おもちゃ
やまこし
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「あの〜……”ケン”さんですか?」
細身で、すらりとして、まるで妖精のような人に話しかけられた。
「あ、はい」
「”みー”です」
”みー”はそう名乗るとマッチングアプリのプロフィール画面を見せた。
「はじめまして」
口元はマフラーで見えなかったが、その声に笑顔が滲み出ているのがわかる。
「はじめまして。寒いですね。とりあえず移動しましょうか」
「はい、おまたせしてすみませんでした」
クリスマスイブの夜、新宿アルタ前は歩くので精一杯だ。
”みー”を見失わないように、でも近づきすぎないように、絶妙な距離を保ちながら話しかける。
「何か、食べたいものはありますか?」
「そうですね……お腹空いているので、お腹がいっぱいになるものがいいです」
「じゃあ、焼肉でも行きますか」
「焼き肉にしましょう!」
”みー”は、また嬉しそうな声を出した。
クリスマスイブに恋人と過ごしたのなんて、いつが最後だろうか。もう、錆びつくのがわかっていた引き出しにわざとしまいこんだ思い出だ。キリスト教系の学校に通っていたこともあって、クリスマスは好きだ。世界中が、ほんの少しだけ幸せな空気になる。明日は、イエスの誕生日。そういうことを知っている人や知らない人を集めてパーティーをしたり、一緒にご飯を食べて朝までカラオケをしたり、時には恋人と過ごしたり、とにかくクリスマスイブには誰かが隣にいるのが当たり前だった。
ところが、今年は友人たちにことごとく振られた。もちろん、恋人もいなかった。
誰も隣にいないより、マッチングアプリで会った人といる方がよっぽど寂しいことなんてわかっていたけれど、それでもだれかの温もりに、物理的な体温に触れていたかった。むしろ「寂しいということに自覚的である」と唱えながらスクロールした画面に映ったのが”みー”だった。そのときに表示されていた一言が「クリスマスイブの夜が一番疲れてる」だったのだ。
「イブの夜は、どうして疲れてるんですか?」
これが自分からの最初のメッセージだった。
「仕事があるので。でも早く終わりますから、会えますよ」
返信をしてきた”みー”は積極的だった。
「じゃあ、会いましょう、どこがよいですか?」
「はい、とてもお腹が空いていると思うので、まずはご飯からお願いします。新宿はいかがですか?」
こうして、”みー”と会うことが決まった。
肩が触れ合うほどの人ごみにいたときは気が付かなかったが、とても寒い。手袋を外してスマホを操作する気にもなれず、歩きながら手あたり次第焼肉屋に入ったが、どこも混んでいた。区役所の方まで歩いてようやく、カウンターでよければ、と暖簾をくぐらせてくれる店を見つけた。ようやく手袋を外して、コートを脱いで席に落ち着いたら、やたらと周りのことが気になる。ああ、どの席も男女のカップルでいっぱいだ。
一方”みー”はそんなことには目もくれず、メニューとにらめっこをしている。
「お酒、飲むんですか?」
とりあえずの一杯目を決めようと声をかけたが、メニュー選びに必死でこちらの話を聞こうともしない。
「あの、」
「あ、はい、すみません、あの、タン食べたいです」
思わず笑ってしまった。きっとすごく困った顔をしていたと思う。
「タン、食べましょう。みーさんは、お酒飲みますか?」
「お酒、そんなだけど今日は飲みたいので、飲みます」
店は混んでいるにもかかわらず、二人分のビールとタンがさっそく運ばれてきた。
クリスマスイブの新宿の街に、放り出された二人のささやかな夜が始まった。
”みー”は細い。そしてその見かけによらず本当によく食べる。どこにその肉が入っているのか、触って確かめたいくらいにはよく食べる。そして、とめどなく口に肉を運ぶ手には、小さな傷がたくさんついているということに気づいた。新しい傷なのか、まだ赤い血がにじんでいるものもある。
「イブが忙しいって、何の仕事してるんですか?」
「じゃあ、当ててみてください」
少し酒が回ったのか、赤くなった頬にきゅっと力を込めて、いじわるに口角をあげながら聞いてくる。
「うーん…」
イブ限定で忙しい仕事はこの世にけっこうある。
「えーと、ピザ屋?」
「ブー」
「あ、ケーキ屋か」
「ブー。でも同士の意識はあるかも」
「ほう、なるほど」
だんだん水平思考クイズの足音が聞こえてきた。
「花屋はどうですか」
「いや~ちょっと遠いか」
”みー”はニコニコとこちらを見ながら相変わらず肉をほおばっている。
「おもちゃ屋だ!トイザらスとか」
「お~、まあ、正解としておきましょうかね」
「答えはなんですか?」
「信じてくれますか?」
「場合によります」
「秘密は守れますか?」
「秘密は、人間同士の距離を縮めます、ときにゼロまで」
「サンタのもとで、おもちゃを作る仕事をしています」
名刺はない、企業秘密なので職場の写真もない。証明できるものは何もないが、とにかくサンタクロースの近くでおもちゃをつくっているらしい。酒が入った”みー”は、おもちゃ屋のことを「流通の末端です」となぜかこきおろし、大手おもちゃメーカーのことを「ただの量産」と罵った。”みー”の話が本当なのであれば、子供たちもしくは親たちから受けたオーダーに沿って、一つ一つのおもちゃを作っているらしい。必要であれば各小売店に卸し、サンタの下請けとして業務を行う親が購入するそうだ。サンタクロースが直接届ける家庭もあるが、年々減っているとのことだった。もちろん、大手のおもちゃメーカーで作られたおもちゃをプレゼントとして受け取っている子どもたちもいるが、”みー”に言わせるとサンタ業界のメイン流通ルートからは外れているのだそうだ。会話の端々に感じられる”みー”の業界に対する思いと、言葉の解像度の高さからその話が嘘だとは思えなかった。
「ケンさん、サンタクロースはいつから来なくなりましたか?」
「えっと…」
最後に恋人と過ごしたクリスマスの記憶より、ずっとずっと奥底に眠っている記憶。夜中にふと目が覚めてうっすらと目を開けたら、目の前に大きなプレゼントが置いてあった。ずっとほしかった、ラジコンカー。まだ暗い部屋の中でびりびりと包装紙を破る音が、今でも耳の中にこだまする。きっとあの時、サンタクロースはうちにやってきたのだ。でも、それが最初で最後だった。そして、両親と過ごすクリスマスもそれが最後だった。
「覚えていないけど、サンタクロースはいると思います」
「そうやって断言する人、はじめてかもしれないです」
「だって、一緒に仕事してるんですよね」
「さあ、どうでしょう」
”みー”は突然煙に巻いて、肉のメニューを見はじめた。
「違うんですか?」
「店員さーん、すみません、カルビ二皿お願いします」
ここから”みー”は当たり障りのない話を繰り返した。去年のクリスマスイブの話、今年のベストバイ、次の正月で楽しみにしているテレビ番組、ボディソープを3日間買い忘れている話、そのどこにも、サンタクロースと仕事をしている話は出てこなかった。開けるつもりのなかったはずなのに、開けてしまった引き出しがいくつか開いたまま、シメのアイスクリームに手を付けた。
「ケンさん、今日はセックスするつもりでしたか?」
”みー”はその細い肩では耐えられないほどの速さのストレートを投げてきた。
「特に予定はなかったです」
「こんな夜にぴったりのホテルを知ってるんです。行きませんか?」
「みーさんは、いいんですか」
「たぶん、ぼくは開けてはいけないなにかを開けてしまったんですよね。閉めさせてほしくて」
「俺も、あなたのおなかにちゃんとお肉が入ってるか、確かめたいと思っていたんです」
(了)
おもちゃ やまこし @yamako_shi
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