政略妻は氷雪の騎士団長の愛に気づかない

宮永レン

政略妻は氷雪の騎士団長の愛に気づかない

 私の名前はリリィ=クロウフォード。エヴァレット侯爵家の末娘であり、今は王国騎士団長アシュレイ=クロウフォードの妻だ。


 ただし、これは政略結婚。お互いの家の利益のために結ばれたもので、特別な感情などないと思っている。


 そう、ずっとそう思っていた。


 アシュレイは、氷の彫像のような人だ。


 銀糸のように光を反射する髪、深い青の瞳はまるで冬の夜空を閉じ込めたように冷たく静かで、その美貌は完璧すぎて近寄りがたい。彼が黒の騎士団の鎧を纏う姿は威厳そのものだが、私生活では表情に乏しく、何を考えているのか掴めない。


 彼の隣に並ぶ私は、どちらかといえば平凡だと思う。栗色の髪に琥珀色の瞳。華やかではないけれど、地味すぎもしない。けれど、幼い頃から「控えめでいなさい」と言われ続けてきた私の態度は、どこか物足りない印象を与えるのだろう。


 そんな私が、あの完璧なアシュレイと結婚しているなんて、未だに現実味がない。


           ***


 ある冬の日、雪が降り積もる中、アシュレイが突然私を誘った。

 

「リリィ、今夜お祭りに行くぞ」


「お祭り、ですか?」


 私は驚いて顔を上げた。この人がこんなことを言い出すなんて、珍しいにもほどがある。


「雪花祭だ」


「……行ってもいいんですか?」


「当たり前だ」


 当たり前、などと言いながら、彼の声はどこか優しい響きを帯びていた。


          ***


 その夜、私は白いマントを羽織り、アシュレイと共に雪花祭へ向かった。馬車の中から見える城下町は、冬の装いで美しく飾られている。通りには無数の雪の結晶を模した灯籠が吊り下げられ、雪に反射した光が幻想的な輝きを放っていた。


「綺麗……」


 思わずそう呟くと、隣でアシュレイが小さく微笑んだように見えた。


「君がこういう場所に来たことがないと言っていただろう。それを思い出した」


「あれを覚えていたんですか?」


 数週間前、何気なく「雪花祭の話を聞いたことはあっても、行ったことがない」と使用人と話していたのを思い出す。まさかそれを覚えていたなんて。


「……ありがとうございます」


 礼を言うと、彼は少し照れくさそうに視線を逸らした。


          ***


 雪花祭の広場は賑やかで、雪で作られた彫刻が並び、人々が笑い声をあげている。凍てつく空気の中で、小さな屋台からは温かいスープや焼き菓子の香りが漂ってきた。


「リリィ、手が冷たそうだな」


 そう言うと、アシュレイは手袋を外し、私の手を包み込むように握った。その手は驚くほど温かくて、冷えていた指先がじんわりと温もりを取り戻していく。


「アシュレイ様の手が凍ってしまいますよ」


「……私よりも君の方が大事だ」


 短い言葉ながら、その優しさに胸が少しだけ熱くなる。


 広場の中央に進むと、大きな氷の彫刻が目に飛び込んできた。それは雪花祭の象徴――氷の女神像だった。


「アシュレイ様、あれは……?」


「この祭りでは、女神に祈りを捧げることで、一年の幸運を願うという習わしだ」


 彼はそう説明すると、小さな雪の結晶を模した飾りを手に取り、私に渡した。


「君の願いを込めて、この飾りを女神に捧げろ」


 その瞳はまっすぐで、拒むことなどできないほど真剣だった。


 私は飾りを手に、静かに祈る。


(これからも平穏な日々が続きますように)

 そう心の中で呟き、飾りを女神像の台座に置く。


          ***


 祈りを終えると、空からひとひらの雪が舞い降りてきた。柔らかな雪が頬に触れ、ひんやりとした感触に思わず顔を上げる。


 その瞬間、彼が私をそっと引き寄せた。


「アシュレイ様……?」


 雪の静寂の中、彼は少しだけ戸惑いを浮かべながら口を開く。


「リリィ、私は言葉が足りないとよく言われる。だから、今日だけはしっかりと伝えたい」


 その言葉に胸が高鳴る。彼の青い瞳は、降り積もる雪よりもずっと深く、そして暖かかった。


「君を守るためなら、何も恐れない――君を愛している」


 息が止まるほどの告白に、私は彼をじっと見つめた。


「……た、ただの政略結婚では、なかったのですか?」


「君が今の生活に慣れるまでそっとしておこうと思った。私は近寄りがたいと周りから言われているのも知っているし、君に迫って嫌われたくなったからな」


 氷雪の騎士団長とまで呼ばれている完璧な彼が、耳まで真っ赤にして、温かな言葉を紡ぐ。その笑顔はいつもの冷たい印象とは違い、心の底からの愛に満ちていた。


「アシュレイ様……私は、あなたの妻になれて嬉しいです」


「ありがとう、リリィ」


 その夜、雪が降り続く中、私たちは初めてお互いの心を通い合わせた。


 そっと頬を包まれて、柔らかな唇が重なり合う。その温もりは冷たい雪も溶かして――。




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