迷宮王のぶらぶら

稲月 見

第1話 迷宮王、飛び立つ

 極まった退屈が、全てを灰色に見せていた。


 雲よりも高くそびえる巨大な塔『心王塔』の最上。未完成の天井は空へ吹き抜けている。無機質な装いの中で、仰々しい玉座と大扉が目立つ。


 玉座と大扉は向かい合うように離れて位置している。


 そして、大扉を睨み、玉座を敷く男がいた。


 冷たい玉座に腰掛けて、寂れた大扉を見つめる『心王』リチャードの目に力はない。


 王の視界に色はなかった。


 未だに見えない敵を待ち、どれだけの時が経過したのだろう。少なくとも、リチャードの意思を静めるには十分な時間だった。


 弱弱しい王は、求めていた。相対する敵を求めていた。侵略者を求めていた。眼前の扉を開き、剣先をその身に向ける者の登場を求めていた。


 しかし、使命がその身を束縛し、玉座からの不動を貫かせる。


 王は王であれ。心の王は、心の塔を護れ。全ては世界のために。全ては、母のために。護れ。屠れ。滅ぼせ。


 そこに、侵す者がいる。



「…………『心の王』」



 灰色の景色に、黄金が混ざる。風に流れて揺れる髪が、王の気を引いた。


 次に青色が見える。青い目が、驚愕する王を睨んでいた。


「――――お前は?」


「私は『空の勇者』リベル。あなたを殺すために来た」


「……美しい」


 勇者の視線が激しいものに変わる。


「……余裕なのね」


 剣を抜いた。薄く、空に溶ける青い刃が王を狙う。


 リチャードはそれを見てもなお玉座から離れない。だが、心はすっかりと、少女に囚われていた。


 風が吹く。


 リベルの顔が近くに移る。目と鼻の先に刃があった。その移動は、瞬きも待たずに行われた。


 リチャードの手が刃を僅かずらし、少女の体を受け止める。


「!?」


 傷をつけるどころか、丁寧に迎え入れられてしまった現実に驚愕する。


 思考が現実に遅れ出す。


「殺すと言っていたか……悪いが後にしてくれ。俺はお前と話がしたい」


「離して!」


「離せばそれを振り回すのだろう?」


「さっきから――」


 鋭い目で王を睨む勇者。例え刃を押さえられようとも、首を食い破るような雰囲気があった。


 話すどころではないと知ったリチャードが一度勇者を開放する。


「一つ勝負をしよう」


 距離を取り、剣を向けて敵意を示す勇者に提案する。


 青い切っ先を越えて、青い目を見つめる。


 王の視線に恐怖はなく、ただ興味だけが込められ、揺るがない自信をありありと勇者に感じさせた。


 膨らむ苛立ちを見て、仰々しく振舞う。


「『空の勇者』リベル。お前が持つ至上の一撃を俺に振るえ」


 リチャードは知らない。


 王の前に立つ者が如何な強者なのか。


 天貫く塔の頂を踏む者の一撃が、その身に傷をつけることができることを。


 無知とは弱さである。たった一度の過ちが、全てを無きものとする。


 だが王もまた特別だった。


「俺を殺すことができたなら、後はお前の好きにしろ」


『心の王』は心から力を生み、心から力を巡らせる。


 限りはない。昂るほど、嘆くほど、迷うほど、覚悟するほど、その心が揺れるほどに『心王』は強大になる。


 退屈の極みにあった状態から一転。リチャードはリベルに対し強い興味を抱いていた。


 今、凪いでいた心が大きく揺れ動いている。


「しかしできなかったら、お前のことは俺が好きにする」


 死を覚悟して挑む勇者と、希望のみを見る王の間に誓いの言葉はいらなかった。


 刃が青白い光を帯びる。強まり、強まり、勇者が構えた。


 空の壁を切る。光は青黒いものへと変貌し、質を変える。


 勇者の構えに力が加わる。その時、薄い刃が極限の切れ味を得た。


 刃に触れる悉くを裂き、王の視線の先で亀裂が走る。それは、刃の位置を中心に広がっていた。


 世界を壊す音がする。


「――――――――――『空絶』」


 青き刃が二人の距離を無に帰し、音のみならず時をも裂いて王を強襲した。


『空の勇者』の一閃が、『心王』の骨肉を絶つ。


 剣が鞘へ戻ると、一閃の過程にある不条理を解決するため、世界の規則が暴れだす。絶大な熱量が二人の間を歪めていた。


 リベルはリチャードの死を確信する。


 その技に境界はない。距離も、障害も、時間も、運命さえも刃を阻むことはできない。「刃が絶つ」という結果だけが、剣を振るうリベルにもたらされる。


 卓越した技術と才能、異質な剣を有する勇者の代名詞『空絶』を受けて生きた者はいない。


 青い目が血濡れの玉座を見つめていた。


 血の流れが、逆行する。


「!?」


 肉が、骨が、時を戻すように治っていく。


 勇者の刃は、「王の死」という結果をもたらすには不足していた。


 赤い目が嗤っていた。


「恐ろしいな。まさか死の淵に立たされるとは思わなかった」


「……」


「まさに至上の一撃。だが結果は俺の勝ちだ。さあ、約束を守ってもらおうか」


 リチャードの認識は正しい。『空絶』はリベルの至上と言える一撃。それを受けて命を絶てないのであれば、勇者に勝ちの目はない。


 ゆえに、その言葉がリベルの口から聞こえるのは当然のことだった。


「……望みを言って」


 王はその身に溢れる自信で勇者を苛立たせ、笑う。


「俺に話をしてくれ」



 ******



 世界は七つの巨大建造物『迷宮』を中心に回っていた。


 各地に現れた迷宮は周辺の環境を一変させるものもあれば、共生するものもあるが、一様に侵略者だ。


 迷宮の内界は特殊な決まりに支配され、この世のものとは隔絶した体系を擁する。


「異世界」とも表現され、数多の危険を孕む迷宮。しかし、大きな危険性とは裏腹に、挑戦する理由が人々にはあった。


 迷宮は人々を求めている。


 一攫千金をもたらす数多の財宝。常識を一変させる遺物。永遠の称賛を約束する名誉。欲望を駆り立てる要素が、迷宮には数多存在する。


 それらは獲物をおびき寄せる餌だった。


 出現以降、世界は迷宮を中心に動くようになっている。


 迷宮へ挑む探索者。迷宮から発見される技術を解明する学者たち。迷宮から出土する財宝や遺物などを売買する商人たち。


 迷宮の危険性は真の意味で陰り、恩恵だけを貪欲に享受する人々。それを利用し、命を食らう迷宮。


 迷宮という異分子さえ受け入れて、あまつさえ中心に置き、世界は確かに回っていた。


「面白い。お前も何かを求めてここまできたのか?」


「馬鹿にしないで」


「ならば、なぜここまできたのだ?」


「他にも挑戦する理由はある」


 それは、迷宮へ挑戦する原初的理由だ。


「『心王塔』はインベルに現れて、都を雨で流したと記録にある」


 大国を覆い隠す暗雲を絶やさず、尽きることのない雨をもたらした塔。雲をも超えて聳え立つ『心王塔』には、水の神がいるともされる。


 雨は文字通り、全てを流さんと降り注いだ。


 雲を払って空を見せ、人々の絶望を晴らしたのは、迷宮の顕現に際し特異な力を覚醒させた少女だった。


 以来、少女の血を受け継いだ皇族の中に現れる異能の持ち主が、その力を以て迷宮の影響から国を護っている。


「ここの攻略はインベル皇国の悲願だった」


「ふん……塔を破壊すれば国が救われるということか」


「でも失敗した。私ができなければ、しばらくは無理」


「諦めるのか?」


「私よりも強い人間なんていない」


「お前が俺を殺せばいい」


「……無理だったでしょ」


「一度の負けで何がわかる。最後に勝てばいい」


 王の笑みが勇者を苛立たせる。


 死を望むような言葉。それが有り得ないことだとわかっているから苛立つ。


 不満を募らせる勇者に、王が一つ思いついた。


「お前だけでは無理と言うなら、共に戦う仲間を探せ」


「……?」


「お前の話を聞いて、俺はここを出ると決めた」


「……?」


「とりあえずは、他にあるという六つの迷宮を目指す。お前が案内しろ。仲間は旅の道中で探せ」


「何を言っているの、ここを出る?」


「簡単なことだった。こんなところにいるから、ああも退屈になってしまうのだ。お前のおかげで、俺は気色の悪い使命感を振り払い、この塔から飛び立つことができる」


 意味がわからなかった。王の言葉は理解できる。だが、その意味するところがわからなかった。


 前代未聞だ。迷宮の王が、迷宮を離れようとしている。それが何を意味しているのか、何を引き起こすのか、リベルには想像できなかった。


 リチャードが立ち上がる。リベルが咄嗟に剣の柄へ触れた。


「身構えるな」


 剣を抜こうとした瞬間にリチャードの手がリベルの手に触れ、動作を押さえる。


 しばし赤い目が青い目を見つめた。


「落ち着いたか。ならば行くぞ」


 王が勇者の手を引く。


 歩みが止まることはなかった。葛藤も、躊躇もなかった。


「待って――」


 勇者の声は大空へ。二人の身が大空へと飛び立つ。


 雲を突き抜け、都を一望する。


「はははは! これが自由か!」


 迷宮の王が外界への旅立ちに歓喜する。


 地上は未だ遠く。


 いつの間にか、勇者は王に抱き留められていた。


 しかし自分の状態もわからないまま、リベルは一つのことだけを考えていた。


 迷宮王が外の世界にいる。迷宮の守護を放棄して、何のために。


 決まっている。


 リベルの思考の行き先は、ただ一つだった。


「何をしている?」


「『空絶』!」


 高まる力を懐から感じるのと同時、勇者の一振りによって王の身が絶たれた。


「まだ!」


 ただの一振りで消滅しないことはわかっている。目下、次の一撃を放つ必要があった。


 自分の敗北だけで終わるのならばまだ良かったのだ。


 いつの日か自分を超えた者が挑めばいいと思っていた。


 しかし時間は人類を待ってくれない。王が人の地へ降り立とうとしている。


 迷宮の王が都へ降り立ち、人々の幸福を終わらせる未来だけは拒絶しなければならない。


 どうすれば無敵の王を葬ることができるのか。わからないが、力の限りを尽くさねばならないだろう。


 これまでの自分を超えて、より強い力で向かわねばならない。


 青い目が、時を遡るように癒える王を映す。


 想うのは、たった一人の笑顔。延いては、民の安らぎへ。


 自分自身に言い聞かせる。


 剣を振るえ。力の限り。


「『空絶』!!」


 空に溶ける青き刃が、復活したばかりの王を絶った。


 鞘に収まって、剣身が見えなくなる。


 だが、リチャードの身は分かたれず、血も見えなかった。断ち切った感覚だけがリベルの手に収まっている。


 リベルは気づいていない。先の一閃は、これまでのものとは異なっていた。それは剣を振るうことで得たい最たる結果を、より直接的な結果をもたらす一撃だ。


 進化した一撃に要する力は大きかった。身体の強張りを保つこともできなくなる。


 最後になって何も為すことはできなかったと、悔しさに満ちるリベル。地上も近づいて、この先、都を覆うであろう地獄を想像した。


 きっかけは、確かに私だ。リベルの後悔はあまりに大きい。一つ、涙をこぼす。


「ごめんなさい……ソラリス」


 いつだって、想うのはたった一人の笑顔だ。


 無限に思える空へ、手を伸ばした。


「まったく……忙しいな、リベルよ」


 呆れを小さく含んだ、優しい声が耳を打つ。


 勇者の身は、再び王の懐へ。


「民もいる。剣を抜くのは控えた方がいいだろうな」


 着地すると、そのまま歩き出す。静かに、最初から街を行く一人のように、とても自然な様子だ。


「歩けるようになるまで抱えてやるが、どうにかできるのならどうにかしろ」


「ごめんなさい……」


 リベルの想像とは裏腹に、リチャードの様子は穏やかなものだった。とても国を滅ぼすようには見えない。


 思考と現実が食い違っている。


「……どうして迷宮を出たの?」


「話を聞いていなかったのか? 俺は他の迷宮を巡りたい。お前が案内人になれ」


「ここは滅びない?」


「お前、俺がここを滅ぼすと言いたいのか?」


 青い目から肯定の意思を感じ取り眉をしかめる。


「愚かな発想だな。なぜ自ら退屈の原因を作る必要がある?」


 リチャードの話す理屈はわからなかった。だが、リベルが考えていたような意思は感じられない。


 ここにきて勘違いであったことを知り、重みが取れていくのを感じた。


「……そう」


「わかったのなら案内を頼む。迷宮を巡るぞ」


 迷宮を巡る旅。その案内人。


 たしかに、『心王』の相手は『空の勇者』でなければ務まらない。


「待って。行きたいところがある」


「ふむ」


 勇者の思いは、街を一望する城の方にあった。


 彼女が剣を振るい、迷宮へ挑む原点がそこにある。


「あの方に黙って離れるわけにはいかない」


「お前の主人か。たしかに、挨拶の一つも必要か」


 退屈を切り払った勇者を従える者。興味が出た。


 城の方へ。リチャードが好奇心のままに歩き出す。


「行くぞ、リベル。お前の主人に会う。案内してくれ」

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