滞留

 ルイは首肯した。


「そうだよ。僕は、繭が小学生の頃に生み出した、物語の登場人物なんだ」


 繭は本を読むのが好きだった。空想が好きだった。物語の世界に居る時だけが、辛い現実を忘れていられた。

 幼い頃から内向的で友人の出来なかった繭は、いつしか空想の中で架空の友達を生み出すことにした。

 金色の髪に、青い目の王子様。いつか繭を本の中から迎えに来て、この世界から連れ出してくれるのだ。


 王子様は本の中から出られない。だけど、繭と話すことは出来る。繭はいつだって、頭の中で王子様に話し掛けた。

 どこに行くにも、何をするにも、ずっと一緒だった。ずっと一緒に、感情を共有し合った。

 彼が本当には存在しないと分かっていても、そうすることで繭の心は救われていたのだ。


 あの大学ノートに綴られていたのは、物語とも呼べないような稚拙な文と、王子様を描いた下手くそな絵だった。

 第三者から見たら、無価値でくだらない代物だろう。それでも、当時の繭には大事な宝物だった。

 一度、母に破かれたことがある。

 繭が悪かったのだ。夕食に呼ばれた際、ノートに絵を描いていて、「もう少し待って」などと言ってしまったから……。

 だけど、その時はセロハンテープで貼り直して、修復した。


 繭が大学ノートと王子様を封印してしまったのは、同級生の子に笑われたからだった。

 休み時間、熱心にノートに絵を描く繭を見て、クラスの女の子達が「何を書いてるの?」と寄ってきた。それが嬉しくなって、思わず繭はノートを見せてしまったのだ。

 そして――。


「まゆちゃん、こんなの書いてるの?」

「これが、まゆちゃんの理想の王子様? 目ぇおっきすぎない? 宇宙人みたい。変なの」

「王子様が迎えに来るなんて、まゆちゃん、自分のことお姫様だとでも思ってるの?」


 ――嘲笑された。

 繭は恥ずかしくなって、王子様も大学ノートも、机の引き出しの奥深くにしまい込んで、もう見ないことにした。

 そうしていつしか、記憶ごと封じてしまったのだった。


「繭が僕を忘れても、僕はずっと繭のことを見守っていたんだよ。……やっと、思い出してくれたね」

「……ごめんなさい」


 ぽろりと零して、繭は訊ねた。


「私は、死んだの? ここは天国? それとも、本当に本の世界?」


 返ってきたのは、意外な答えだった。


「どっちでもないよ。ここは、君の頭の中の世界。繭は、まだ生きている。だけど、目覚めないんだ。眠り姫みたいにね」


 ――生きている。


 今度は、ルイが繭に問うた。


「繭は、どうしたい? 君は選ぶことが出来る。この城から外に出て、現実の世界に戻るか。……それとも」


 真っ直ぐに見据える青の瞳は、どこまでも澄んで綺麗だった。


「――私は」



   ◆◇◆



 ゆらゆらと揺蕩う木の葉ように、深い泥濘の底に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮上していく。

 はらり、はらり、纏わりつく睡魔を徐々に振り落として、重たい瞼を上げた。

 ――開いた瞳に映り込んだのは、青い瞳の王子様だった。


「おはよう、繭。目が覚めたかい?」


 優しい声に、繭は微笑んだ。


「……おはよう、ルイ」


 ここは、彼女が創り出した、彼女の為の世界。

 ここには、彼女を傷付ける者は居ない。嫌な人も、辛い現実も、誰も彼女を追っては来られない。

 彼女と彼の、二人だけの世界。

 繰り返す微睡まどろみ。めない眠りの中、いつかは崩れて消えるかもしれない、夢の城。――それでも。


 繭は今、幸せだ。




     【了】

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微睡みの城 夜薙 実寿 @87g1_mikoto

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