聖夜の奇跡は、残酷で……。

戸部 ヒカル

単話完結「聖夜の奇跡は、残酷で……」

『今夜はクリスマスイブ。なんと今年はホワイトクリスマスになりそうですよ』


 テレビのモニターに映るお天気お姉さんは、カップルで賑わいを見せるイルミネーションを背景に、そう言った。

 智は、目の奥が熱くなるのを感じて、チャンネルを変える。

 しかしどこを見ても、同じようなニュースしかない。


「はぁ……。ホワイトクリスマスだから、なに? ただ寒いだけじゃん」


 嫉妬の呟きは六畳一間のワンルームに消えていく。

 いつもならうるさいアパートの隣人も今日は心なしか静かだった。


「そもそも、クリスマスってなんなんだよ。日本人には関係ねーだろ!」


 一人でキレても誰も返してはくれない。

 グッと拳を握って、ため息を吐いた。


「あ……」


 手のひらには、グチャっと歪むイルミネーションのパンフレット。

 本当なら、今夜プロポーズする予定だった。昨日の一件がなければ……。


『ごめん、他に好きな人ができたの……』


 それが彼女の最後に吐いた言葉だった。

 智の頭は真っ白になる。まるで雪のように。


『……え? ま、待って』


 言ったところで、彼女は振り向かない。

 肩まで伸びたベージュの髪を靡かせてその場を去っていく。

 その背中を見つめながら、思い浮かんだのは、彼女と過ごした高校二年からの五年間だ。

 智は社会人、彼女は大学生。

 最近は仕事にも少しずつ慣れてきて、彼女を蔑ろにしていたかもしれない。そう思い至る。

 しかし、どうしようもなかった、と。

 思い込もうとしても、ポッカリ空いた心の穴が塞がることはない。


 その後、三十分の道のりを、四時間かけて帰宅した。


 朝目が覚めても、現実は変わらず、テレビの前で半日が過ぎている。

 目まぐるしく変わる画面に、ぼんやりと視線を向けながら今に至った。


 ◇・◇・◇


 気がつけば、智は渋谷の改札を抜けていた。

 向かう先は都内有数のイルミネーションスポット〈青の洞穴〉。

 渋谷公園通りは、大勢のカップルで空気がほのかに赤く見える。


「なんで、一人でこんなとこ……」


 呟く声は白い息と共に夜空に消えていく。

 天気予報で雪が囁かれていたせいか、いっそう寒く感じる。

 ゆっくりと足を進める智を、追い越すカップルたちを眺めて、疑問を抱く。


「寒くないのか……?」


 腕を組んで歩くカップル。肩が触れそうな距離で歩く男女の学生。ベンチで見せつけるように抱き合う淫らなヤツら。

 どれも鼻や耳を真っ赤にしながらも、笑顔で進んでいく。

 その光景を見て、今までのクリスマスを振り返った。

 イルミネーションに目を輝かせて、智に言う。


『綺麗だね、本当に……!』


 優しく穏やか。それでいて実感のこもった声。

 白い息を吐いて、冷たい指先は、智の手を包んでいた。


『こうすれば寒くないよね』


 言って彼女は、彼の手を握ったまま、コートのポケットに突っ込む。

 そして少し照れて笑う彼女に、智も笑顔でコクリと返す。

 イルミネーションを見終わると、智の家で、予約していたクリスマスバーレルに手を伸ばした。

 優しく包み込むように笑う彼女の笑顔と、甘さ控えめなチョコレートケーキの味が鮮明に蘇ってくる。


 瞳を潤ませて、智は、青い電飾が街を包むイルミネーションの前に立った。

 青い光、煌びやかなBGM、周りの雰囲気も相まって、現実ではないどこかにいるような気持ちになる。

 ツーショットを撮るカップルたちを尻目に、真っ直ぐに電飾のケヤキ並木を通り過ぎた。

 気が晴れるものでもない。むしろ、喪失感が際立って、余計に気が滅入る。


「本当に、なんできたんだろ……」


 そう呟いた時だった。

 周りを覆っていた青い光が、暗転する。

 次に煌びやかなBGMが、消えた。


 智は、手にしたパンフレットに目を向ける。

 しかしそんなイベントが予定されている記載はどこにもなかった。

 周りにいたカップルたちが声をあげ始める。


「何これ、怖い」

「停電? どうしよ」


 怖がるパートナーを安心させるように、男の声も聞こえてきた。


「大丈夫だよ」

「一緒にいるから、ほら」


 智はグッと歯を噛み締める。

 愛の力は、原因不明のトラブルさえも、雰囲気を高める舞台装置に変えてしまうらしい。

 パンフレットの正面にデカデカと映る巨木のイルミネーションツリー。

 どうやら有名なデザイナーが手掛けたという“それ”に、火がついた。

 電気が弾ける音と共に、火花が散る。

 暗闇に慣れ始めた頃、突如起こった発光に、思わず目を覆った。


 そして、目を開けると、一人の少女がいた。


 少女は、雪のような白い髪と肌に、赤い民族衣装を纏う。背中には大きな袋をぶら下げて、「ほっほっほ」と笑っていた。

 例のおじさんを想起させる装いに、智は目を丸くする。


「お兄さん、一人かな。おっほっほ」


 少女は語尾に特有の笑い方を付け加えた喋りをした。

 イルミネーションにわざわざ一人でくる男は、なかなかいない。少女が指し示すお兄さんが自分であることは、すぐに察しがついた。


「はい、そうです」

「哀れ也……おっほっほ」

「すみませんね、哀れで」


 少しの問答をして、気がつく。

 少女を見ているのは、智だけなのだ。他のカップルには、その姿は写っていない。

 あいも変わらず、トラブルを舞台装置として利用し続けていた。

 智は、周りに憚りながら、小声で尋ねる。


「……君はサンタさんでいいのかな?」


 すると、少女は背中にぶら下げていた大袋を自分の正面に持ち出す。

 巾着のような袋の口を開けて、手を突っ込み、あれやこれやと弄った。


「まあ、そうだけど。お兄さんはもう子供じゃないでしょ? ホウホウホウ」


 このサンタは笑い方に統一性が見られない。

 ほっほっほと言ってみたり、おっほっほと言ってみたり、終いにはホウホウホウと本家さながらに笑って見せる。


「あ、あった!」


 無邪気に笑い掛ける少女。

 頬を赤く染めて、にっこりと笑うと、ハッとした顔をした。


「……ほっほっほ」


 言い忘れたようだった。

 そんな少女が手に持っているのは、何かのスイッチ。

 小さい箱型に、丸く赤いボタンが付いている、いかにも爆発します、というものだった。


「今日はホワイトクリスマスは中止です。おっほっほ」

「え……?」


 智の口から素っ頓狂な声が漏れる。

 少女はお構いなしに、スイッチを押した。


ドカン──!


 背後に悲鳴が聞こえて振り返る。

 ベンチで人目も気にせずにイチャついていたカップルの女が、泣き喚いていた。

 よく見ると、彼氏の腕が吹き飛ばされて、その場には血溜まりができている。


「何してんの?」


 智が言うと、少女は答える。


「ブラッククリスマス。闇夜の始まり、おっほっほ」


 先ほどの爆発を皮切りに至る所で、悲鳴が聞こえた。

 少女の言葉通り、全ての照明が暗転する。


「おい、何やってんだよ!」


 人目を気にしている場合ではなかった。

 智は大声で少女に詰め寄る。


 爆発によって、一瞬照らされる少女を追いかけて、イルミネーションツリーの根元へ。


 そして手を掴む。

 スイッチを握りしめた右手を。


 少女は氷のように冷たい。

 いや、氷なのか?

 サンタ帽子を被せられた少女の氷像の手を掴んでいた。


「……え?」


 周りを見渡すと、異常はなかったように、カップルがイチャつく。

 白い雪が静かに降り始めて、智の周りでは男女が夜空を仰いでいた。


「夢、か?」


 先ほどまでのことが夢幻とは思えない。

 感触も、交わした言葉も、肌に感じる冷たい痛みも、本物だった。

 嫉妬心から生まれた幻覚に拐かされただけ。

 智はそう結論づけて、青の洞穴を後にした。


 背中を向けたイルミネーションツリーの根元に、小さな箱形が降る雪で姿を覆う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖夜の奇跡は、残酷で……。 戸部 ヒカル @To_be_Arina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画