第7話



 ふわぁ。

 子供みたいな大欠伸をして、彼はその地に降り立った。

 すぐ鳩尾に肘が入る。

「うっ!」

「公衆の面前で大欠伸をしない! ここはもうフランスではないんですよ!」

「ルゴー……お前今このラファエル・イーシャ様の鳩尾に一撃入れたか?」

「入れましたですよ!」

「そんな元気のいい返事欲しかったんじゃない。いいじゃないの……こんな深夜の到着誰も見に来てないって……おや」

「きゃ~~っ、ラファエル様よ~~~♡」

 素敵~! と随分立ち入りを禁じられた軍港の外からこちらを覗き込む人々の姿があった。

「こんな所まで俺の追っかけがいるとは。可愛らしいねえ。投げキッスしとこうよいしょ」

 キャーッ♡ と黄色い声が聞こえて来る。

「かわい~」

「無駄に観衆を煽らない! 貴方はもう社交界デビューもなさっているんですから、顔が割れているのは当たり前です。いいですか殿下。私はお母上さまよりくれぐれも貴方がこちらで粗相がないようにと」

 馬車に乗り込む。

「大丈夫だって。ヴェネト王国王妃のセルピナ・ビューレイは美人って有名だ。俺は美人には好かれるし相性もいい。見事神聖ローマ帝国・スペイン王国の二国を出し抜いて、我がフランスを一番の御贔屓にしていただくようにしてみせるよ」

「理解していただいてるならばよろしいですが……はぁ……こんなところでとりあえず一年なんて先が思いやられる。今から頭が痛くなってきました」

 単眼鏡で軍港に出待ちしていた令嬢たちの顔を見て、「おっ、あの子可愛い」「もうちょっと胸が欲しいかな」「ドレスの色が髪の色にあってない」などと戦場でみせないような的確な指摘をして遊んでいる若き公爵に、補佐官は口許を引きつらせながら頭を押さえるようなポーズを取っている。

 彼が立派なのは身分と、そこから来る地位、そして人好かれする華やかな容姿、それくらいだ。剣術や馬術は昔から不得手で、戦自体、本人も「野蛮だ」と嫌っている。

 そんな公爵が父である王弟の命令でヴェネト王国に行って参れと命じられた時、ルゴーは間違いなくあの最凶の兵器、【シビュラの塔】を保有するヴェネトなんて野蛮で恐ろしい! 嫌だい嫌だい! と駄々をこねるかと思っていたのだ。

 それが戦に対しての常の彼の反応だった。

 しかし今回に限って、何故か命じられた彼は「かしこまりました。行ってまいりましょう」の二つ返事でこれを受けた。

 ようやく公爵家の一人としての自覚が息子に身について来たか……! などと目頭を熱くしている父親と、「まるで愛人宅に行くみたいに軽く返事するんじゃありません」などと冷静に分析している母親に送り出されてやって来たわけである。

(でも確かにこの方がこうやって妙に素直に振る舞っておられる時は……逆に何かとんでもないことを腹の中で企んでたりするから侮れないんだ……)

 長い付き合いの彼はそう思ったが、いずれにせよもうヴェネトにはついてしまった。

 この天真爛漫な殿下がうっかり高貴な方々の不興を買い、「怒ったわ。フランスに一撃見舞って」などという最悪の事態にだけは絶対にならないようにしなければならない。

 副官のルゴーが胃を痛がってる間に、ラファエルは単眼鏡の先を遠くへと移した。

 霧の中、時折雷鳴のように光が走る。

「ふぅん……。あれが噂の【シビュラの塔】か。聞いた通り、野蛮な兵器だね」

 鼻を鳴らし、そのまま山の上にある王宮へとレンズを向ける。

 王宮は夜会でもしているのか、華やいだ明かりが煌々と照っていた。

 くすっ……。

 金髪碧眼の貴公子は悪戯っぽく笑った。


「俺のこと、覚えてくれてるかな? 

 ジィナイース。

 きっと君のことだから美しく育ってるんだろうな」




【終】



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