予兆


 瞑之島は敷地の実に7割が、神域によって構成されている。

 

 一般的に、神域の中で長時間滞在することは難しい。

 『核』の影響を受けすぎてしまうからだ。 

 故に、島民が住まう街を囲うように広がる木々や竹林は、神域の境界線としての役割を果たしている。

 

 ……しかしながら、その不可侵領域でしか生きられない者も、少なからず存在する。

 門番のソウヒ。彼もまた、その一人だ。

 

 朧げな朝焼けを浴び、微睡みから目覚めかけている深緑。

 乳白色の清い空気が、一帯を支配している。

 その中を彼は今、迷いない足取りで進んでいた。

 目指す先は、島の北部に位置する、極めて特殊な玄関だ。


 島への出入り口は例外を除き、南北の計2ヶ所に存在する。

 南は、主神祭の時だけ開放される、海岸側に面した表口。

 対して北は、関係者専用の、所謂裏口だ。

 

 事前申請とソウヒによる確認が必須となる裏口は、摩訶不思議な神域の法則によって、ある奇跡を可能としている。

 

 ――遠く離れた瞑之島と鞠月神社を、

 その仲介媒体として存在する大鳥居こそが、門番としてのソウヒ、本来の持ち場だったりする。

 ただ、常に深刻な人手不足に悩まされている季楼庵において、同じ場所に留まり続けている訳にもいかず、彼とて必要な時にしか訪れない。

 

 そして本日は、牡丹飛脚ぼたんひきゃくが荷物を届けにくる日だ。

 牡丹飛脚――裏専門の運送業者で、名からも分かる通り、その起源は江戸時代に遡る。

 季楼庵と縁を持ったのが運の尽きで、最初こそ一般的な飛脚業をしていたが、途中で路線変更を余儀なくされた。

 表では流通してない曰く付きの物や、一般人には辿り着けない場所への配達……これらが主となってしまったのだ。

 

 しかしどの時代も、一部の層に大変重宝され、また商品や顧客情報の徹底された取り扱いにより、高い信頼を得ている。

 こうして現代に至るまで、牡丹飛脚は廃業することなく、脈々と受け継がれてきた。

 季楼庵とは長い付き合いで、瞑之島への出入りを許された、唯一の業者でもある。

 

 

 定刻通りに大鳥居の前へ到着したソウヒは、境界の揺らぎを観測した。

 程なくして、鳥居の間から見慣れた配達員が姿を現す。 

 

 少し大きめのジャケットに、ズボンとスニーカーは、動きやすさを優先させたシンプルな装い。

 それは牡丹飛脚の方針によるもので、髪型においてはその限りではない。

 鎖骨下まで伸びる栗色の髪を、ハーフツインのお団子にし、空気抵抗を受けても崩れないようガチガチに固めている。

 彼女――オリィなりの美意識と、こだわりの結晶である。

 

 両手で押している自転車の荷台には、今日も多くの荷物が乗せられている。 

 彼女は門番の姿を見つけるや、晴天のような笑みを浮かべて、元気に声をかけた。


「ソウヒくん、おっはようございま〜す!」 

「ご苦労様です、オリィさん。通行書を確認しますね」


 彼女はハンドルに括り付けた紐の先で、プラプラと揺れ動く板を、ソウヒに見せる。

 それこそが鞠月神社でその都度発行される、瞑之島への通行許可証だ。

 六角形のそれ――つまるところ絵馬は、鞠月神社が一般的な神社としての機能を放棄しているが故、持て余した遺産である。

 『ならば紙の代わりに、有効活用しよう』という試みが、便利且つ好評だったため、いつしかすっかり定着したのだ。

 表は絵馬らしく、湖畔に月を宿した、鞠月神社を象徴する挿絵。

 裏には願い事ではなく、事務的な記載が求められる。

 

 日付 2023年2月28日

 指名 オリィ

 所属 牡丹飛脚

 担当 シノノメ

 

 以上の項目を確認し、それらの上へ被せる様に押された、黄緑色に発行する捺印も健在である。

 

「ご提示ありがとうございます……どうされましたか?」


 確認……とはいえ、ものの数秒。

 その僅かな間で、オリィは立ち尽くしたまま、頭だけが手前にかしいでいた。

 それはまるで、枯れた向日葵を連想させ、ソウヒの胸に不安を掻き立てた。


「……大丈夫ですか、オリィさん?」


 数度呼びかけ、肩を揺すれば、カバッと身を起こしたオリィ。

 その表情は、今の出来事が幻だったのではないかと錯覚するほど、平然としたものだった。 

 

「あれま、通行書! いつの間に〜どうもです」  

「……もしかして、具合悪かったりしませんか?」

「え、ぼくですか? 実は……早めの花粉症らしく、目がもう痒くって。でも買ったばかりの目薬、無くしちゃったんですよ。代わりに変な箱が入ってて、参っちゃいますよー」 

「それは、災難ですね」

「はい〜でもお仕事はモリモリ勤めますよ。11頃には戻れると思います。それじゃ、こまねき号3世ゴー!!」

「お気をつけて」

  

 愛車にまたがり、爆速で神域を駆け抜けるいつもの後ろ姿を、ソウヒは見送る。

 胸に得体の知れない引っ掛かりを覚えたが、あの些細な事象を騒ぎ立てるのは、はばかられた。

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