグが自身の強すぎる魔力に苦しみ縋ってきたときに、強く拒絶してしまったらしい。
クレイグに触れるたびに酷い倦怠感や吐き気に襲われていたオレリアは、伸ばされた小さな手を思わず振り払ってしまったのだ。
それ以来、クレイグは苦しいと弱音を吐くようなこともなくなり、オレリアとの間にも距離ができてしまった。
それでもクレイグが成長するにつれて何度かオレリアは歩み寄ろうとしたようだ。
そのたびに今度はクレイグから拒絶され、プライドが高いあまりに自分から謝罪することもできなかったのだ。
クレイグとしても、母親から拒絶された過去の傷は大きかったのだろう。
悔恨を滲ませながら語るオレリアに、ルシエンヌは少しだけ素直になってクレイグに直接伝えてみればよいのではないかと、やんわり何度も進言したが、受け入れられることはなかった。
(私が上手く立ち回れたら……)
せめて親子関係の修復はできるのではないかと、今日はクレイグにオレリアの病のことを伝えられたらと考えていた。
しかし、令嬢たちからの冷ややかな視線にさらされ、ルシエンヌはもう挫けそうだった。
そこにわずかなざわめきとともにクレイグが現れる。
「殿下! 今日はルシエンヌを連れてまいりました!」
誰よりも一番に発言したクロディーヌに、ルシエンヌはぎょっとした。
皇太子であるクレイグよりも先に言葉を発するなど、不敬にもほどがある。
他の令嬢たちも気色ばんだが、クレイグは気にした様子もなく静かに頷いた。
「久しぶりだな、ルシエンヌ」
「……はい、殿下」
本当はもっと気持ちを言葉にしたかった。
両親の葬儀の際の優しさにどれだけ励まされたか、この三年間会えずに寂しかったか、久しぶりに会えてどれほど嬉しいか。
そのどれもが喉が詰まり言葉にならず、また皆の視線が気になって口にすることができなかった。
ただ頭を下げて唇を噛み締める。
この三年で、少年だったクレイグは青年へと変わりつつあり、それとともに威厳が備わりその美貌とともに近寄りがたい雰囲気をまとっていた。
「顔を上げてくれ、ルシエンヌ。皆も楽にしてくれ」
言葉は優しいが、その口調はきつい。
それが冷たいと言われる所以なのかもしれないが、クレイグは単に不器用で素っ気なくなってしまうだけなのだ。
皇太子の登場で礼をとっていた令嬢たちと同時に顔を上げたルシエンヌは、懐かしさにほんの少しだけ気を緩めた。
だが、いつの間にかクレイグの隣に立つクロディーヌを目にして、気分は急降下する。
まるでクレイグの隣に立つのが当然のようなクロディーヌの態度に誰も疑問を抱いていないらしい。
(私の居場所はもうどこにもないみたい……)
ルシエンヌはクレイグとクロディーヌを見て、かすかな希望が消えていくのを感じていた。
ひょっとして、再会すればまたクレイグの隣に戻れるのではないかと思っていた。
取り止めのないルシエンヌの話を聞いてくれるかもしれないと期待していた。
それなのに、クレイグの隣にはクロディーヌがいて、ルシエンヌの話には相槌を打つだけだったクレイグが、何かをクロディーヌに囁いている。
それを恨めしそうに見ている令嬢たちと、ルシエンヌは同じなのだ。
クロディーヌが楽しそうに笑い、ルシエンヌを呼ぶ。
「ルシー。こっちで一緒にお話しましょうよ」
クロディーヌは明るく人懐っこい笑顔は、侯爵邸でルシエンヌと接するときと何ら変わりはない。
叔父夫妻が侯爵邸の主人となってから、ルシエンヌの馴染みの使用人たちはどんどん辞めていった。
徐々に居心地が悪くなる屋敷の中で、クロディーヌの明るさがいつも救ってくれる。
だから今も同じはずなのに、なぜかルシエンヌは警戒してしまった。
「ねえ、ルシー。殿下とお話するのは久しぶりなんでしょう? この三年間、屋敷に閉じこもって何をしていたのか、殿下にお話したら?」
「それは……特に何も……」
本当に何もなかった。
喪に服すのは一年だけにするつもりだったルシエンヌに、叔父夫婦からはなんて冷たい娘なんだと詰られたのだ。
その理由はきっと、お妃候補からルシエンヌを排除するためなのだろう。
叔父夫妻がクロディーヌをお妃にしたいと強く望んでいるのは誰もが知っている。
両親の葬儀のとき、クレイグがルシエンヌの手を握ってくれたのを見られていたのかもしれない。
この三年間で残ったのは、両親が健在の頃から侍女として仕えていてくれるリテだけだった。
「ええー? 何もないってことはないでしょう? だって、ルシーは皇妃様とお手紙をやり取りしているじゃない」
その言葉を耳にした誰もがはっと息を呑んだ。
オレリアが夫である皇帝だけでなく、息子のクレイグとも絶縁状態に近いことは皆が知っていた。
クレイグは初めて見る冷たい表情でルシエンヌを見据えていた。
ルシエンヌは今までのクロディーヌの優しさが、すべて偽りだったのだと、ようやく気づいたのだった。
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