第2章 絶海の孤島で

第1話 異世界再生

草と土の匂いが鼻に纏わりつき、息が苦しい。


堪らず仰向けになると、楽になり視界が開けた。


太陽の光が樹々の間から射し込んでいる。




少しずつ手足の感覚が戻ってくる。体を起こし座って、周囲を見回す。


林の中から獰猛そうな魔獣が顔を覗かせているのに気づき、慌てて立ち上がり、刀の柄を握る。


「今だ。行け。」何処からか声がした。




同時に、


- 地獄の魔獣ケルベロスです。再生したばかりですので、安全の為結界で包みます-


と声がして、与平を透明な覆いが囲んだ。




飛びかかって来たケルベロスは結界に触れた途端、稲妻が弾けて、「グギャー」と言う声がして、黒焦げになって転がった。




- もう安全です。結界を解きます-


「助かった。お主は?」


- いずれご挨拶します-




これが異世界。


こんな巨大で獰猛な魔獣が住む世界で生きて行かなければならないのか。


刀の柄を握りしめた右手を離した。掌が汗ばんでいる。動揺して動けない。



何とか腰を上げることが出来たが手足はまだ震えている。


この世界で生きるには生半可な覚悟では足りない。何でこんな世界に再生することを望んだのだろう。後悔の気持ちも湧き上がる。


何でもできるという精霊王の言葉が正しいとしても、今の自分には何と無力なのだろう。だが、その言葉を信じるしかない。



再生すれば元通りの体になると光の精霊に聞かされていたが、改めて体を確かめる。見た目は変わりないが、以前より体が軽く、力が満ちている気がする。何より、空腹感がないのがいい。自分も強くなっていると思えるのは間違いだろうか。いや、強くなる。



立ち上がり、刀を抜いて、前後左右に動いて何度も振り抜いてみる。力強くなり、素早い動きが出来る。刀を振ると、空気を裂くような音までする。


頗る体調も良い。若返ったというより、俊敏で強い新品の体に生まれ変わったのではないか。これが再生なのかもしれない。




心を落ち着かせるために、心形刀流の形を繰り返す。


居合表裏各6本、組太刀の大太刀と小太刀各6本、二刀全部。


以前は終わると疲労で座り込んだものだが、今は息切れさえもない。


形を終える時間も短くなった気がする。それもかなり。


周囲を見渡すと、無数の樹々に刃跡痕がある。直接切ったわけでもないのにどうしてなのかわからない。




足を組んで精神統一をする。


周囲には人気もないが、小鳥の鳴く声もしない。静寂の中で、自分の呼吸する音だけが聞こえる。


この瞬間は事態が緊迫しているわけではないのを実感して、やっと落ち着きを取り戻してきた。




樹々の間を隈なく見ていると、僅かに勾配がある。登り勾配の方向を見定めるために、さらに視線を下げる。


起き上がり、間違いないと確信した方に、足を踏み出す。


歩くことが新鮮だ。川に飛び込んでからどの位時間が経っているのかわからないが、生きていると思える。




林の間を縫って歩く。次第に勾配がきつくなってくる。変わらない景色が続き、距離と時間の感覚が曖昧になる。


歩きながら、精霊王から言われた事を思い出す。精霊王の跡を継ぐという事を。しかし、どうすればいいのか。


魔術はどうすれば使えるようになるのか、魔力はどこにあるのか、わからないことだらけである。これでは精霊王の代わりを務めることなど出来るはずもない。今は、この世界で生き抜くことで精一杯であり、余裕もない。



やっと林を抜けたと思ったら、身長を超える鬱蒼と繁った草木、つまり高密度の薮が行く手を阻んだ。これを切り開いて進むのはとても無理である。



それでも刀を抜き、薮の中に入ろうとした時、何か嫌な予感がした。


この薮の中を無闇に進むのは危険だと直感が知らせてくる。


強い殺気。抵抗を許さない圧倒的な力。




足を止めると、ザザッ、ザザッと微かな音が近づいてくる。


何かが薮の中を、掻き分けながら移動している音だ。


与平は刀を構える。緊張が高まる。




目の前の薮の中を白い鱗を纏った巨大な蛇の頭が現れ、その後を胴体が続く。有り得ない大きさだった。直径3m近くはある。長さまではわからないが、尋常でない巨大さだ。



刀を構えたまま、足が竦み動けなくなった。超巨大な白蛇が通り過ぎて行った。震える手に気づいて、刀を鞘に収めた。今は使える気がしない。前進も後退も出来ず、通り過ぎるのをただただ眺めていた。


何とかなったのかと安堵したその瞬間、背中に悪寒が走った。ゆっくりと振り向いた。


ぱっくりと口を開けた超巨大白蛇の顔が急速に近づいてくる。しかも、いつの間にか、周囲をその巨体に囲まれ、逃げ道の無い状況に陥っていた。



気づくべきだった。この島の生物密度は極端に低い。この島で生きている生物は常に餌を求めて徘徊しているはずだ。何か反応があれば、そこへ目掛けてやって来るのが当たり前なのだ。




与平は死を覚悟した。後悔が積み重なる。


護衛は常に周囲の気配から殺気を見分け、命を守る為の最善の動きをする。だが、再生してからいきなりケルベロスに襲われた動揺を抑えられずにいたのかもしれないが、それにしても。



どこからか、「これでお終いだ」と言う呟きのような声が耳に入った。再生した時に襲われる前に聞いた声だ。



しかし、与平は突然頭の中に響くもう一つの声に呼応した。


- 何を躊躇っているのです。この弱虫に思い知らせてやるのです-


「そうなのか。弱虫なのか。」




迫って来た巨大白蛇の下顎を渾身の力で蹴り上げた。


巨大な白い巨体が上空に昇って行く。


目の前を、50mを超える巨体が通り過ぎ、あっという間に上空に消えて行く。


上を見上げると白い紐が速度を上げながら遠ざかる。白い点となり、直ぐにその点も消えた。


「どこまで昇るんだ。竜だったのか。それにしても弱虫だな。手応えの無い奴だった。」




空を見上げながら、恐怖で怯えていたことを忘れている。


その時、もう一つの巨大な魔力が急速に近づいてくるのを感じた。


「もう1匹いるのか。面倒だな。」と思った瞬間、視界が変わった。


林の中で一人佇む自分がいた。視界の変化で少し眩暈がする。




何が起こったのかわからない。だが、眼を下に向けてやっと理解した。


再生から目覚めた、最初の場所に戻っていた。ケルベロスの黒焦げがあり、座りこんだ跡や、剣を振るって付いた足跡で付近が荒れている。周囲の樹々に刀跡痕もある。間違いない。


時間が巻き戻ったのか、移動したのか。


- 転移完了しました-




転移? 一瞬で違う場所に移動?


これが光の精霊の能力なのか。危険な時は転移できる。不安な気持ちが多少軽くなった。


だが、今は休んでいる時ではない。前に進もう。じっとしているとまた魔獣が寄ってくる。まだ動いている方が気配を感じ取れる。


海岸線に行こうかとも考えたが、まずこの島の全容が知りたい。


この島の高台に転移できないだろうか。


- 行ったことのない場所には転移出来ません-




確かに行ったことのない場所に転移するのは危ない気がする。


周囲の気配を探ると、巨大な殺気の方向とおよその距離がわかる。その殺気と一定の距離を取るようにして林の中を登り勾配に向かい、帯状になっておい茂る藪に沿って慎重に歩く。


薮の途切れる場所を探して歩く。その間も巨大な殺気との距離を取る。



夕暮れが迫って来た。


この林には巨大な生き物がいる。超巨大白蛇だけとは限らない。


安全に眠れる場所を探そう。寝ている間に襲われてはたまらない。




取りあえず、安全に休める場所があればと思った瞬間、目の前の景色が裂け、新たな空間が現れた。驚きの余り、腰砕けになった。




- 亜空間に作られた避難所です。危険はありません。ゆっくりとお休みください-


あの声がした。誰だかわからないが、これまで危機を救ってくれた声である。他に方法はない。今はこの声に縋るしかない。




恐る恐るその空間を覗くと、見覚えのある木造の一軒家が見える。


覚悟を決め、思い切って中に入り込んだ。後ろで裂け目が閉じた。


安全圏に入った気がする。何故なら・・・そこにあったのは生家だったからだ。


与平が生まれ、幼い頃を過ごした慣れ親しんだ実家である。




間違いない。与平の記憶にある家と寸分違いがない。幼い頃に木刀を振って付けた壁の傷跡まで全く同じだ。


家の引き戸を引くと見慣れた光景があった。土間に足を踏み入れる。


右側に竈や流し、前方に板間があり、左側には障子戸があり、開けると畳間という幼い頃に馴染んだ光景。


板間を見ると、膳の上に汁、米飯、めざし、たくあんの皿が乗っており、御櫃と汁鍋も傍にある。お櫃を開けると湯気が上る。



子供の頃、家人がいつも用意してくれていた膳がある。懐かしさに涙が込み上げて来た。



与平は草鞋を脱ぐ早々、板の間の箱膳の前に座り、茶碗にお櫃からご飯をよそって、箸を持つと味噌汁を吸い、ご飯をかきこんだ。漬物を噛みしめる。気が付くと、お櫃は空になっていた。


ここが本当の実家ではないことは判ってはいるのだが、すっかり寛いでしまったのは仕方ない。これまでの緊張が見事に解けた。


これも精霊王から授かった何かの能力に違いない。




流しの下には酒まであった。水屋箪笥から湯呑を取り出し、酒を注いで、膳の上に置いた。


めざしを魚に酒を舐めていると、懐かしい家族一人一人の顔が浮かんで来る。


久しぶりの酒のせいか、酔いが早い。睡魔が襲って来た。


今日は色んな事があり過ぎた。




障子戸を開けると、布団が敷かれている。与平はそのまま布団の中に潜りこんだ。






翌朝、目を覚ますと、土間の草履を履いて、家の裏にある井戸で顔を洗う。見知った家である。


腰に手を当て、空を見上げる。落ちない太陽がある。




家を後ろにすると裂け目が現れた。裂け目を出ると、昨日、最後にいた場所だった。


- 出口は任意で設定できます。今回は昨日いた場所にしました-



いざとなれば逃げることが出来る場所があることは安心につながる。


だからと言って、あの空間でのんびりと一人暮らせるとは思えない。


この世界に人間が生きているのなら、会ってみたい、話してみたい。一人ぼっちは寂しい。





周囲に違和感がある。何かに囲まれている。再び強い殺意も感じる。


腰を落とし、刃を上にして、刀の柄に親指を当て、鯉口を切る。


声がした。何か説明してくれている。


- 木の魔獣、トレントです。根を足のようにして動きながら、枝を手のように振り回してきます。この島には生息していない種なのですが-



振り下ろされて来た太い枝を逆袈裟斬りにすると、ギャと小さな悲鳴がして、ボトッと落ちた。そのまま上から、本体を袈裟斬りにすると、斜めに二つになり、叫び声がして動かなくなった。


後ろを向き、左一文字斬りにすると、2匹目のトレントが上下に別れた。

他のトレントがずり下がって行き、視界が開ける。


- 放って置くと、トレントは増殖します。この島の生き物に大きな影響がでます。全て討伐してください。ちなみにトレントは硬くて強く高価です。魔法空間に貯蔵するのをお勧めします-


「ならば、狩り取ってしまうしかない。」




逃げるトレントを追いかけ、斬り倒してゆく。10本ほど斬り倒すと、動く木はいなくなった。さらに一振りする。




「ちっ、また駄目か。ウァワー。」


頭に角のある男が血を流して倒れ、霧となって消えた。


「影から覗けば安全だと思うのは大間違いだ。」




- 地獄の悪魔のようです。亜空間から覗いていました-


「自分は動かず魔獣を使うとは何と卑怯な奴だ。あの世で反省しろ。」


- 消え去ったという事は本体ではありません。分離体だと推測します-


「そうか。残念だ。」





枝を払い、丸太になったトレントを亜空間に仕舞う。


刀の刃を確認すると、欠けはなかった。




「大丈夫だったか。」


- 与平殿は、無意識のうちに刀に魔力を纏わせています。強い魔力を纏った刀の刃は強靭になり、刃が欠けることはありません。剣の達人になると魔力を纏わせた刀を振りぬいた方向の人や物を魔力残滓で傷つけることがあります-


「刀の長さを超えて相手を切ることが出来るということなのか。お主はいいやつだな。色々と教えてくれる。」


- そのうちご説明します-




超巨大白蛇の気配がする。急がなければならない。

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幕末の剣豪、金山与平 ー異世界再生して精霊王の後を継いだのだがどうしようー 美瑠華麗 @mirukarei

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