第2話 夏陽家の休日

 いつもの休日。

 いつもの自宅。

 俺は朝から叩き起こされた。


「ハル君はいつまで寝てるつもりなの?」

「休みの日ぐらいゆっくり寝させてくれ」


 それから今はダイニングで遅めの朝食の最中。

 テーブルにはエプロン姿のフユと、本を読んでいる季節の姿もある。


「それにしても季節は本に夢中だな。何の本を読んでるんだ?」

「確か、子猫ちゃんに借りた小説よ」

「子猫? そういえばあいつ、季節と同じで読書家だったな」

「ハル君も読書家と言えば、読書家よね?」

「俺の場合は毛色が違うけどな。部屋にある本は全部専門書だし」

「この前は学校で医学書も読んでたわよね」

「ちょっと、自分の体を調べたいもんでね」


 これがいつもの夏陽家の休日の風景だ。

 朝は俺が遅めの朝食を摂り、居候のフユは家の家事全般を行う。

 季節はいつも俺達の側で何かの本を読んでいる。

 本当、平穏な家族の休日というような感じだ。

 まあフユはただの居候なんだが。それも中学生の頃からずっと。


「そういえばハル君、父さんから連絡とかあった?」

「無いな。あいつの場合、心配でも電話なんて掛けて来ないからな」

「相変わらずハル君のこと信用してるのね」

「信用じゃないだろ。面倒なことは俺に押し付けたいだけだ」


 竜二というのは俺と季節の保護者であり、また現在のフユの義父のことだ。

 この家も元々は竜二の実家である。

 それを俺達兄妹が間借りさせてもらっている状態だ。

 そもそもあいつ、仕事先は海外だし。

 俺と出会ったのもその仕事が関係している。

 思い返せば、路地裏であいつを追剥ぎしようとしたのが出会いだったな。

 あそこから俺の人生が大きく変わった。……というか変わり過ぎだな。


「そういうフユは竜虎さんから連絡とかあったのか?」

「うん。今はまたヨーロッパの方を中心に探してるみたい」

「相変わらず熱心だな。世界を股に掛けた人探しなんて」


 秋月竜虎はフユの叔母にして、現在のフユの義母だ。

 また俺や季節の保護者である竜二とは幼馴染であり、結婚相手でもある。

 今は失踪したフユの両親を探すために、仕事をしながら世界を放浪している。

 日本に帰って来るのは、仕事先で偶然に竜二と遭遇した時だけ。

 それも一年に一度あるかないかだ。


 そのため家に年頃の娘を一人で住まわせることを不安に思った二人が、ウチにフユを預けて行った。ちなみにフユが前まで住んでいたのはマンションの一室。本当の両親と住んでいた家は現在、彼女の母方の祖父母が暮らしている。最初は二人が彼女の面倒を見る予定だったらしい。でも別に祖父母がフユを追い出したわけじゃない。フユが二人に気を遣い、竜虎さんと暮らすことを選んだようだ。竜虎さんの話では、祖父母はフユに優しく接していたらしい。それもかなり過剰に優しく接していた。そこには自分たちの娘が犯した罪への償いの気持ちがあったのかもしれないが、子供のフユには重すぎた。


 それがフユと竜虎さんが母娘になったきっかけ。

 ウチの殺伐としたきっかけとは本当に大違いだ。

 俺なんてあの時、竜二を鉄パイプで殴ってるのに。

 とはいえ、俺も腕の骨を折られてるからお互い様だ。


「それよりも今日の予定は?」


 俺はトーストを齧りながら、エプロン姿のフユを眺める。

 きっと学校の男子生徒に見られたら、俺は嫉妬で呪い殺されるに違いない。

 俺から見れば見慣れたフユのエプロン姿も、学校のやつらからすればレアなのだから。


「そうね。今日はお天気も良いし、三人で散歩にでも出掛けましょうか」

「……散歩? 俺、今日はもう一日中寝ていたいんだけど」

「何言ってるのよ。もう十分寝たじゃない。朝の十時まで寝れば十分です」

「でもほら、季節だって読書に夢中な――」

「パパとママとお散歩⁉ 季節、行きたいです‼」

「二対一ね」


 不敵な笑みを浮かべるフユ。

 まさか季節の意識が本から逸れるとは。

 これは計算外だ。今日は家でゆっくり過ごせると思ったのに。


「わかったよ。大人しく散歩に行きますよ。それで? どこに行きたいんだ?」

「図書館がいいです‼」

「スーパーまで」

「見事に二人ともバラバラなうえ、色々な意味で正反対だな」

「ちなみにハル君はどこに行きたいんですか?」

「俺か……ゲーセンとか」


 図書館。スーパー。ゲーセン。

 見事に三者三様別の解答になった。

 まさか散歩へ行く前からこんな壁にブチ当たるとは。


「季節ちゃん。図書館なら昨日のお休みに行ったじゃない」

「でも今日も行きたいんです。……ダメですか?」


 上目遣いで季節がフユに尋ねる。

 その表情にフユは明らかに動揺する。

 俺なら二つ返事で「よし、図書館へ行こう」と言い出したかもしれない。

 それでもフユは何とか心を強く持ち、その攻撃を見事跳ね除けてみせた。


「やっぱり今日は別の場所に行きましょう。折角のお休みなんだから」

「それで近所のスーパーっていうのもどうかと思うけどな」

「仕方ないじゃない。今日はスーパーで特売が……何でもないわ」

「おい。今、お前なんて言おうとした? 特売? そのためにスーパーまで散歩? 差し詰め俺は荷物持ちか? 確かに体は小柄でも俺は力持ちだからな。なるほど……やっぱりゲーセンに行くぞ、季節」

「ちょっとハル君⁉ そこはちゃんと話合いましょう⁉」


 全く油断も隙もない。

 仮に行先がスーパーになったら、季節を利用して菓子を色々と買おうと思っていたが、自分が大量の荷物を運ぶことになるなら話は別だ。今日の俺は正直、何もやりたくない気分だからな。そもそもゲーセンだってただの口実でしかない。実際はこれから昼までダラダラと着替えて、結局家で昼飯を食べることになり、最終的に出掛けないことにさせる。

 これは昔よく竜二が使っていた手だ。

 我ながらあいつのロクでもないところばかり見てるな。


「そもそもハル君。ゲームセンターなんて不良の溜まり場じゃない」

「お前は昭和の学級委員長か。フユは昔からそういうところがあるよな」

「ハル君なんてただの野生児じゃない。普通いないわよ。遅刻しそうだからって、壁を伝って窓から教室へ入ってくる生徒なんて。本当、そういう部分を見て季節ちゃんが真似したらどうするのよ。ハル君なら、落ちても掠り傷一つで済むかもしれないけど」

「……前から思ってたけど。お前の頭の中で俺はサイボーグにでもなってるのか?」


 流石の俺も三階の窓から落ちたら、捻挫や骨折ぐらいはすると思う。

 頑丈に作られているのは確かだけど、人並みに怪我とかはするはずだ。

 そうじゃないと、明らかに不審がられてしまうし。


「……ママ」


 俺とフユが話していると、今度は季節がモジモジしながらフユの顔を見る。

 その反応を見て、俺は即座に季節が言わんとしていることを理解した。

 そしてそれはどうやらフユも同じようで。


「どうしたの、季節ちゃん。もしかして図書館以外に行きたいところがあるの?」

「……はい。その……私、ママたちと一緒に公園で遊びたいです」

「公園? それってウチの近所にあるあの公園のことか?」


 そこは昔、俺とフユがよく遊んでいた公園だ。

 何度か季節も連れて行ったことがある。

 その時はまだ季節は幼稚園入り立てだったが。


「はい。昔みたいにまた三人で遊べたらと思って……」

「別にそんなことしなくても遊びぐらい付き合うぞ」

「そうよ。言ってくれればいつでも一緒に遊ぶわよ」


 俺もフユも季節には甘い。

 だから頼まれれば大抵のことはやる。

 それがただ彼女と遊ぶことなら、喜んで相手をするはずだ。

 だけど季節は、どこか申し訳なさそうな顔をして告げる。


「でもママはいつも家事で忙しいですし」

「…………」

「パパもお部屋ではお仕事していますし」

「…………」

「季節の我儘で二人を困らせたく――」

「バーカ。ガキが大人に変な気を遣うな」

「そうよ。それに家事は私が好きでやっていることだもの」

「俺だってアレは、実益と趣味を兼ねた単なるバイトだ。それで小遣い稼ぎしてるだけだ」

「でも……」


 昔から季節はよく一人で絵本などを読んでいた。

 それを見て、季節は読書が好きなのだと勘違いしていた。

 たぶん、それもきっと間違いじゃないのだろう。

 でも最初はもっと違った理由だったのかもしれない。

 例えば本を読んでいる間、俺達が心配しなくて済むように。

 彼女のことで時間を取られ、自分たちのことを疎かにしないように。

 そういう理由で一人でもできる読書をしていたのかもしれない。

 だとしたら、俺たちは少し反省しなければいけない。


「お前はもう少し我儘になっても良いんだ」

「そうね。ハル君ぐらい我儘だと困るけど」

「なんだよ、それ。お前だって我儘言うのは苦手だろうが」

「そんなことないわよ。現に……とにかく子供の我儘を聞くのは親の義務なのよ」

「……結局自分の我儘は思いつかなかったんだな」

「そんなこと、今はどうでもいいでしょ‼」


 フユは俺の指摘に顔を赤くして答える。

 それを季節がボーっと眺めている。


「いいの? ……季節、たくさん我儘言うよ」

「言え言え。俺なんて我儘が呼吸みたいなもんだ」

「パパとママを困らせるかもよ?」

「私たちにはそれも嬉しいの」

「季節、もっと二人とたくさん遊びたいよ」

「……うん」

「季節、もっと二人とたくさんお出掛けしたいよ」

「任せとけ」

「それから……それから……それからね」


 季節は自分の感情に言葉が追い付いていない様子だった。

 それでも何とか自分の言葉で何かを伝えようとしている。

 それを俺とフユは静かに待ち続ける。

 それも俺達の役目だと思ったからだ。


「季節、二人と一緒ですごく幸せだよ」


 その言葉に俺は無性に胸を打たれた。

 俺には少なからず季節に負い目がある。

 それは両親という大切な存在を奪ったこと。

 俺が別のやり方を見つけていれば、そんなことにはならなかった。

 少なくても季節だけは幸せに暮らせた未来もあった。

 そんなあったかもしれない未来。

 そこに後ろ髪を引かれないと言えば嘘になる。

 それでも今、目の前の季節は笑っていて。

 こんなどうしようもない俺を『パパ』と呼ぶ。


 俺は父親なんて立派な存在にはなれない。

 精々、兄貴ぐらいが関の山だというのに。

 それでも季節は俺をきっと『パパ』と呼び続ける。

 ならば俺にも最低限やらなければいけないことがある。

 それは季節に寂しい思いをさせないことだ。


「よし。じゃあ今日は公園に行くとするか」

「それじゃあ、これから急いでお弁当でも作るわね」

「なら俺はその間に暇そうな連中に声でも掛けて見るか。遊ぶなら人数は必要だしな」

「季節ちゃんもお弁当作り手伝ってくれるかしら?」


 最初は出掛けることに全然乗り気じゃなかった。

 でも自分の娘の為ならすぐに気が変わる。

 それがパパとママである。

 まあ季節は俺の妹で、俺とフユは恋人でもなければ夫婦でもないんだけど。


「そうだ。フユ、特売の商品は買えないだろうけど、帰りにスーパーには寄るからな」

「あんなに嫌がってたのにどういう風の吹き回し?」

「お前のことだから。最初から今日は特売に行くことを想定して冷蔵庫の中身を最低限にしていたはずだ。でも弁当を作るとなったら、多少は使うんだろ? なら盛大に使え、食材が切れても帰りに買ってくればいいだけの話だ。それにその方が、季節と一緒に居られる時間が長くなる。皆で遊ぶのもいいけど、やっぱり三人だけの時間も俺にとっては大切なんだよ」


 それにフユのことだ。

 コッソリと公園から抜け出して買い物に行く可能性もある。

 俺だって重たい買い物袋を持つのは御免だが、それをフユに持たせるのも御免だ。

 だからこそ先に約束しておいた方が安心できる。


「……ハル君って素直じゃないように見えて、時々素直になるから質が悪いわよね」


 フユがブツブツと何かを呟く。

 俺は首を傾げて眺めてみるが、彼女が紡ぐ声が聞こえることはなかった。

 ただ嬉しそうにしていることだけは見ていてわかった。

 それにしても一体誰を呼んだものか。

 まあ呼べる人間なんて四人しかいないのだが。

 男装ショタコン少女。

 女装メイド執事。

 犬っぽい後輩。

 猫っぽい後輩。


 ……できれば、最初の二人はキャンセルしたい。

 というか休みの日まで関わりたくない。

 そもそも一人はほぼ俺のストーカーだぞ。

 俺はスマホを手にしたまま硬直する。

 これは自分の身の安全と季節の笑顔。

 そのどちらを優先するかの話だ。

 だとすれば、考えるまでもない。


「……仮に襲われそうになったら、男装だろうと構わず蹴りでも入れるか」


 即座に女装メイド執事にボコられると思うが、その方がよっぽどマシだ。

 俺は諦めてグループメッセージに一石を投じる。


『これから俺とフユと季節の三人で、弁当を持って近所の公園へ遊びに行くんだが、暇ならお前らも来ないか? たぶんその方が季節も喜ぶと思うし』


 それから一分もしない間にだった。


『流石ハルっち。相変わらずのシスコンぶりだね』

『わかりました。では僕もお弁当をお作りしてから伺いますね』

『オレもお弁当作っていきます‼ アニキは何が食べたいですか‼』

『ちょうど良かった。季節に本を貸しに行こうと思っていたところ』


 ほぼ同時に返信が来た。

 相変わらずどいつもこいつも暇人……いや、気を遣ってくれたのか?

 とにかく。俺の学校友達勢揃いらしい。……友達が四人というのもどうかと思うが。

 第一、内二人は中学時代の後輩と来たもんだ。無駄に泣けてくる。


「全員参加でOKらしい。それと勇と犬子も弁当を持ってくるみたいだ」

「それは強敵ね。二人とも私よりもお料理上手だし」

「戦おうとするな。言っておくけど、誰も審査なんてしないぞ」

「まずは冷蔵庫の残りもので何が作れるかね」

「……俺の話なんて聞いちゃいない」


 既に料理人モードに突入したフユ。

 こういう時に口を出すと後が怖い。

 ここは静観して見守ることにしよう。


「それと季節。子猫がまた別の本を貸してくれるみたいだぞ」

「……でも季節、まだこの前借りた本が全然読み終わって――」

「別に今日返さなくてもいいだろ。借りておけばまた会う口実にできる」

「妙に手慣れた言い方ね。ハル君、まさかそんな風に女の子と仲良く――」

「そういえばやったな。随分と昔に……ってなんで料理人モードが解けてるんだよ‼」

「最低~」


 いやいや。使った相手はあなた様ですよ、フユ姫。

 というかなんで忘れてるかな。俺、まだこいつのハンカチ借りたままだし。

 確かフユと出会った日から借りたままだから、六年は借りっぱなしだな。

 まあ今や会う口実とか要らない程、毎日会ってるけど。つうか一緒に暮らしてるし。


 ただあの時は、なんとなく思ってしまった。

 これで二度と会えなくなるのは勿体ないと。

 だから俺は「明日返す」という言葉を毎日のように繰り返した。

 そして気づけば、今やフユとは一緒に子育てをするような関係。

 本当、人生というものはよくわからないものだ。

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俺(パパ)+俺の幼馴染(ママ)+俺の妹(娘)=家族 リアルソロプレイヤー @sirodog

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