聖女ルナ様の教育係

鳥羽フシミ

聖女ルナ様の教育係

神話の時代。南都ナンバークから船で様々な物資を王都へと運びいれた大規模な港町。


ここはクランズハーゲン。


しかし海運の廃れてしまった今となっては、この港もかつての賑やかだった大商業港の面影は無い。その港町は……無駄に大きな岬の灯台と初夏のマス漁だけが有名な、なんの変哲も無い小さな港町である。


そんな港町で、一人の少女の噂が広がったのはもう五年以上も前のこと。


それは、岬の灯台に一人の孤児が住み着いた事から始まった。その孤児は名前をルナと言う。恐らくは近隣の村か集落からこの町へと流れ着いたのであろう。だが、彼女はその経緯を一切語らなかった。


しかし、想像は出来る。


この地方の漁は大抵が家族単位で行われ、多くの場合は夫婦揃って海へと出る。その為、一度事故が起こると両親が海から帰ってこないまま丘に子供だけが取り残されることも多かった。普通なら親戚や近所の大人達が親の代わりに面倒を見てくれるのだが、不幸なことにこの少女には周りに頼れる大人がいなかったのだろう。


つまるところ、この地方では孤児など、さほど珍しい存在ではない。孤児院などという慈善施設も有るにはあるが、ルナのように孤児が空き家や公共の施設などに住み着いてしまった場合には、周りの大人が出来る範囲で食料や衣類をその孤児に提供して、町や村ぐるみでその孤児を育てて行く。それがごく普通の事であった。


赤い縮れた髪に、大きな黒い瞳。それはこの地方ではありふれた容姿。孤児であった彼女も、最初から何かが変わっていたわけでは無い。

 

灯台守の男は、ルナの事を孫のように可愛がっていたし、彼女も同年代の子供達と直ぐに打ち解けて、毎日のように野原を駆け回って遊んでいた。そして何よりルナには天性の愛嬌があった。だから彼女は町の誰からも声をかけられたし、その生活で何かに困るということは一切無かった。


少しお転婆で愛嬌のある少女。それが大人達の彼女に対する一般的な評価であった。


しかし、その評価は少しずつ変わって行く。その変化は、まず子供達からであった。




ある日の朝、ルナとよく遊んでいた漁師の息子エバンが、可愛がっていた猫を事故で亡くしてしまった。母親は息子がさぞかし落ち込んでいるものと思い言葉を尽くして慰めたが、思いのほかエバンはケロッとしている。そんなエバンを不審に思った母親だったが、その日は朝から夫と共に漁に出なくてはならず、取り敢えずエバンと猫を埋葬する約束だけをして家を出て行った。


そこまでなら、なんの変哲も無い家庭でのよくある話であったのだが……。


母親が少し漁の時間を早めに切り上げて家に帰ってみれば、なんと驚いたことに家の中では死んだはずの猫と楽しげにじゃれ合う息子の姿があったのだ。


慌てた母親が、エバンに事の次第を尋ねると、息子は「生き返った」としか言わない。エバンの両親は唖然として顔を見合わせた。しかしそんな体験をしながらも、彼らはごく普通の漁師である。不思議な事もあるものだと、その奇跡を知人に話しはしたが、その原因を突き止めようなどは思ってもみなかった。


ましてや、その時知人にした話が後の聖女ルナの誕生に繋がるとは、これっぽっちも思ってはみなかったのである。


こんな田舎の町に何か特別な出来事が起こったとしても、それはこの町だけでの話。そう簡単に町の外には広がらない。ましてや猫が生き返ったなどと、勘違いの一言で片付けられそうな噂話ならなおさらである。


しかし、今回はそうではなかった。その日以降、生き返った猫の話をきっかけにしてこの町では別の似たような話がちらほらと囁かれる様になって行く。例えば、それは蝶であり、鳥であり、はたまた家畜の羊であった。


だが、この時点ではそれはただの噂。いわば都市伝説的な根も葉も無い造り話。


始まりはこの町の大人達もそう解釈していたのだ。



◆◇◆◇◆



その老僧の名をヨランダと言った。聖教会の中でも抜きん出て学識が高く、若くしてエリートコースを歩んでいた彼女が王都の神殿からこのクランズハーゲンの教会に赴任してからもう三十年以上の歳月が流れていた。当初はクランズハーゲンの名前に歴史ある高貴な都市を想像して、理想に胸をときめかせていた彼女であったが、いざ足を運んでみれば何と言うことはない。たかが小さな港町である。


ヨランダはその寂れた風景を見た時、初めて自分が同僚に騙されていた事を悟った。


それは彼女が後になってから聞かされた話し。ヨランダはその性別が『女』と言うたったそれだけの理由で同僚達から疎まれていたというのである。


 

人口三百にも満たない港町クランズハーゲン。そこで暮らす住民は、日々の生活を淡々とこなすだけの善良なる人々。常日頃から海と言う荒ぶる存在を相手にしているだけあって、神への信仰も厚い。しかしそれだけである。

 

この町にいる限り、自分が再び王都の神殿に戻ることは出来無いだろう。若かりしヨランダが見た出世の夢は、この鄙びた港町を終点に、永遠に潰えてしまったのだ。


しかしながらこの土地に暮らして三十年。今ではそれも悪くは無かったと思える様になった。――お人好しで純木な人々に囲まれて死んでいくのも悪くは無い。そう思える程に、彼女は歳を重ねてしまっていたのだ。




だが、そんなある日のこと、教会を訪れた年寄りから聞いたちょっとした噂話が、ヨランダの胸の内を掻きむしる事となる。


死んだはずの猫が生き返っていた。普段のヨランダならば、そんな嘘の様な噂話などまともに取り合うことも無かっただろう。しかし、彼女はその少し前に町の子供からちょっとした噂話を耳にしていた。


それは毎月、満月と新月の日の午前中に行われる、教会に子供達を集めて行う勉強会での出来事。いつもの様に聖典を子供達にもわかりやすい物語形式で伝えて行く、教会ならば当たり前に執り行われる言わば伝導活動。


その際に一人の子供がおかしな質問をした。


「先生。人の命は虫や動物のように交換出来るのですか?」


その瞬間、子供達が一斉にざわついたのをヨランダは覚えている。『命の交換』などと、その様な恐ろしい言葉を彼女が聞いたのはこの時が初めてであった。宝玉を用いた『蘇生の法』ならば、彼女はもちろん知っている。聖教会のみに認められた秘法中の秘法である。しかしそれをこんな片田舎の子供が知っているはずもない。


それに気になるのは、その子供が『蘇生』とは異なる聞き慣れない『命の交換』という言葉を使っていことである。しかも虫や動物の様になどとはいかなることか――


「その様なことは出来るはずがありません。いったいどなたがその様ないい加減なことを言っているですか?」


その時は、思わず声を荒らげてしまい図らずしも子供達を怖がらせてしまった。しかし、後に子供達から聞いた話によると、今子供達の間で虫や動物を生き返らせる『命の交換』という遊びが流行っているのだと言う。


ただ、その時はヨランダもまともには取り合うことは無かった。それは幼少期特有の悪趣味な肝試しや怪談話の様なオカルト的好奇心にほかならない。彼女はそう決めつけてまったく相手にしなかったのである。



しかし、ここに来て常識のある大人達がそれを噂し出している。


この時ヨランダの脳裏に、とうの昔に捨て去ったと思っていた一つの欲望がムクムクと頭をもたげる。もし『命の交換』などという事が実際に起こりうるならば、それは今まで誰も知ることの無かった『新たなる神の奇跡』ではないか。


――もし自分が、その奇跡を王都に持ち帰る事が叶うならば……。



そして、ある日のこと……。ヨランダはついに『新たなる神の奇跡』の正体を突き止めることとなる。


それはなんとも恐ろしく、そして美しい光景であった。


清々しい初夏の風が吹き抜ける灯台の下、無邪気に一人で遊ぶ幼き少女。彼女は小さな鳥の雛の死骸を手に取り、その足下には何処で捕まえたのか、籠の中にカエルが一匹とじこめられている。


そこには大袈裟な祭壇も、形式化された神に対する契約の言葉も無い。ただ小さな祈りだけがそこにはあった。


やがて少女は小さな笑顔と共に立ち上がると、頭上に鳥の雛をかざす。すると、美しい鳴き声と共に雛が不器用に少女の手の平から飛び立った。


足下の籠の中でしきりにうごめいていたカエルは、今はもうぐったりとした姿で、ピクリとも動く事なくただ静かに横たわっている。だが少女はそれに見向き一つすることはなかった。


それは直感ではあったが、危うい生と死の関係がそこに存在していることが、ヨランダには理解出来た。


しかし、そんな事実よりも。


ヨランダはひたすら無邪気に、そしてひたすら楽しげに、空を舞う雛鳥を見つめる少女の姿に、ただただ見惚れてしまっていた。



◆◇◆◇◆



奪ったカエルの命を鳥の雛に分け与えた少女の姿。


それはまさに奇跡に遭遇した瞬間だった。


ヨランダの全身は感激とも畏怖ともつかぬ、言葉にできない感覚に支配されて、少女の姿に見惚れながらもその体は金縛りにでもあったかのように硬直していた。


そしてヨランダがふと我に返った時。


彼女に気がついていなかったはずの少女が灯台の傍らで不思議そうにヨランダの姿を見つめていた。そして、その少女はヨランダが自分に気がついたことを悟ると、ニコリと人懐っこい笑顔を作って見せた。


「灯台の裏にツバメが巣を作ってたの……」


唐突に、なんの前触れもなく少女は話し始めた。


あらかじめ人懐っこい娘だとは聞いていた。だがこうして対面してみれば独特の雰囲気を纏った不思議な少女である。


少女の言葉で放心状態からようやく気を取り直したヨランダは、一呼吸おくと、「聞いていますよ」という合図の代わりに、あえて落ち着いた素振りで少女の言葉を繰り返してみせた。


「ツバメの巣ですか?」


「うん。私はツバメが巣を作る時からずっと見ていたの。雛鳥が卵から孵って、来る日も来る日も親鳥が一生懸命に餌を運んでたのよ」


一見突拍子もない少女の話に、ヨランダはただ黙って少女の言葉に耳を傾ける。


「でもね。今は一羽もいないよ。いつの間にか皆んな巣立って何処かに飛んでいってしまったみたい」


教会の軒下にもツバメが一つ巣を作っていたのをヨランダは思い出す。だが言われて見れば今朝は雛鳥の姿を見てはいない。


いつものヨランダなら、少女の話題に合わせてこの話しをしただろう。しかし、ヨランダは少女の言葉が横道に反れるのを恐れた。


子供の気は変わりやすいもの。


ヨランダは今目の当たりにした不思議な光景について、なんとか少女の気が他に移る前に聞き出したかったのだ。


「さきほど、あなたの手から飛んで行った鳥もツバメのように見えましたが?」


話を急いでしまったのは、真実を早く知りたかったからだ。ヨランダにとってのそれは、彼女が本当に死んだツバメを生き返らせたのか否かである。


「うん。あれが最後の一羽。今朝、巣の様子を見に行ったら、あの子だけが巣の下に落ちて死んでいたの。だから、私が生き返らせてあげた」


それがさぞ普通のことでもあるかのように少女は言った。そして、少女がいとも簡単に自らの奇跡を認めたことにヨランダは驚いていた。


ならば――その代償についてヨランダはもう一つの質問を少女に投げかける。


「なるほど。ではお聞きしますが、足下のカエルはもう死んでいるのですか?」


それは思い切った言葉だった。生か死か――ヨランダはそれを単刀直入に聞いた。


しかし、少女からは返ってきた言葉は意外なものだった。


「死んでないよ」


「おかしいですね。先程あなたがしていたのが命の交換と言う儀式では無いのですか?」


「だって……。カエルはさっきツバメになって飛んで行ったじゃない。だから交換って言うんでしょ」


「………」


唖然とした。


一瞬。ヨランダは少女の言葉の意味が理解出来なかった。しかしその意味を理解した時、ヨランダの全身に一瞬して鳥肌が立った。


彼女にとってはそれほどにこの少女の思考は異質だったのだ。


そして彼女は確信する。「この娘は異端である」と。


この娘の持つ生死観はどう考えても常軌を逸している。カエルがツバメになって空を飛ぶなどと、この世界の誰が思い至るだろうか。どこをどう考えてもカエルはカエル。ツバメはツバメでしか無い。それこそがこの世界を構築する根幹の思考であるはずなのだ。


しかし――


ヨランダは知っている。


彼女の思考がこの世界で異端とならない方法が、たった一つだけ存在するということを。そしてその方法には自分の存在が不可欠であるということも。



少女は、疑うという事の意味すらまだ知らず、ただ無邪気に話を続けるだけである。


「でもね。友達の中にはカエルが可哀想って言う子もいるのよ。でも私はそうは思わない。だって、カエルはずっとピョンピョン跳ねて空を飛びたがっていたから――だから私がツバメさんの身体をあげたの」


その生死感は常軌を逸している――ヨランダは再び全身に鳥肌が立つのを感じた。しかしそれと同時に彼女の言葉をもっと聞きたいと思った。


「なるほど。確かに可哀想と言う子もいるかもしれませんね。でも私はあなたの方が正しいと思いますよ」


「もしかして教会の先生?」


「はいそうですよ。あなたはルナさん?」


「そう。先生はなんでこんな所に来たの?今まで一回も来たこと無いのに」


「あなたがとても素敵な事をしていると聞いてね」


「怒りに来たのかと思った」


「まさか。だって今あなたは良い行いをされたじゃないですか。カエルもツバメの雛もさぞ喜んでいることでしょう」



自らが与えた死に対して無頓着なルナ。彼女は恐らく命の尊さを理解していない。だからこそ、なんの嫌悪感もなく命を移し替えることが出来るのだ。もちろんそこには、聖邪という聖典の根本となる思想など宿ってはいないだろう。


ならば……どうして心を引かれたのだろうか。


見惚れてしまったのは、恐らく彼女が無知であったからに違いない。いや無知どころか彼女は『無垢』なのだ。それは人が産まれて間もない赤ん坊に尊さを感じるのと同じ。自分はこのルナと言う少女に空っぽの美しさを感じたのだ。


しかし、それでは、この身に泡立つ鳥肌の意味はいったい何なのだろうか……。


もちろん、ヨランダは分かっている。


これは嫌悪などではない。むしろ歓喜なのだ――


この奇跡の少女は、生を知らず死を知らず。まるで幼子が目の前の積み木を組み替える様に、生と死をもてあそんでいる。そう。この娘には何も無いのだ。自らの奇跡を行使する意味さえも持ってはいない。


だったらその意味を自分が与えてやれば良い――


「彼女と、この奇跡さえあれば……今度こそ王都の神殿で……」


ヨランダは、初めてこの町の姿を目にした時の絶望を思い出していた。もう二度と王都に戻れないと覚悟したあの日から三十年以上の月日が流れている。


それはヨランダの復讐であったのだろうか、それとも純粋な夢であったのだろうか。


そして、ヨランダは最後の質問を少女にした。


「ところであなた、もう人では試したのですか?」


「それはまだやってない。だって代わりに死んでいい人なんていないでしょ」


「なるほどそうかもしれませんね。でも本当の所はどうでしょうか。難しい問題ですね」


「そうなの?私に分からないから。多分これからも人にはやらないわ」


「でも助けて差し上げなければならない人は必ずいますよ。ルナさん。あなたが絶対に助けたいって思う人は誰です?」


「私なら灯台のおじいちゃんかなぁ……」


「ならば、その時は必ず助けて差し上げなさい。ルナさんにとってそれはとても良い行いだと思いますよ」




それから半年の後、ルナは初めて公衆の面前で『死んだ人間を生き返らせる』と言う奇跡を行使することになる。


ただ――


その奇跡に一つだけ不可解な点があったとすれば、彼女によって最初に救われたのが、彼女が絶対に助けたいと言っていた灯台守の男だったということであろうか。


当然、その奇跡にはなんらかのお膳立てがあったのは明白である。何故なら、彼女の奇跡には漏れること無く同等なる対価……いわゆる生贄が必要だからだ。




 そして……。


 一躍、時の人となったルナは、その後あれよという間に王都の神殿へと迎えられる事となる。もちろん、その傍らには常にヨランダの姿があったのは言うまでもない。

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