ユニア対策本部

餅葛

File.0【懐く温度】



 何処にでも在って、何処にも存在していない隠された空間。果てなき空と、まるでのような太陽と、無尽蔵に広がる平坦な土地。そこには超常的脅威を引き起こすほどの、生物の理から外れた危険性を持った生物『ユニア』に対処する特殊部隊【HIDE】、その本部拠点が存在していた。世間から隔離された異空間に建てられた 一本の巨大な塔を中心として、所属隊員達が使用する様々な施設が枝分かれする形で広がっていた。


 数ある施設の一つ『温室』に、とあるHIDE隊員がやってきた。さも太陽のような温かさを持った光がガラス張りの温室内全体を満たし、異なる種類の木々や沢山の花々を撫でていく。一歩進むにつれて、偽物とは思い難い陽の光は、彼の額に生えたツノにも悪戯に指先を伸ばしていく。

 時折、換気を担う空調が吹かせる涼しい風に、束ねられた艶やかな黒髪が梳かれて、彼は柔らかく垂れた目じりの奥にある菫色すみれいろの瞳を、ゆるりと落ちかけた瞼で一層穏やかに、心地良さそうに細めてみせた。


「お、温室まであるやなんて……ほんまに、凄いところやなぁ……」


 澄んだ空気を感じながら赤い尾をくねらせて感嘆しているのは、本部第七班所属のルーキー『イズモ』だった。彼は東の国の伝承に残る妖を思わせる身体的要素をその身に持つ少年であった。

 数ヶ月前から本部にて隊員生活を送るようになったばかりで、沢山の施設の全てを完全には把握しきれていなかったイズモ。例に漏れず温室に訪れるのは初めてのことで、臆病な性分故に少なからずの緊張がついて回っていた。

 それでもやっと、見事な温室で伸び伸びと光を浴びる植物達に囲まれて、少しずつ心に余裕を取り戻しつつあるのだった。



 彼が温室にやってくるに至った理由、それは数十分ほど前に遡る。イズモは第七班副班長と共に、過去数ヶ月間に保護されたユニアの資料を確認する作業をしていた。

 HIDEのデータベースに保管されている電子媒体の資料と、現物としてファイリングされた資料の二つに内容の齟齬そごがないか、対象ユニアの詳細文と参考画像に誤りはないか、などを確認するのだ。

 ユニアの資料管理の役割は、基本的にはユニアの保護と管理の担当『第四班』の仕事なのだが、非常時に備えて全ての隊員達をユニアの情報に触れさせておく目的もあり、このダブルチェックは班ごとに週替わりで回っていく。今週は第七の番だった。


「もう一時間以上は作業を続けているが、疲れてはいないか?」


 メガネをかけた彼が顔を上げ、イズモに尋ねた。第七班随一の有識者であり、班長補佐を担う副班長『ブローク・ウェルト』。司令塔として皆を指揮する、冷静沈着且つ広い視野を持った人物だ。

 あまり身長が高いとは言い難いイズモよりも更に幾分か小柄で、実に十歳ほどの子供のような背格好をしているが、ブロークの実年齢は二十三歳。イズモより七歳も年上である。

 肩にかからない程度の銀髪。長いまつ毛に縁取られた、気丈さの窺えるつり目がちな目元と、翡翠色の透き通った瞳。輪郭の整った白い頬に刻まれている 何やら記号のような模様については気になるが、気の小さいイズモは言及するに至れていない。ともかく、春風に攫われてしまいそうなほどの美少年然とした容姿であることは確かだ。


「だ、大丈夫……! あ、ありがとうね、ブロークはん」


 イズモはブロークの方に視線を起こすと、背筋を伸ばしてはにかみながら感謝を述べた。東の国の支部施設で保護されていた頃の名残りが抜けず、イズモの口調には性格故の吃り癖に加えて常に独特の訛りが残っていた。


「礼を言わねばならないのはこちらの方だ。確認作業はどうしても骨が折れる…… それに、私はこういった電子機器の類がどこか苦手なんだ。どうにも目が疲弊して敵わない……」


 メガネを外して目頭を押さえたブロークが顔を顰める。そうは言いながら、イズモは自分よりも数十ページ分は多く資料の確認を終えているブロークに、尊敬と僅かばかりの恐れを抱きつつ笑いかけた。

 しかし人工の光に弱いのは本当のようで、電子機器を使用する際は時々、"ブルーライトを軽減してくれる"というメガネを使用していることもあった。大人への憧れが少なからず存在するイズモは、あのメガネが彼の所謂"大人っぽさ"を更に際立てているように思えて、少しかっこいいと密かに羨ましく思っていた。


 ブロークはメガネと使用していたタブレット端末、資料ファイルを片付けて椅子から立ち上がると、簡易キッチンの方に歩いて行った。そして第七班で古株を担っているらしい電気ケトルに水を入れ、湯の準備をし始めた。いつから貼られていたのか、恐竜っぽいキャラクターのシールがケトルの蓋を可愛らしく彩っていた。


「休憩にしよう。紅茶を淹れようと思うのだが、イズモも同じもので構わないか?」


 そう尋ねてくるブロークがひょっこりとカウンターから顔を出す姿は、どうしても微笑ましい。


「は、はいっ! とっ、というか…… おれも手伝うよ……! その、上の棚、高いやろうし……」

「すまないな…… 実はあの若干に重い台を持ってくるのが手間なのも否めないんだ。助かる」

「このくらい、お、お安い御用やから……! えへへ……」


 感謝を述べられ、イズモは嬉しくなってつい頬が緩んでしまう。四ヶ月ほど前に本部、並びに第七班に加入したばかりのイズモを何かと気にかけてくれているブロークに、イズモはすっかり懐いていた。

 第一印象こそブロークは自他共に厳しく、少しの規律の乱れも怠慢も許さない厳格な人物だと捉えて、包み隠さず言い表すとかなり恐れていた。それは何も完全な認識違いではなかったが、勇気を出して話してみれば彼の人柄の良さと芯の通った心持ちと、そういった性格でありながら少し不器用なところも持ち合わせていると気付くのに、そう時間はかからなかった。

 イズモは役に立てることが嬉しくて仕方がないと言わんばかりに尻尾をゆらゆらと浮かれさせながら、背伸びをして戸棚からいつもの茶葉の箱をほぼ手探りで探した。


「……あ、あれ……?」


 だが、そこにいつもの可愛らしい花の描かれた箱はなかった。あるのは第七班長が買い貯めているお茶請けのお菓子ばかりのようだ。


「ぶ、ブロークはん……お茶、切れてるかも知れへん、よ……?」

「おや? ……あぁ、私としたことが失念していた。茶葉が尽きかけていたから、数日前に購入申請を提出していたんだ」


 ブロークは先程の席に戻り、端末を操作すると画面をイズモに向けた。それはどうやら注文書のようだった。


「これだ。月末の申請に間に合わなかったから、今回は直接こちらに届かないんだ。既に預かり人の元に届いてはいるようだが……」

「ま、間に合わなくても、買う分には大丈夫なんや……?」

「ああ、本当は一斉に申請してしまった方が良いんだがな」


 HIDEの隊員達は班への所属に限らず月末に一回、一斉に施設内では手に入らない物品の購入申請を行うことが出来る。HIDEの独自開発の物品は勿論のこと、筆記具や市販の菓子などは少量であれば購買で手に入れることが可能だが、まとまった数が要る場合や取り扱いがない物に関してはこういった手段を用いて購入する必要がある。

 注文した品は翌月には個人の部屋、あるいは班ごとの共用部屋に届けてもらえるという、かなり有難いシステムである。


「輸送、配達はHIDE組織内の専門支部の方々が行なっていて、寮棟の私達の部屋などに届けてくれているのも彼らだ。だが、期間外の購入品は注文者本人か、同班所属の者が担当者の元に受け取りに行かないといけない」

「つ、つまり……今回はちょっとだけお手間がかかる、っていうことなんやね……」

「そうだ。寧ろ、いつも提供されているシステムが有り難すぎる…… とも言うがな」


 イズモの言葉に頷き、簡単に説明を済ませたブロークは端末から目当ての情報を探し出したようで、端末を閉じ直した。


「さて、購入品を受け取りに行こうと思うのだが…… そうだな。ここは試しにイズモ、使ということで少し足を運んでみるか?」

「んぇ、で、でも…… おれ、まだ施設内の地図とか、全然分からへんけど……」

「大丈夫、此処からそれほど複雑な経路ではない。それに気分転換ついでに見学してみるのも、悪くない体験になるだろう。勿論、無理にとは言わないが……」

「あ、ぇえっと! ぶ、ブロークはんがそう言うんやったら、い、行ってみたい……!」


 イズモが彼の提案を慌てた様子で引き受けると、ブロークは僅かに目を瞬かせてみせたが、すぐに穏やかな笑みで頷いた。


「ありがとう、それでは厚意に甘えて頼むとしよう。担当者のいる場所は……」


 ブロークは道順を説明しながら、途中までイズモに付き添うと第七の部屋に帰って行った。その後はたまに迷いかけながらも、なんとか温室に辿り着くことが出来たイズモであった。




 そうして現在に至る。荷物を預かっているのは、道具の開発と本部施設の整備を基本的に担う『第六班』所属の隊員らしい。その隊員を中心として、他班の隊員何人かと共に温室の管理も担っているとのことで、職務時以外は殆どの時間を温室で過ごしている、と本部内では有名であるとか。

 温室までの道中にすれ違った他の第六班員に念の為尋ねてみたところ、共用部屋や自室には居ない様子で、やはり今日も此処にいるだろうということだった。

 温室の様子を改めて眺めてみると植物の世話をしている隊員の他にも、休憩を取りに来ている隊員も何人か見受けられた。温室管理者達や庭いじり好きの隊員達の計らいで設置されているベンチに腰掛けている者や、花を眺めている者。映画の一幕のように両腕を広げて、光合成のように日光を取り込んでいる者までいた。たとえ精巧に作られた偽物だとしても、日の光に当たるのは気持ちが良いものだ。

 休み方は様々だが、皆一様に緩やかな時間を楽しんでいるようだった。お使いの最中であるとは分かっているのに、イズモもついのんびりしてしまいたくなってしまう。ブロークの言動を思い返すと少しゆっくりしていく程度、寛容に許してくれそうであることも感じてはいるのだが。


「……ん……?」


 イズモはふと、先程見かけた光合成をする人影をもう一度顧みた。よく見るとその人物は特徴的な癖のついた赤毛をしていて、頭には更に印象に残る半透明の猫の耳のようなものが付いていた。

 深く深呼吸をしては心地良さそうにしているその背中を、イズモはよく知っていた。


「け、ケーティ、班長……?」

「……んぁ? おー!! イズモじゃーん!! 休憩か〜?」

「そ、そんなとこやけど…… 班長こそ…」

「おう! 全っ然休憩中〜!!」


 イズモの呼びかけに即座に振り向いたのは、補佐のブロークと共に第七班の統率を取る役目を担う班長『ケーティ・モルチール』だった。

 肩書こそお固いが、彼自身は天真爛漫てんしんらんまんで温和な人物。温和を通り越して本当にあまりにも全てにおいて緩いため、よくブロークに説教をされている。今も休憩とは言いながら、先ほどまで仕事や訓練をしていたのかは正直怪しいもので、サボりからの休憩である可能性もあるのだ。


「……こ、光合成…… しとったん……?」

「あっはは! いやぁ〜ここさ、マジでお日様が気持ち良くってさぁ…… たまに人が少ない時にこうしてんだ! 疲れが吹っ飛ぶぞ〜!!」


 人懐っこく駆け寄って来たケーティがなんだか眩しくて、イズモは反射的に目を細めた。彼のラフなパーカーの布地が明るい黄色をしていてどうしても光を反射するものだから、物理的に眩しかったのも否めない。

 一歩踏み出すたびにぴょこぴょこ揺れている猫耳もどきは、彼がいつも連れているスライム状のユニアが擬態したものである。危険性は確認出来ないとして特別に一個人での管理を許諾されているらしい。それがユニアであると知った時こそイズモは酷く驚いたものだが、他の第七班員や班外の隊員達と同じく、次第に見慣れていく内に気にしなくなっていった。

 どうして人間の彼から肩時も離れないほど懐いているのか、擬態するにしても何故決まって猫の体の部位の一部なのか、それはケーティ自身にも分からないらしい。


「そ、そうなんや…… ケーティ班長、お疲れなんやね…」

「……、あ〜…… まぁ、ちょっとだけ? 大したことはねぇんだけど…… はは……」


 一瞬目を逸らし、なんだか歯切れの悪い返答をしたケーティ。その曖昧な言葉の真意はイズモには分からなかったし、それ以上の詮索をする暇は彼のマシンガントークの前では与えられなかった。


「っと! 休憩ってことはイズモもお疲れってことだよな!! 俺が居ない間に仕事させちゃってごめんな! ごくろーさんだぞ〜!!」


 瞬きをたった一度してしまえば、いつも通りの明るい表情に戻っていたケーティが労いの言葉と共に満点の笑顔をイズモに向ける。


「ん、んへ…… ありがとう、ございます……」


 サボりがちな彼からの労いを、イズモは遠慮がちではあるが躊躇うこともなく素直に受け取った。イズモの照れたような微笑みにケーティもつられて、より一層頬を緩めていた。

 ケーティは班員達から慕われている。きっとそれは彼が心の底から仲間を大切に想い、それを余す事なく伝えているからだ。お互いに命を預ける存在として、何より対等な友人として信頼していてこそのものなのだろうと、イズモは時を待たずして理解した。

 そんなケーティの真っ直ぐな温かさに、気付けばイズモも他の第七班員と同じく絡め取られていた。

 

 いくつかの会話を交わした後、イズモはハッとして此処に訪れた目的のことを思い出した。

 

「あっ、そ、そうや…… おれ、お使いで来とって……」

「お使い? ……あー、もしかしてアレか? いつもブロークとリーフが第七部屋に置いてる茶葉……」


 よく班員達のことを見ているケーティらしい速さで、自分の目的をあっさりと言い当てられてイズモはこくこくと頷いた。


「そ、そう! そうやねんけど…… ここの管理人はんって…… どこに──」

「用具倉庫のところで掃除してたよぉ〜」

「んひぁっ!?!?」


 突然、背後から鼓膜を揺らした声に、イズモは思わず悲鳴をあげて飛び退いた。


「出たな!! 神出鬼没グランプリ大優勝!!」

「なぁにそれぇ〜? 面白いね〜」


 コテコテのヒーローっぽい臨戦体制を取っているケーティと、驚きのあまりに弱々しく震えているイズモの様子にカラカラと笑っているのは、またもやイズモの見慣れた男性だった。


 真っ白の髪に一本入った水色のメッシュが目立ち、目元は額まですっぽり包み込んでしまう目隠しで完全に覆われている。爽やかな若草色のニットの上に大振りなポンチョ型のコートを羽織り、自身の身体を覆い隠している彼はイズモ達と同じく第七班員の『リーヴァン・クリスティア』。

 第七の班員や親しい隊員達は皆、彼を『リーフ』という愛称で呼んでいた。基本的に人当たりが良く親切だが、ケーティが呼んだ通りの神出鬼没。本当にいつ何処から現れるか分からない不思議な人物なのだ。

 イズモは未だ、彼のことを計り知れずにおり、リーフの悪意なきドッキリに連敗し続けていた。


「り、りり、リーフはん……!! 心臓飛び出てまうって……」

「あのなぁ…… お前に悪気が無いのは分かってるけどさ? イズモのことビビらせんのはやめろって何回も言ったろ……」

「あはは〜、はぁい」


 咄嗟にケーティの後ろに隠れてしまったイズモと、呆れ顔を向けてくるケーティを交互に眺め、リーフはいつも通りの間延びした声色でぼんやりと応えた。悪意は本当に無い…… はずである。


「そんで? 管理人さん見つけたって?」

「そ〜そ〜。あっちに居たから教えてあげよ〜と思ってねぇ。イズモは温室来たの初めてでしょ〜? 一緒に行こ〜」


 リーフは管理人が居たという方を左手で指し示しながら、右手でイズモに手招きした。その動きですらゆらゆらとして、何処か言い表しようのない儚さがあった。


「お! リーフが一緒なら安心だな! 管理人さん、なんか知らねーけどリーフのこと気に入ってるしな!」

「そ〜なの〜? 何かしたっけぇ〜?」

「お前…… すげー仲良さそうにしてたじゃんよ……」


 そんな二人の会話を聞きながら、イズモは招かれるままにおずおずとリーフの隣に歩み寄った。彼は見上げると自分よりもかなり背が高く、初めて会った時もそうだったが、多少怯んでしまう。


「そんじゃ、イズモのこと頼んだぜ! リーフ!!」

「はぁ〜い」


 ケーティがビシッと敬礼をすると、リーフはそれを真似した緩慢な動きを返していた。彼らは班結成当時からの付き合いらしく、旧友などが一人も居ないイズモにとっては、ああいった友人同士のような何気ないやりとりが羨ましく思えることは少なくない。

 たった数ヶ月の付き合いだとしてもイズモは第七班の班員達のことは信頼しているし、これからもっと親睦を深められたらと思っている。欲を言うなら、いずれ友人というものになれたらこの上ないだろう。どうやったらそうなれるのかは分からないが。


「行こぉ〜イズモ〜」 

「……ぇ、あっ! ひゃ、ひゃいっ……!」


 ぼーっと彼らの様子を眺めていると不意にリーフに呼びかけられ、イズモは裏返り気味の声で返事をした。歩き出した二人を、ケーティが全身で大きく手を振りながら見送っていた。







 温室内部を移動していると、次第に沢山の花の香りに包み込まれていく。甘く芳しい香りから、時には少し変なものまで。先程居た場所に比べると、彼らが歩いている通路はより一層多くの花に囲まれていた。

 あくまでも研究材料として栽培を許可されている植物達であるらしいが、それらの香りが喧嘩しないように距離を置いて植えられていたり、見栄えが良くなるように配置と色の組み合わせが考慮されていたりと、鑑賞用としての観点からも工夫を凝らされているのが見て取れた。

 花びらの萎れているものが一つとして無く、本当に大切に育てられているだろう。そう考えて勝手に喜ばしい気持ちになりながら、イズモはリーフの後について行く。普段からの彼のペースであるのかもしれないが、着いて行きやすさを感じる歩行速度にイズモは密かに感謝していた。


「こっちだよ〜」

「ど、何処もかしこも綺麗なお花がいっぱい……」

「だね〜。お茶にしたらどんな味がするのか気になるよぉ〜」


 分からなくもないと思いつつ、イズモはリーフの背中に向かって苦笑いをした。彼はやはり、どこか掴めない。


「あ、あの…… リーフはんは温室に、何しに来てはったん……?」

「僕〜? 普通にお散歩かなぁ〜。その前は訓練場に行って〜」

「り、リーフはん、射撃上手やもんね……! やっぱり練習して……」

「ん〜ん? 訓練してるみんなを眺めてたんだぁ〜」

「そ、そうなんや……」


 イズモが戸惑った声色を発すると、リーフからまた平坦な笑い声が聞こえてくる。周囲を眺めながら歩いていると、リーフが思い出したように立ち止まり、イズモの方を振り返った。


「……あぁ、そういえばねぇ〜、訓練場に『バド』も居たんだよ〜」

「ば、バドはん、も……?」

「体術戦用の〜、シュミレーションダミーで訓練してたぁ〜。クリアとまでは行ってなかったけど…… 高スコアだったよ〜」

「て、てっきり今日も保護区画におると思っとった……」


 話題に上がったのは、最年少の第七班員『バド』。十二歳と幼く、隊員全体で見てもおそらく最年少。好奇心旺盛で努力家なバドは第七の皆の弟のような存在だった。


「僕も〜。ユニアのお世話、好きだもんねぇ」

「ゆ、ユニアにあそこまで向き合ってあげられる人は少ないって、ブロークはんが……」

「そうだねぇ〜、あの子はユニアに恨みとか無いだろうし〜」


 鎮圧対象であるユニアは、人々の平穏を脅かす危険な存在……と、大きく纏めてそう形容されている。実際に危険な個体は数知れず、発見次第に即座に処分という手段をもって隠蔽されるものが大半である。

 だが逆に無害であったり、有益な結果を生み出す、またはその可能性がある個体も存在している。それらは処分を見送られ、回収の後に本部の保護区画にて管理されるのだ。

 どの道、世間から隠蔽しなければならないのは変わらず、ユニアに日常を壊された当事者であった隊員などが安全な個体をも恨んでいるのは珍しいことではない。


「ほら観て〜。シュミレーターの記録映像〜」


 リーフが小型の端末をポケットから取り出し、ある動画を開くとイズモに見せた。そこには逆立った紺色の髪と褐色の肌、四肢に翼と羽毛、そして鉤爪を持った件の少年の姿があった。


「あっ、ば、バドはんや……」


 バドは元々、本部の外でブロークと共に暮らしていたが、その後"保護"という形式で本部に身を置き、追って第七の班員となることを許可された特例。加えて彼は、その特異な体から上層部にユニアと"同じ"存在として認識されている。それが理由なのか、それとも持ち前の気心からか、ユニアと心から向き合うことを躊躇わない。それがバドという少年だった。

 そんな心優しい彼がいつもは決して外さない、周囲を自身の鉤爪から守るための手足の装具を外している。お気に入りのヘアバンドとベストも、破いたりしてしまわないようにか脱いでいるようだった。


「すごかったんだよ〜。あ、こっち座ろ〜」

「う、うん……」

「じゃあ、再生するねぇ〜」


 彼らは近くにあったベンチに腰掛けるとすぐ、リーフがなんとなく気を弾ませているように聞こえる声色で再生ボタンを押した。

 映像が動き出すと、端末のスピーカーから訓練開始のブザーの音が鳴り響いた。それを合図にシュミレーションダミーが歴戦の戦闘員顔負けの動きで地面を蹴り、その身をグンと前へ押し出した。初動の時点で、バドはシュミレーションの難易度をかなり高くしていることがイズモにも理解できた。


「うわ、わっ……!」


 即座にバドの鳩尾あたり、急所を狙うダミーの容赦のない動きにイズモが思わず声を上げた。

 しかし、バドの腹部を捉えていたはずのダミーの拳は呆気ないほどに虚空を切り、跳躍で背後を取っていたバドの蹴りがダミーの無機質な白い背を押さえつけた。固いボディに鉤爪が食い込むギリギリという嫌な音は、相手がロボットだと分かっていても痛々しい。

 それでも高難易度ダミーの身のこなしはそう簡単に打倒できる代物ではない。拘束を免れていた両腕を使い、ダミーは体をバネのようにしならせてバドを弾き飛ばすと、曲芸師さながらの動きで回転してあっという間に空中で体制を整えた。そして今度こそバドに正確な狙いを定めると一撃、重い打撃を撃ち込んだ。


『ッぐぅ…!!』

「ひっ……!」


 端末のスピーカー越しに映像内のバドの苦悶の声が微かに聞こえてくる。それに応えるようにイズモが小さく悲鳴を漏らす。

 訓練用の空間、それも物理戦闘用の装置には本部施設をすっぽり覆っている異空間維持装置の技術と同じものが適応されている。訓練に臨む者の体を不可視の強固な空間の膜が包み、中の本体に怪我を負わせないようにしているのだ。当たり判定は生身と変わらないが受ける感覚は疑似的なもので、攻撃を受けた際に感じるのは痛みよりも圧迫感や重量感が殆どだろう。

 そうは理解していても、イズモはあの小さい体が相手の激しい猛攻に耐える様に今にも両目を覆ってしまいそうだった。


 記録映像は続く。壁に叩きつけられてしまう寸前で、バドは足の鉤爪を使って壁面に受け身を取った。

 すかさず脚に力を込めると壁からロケットのように飛び出し、お返しと言わんばかりにダミーの頭部を両腕で掴んで地面に叩きつけた。それでもダミーはバドを何度でも跳ね飛ばし除ける。

 その後は、身をかわすよりも正面からの衝突を主としているように見えた攻防戦が続いた。それはバドが猪突猛進に攻め続けているわけではなく、ダミーの防御や回避に懸命に追いついている結果であった。

 バドが繰り出した左手の拳による攻撃を避けようと右に移動したダミーを逃さず、その足元を右足で薙ぎ払い、体制を崩させた後に全力の蹴りを打ち込む。相手が掴み掛かろうとしたのを逆手に取って、隙を潜り抜けて背後からの攻撃を狙うが、ダミーはそれを見逃さずに振り返って真っ向から対応する。


「敵に回したら怖いねぇ〜」


 一体どちらのことを言っているのか、リーフが呑気に呟いた。

 映像の中で舞うバドの姿。時々視点が変わる際に映るバドの表情が、イズモの思考に深く刻まれていく。


「………まるで、バドはんとは違う…… 別人みたい……」


 いつも真昼の太陽のような屈託のない笑顔をしているバド。無機質な空間で、顔の無い敵と戦う彼の太陽は潰えていた。獲物を淡々と狙う狩人然とした冷酷な瞳と、少しの機微も許さない凍りついた表情が、イズモには心苦しくて仕方がなかった。


「すごい集中力だよねぇ〜。流石〜」


 イズモの呟きを聞いていたリーフが、バドへの賞賛を述べる。


「実践でも並の相手となら負け無しだろうね〜。まだバドが外に駆り出されるようなこと、起こってないけど〜」

「………嫌や、な…」

「……うん?」


 震えた声を発し、自身の胸元で両手を強く握りしめたイズモに、顔色を一切変えることないリーフは小首を傾げた。


「お、おれは…… 嫌やって思ってまう…… かも…」


 菫色の瞳の中で、液晶画面から届く温度のない青い光が容赦なく瞬いている。


「その、ば、バドはんは…… 優しくて、何にでも真っ直ぐで…… あの子がどんなに強くても、おれは……」


 イズモの口から、感情のままの言葉がこぼれ落ちていく。今にも溢れそうなありふれた願いは彼のものか、それともかつて、別の誰かが与えてくれた祈りなのか。


「おれは、あの子がどんな存在やったとしても、あんな優しい子に、バド…… はんに───」

「…………」


 言い終えたのと同時に、訓練の記録映像は最初と同じブザーの音をもって数秒後には停止していた。

 少しの間、その場には静寂が流れた。リーフが端末を閉じ、取り出したのと同じポケットに仕舞っている際の衣擦れの音が、気付けば重たくなっていたイズモの唇をやっと動かした。


「……っあ、の……! り、リーフはん…… ご、ごめん…なさい……! お、おれ、変なこと…… 言うてたやんな…… ご、ごめっ……」

「………イズモは」


 徐にリーフの腕が持ち上がる。それは前触れもなくイズモの頭上に向けられた。


「っえ」


 イズモは咄嗟に目を閉じ、特に何をされるという想像も付いてはいなくとも、反射的に身構えた。


「すっご〜く、優しいねぇ〜」

 

 わしゃり、と髪を撫でられる感覚にハッとして顔を上げると、そこにはいつも通りの穏やかな雰囲気を纏うリーフが居た。手袋の嵌められた大きく骨張った手に撫で続けられながら、イズモは詰まっていた息をやっと吐いた。


「わわっ…! り、リーフはん…… 怒ってへん、の……?」

「怒る〜? 僕、怒ったりしないよぉ」


 頭から手を退け、リーフは僅かに俯いて言葉を続ける。申し訳なさそうにする素振りに、イズモは初めて彼の感情の起伏を見た気がして、思わず目を丸くした。


「それより〜、イズモの方が嫌だって思ったんでしょ〜? ごめんねぇ〜、怖い思いさせちゃったねぇ〜」

「……や、そ、そのっ! 気にせんといて……! あ、あれは訓練やって分かっとるのに…… おれ…… 変なこと言うて、ばっかり……」


 自身の両頬に手を当てて尻すぼみな声を出すイズモに、リーフは来た方の道の先を見ながら語りかける。


「……あの子はきっと、変だなんて思わないんじゃないかな」


 いつもと対照的に、不思議と芯のある声に促されてイズモは顔を今一度上げる。


「リーフ〜〜〜っ!! イズモ〜〜〜っ!!」

「……!! ばっ、バドはん……!?」


 プリズムのように散らばった陽の光を浴びて、そこには普段と変わらぬ無邪気な笑顔をしたバドが立っていた。気付いて思わず立ち上がったイズモと目が合うなり、バドはいつも通りの装具をつけた両手をぱっと広げて、空を自由に飛ぶ鳥のように嬉しそうに駆け寄ってくるのだった。






 イズモとリーフ、そして合流したバドは目的の茶葉を受け取り、温室を後にした。ケーティはバド曰く第七部屋に戻ったらしく、気付けばリーフはどのタイミングからか姿を消していたため、帰路は最終的にイズモとバドの二人きりになっていた。


「でねでねっ! 五班のお姉さんが『よく頑張ったね〜』って褒めてくれたんだ!! "きょーりゅー"のシールくれたっ!! 来月も健康診断頑張るんだ〜!!」

「ば、バドはん、ほんまに偉いねぇ…….」

「イズモもそう思う〜? えっへへ〜!!」


 誇らしげにスキップしながら話すバドに、イズモは和やかに笑った。バドは映像で見た通り、四肢に翼と鋭い鉤爪、飛行は出来ないようだが腰部にも尾羽が携えられていた。

 しかしそれは元々バドに備わっていたものではないらしいことを、彼に一番近しい間柄であるブロークから聞いて知っていた。バドは歪な体を持つ、所謂キメラのような存在であった。

 身体能力は普通の人間の十倍、もしくはそれ以上。訓練での身のこなしが、その証明としては十分なものだった。誰が、どうして彼をこんな身体にしたのかを知る者はいない。バド自身でさえもそれを知らないのだと。


「あとね! 今日は訓練にも行ってきたんだ!! あっ、ちゃんと予約も自分で取ったんだよっ!! ……読めなかったところは先生に教えてもらったけど……」


 バドの言うとはブロークの事である。先日、彼らが二人で見ていたのはそれだったのかとイズモは納得するが、訓練という言葉に少し立ち止まってしまいそうになってしまう。その様子に気付かず、バドは続ける。


「すっごく、すっごーく惜しかったんだ!! もうちょっとでクリア出来そうだったのに、時間切れになっちゃって……!! うぅ……」

「そ、そう…… やったんやね……」

「うん! やっぱりダミーロボットさん強いんだぁ…… でもね! 次はクリア出来る気がする!!」


 張り切った様子でエアーボクシングの動きをするバドが、次の言葉と同時に振り返った。


「だからイズモっ!! 次の訓練は絶対に勝つから、見に来てくれたら…… イズモ?」

「……あっ、う、うん…… そうやね…… バドはん」


 弱々しく返答を返すが、イズモは前を見られずにいた。バドが次こそはと頑張っているのに、それは皆を守りたいという強い意志があるからだと分かっているのに、今日ばかりは何故か目を見て応援してあげることができなかった。


「…イズモ……」


 戦闘訓練は、いずれ担当することになる任務への準備だ。ユニアを鎮圧する任務に送り出されれば、必ずしもそこには傷を負う可能性が伴う。無傷で済む者なんて殆ど居ない。最悪、死者が出ることだって考えられる。

 今も平穏に暮らしている誰かの命を守るため、世界を守るために、自分達はHIDEの隊員になった。イズモだってそうだった。東の国でHIDEからの保護を受けたまま、外の世界で一般人として生きていくことも出来たのに、この命を誰かのために使いたいと思って此処に来た。決して覚悟が無いわけではない。


 それでもイズモは、もう二度と、誰一人として大切な人達に傷ついてほしくないのだ。



「……も、戻ろう、バドはん。みんなの、ところに……」


 心配そうに様子を伺っているバドにそう声をかけて、イズモは無意識に止まっていた足を持ち上げてゆっくりと歩き出した。もし『頑張って』の一言でも言えたなら、そんなことを思って目頭が熱くなっていく。

 情けない、情けない。自分だけこんな弱い心持ちで、本当に此処にいていいのだろうか。だんだん思考に霧がかかっていく。また涙が出てしまいそうで、イズモは咄嗟に荷物を持っていない方の手の甲で目元を拭おうとした。


「お、お茶…… みんなに届けな──」

「イズモっ!!」


 不意に背中が温かくなった。声を出すことも出来ずに、自身の腹部に回されたふわふわの腕がバドのものだとやっと気付いた時には、溢れ出した雫を拭い損ねていた。


「ば、ばど……っ、はん……!? どうし、たん……」


「ごめんねイズモ!! ボク、キミたちが温室で話してるの聞いちゃったんだ……!! だからイズモが心配してくれてるの知ってたのに……」

「えっ、ぁ、あれ、聞いてたん……? そ、そんな…… バドはんは、悪くなっ…」

「でもでもでもっ!! もっとキミの気持ち、考えなきゃだった……!! "相手の気持ちをちゃんと考えることがもっと仲良しになるための一歩"だって、先生にも教わったのに……」


 イズモの背に、コツンとバドの額が当たったのが伝わってくる。ギュッと抱きしめてくる腕は少しも痛くはなかった。きっと、相手を誤って傷つけてしまわぬように力加減を沢山練習したのだろう。


「ごめんなさい…… イズモ……」


 バドは周囲が思っているよりずっと賢い子だ。きっと沢山苦しい思いをして、今だってそれらと向き合うために必死なんだろうに、自分に寄り添ってくれた人達のために在ろうとしている。

 何度だって考えて、考えて。イズモに訓練の話をしたことも、カッコいいところを見せたいという気持ちに加えて、自分は大丈夫だというところを見せて安心させたいという想いがあってこそだったのだろう。

 それに比べて自分はどうだ、とイズモは自身に問いかける。傷ついて欲しくない、なんて願いの裏にあるのは、本当は覚悟なんて出来ていない臆病な心なのでは無いのか。


 イズモはバドの手にそっと触れて腕を解いてもらうと、荷物の箱を地面に降ろした。そうして不安げにしているバドの方を向くと、イズモは軽く屈み目線を合わせて微笑んだ。今はきっと、目を瞑っている時ではない。


「……ううん、ありがとう……バドはん。バドはんはほんまに、すごい子やね…!」

「イズモ……! ……えへへっ!」


 鈴の音のような純朴な笑い声が、イズモの鼓膜を柔らかく揺さぶる。バドのオパールを思わせる瞳と、イズモの夕闇を降ろす空の裾の色を持つ瞳が合わさった。


「バドはん、お、おれ…… ちゃんと見に行く。バドはんが頑張ってるところ」

「いいの……!? やったー!!」

「うん、おれも…… バドはんや、みんなの役に立てるようになりたい。いざっていう時に目ぇ瞑ってもうたら、守れるものもきっと…… 守られへんからね」

「あははっ! だいじょーぶだよ、イズモなら!! ボク、大好きになった人達を見る目はあるんだからね!!」


 満面の笑みでそう言うと、全身で喜びを表現するように抱きついてきたバドを、イズモがよろけつつも受け止めた。


「わっ……!! ……ふふ、なんやそれ……! バドはんらしいなぁ……」


 静かな廊下に二人の笑い声が響いて、やけに澄んだような空気の中に溶けていった。作り物の太陽が、絵に描いたような夕暮れの帳を降ろし始めていた。


 二人で仲間達の元まで帰る最中、イズモは自身の声の震えが少し治まっていたことに気付いた。誰に対しても嫌でも詰まってしまう話し方が、短い間だけでも気にならなくなっていたのは、イズモにとって大きなことだった。

 隣を見ると、目が合ったバドが嬉しそうな笑顔を見せた。友人と一緒に歩く、ということはもしかしたら、こんな感じなのだろうか。イズモは密かに胸の内が温かくなる感覚を大切に抱きしめながら、穏やかに微笑み返した。






「ッだーかーらー!! 上に呼ばれてたんだって!!」

「疑わしい限りだな。リーフからは温室に居たと聞いたが?」

「居たよ〜」

「それは帰ってきた時で……ッ、リーフ今はやめろ!! ややこしくなるから!!」


 イズモ達が第七部屋に戻ると、案の定ケーティはブロークに不在の理由を問い詰められており、リーフはそれを眺めながら楽しそうに笑っていた。

 扉が開く音がすると、それに反応した一同がそちらを向いた。イズモは遠慮がちに皆に微笑むと、とっくに言い慣れてしまった挨拶を告げた。


「た、ただいま……」

「ただいまー!! お届け物でーすっ!!」


 続いて隣にいたバドも箱を頭の上に掲げてて飛び出し、室内に元気な声を響き渡らせた。


「二人ともおかえりぃ〜」


 最初に返しの言葉を発したのはリーフだった。ひらひらと手を振る彼が座っているソファには、よく見ると紙袋が置かれていた。イズモがそれは何かと尋ねるより前に、ケーティが大袈裟に泣きついてくる。


「おかえりぃ〜!! なぁ聞いてくれよ〜〜ブロークが酷いんだよ〜〜!!」

「なっ……!? それは君の日頃の行いが……! ……はぁ、仕方ない。今は後にしておくか。おかえり、イズモ、バド」


 次に話の最中でケーティに逃げられたことによって更に険しさが増した表情を、ため息を吐いてなんとか直したブロークが応えた。

 帰ってきたら『ただいま』と『おかえり』を言うのが第七班内規則の一つ。もちろん、定めたのは班長のケーティだ。それは今日も変わらず守られていた。


「お使い、ご苦労だったな。後で仕舞っておくから、そこのテーブルに置いておいてくれ」

「は、はーい……!」

「ねぇ先生見て!! シール貰った〜!!」

「良かったなバド。傷まないようにファイルに入れておくか、貼りたい物があったら相談するんだぞ」

「うんっ!!」


 箱を言われた通りの場所に置きながら、二人の親子のような会話を聞いてイズモが笑みを浮かべていると、リーフが徐に立ち上がった。


「あ〜ポトフ出来たかも〜。見てくるね〜」

「マジでどーやって感知してんだよ…… 俺も行くぞ〜」

「先程の件、後でまた詳しく聞かせてもらうからなケーティ」

「あーあー!! 晩飯の後な!! 飯が先!!」


 別室のキッチンに向かおうと歩き出したリーフに、いそいそと着いていくケーティ。ブロークがすかさず釘を刺すと逃げるように出て行ってしまい、仕方なくため息混じりに見送った。


「全く…… 彼はいつからああなってしまったのやら……」

「先生!! ボクも晩ごはんの準備、お手伝いしたいっ!!」

「そ、その…… おれも……」

「ああ、では二人には……」


 共同生活を営む上で、食事の支度等の方法は班によって様々だ。担当を誰かに一任している班もあれば、食堂で食事をとっている班や、班員各々の判断に任せている班もある。

 そんな中でとりわけ、支え合うことや助け合うことに重きを置いている第七では、何でも皆で手分けして行うことになっている。日頃から協力して動くのを心掛けておく方が作戦行動の際に効率的に動くことがより容易に、確実になる可能性が高まるから、と上層部には伝わっているらしいが、実際はケーティ曰く『一緒にやった方が楽しいだろ!!』とのことだった。恐らくブロークが報告文を改訂したのだろう。


 そうこうして夕飯の準備ができると、全五名からなる第七班の面々は、同じテーブルを囲んで夕飯を食べ始めた。

 この日のメニューは野菜たっぷりのポトフとふかふかの全粒粉パン、そしてとても大きなオムレツだった。オムレツの中には具として、角切りにしたごろごろの肉とニンジン、グリーンピースなどの野菜をソースで煮込んだものが入っていた。

 どうやって包んだのか不思議になるほどのボリュームだが、それはブローク、バド、イズモの頑張りの成果に尽きると言えるだろう。

 

「そーいやリーフ、第七部屋のソファに袋置いてきてなかったか?」

「あ〜、アレね〜。温室の管理人さんにお土産貰ったんだ〜」

「マジで気に入られてんのなぁ…… 中身何だった?」

「…………?」

「……忘れたな?」

「忘れたんだね!」


 そんな雑談をする四人の声に耳を傾けながら、イズモは取り分けられたオムレツのふわふわの部分を頬張る。

 何の取り留めもない会話をしつつ賑やかに食卓を囲むなんて、一年ほど前のイズモなら夢と見紛っていたことだろう。今だって食べるのが楽しい、美味しいと思うことへの幸せを強く実感していた。


「なー! イズモはどー思う?」

「んぇっ!? な、なんやったっけ…… ごめんなさい、ぼーっとしてた…」


 食事を堪能していると突然話を振られ、イズモが声を上げる。するとバドが、食べていたパンをしっかり飲み込んでからフォローを入れた。


「"とりけらとぷす"とポテトチップスが似てるって話!」

「え……? た、確かに似てる…… かも……?」

「イズモ、今のはバドの冗談だ」

「え、えぇ……!? も、もー……! バドはんってば……!」


 ブロークにそう告げられ、驚いているイズモの表情にバドとケーティが可笑しそうに笑っていた。そんな二人に気を悪くすることもなく、イズモもすぐに釣られて笑ってしまった。


 

 なんだかんだで平穏な一日はゆったりと更けて行く。寝支度を済ませたイズモは自室のベッドに寝転んだ。そうすれば、頭の中には今日あった色々なことが蘇ってくる。


 夕飯の後は入浴。その後はイズモ、リーフ、バドの三人でトランプをして遊んだり、リーフがお土産で貰ってきたという植物図鑑を眺めたりしていた。ケーティとブロークは約束通り、夕飯後に話し合いをしに行ったらしく、結局なかなかすぐには帰ってこなかった。

 しかしブロークは思いの外それなりの納得を得られたのか、ぐったりしていたケーティにホットミルクを作ってやっていた。それからバドにせがまれて追加で一杯と、その場に居合わせた故に用意されてしまったイズモの分と、また何処からか現れて飲みたいと言い出したリーフの分も。

 最終的には五人全員でホットミルクを飲むに至り、カップを片付けたり眠気が来るまで話したりしているうちに就寝時間となっていた。解散する時に皆で言い合った『おやすみ』の声が、イズモの耳にはハッキリと残っている。


 平穏を願ってはいても、やはり明日もこんな日であるとは限らない。それでも皆と共に居られるのなら大丈夫だと、イズモはそう信じられるようになっていた。

 睡魔が増していくにつれて、自然と尻尾を内側に巻き込んでくるりと丸まった体制になると、だんだん意識が溶けていく。こうやって寝ていると、大切な人達が近くに居てくれているような気がして、イズモはよく眠れるのだ。


「……おやすみ、なさい ……」


 一人きりの部屋で誰に言うでもなくそう呟き、イズモは明日を想いながら落ち着いた寝息を立てて、間もなく眠りについたのだった。

 











 深い霧がかった真っ白い場所。懐かしい子守唄が聴こえてくる。


『霞の中から来ゆる陽よ いずこ羽ばたき旅立てど 貴方を必ず照らさむと 我が子をどうか照らさむと』


 最後にその歌を聴いたのは、一体いつになるんだろう。懐かしくて温かくて、それなのに その歌はもう、この世界の何処にもないんだ。

 でも、大丈夫だよ。今は此処が、みんなが居る第七班がおれの帰る場所だから。


 ……ねぇ、母様と父様がくれた未来で、こんなわがままを言ってもいいのなら、一つだけ。

 第七がずっと、ひだまりみたいに温かいままでありますように。こんな弱虫で泣き虫なおれでも、第七のみんなを守れますように。



 ───ぽつり。





File.0 【懐くいだく温度】 -了-

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ユニア対策本部 餅葛 @mochi_no_kazura

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