第二話


 白い。

 明るい。

 朝日の輝きの暖かさで目がめた。


「――え?」


 目を開ければ黄金こがねの輝きに包まれた白い肌の――貴公子。

 いつも通りの光景。

 だけど私の口をついて出た言葉は――


「ある――」


 首に手をあて、指を陽にかざす。

 本来あるべきものがあるべき場所にある。そんな当たり前のことに安心を覚えた。


「おはよう。良く寝ていましたね。疲れていたのですか?」

「ええ――そうね疲れていたのかも」

「こんなに冷えてしまって。アンナ!」


 貴公子は私を抱き寄せ、身体の冷たさを確認するなり従僕アンナを呼んだ。実に気の利くいつもなら感謝すらする場面。

 でも今日は違う。どことなく不安にさせる嫌な気配。だがその正体の掴めない気分を下げさせる何かが纏わりつくようだった。

 それは湯あみで身体を温めても同じ。

 従僕がかめを落とすのを防ぎ、それ以外には粗相もなく終えたというのにも関わらず私の気分を害す何かがあった。


「――北方風にしてみたんだ」


 朝食のメイン、デビルドエッグを口に運ぶなり身体が一度大きく震えた。

 初めて食べる料理、何故か馴染みのある色形、鼻から入る香ばしさには懐かしさを感じ、一口入れれば香辛料の刺激は全身を貫き覚醒を促されたからだ。

 その衝撃が朝から続く不安と違和感に形を与えた。


「ひょっとして――口に合わなかったかな? かなり自信があったんだけど」

「えーうめぇようめぇ。スープの失態を帳消しにする出来だぜ」

「失態って酷いいいようじゃないか。味の方は――」

「――従僕アンナっっ!」


 気付けばはしたなく大きな声を上げていた。

 従僕アンナは小さく声を上げて、慌てふためき、今にも口から泡を吹きそうになる。足元がおぼつかないのか。身体をぐらつかせてテーブルにしがみ付く。クロスを引っ張り料理が滑り、グラスはこけてワインをぶちまける。

 慌てすぎ――いや仕方ない。これは仕方ない。

 そう、何故なら私は領主。勘気を被れば自分だけでなく、この地に住む彼女の両親だってただでは済まないのだから。


「ああ、あう。あ、あ、あ、あうああぁぁ。っもも、申し、申し訳ありませんっ!」

「済まないお嬢様。悪いのは俺、この料理が――」

「いえ、大きな声を上げたのは私が悪いわ。別に責めているわけじゃないの。従僕アンナに聞きたいことがあったの。落ち着いて答えて頂戴」

「えっ、あーーああぁ。はぁはぁはっ」

「ほら、息を吸うんだアンナ。ほーら大丈夫だ。イライザは別に怒ってないと」

「はっ、はい――その、どのようなご用命でしょうか」

「私が昨日着たドレスは何だったかしら?」

「ドレス? そんなことで――」

「そんなこと?」

「ああ、いやケチをつけたいわけではないのです。でも一体どうして?」

「良いから、従僕アンナ。貴方なら覚えているでしょう」

「はい、昨日のドレスは――いつも通りグラティアリス家の名で学院に寄付を――」

「それはどんなドレスだったのと聞いています」

「えっああ、えーと、ああそうです。ええとどれだったかな。昨日のはイエローの」

「黄色?! 私が昨日着たのは黄色のドレス?」

「ああ、いや――いえ違う。違います。それは昨日ご実家から届いたドレスでした。お召しになったのは。ああ、そうだ。昨日は来客がないからとナイトドレスで――」

「そう、ああぁ――」


 途中から従僕の声は聞いてなかった。

 遠い日、ここに来た当日のドレスは思い出せる。一年が過ぎた日に皆で祝った時のドレスだって、壁が完成した時のすらも。

 だが”昨日”と”ナイトドレス”がどうしても結びつかない。

 昨日は私の記憶では黄色。あのタフタのドレスが肌を滑る感覚が思い起こされる。


「やはり」


 そう、昨日もそうだった。

 ドレスを着た瞬間に思い出した。昨日の昨日のこと。

 今日を繰り返しているということ。

 恐らく何度も繰り返しているのだろう。

 だとしたら何度も何度も私はアンデッドに――


「イライザ? 顔色が――悪いですよ。大丈夫ですか? ほら座って」

「そうだぜ、姫さん。酷い汗だ」

「落ち着いて。深呼吸をしよっか」

「いえ、ええ、ありがとう。大丈夫よ」

「しかしイライザ。そんな風には」

「――いえ、大丈夫。少し考えさせて」


 問題は時間だ。

 あれが来るのは食事を終えて着付けを済ませて、従僕アンナが厨房に向かって少し経ってからのこと――後どれくらい残っているのか?

 何れにせよ。時間はない。


「――楽師マールク

「はい」

「早馬の準備を」

「――かしこまりました」

「馬?」

「なんで――?」

「イライザ。本当にどうしたというのですか?」


 疑問に思う貴公子プリンスたちを余所に楽師マールクは足早に出ていく。

 実に助かる。こういう時は疑問にすら思わない忠誠にはむしろ頭が下がる。


「何だよ姫さん。あ、何かまた欲しいもんでも思い出したとか?」

「――敵です」

「そんなもんまで欲しがるとは――は、敵ぃぃぃっ?」

「ええ、敵が来ます」

「いやまさか。だってさっきまで俺は外を見回ってたんだぜ?」

「必ず来ます。さっき感知しました」

「それで朝から塞いでいたのですね」

「ええ――」

「っどどどどうすんだよ! ここにゃあ兵士も置いてねぇし!」

「そのための早馬。ですよねイライザ様」


 早くも楽師マールクは戻って来た。既に外套マントまといいつでも出発可能な状態だ。恐らく私が早馬を用意させたというだけで察したのだろう。剣も身に付けてきている。

 かつて私は聖女として貴公子プリンスたちと国中の未来を担うために共に学んでいた。

 数多の貴族の子女の中で特別に選んだ六人。

 その時もマールクは信頼という意味ではもっとも高いものがあった。

 切れる頭、高い理解力、先回り出来る気遣いも。

 音楽の才にも恵まれていた。

 数多の楽器を弾きこなし、中でも笛は格別。旋律に魅了の魔法を掛けてあるとまで言われた才を持っていた。


楽師マールク、私の貴公子プリンス。もっとも頼もしい貴方にこれを預けます」


 右手の人差し指に嵌めた指輪を抜き放つ。

 大陸に二つとない――詩にもなっていると伝えられた母様の家系に代々伝わる宝。炎の宿ったような光が揺らめく赤い石の指輪。


「これを砦の兵に見せなさい。貴方に従います」

「有難く」


 片膝でかしず楽師マールクの差し出された右手。ごつごつとした手の節の主張の激しい小指に嵌める。

 名残惜しそうに滑らせながら手が離れる。


「必ず戻りなさい」

「しばし持ちこたえて下さい。皆も頼むぞ」


 少し私の見立てからは外れる顔だけれど。この有事にも落ち着き払い、この大事にも怯えを見せることもない。頼り甲斐ある自信溢れる表情のまま外に消えた。

 それに引き換え――


「しばしって――俺たちで守れってかぁ?」

「幾ら壁を新調したとはいえ、守りきれるものでは――そうだ私たちも逃げたほうがいいのではないでしょうか?」

「そうだ。そうしよう。ほら馬車があるだろう。お嬢さんと俺らだけなら――」


 この三人の取り乱しようは残念と言わざるを得ない。


「今ここを放棄するわけには行きません。分かっているでしょう」

「そんな――戦えるのはイライザだけでしょう。それにここは守るに向いていない。軍が攻めて来たならばとてもじゃないですが――」

「いえ来るのは軍ではないわ。それじゃあ私は感知出来ないでしょう」

「それじゃあ――あ、魔物か。じゃあそこまで」

「ええ、敵は魔物、それもアンデッドの軍団よ」


 音を出して息を吸い込む貴公子フェレンツ、爪を噛む料理人タマシュ、呆けたように天を仰ぐ騎士ラスロらはもう無視をした。

 今必要なのは対策のための知識。故に――


「なら僕の出番というわけだ」

「ええ、教会育ちの貴方なら詳しいでしょう」

「まあね。ひょっとしたらイストバンのが詳しいかも。狩ったことない?」

「――ない。相手にしない」

「そっか。まあそうか。面倒だしね」

「相手にしない? 普通は生者を襲ってくるものではなくて?」

「んー場合によるんだけど。基本的には生前の欲求に従ってると言われてるね。研究したわけじゃないんだけどさ。僕の経験でも感覚でもそう思う」

「そうなの」

「うん、だからまあ生きる渇望が強いとかで。生者に嫉妬して襲うって感じらしい。ま、アンデッドに話聞いたわけじゃないからね。想像だけど」


 雄弁に語り始めると止まらない。

 考えをまとめるためか、立ち上がって歩き回りながら話す。


「――けどね。軍団ってのは引っかかるね。ここは人里から離れているし、墓地からも大分遠い。かといって大規模な戦闘行為ってのも古の時代まで遡らないとない」

「古いアンデッドということは?」

「アンデッドってさ。生きてないから勘違いされるんだけど。イメージに反して長く生きないんだよ。優先的に浄化するし、野生の魔物に劣る戦闘力だしさ。それに多分

勝手に消えるんだよね」

「消える? 魔力切れのような?」

「それもあるかもね。ただ僕らの間では満足したから天に召されたって思われてる。例えば水を与えたら動かなくなったアンデッドも居たね。それは犬型だったけどさ。多分、乾いて死んでアンデッド化したんだろうね。おっと脱線したね。何はともあれ古いアンデッドってのはまずいない。なら――?」

「誰かが生み出した――裏で糸を引いている者がいるということかしら?」


 満足気に頷く学者ジェルジ。彼の誘導した答えに辿り着いたということだろう。


「じゃあじゃあどうするんだ!」

「さっきも言ったけどアンデッドは単体なら別に強くない。特に元人だったら仮にフェレンツ。君でも剣一本で倒せると思うよ」

「私でも――?」

「よほど腰がひけてなければだけどね」

「じゃあ無理だな」

「うっそんなことはないですよ。ジェルジが勝てると言うならやれる気がします」

「まあそうだろな。それにこっちには姫さんがいるからな! 魔法でバッタバッタと千切っては投げ千切っては投げ――だろ?」


 学者ジェルジは確認するように流し目を送ってきた。

 恐らく彼には分かっている。私の魔法でも倒し切らない量が来ると。だから楽師マールクに援軍を呼びに行かせたのはそういうことと。だからこそ彼はそれを貴公子プリンスたちの前で口にしないのだ。

 これ以上の不安を与えると混乱を招き、それが瓦解の原因になるから。


「そうね。貴公子フェレンツが倒せるなら、私なら相当の数をやれるでしょう」

「おおっ! 流石我らの姫さん! 祈らせてくれ」

「はいはい、それでは防衛の準備を」

「そうだね。君を中心として集まって防衛しよう。各個撃破されるのが一番不味い。何せ新しく戦力を供給してしまうだろうからね」


 防衛案はすんなり決まった。もっとも誰も学者ジェルジと私の話に口を出せる知見を持つ者などいないのだから当たり前だが。


 まずは門扉を閉ざす。

 丁度新しく建設したばかりの外の壁は高く頑丈。それだけでかなり時間は稼げる。

 次に別館の使用人を含めて本館の扉と窓を打ち付け立て籠もる。

 アンデッドは索敵能力に優れない。壁からもっとも遠い本館なら気付かれないことも有り得る。もっとも操っている相手がいるなら話は別だけど。

 それでも突破されたならば大広間での防衛。

 唯一の階段があり、背後を取られない。立地的にも有利であるから最後の時間稼ぎを行いながら援軍を待つ。

 そして最後に――


楽師マールクが戻って来るまで3時間。それだけ、たったそれだけよ。耐えましょう」


 私がこの地を治めて覚えた人心掌握術を使う。

 人は希望がなくては努力を放棄する。

 だが希望を一つ垂らせばたちまちそこに縋り、幾らでも進んでいく。

 そしてそれは私も例外ではない。

 果たして楽師マールクは砦に辿り着けるのか。

 あの数のアンデッドを避けることが出来るのか。

 援軍は本当にアンデッドの軍団を倒すことが出来るのか。

 あれだけのアンデッドを操る術士が居たら? それは歴史に残るレベルだ。

 不安はある。恐怖もある。

 段々と鮮明になっていく記憶。アンデッドに食らいつかれた記憶。

 だけどそれを表にだすことは許されない。

 もはや私は聖女イライザではない。

 伯爵イライザ・グラティアリスとして貴公子たちに檄を飛ばした。


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悪役令嬢 of the Dead 玉部×字 @tama_x

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