蜜柑

@zawa-ryu

第1話

 涼介と久しぶりに会った。六年ぶりのことだ。

 男子三日会わざればナントカと言うが、その何倍の月日を費やしたとて、弟は少しも変わっていなかった。最後に会ったのは彼が大学を卒業したての時だから、あれから少しぐらいは社会の荒波に揉まれて、経験やら苦労やらが体に刻まれているものかと思ったが、『よう姉貴』といつもの調子で私のボロアパートの呼び鈴を鳴らした屈託の無い笑顔は、何の事は無い、生まれた時から知っている『涼ちゃん』そのままだった。

 無論変わった事が無いわけでは無い。

 彼が今日私を訪ねて来てくれたのは、彼の後に控える、可憐な白い花のような女性を私に紹介してくれるためだ。

『はじめまして。フジシロユカと申します』

 弟は丁寧に頭を下げる彼女の横で顔を掻くと、『まあ立ち話もナンだから』とさっさとコタツに入り込み、私たちを手招きした。

 私はそんな弟の頭を軽く叩いて、お湯を沸かしにキッチンへと入った。


 私がお茶を入れてリビングに戻ると、コタツの上に和菓子と蜜柑が置かれていた。

 私のお気に入りのクリームどら焼きはきっと弟の入れ知恵だろうけど、蜜柑の方は彼女のご実家の方でとれた物だと言う。

『この時期になると、私の田舎では毎日のようにどこかしこかから蜜柑が集まってきて、家が蜜柑で溢れ返るんです』

 そう言って笑う彼女はとても幸せそうに見えた。


『そう言えばアンタ、蜜柑剥くのが昔っから下手だったよね』

『今でもそうですよ』

 なるほど、彼女の言う通り弟のコタツ机の上には散り散りになった蜜柑の皮が置かれていた。

『どうしてそんな事になるかな』

『ホント、不思議ですよね』

 スマートフォンを触って聞こえ無い振りをしている弟の前に、ユカさんは『はい』と綺麗に剥いた蜜柑を置いた。

『ん』

 弟は礼も言わずにひょいと蜜柑を口に放り込んで一口で食べてしまった。

『まだ食べる?』

『んー』

 食べるとも食べ無いとも言わない弟にユカさんがまた蜜柑を綺麗に剥いて置くと、弟はあっという間にそれを口に放り込んだ。

 私が呆れながら、『ごめんなさいね』とユカさんに言うと、『えっ?』と彼女は不思議そうな顔をした。

 私が『ううん、何でも無い』と笑うと、彼女はまた、幸せそうに笑ってくれた。


 日暮れの早いこの季節だから、16時を回るともう外は薄暗くなって、そろそろお開きにとなった。

『それじゃあユカさん、お元気で。涼介の事、よろしくお願いします』

『ありがとうございました。お義姉さんもお元気で』

『涼介、くれぐれも安全運転でね。あんた1人の体じゃ無いんだからね』

『うるさいな。わかってるよ』

 私が弟の頭を小突くと、彼女はクスっと笑って私にぺこりと頭を下げた。

 走り去る車を見送って、何も入っていないポストを覗いてから、私は部屋に戻った。

 私はいつもの静けさが戻った部屋で一人、コタツに入ってユカさんがくれた蜜柑を一つ剥いて食べてみた。

『ふむ、我ながら綺麗に剥けたぞ』

 そんな風に呟いて眺めた蜜柑の皮は、まるで子供の、小さな小さな手の様に見えた。

『ふふっ。涼介の手も昔はこんなだったな』

 涼介は何も変わっていなかった。

 変わっていなかったのに、もう私の『涼ちゃん』はいなかった。

 そう、彼はもうきっとどこにもいないのだ。


 今年の冬は手袋でも編んでみようか。

 コタツの上の蜜柑を見つめて、私はぼんやりと、そんな事を考えていた。

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