赤を待つ日々
@JULIA_JULIA
第1話
一人きりでは広すぎる部屋に、堪え難い空気が漂っている。極めて遅いメトロノームの如く、水が滴る。静寂という程ではないが、それなりに静かな空間に刻まれる音。刻まれては消え、刻まれては消え。そんなのことの繰り返し。締まりが緩くなった蛇口は黙ることがない。そうして溜まりゆく鬱屈に溺れてしまいそうになり、その場から去ることにした。
調理実習室の扉を閉めるや、俯き加減の頬をさらう
賑わいを感じさせる声が耳を撫でる。小さなボールを投げたり、程よく大きなボールを蹴ったり。そんな生徒たちの声は、それなりの距離と二枚の大きな壁により、決して煩くはない。しかしながら、耳障りではある。疎外感と孤独感に押し潰されてしまいそうだ。彼らには同好の士がいるが、俺にはいない。少なくとも、いま現在は……。このままでは、廊下にまで鬱屈が溜まってしまいそうだ。
放課後の調理実習室は、俺とあのコの居場所となっている。大抵の場合、俺の方が早くやってくる。彼女はなにかしらの仕込みに時間を要するため、授業が終わっても、すぐには来ない。だから俺は彼女を待つ日々を送っている。初めのうちこそ慣れなかったが、もう慣れた。彼女を待っている時間もそれなりに楽しい。今日は一体どんな下らないことをするのだろう、と頬を緩ませる。暫く前から、そう思うようになっていた。
しかしながら、昨日までに二連続で待ち
またも吹き付けた
世の中のあらゆることに興味を示し、探究する。そのために立ち上げられた、森羅万象探究同好会。えらく大層な『お
入学早々、授業中に漫画を読んでいた俺は男性教師からの説教をシッカリと浴び、漸く愛読書との再会を果たした。野太い声の
燃えるような赤。そんな髪を
「会員なら他にもいます!! この人です!!」
職員室内に轟いた、けたたましい声。赤髪女子のそんな声と共に、俺の腕は高々と上げられた、まるで電車内で痴漢行為を働いた下手人のように。そんな状況とは裏腹に、なんだか甘い感情が訪れる。見知らぬ女子に捕まり、妙な喜びが芽生えたらしい。俺はそんな趣味趣向など持っていない筈なのだが……。なにがなにやら訳が分からず戸惑う中、赤髪女子と対峙している女性教師が訊いてくる。
「……そうなの?」
眉間に深い
「はい! 副会長です!」
「そうです……」
そうして俺は副会長に就任した。職員室から出たあと、赤髪女子から言い訳のような説明を受ける。彼女は同好会を立ち上げるべく、職員室にて自らの担任と交渉をしていたらしい。しかし、
あれから、およそ半年。暦の上では、
春のあいだ、困惑と面倒臭さと
そんな俺の心に秋が訪れたのは突然のことだった。それは、夏休みに入って一週間ばかりが経った頃。俺は無性に赤髪女子に会いたくなっていた。夏休みのあいだは同好会の活動はない。部活動のように、なにかしらの大会や発表会などがある訳ではないので、休暇中にまで活動をする必要はないからだ。しかしながら、俺は活動を求めていた。いや、欲していた。なにをしたい訳でもないが、とにかく赤髪女子に会いたかった。そして、その感情が恋心であることに気付いた。
鬱屈した調理実習室と同じく、廊下でも一人きり。眼下の中庭には、数人の生徒。彼ら彼女らの顔は随分と穏やかで、俺の心に
膝を抱え、顔を
報われない愛のメロディーを半分ほど消化した頃、不意にリズムが刻まれた。俺のメロディーとは
調理実習室は、端の端にある。孤独な俺と同様に、疎外されている。長男である校舎棟の四階、その端にある。森羅万象探究同好会の部屋の周りには、部室として使われている教室はない。よって、こんな場所を訪れる人間は限られている。俺は期待を持ち、足音を待つ。そのリズムを刻んでいる人間を待つ。爽やかな笑顔を持つ、
しかし現れたのは、黒い髪。その三十代半ばの女性は森羅万象探究同好会の顧問である。同好会は部活ほど規定に縛られてはいない。しかし当然のことながら、野放図に振る舞える訳ではない。顧問は必要なのだ。彼女が同好会に出席することは、極めて
「あれ、なにしてるの? 部活───いえ、同好会は?」
「今日も一人なんで、なにをしようかと……」
「今日も?」
「昨日と
「え? 会長はどうしたの?」
「さぁ……」
それは俺が知りたいくらいだ。ともかく顧問からの指導により、調理実習室へと戻ることになった。そうして俺が扉に手を掛けると、またもや足音が聞こえてくる。慌ただしいほどのリズムを刻みながら、どんどんと音量が増していく。そのリズムにつられるように高鳴る胸の鼓動。なんだか体が熱い、駆け巡る血液の流れを感じ取れるかのようだ。程なくして現れたのは、待ち焦がれていた──いや、恋い焦がれていた燃えるような赤。
「ゴメンね! 遅くなっ───。ゲッ!? せ、先生……なんで?」
赤髪女子は俺の顔を一瞥したあと、顧問の存在に気付き、酷く慌てている。妙ちくりんな装置を両手で抱えながら。それは、縦横無尽に張り巡らされた回廊とでも言おうか。またしても呆れるような活動をするつもりなのだろう。
「……なに、それ?」
顧問の顔が曇る中、赤髪女子は必死に言い逃れを始める。
「こ、これは! 重力エネルギーを球体の運動エネルギーに変換し、その挙動を確認するための実験装置です!」
要約すると、『ピタゴラなんちゃら』のようなモノだろう。赤髪女子の返答を受け、顧問はまたも問い掛ける。
「もしかして……、自分で造ったの?」
「はい! 二日掛かりで!」
やはり呆れてしまう。そんなことのために同好会を休んでいたのか、と。俺に言ってくれれば手伝ったのに、と。
顧問に促され、活動の場である調理実習室へと入る俺と赤髪女子。窓の端からは暮れゆく
いよいよ完全に秋が訪れそうだ、俺の心のように。赤髪女子の
赤を待つ日々 @JULIA_JULIA
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