二人で分ける雪

亜咲加奈

いつもいるよ、二人のあいだに雪が降っても

 俺は男だ。

 そして俺の同居人、日野さんも男だ。

 ただの野郎どうしのつきあいと違うのは、俺たちが愛し合っていることだけだ。

 今年はいろんなことがありすぎた。日野さんが総務課に異動して、そこで出会った後輩に惚れられた。

 日野さんはイケメンで、身長は俺と同じ一七五センチ、筋肉もしっかりあってとても綺麗な体をしている。だからそいつが惚れるのも当たり前だ。

 真面目な日野さんは相当悩んだ。俺はそいつとガチで対決した。殴る蹴るまではしなかった。でも実際には俺はそいつの腹に、ついうっかりということにしてボディーブローを入れたことはあったけど。そいつと話すのは、タイマン張るのと同じくらい神経がすり減った。

 日野さんは、自分にも他人にもまっすぐに向き合う。嘘をつかない。だから惚れてきた後輩にも、ガチで相手した。つまり、寝てしまったのだ。それも自分から。相手は本気だったから、自分も本気にならなければと思ったのだろう。

 さすがに俺はへこんだ。日野さんの前で泣いた。もうそいつに会いに行かないでくれと泣いた。日野さんも泣いた。泣いて俺にあやまった。

 それ以来、俺と日野さんはぎこちなかった。何か話そうとして相手の顔を見ると、やっぱりやめとこうと口をつぐむ。その繰り返しだった。

 俺たちが元に戻ったのは、クリスマスイブの二週間前だ。残業が終わって帰ってきた日野さんが、俺に話しかけた。

「余田さん。話があるんだけど、いい?」

「おう。何」

「健ね、新しいパートナーを見つけたんだって」

 健というのが、日野さんに惚れたヤツの名前だ。沢渡健。俺たちより三つ年下で、野郎と女と、どちらとも寝られる。俺はもと不良で、顔立ちが鋭いせいで黙っているとチョー怖いと言われる。だけど、その俺ともガチでぶつかれるほど気持ちが強い。

「つまり、新しい彼氏か彼女を見つけたってことか」

「うん」

「じゃあ、もう、日野さんの彼氏はやめるって言ってんのか」

「そう。これでもう俺と健は、単なる職場の先輩と後輩になったよ。余田さんに、申し訳ありませんでしたって伝えてくださいって言ってた」

 俺と日野さんは、それぞれで沢渡と腹を割って話した。新しい彼氏か彼女を見つけるまでは、日野さんの彼氏でいる。ただし、体の関係はもたない。そういう約束になった。ヤツはそれを律儀に守ったということになる。

 正直、俺はほっとした。もう日野さんはヤツに会うために、俺から離れることはない。泣きそうになったので俺は日野さんから顔をそむける。

 日野さんはリュックサックから、何かを取り出した。

「見て」

 一冊の本だった。日野さんの死んだ元カレが表紙のイラストを描いた本だ。俺も買って、持っている。

 日野さんは、俺の目の前で、表紙を開いた。

 日野さんの似顔絵があった。その下には英語の筆記体が書いてある。「Satoshi.M」。三品聡。日野さんの元カレの名前だ。

「これが、どうしたんだよ」

「今まで黙っていてごめん。聡が描いてくれたの、忘れてた」

 日野さんは泣きそうだ。でも、声は強かった。

「これ――持っていても、いい? 俺、持っていたいんだ」

 日野さんの元カレはプロのイラストレーターだった。そいつは日野さんをスケッチブックに描いていた。日野さんは俺が同居することになった時、そいつが描いた自分の絵を全部、俺の目の前で破いた。破いた紙は全部、市の指定の燃えるゴミ袋に入れて、燃えるゴミの日に出した。

 日野さんは俺を、必死に涙をこらえながら、にらみつけている。

 俺は日野さんが好きだ。大切だ。だからもう答えは決まっていた。

「いいよ」

 日野さんの綺麗な目から涙がこぼれた。

「ありがとう」

「泣くんじゃねえよ」

 日野さんが俺を抱きしめる。俺も日野さんを抱きしめて、言った。

「三品込みで受け止めるっつってんだろ」

 日野さんは、しゃくりあげながら、何度もうなずいた。 


 二人で並んで座り、日野さんがゆうべから煮込んだおでんを食べる。日野さんが作るメシはなんでもうまい。大根は箸を入れるとほろっと崩れて、味がしみている。

 俺が今の会社に転職するときにじいちゃんがくれたラジオから気象情報が流れてくる。

 ――北部山岳地域では、積雪に注意してください。平野部でも降雪の予報が出ています。

「北部山岳地域って、余田さんのおじいちゃんおばあちゃんが住んでる町がある方でしょ」

「おう」

 日野さんと俺のあいだにも雪が降った。大学にいる時からつきあってきた三品。そして今年になって現れた沢渡。そいつらは俺にとっては雪と同じだった。積もれば足がはまって歩きにくい。高い所から落ちた雪は車の天井だってへこませる。つまり、俺の身動きを封じてしまっていた。

 大雪の時は警報が出る。けど、三品がいたことも、沢渡が日野さんに惚れてしまうことも、俺には何の前触れもなかった。

「余田さん?」

 日野さんが俺に胸と顔を一緒に向ける。心配そうに眉間が寄っていた。だから俺は無理して笑って見せる。

「わりい。考え事してた」

「よければ、聞かせてくれない?」

 俺は笑いを引っ込めた。一言でも言えば泣きそうになる。だからまた笑って、できるだけテンションを上げて答えた。

「三品も沢渡も、俺には、雪みてえなもんだって。いきなり、降ってきやがって」

 日野さんが箸を置いた。真面目な顔をしたまま、俺のほっぺたをつまむ。痛い。

「何すんだよ」

「ほっぺたをつまんでる」

「いてえよ」

「痛くしてる」

「だから」

「一人で悩まないで」

 指を離して日野さんが優しく笑う。

「悩んでなんかねえよ」

「俺にも分けて」

「分けられるわけねえだろ」

「雪かき、一緒にすればいいじゃん。俺、手伝うよ」

 俺は日野さんに体ごと向き直った。日野さんは真剣だ。

「確かに雪は怖いよ。雪崩にもなるし、積もるし。でも俺たちにできることは、雪かきしたり、スタッドレスタイヤ履いたり、チェーン用意したり、いろいろあるでしょ。一人でするよりも二人でした方が、安心でしょ。だから俺にもその雪を分けてよ。一緒に何とかしようよ」

 おでんを食うのも忘れて、俺たちはお互いの目を見あう。

 三品と沢渡が俺の頭から消える。

 俺は日野さんに言った。

「明日さ、スタッドレス、履くか」

 俺たちが住んでいる市は平野部にあるから、ほとんど雪は降らない。だから一年中ノーマルタイヤで過ごす人の方が多い。けど俺と日野さんがいる会社では、全社員にスタッドレスタイヤを履くように義務づけている。特に俺がいる物流部門では十一月に、トラック全部がタイヤ交換を済ませている。

 日野さんがやっと笑った。

「おう」

 

 俺は今、雪がちらつく貸し倉庫の前で、自分の車にスタッドレスタイヤをつけている。最後のナットを締め終わり、ジャッキをはずした。

「余田さん。お疲れ」

 日野さんが優しい笑顔で近づいてくる。その笑顔に俺はいつも癒される。

「おう。ありがとな、ノーマルタイヤ片づけてくれて」

「こちらこそ、交換してくれてありがとう。俺の、後でもよかったのに」

「どうせ自分のも換えるんだから、どっちが先だって同じだよ」

 もともとこの倉庫は日野さんが借りていたものだ。同居するにあたって、俺のスタッドレスタイヤもそこに収納してくれた。俺たちが住む県は雪が降る。だから雪用タイヤは誰もが必ず持っている。持ち家なら物置にしまえるんだろうが、俺たちはアパート暮らしだから、安く借りられる倉庫を使う。

 工具も倉庫にしまう。日野さんが鍵をかけた。

 二人でそれぞれの車に乗って、一緒に暮らすアパートに戻る。雪は本降りになってきた。

 アパートの駐車場に車を停め、前後にあるワイパーを立てる。雪の重みで折れないようにするためだ。

「さらさらしてる。これは積もるな」

「どうしてわかるの」

「雪の粒が細かいからさ。これがもっと大きいと、べちゃべちゃした雪になって、地面に落ちても積もらないで解けるんだ」

「雪かきの道具ないけど、まだ売ってるかな」

「もしかしたら、もう、品切れかもしれねえな」

「今日、休みでよかったね」

「ほんとだよ」

 灰色の空から雪がひっきりなしに落ちてくる。

 足元にはうっすらと雪が積もり始めている。

 また、俺と日野さんのあいだに、雪が降ったら、どうすればいいんだろう。

 沢渡の時は、俺は、とにかく怖かった。日野さんが俺から離れていきそうで。三品は死んでるからまだそこまで怖くなかった。

 固まっていると、いきなりケツをつかまれた。

「あんだよ」

 日野さんをにらむ。

 日野さんは俺の反応を面白がっている。

「また考え事してる」

「いいだろ別に」

「似合わないからやめなよ」

「余計なお世話だよ」

「中へ入ろ」

「わかったから手ぇ離せよ」

「やだ」

「いつまでケツ持ってるつもりだよ」

 日野さんが切なそうな目と声で言った。

「余田さんが俺を信じてくれるまで」

 俺は、初めて気がつく。俺が怖がってると、日野さん自身も怖いと感じてしまうんだ。お互いがお互いを、信じられなくなってしまうんだ。

「ごめんな」

 日野さんがやっと手を離す。

「俺の方こそ、ごめん」

 俺たちのあいだに、頭に、肩に、スニーカーの甲に、雪が積もる。

 日野さんが手のひらで俺の雪を払ってくれた。俺も日野さんの雪を手でそっと落とす。

 日野さんの目と口もとが、やわらかくほどけた。

「いるでしょ、俺は。余田さんの前に」

 俺たちの目の前を、雪がふわりと落ちていく。

 俺は日野さんに一歩、近づいた。俺たちのつま先とつま先がくっつき、また、頭や肩や背中に、雪が下りる。

「俺だっているだろ、日野さんの前に」

 白い息と一緒に、日野さんの顔の真ん前で、俺は笑った。


 


 



 

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二人で分ける雪 亜咲加奈 @zhulushu0318

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