クリスマスの奇跡

よもぎ望

クリスマスの奇跡

 イルミネーションが街を彩るクリスマスイブの夜。どこもかしこも、冬の寒さを覆い隠すような幸せと暖かさに満ちていた。


 けれど、佳奈にとってはただ寒いだけの夜だった。

 つい先程告げられた彼氏からの別れの言葉。突然のことに返す言葉もなく、泣くことすらできないまま独りで帰り道を歩いていた。


 途中、商店街の外れで小さな露店を見つけた。

 赤と緑の布で飾られたテーブルにはアンティークの小物や手作りのアクセサリー、古びた本などが所狭しと並べられている。露店の奥には店主らしき男性が小さなパイプ椅子に座り、行き交う人々を退屈そうに眺めていた。ニット帽にマフラーという、どこにでもいそうな格好。だからこそ、どこか薄暗い不気味な瞳がやけに印象的だった。


 遠目からしばらく露店を眺めていると、不意に店主の男性と目が合った。店主はにこりと微笑み、小さく手招きをする。佳奈は誘われるように露店へと近づくと、店主はまたにこりと微笑んで口を開いた。


「やあお客さん。クリスマスの奇跡はいかが?」

「……奇跡……?」

「そう、奇跡。この子達は今夜だけの特別な品なんだ。君にぴったりのものもきっと見つかるよ」


 店主は楽しそうに並んだ商品たちを紹介する。その仕草と声色に、佳奈は吸い寄せられるようにテーブルの上を見た。どれも古びているが、何か温かさを感じるものばかりだ。

 あれこれ見る中で佳奈の目に留まったのは、手のひらサイズの小さなオルゴールだった。古い木製の箱は落ち着いた色合いだが、繊細な彫刻が全体に施されていてとても美しい。


「綺麗……」

「気に入ったかい?」

「はい。なんだかこれだけキラキラして見えたというか……」

「ならこれが、君にぴったりの品ということだ。クリスマスの奇跡、特別に安くしてあげるよ」


 店主の暖かい声が、寂しく冷えた心に響く。

 喜んでお金を払おうとポケットから財布を取り出す佳奈を、店主は首をゆっくりと振って止める。


「お金は要らない。君にとって大事な何かを少しだけもらえれば、それがお代になる」

「大事な……何か?」

「形があるもの、ないもの、なんでもいい。例えば、記憶とか思い出の品とか……もちろん、君にとってお金が何より大事だと言うならそれでも構わないけれど」


 奇妙なことを言われている、とは思ったが怖くはなかった。何を渡すべきかは不思議と理解出来ていたから。

 佳奈ははぁ、と覚悟を決めるように白い息を吐いて店主の揺れる瞳を真っ直ぐ見つめた。


「……私、恋人がいたんです。今日、別れようって言われっちゃったんですけど。彼と過ごした時間は今でもずっとキラキラしてて、大切で、だからこそ今すごく苦しいんです。彼との思い出がお代になるなら、持っていってください」


 店主は微笑んで頷き、オルゴールを佳奈の前に差し出した。


「ありがとう。十分だ」


 佳奈はオルゴールを受け取り、横に付いていた金色のゼンマイを回す。5回ほど回しそっと蓋を開けると、中から美しい音が流れ出した。それは心の奥底に直接響くような、どこか懐かしい旋律だった。


「メリークリスマス」






 翌朝、佳奈は自室のベッドの上で目を覚ました。コートもマフラーもそのまま、荷物も放り投げて眠っていたようだ。


「……どうやって帰ってきたんだっけ」


 昨日の記憶を辿る中、ふと気づく。思い出せない。昨日の帰り道どころか、会う予定だった彼氏の声も姿も、何もかもが思い出せない。

 スマホを開きメッセージアプリや電話帳を開いてみるが、ズラリと並んだ名前を見てもどれが彼か分からない。アルバムも風景や自撮りばかりで他には友達が数人写っているだけ。部屋にあるカレンダーに書かれた予定もデート、という文字だけ。彼に繋がるものが何一つ残っていなかった。


 ……そもそも、私に彼氏なんか本当に居たのだろうか?ただの妄想?


 思い出せないことが多すぎて、彼氏の存在すら疑わしくなってくる。


「いた、はずなんだけどなあ?」


 頭を抱えたとき、投げ捨てられたバッグのそばに小さな箱を見つけた。手に取ってみると、それは手のひらサイズの小さな木箱だった。

 こんなものあったっけ?と思いながら箱を開けると、中から美しい音が流れ出した。音に思わず聴き入っていたその時、昨日の記憶がぼんやりと蘇ってきた。



『お金は要らない。君にとって大事な何かを少しだけもらえれば、それがお代になる』


『彼との思い出がお代になるなら』



「そういえばこれ、商店街の露店で…………それで……お代に……彼のことを!」


 佳奈は自分が何を支払ったのかをそこでようやく思い出した。


 慌てて家を飛び出し、商店街の露店があった場所へと走る。商店街はクリスマスムードも落ち着き、新年を迎える準備を進めている店もあった。

 息も絶え絶えに昨夜の場所に到着するも、そこには何もない。露店も、店主の姿も、元から何も無かったかのように跡形もなく消え去っていた。


 遠くから、どこか懐かしいオルゴールの音色が聴こえる。けれどその音がぽっかりと空いた記憶の穴を埋めることはない。大切な人がいた。その事実しか、佳奈の心は残っていなかった。

 静かに降り始めた雪が、涙を流す佳奈の頬を優しく撫でた。





 ◇‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌ ◇‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌ ‌‌‌‌ ‌ ◇





 クリスマスの夜、とある町で小さな露店が開かれていた。不気味な瞳の店主は微笑みながら次の客を待っている。


「やあお客さん。クリスマスの奇跡はいかが?」

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