第6話 完結
それから、上がったり下がったりを繰り返していたけれど、3年かけてやっと目標を達成できるようになってきた。
Raise(レイズ)に、新しい仲間も加わった。
俺が遊びで書いていた
“老眼おじさんの起業日記”が面白いという単純な理由で、25歳のエンジニア。
飛び込み先で門前払いを食らった企業にいた30歳の営業マン。俺の仕事に興味を持ってくれて、「一緒にやりたい」と言ってきた。
その男性2名が今のメンバーだ。
守るべきものができると、心も強くなる。
2人のおかげで、一気に会社は成長していった。
島根県からも、企業再生コンサルタントを行うベンチャー企業として取り上げてもらい、会社として拍が付いた。
今では事務所も持ち、経営も軌道に乗ったと言える。
利益ばかりを追求して手広くやってしまうと、今の人数ではどうしても質が落ちてしまう。だから急成長は望まずに、良い出会いがあったら人を増やしてみんなで大きくしていこうと思っている。
会社が落ち着いたら、かねてからやりたかったことがある。
小説家の発掘。
今の時代、活字離れも進んでいるから利益は薄いかもしれない。でも、ユキと話していた夢を現実にしたいなという思いがあった。
自社で新しい仕組みのプラットフォームを立ち上げるため、休みの日に自宅でゆっくりと新事業の計画を練る。
コーヒーを入れるたび、ずっと食器棚にしまってあるユキと色違いで買った対のカップに目をとめていた。そのたびに使われていないカップに寂しさを感じてしまう。
いっそ、二つ並べて花瓶にしてしまおう。
それから、毎週日曜日に花屋に行くのが日課になった。
「奥様へのプレゼントなんですか?」
顔馴染みの店員が声をかけてきた。
すぐに浮かぶのはユキのこと。
「はい」
笑顔で短く応える。
「奥様、お花好きなんですね。これ、プレゼントさせてください。これからも、ご贔屓に」
そう言って、レインボーローズをプレゼントしてくれた。
たまにしか入荷されないらしく、売り場に出す前のつぼみを一本いただいた。
「ありがとう。2人でしっかり咲かせますね」
嬉しい申し出に、あの場だけは夫婦を装いたかった。
花を持ったまま、隣の本屋にいく。
あてもなく本屋に行くことが好きだった。
最近は、雑貨も増えてきているが、それもまた活気があって良い。
本屋は、常に新しい何かに巡り会える。
平台は、一定の期間で様変わりする。
装丁を眺めているだけで、美術館のようだ。
新作が並ぶ平台から、脇にある本棚の下の平積みへ…。
“愛を伝えたい君へ” 雨宮 雪
本のタイトルと著者名に、周りの音が一瞬で聞こえなくなる。
ユキなのか?
震える手で本をとる。
最初の走り書き……
“こんなに優しい愛を私は初めて知りました。
Tへ。あなたが気付いてくれたなら”
久しぶりに、あの感覚が蘇る。
ユキがいる
入り口の方へ目をやると、ユキが俺を見てにっこりと笑っていた。
「見つけた」
あっという間に、当時の気持ちが蘇る。余りにも突然の事で現実なのか夢なのかの判断がつかない。俺は、ただユキを見つめていた。
「会いたくて、本を書いていた」
そう言って、手に持っていた本を指差した。
「きゃーーー!雪ちゃん、もしかして…ウソ!こんな奇跡ってあるの?」
入口の方で、俺たちより驚く女の子。
「そう。ふーちゃんありがとう」
「ユキ…」
「あんなにあったかい時間の後に、わけがわからないまま、居なくなって…」
言葉をさえぎって、俺は、ユキを優しく抱きしめた。
泣かないようにするなんてできなかった。
「もうどこにも行かないで」ユキが、俺の耳元で囁く。
「ずっと一緒だよ。もうどこにも行かない」
あの時の、絶望的な嫉妬心や悲しみなんてもうどこにもない。
ふーちゃんと呼ばれていた女の子が、うんうんと首を縦に振りながら、叫び声をあげないように、口に手をあてて一緒に泣いている。俺が少し会釈をすると、大きくお辞儀をして外に出てしまった。
ユキが、俺の手をとってふーちゃんのところへ
「ちょっと待って!これだけ買ってくる!」
ユキの本を2冊持ってレジへ向かった。
1冊は飾って置きたくて。
「買わなくてもいっぱいあるのに」
「買いたいんだよ」
50年生きてきた中のたった1日。
その1日の中でお互い今の未来を語り、それを実現させていた。
俺もユキも、あの1日を信じて今ここにいる。
“心から信じていたから”なんて言う、生やさしいものじゃない。
何度も諦めようと思ったし、忘れられないことを執着なのかと疑ったり、どうせもう終わったんだと落ち込んだり、悪いところを思い出してはあんな奴って思ってみたり…。
それを振り切るように、結果がわからないことを続ける他にできることがなかっただけ。
ユキを思い出さないようにしていたけど、思い出さない日は1日もなかった。
外に出たら、ふーちゃんがユキに抱きついて泣いていた。ユキは、優しくふーちゃんの頭を撫でている。
「こんな奇跡って、こんな奇跡って!早くみんなに伝えたいのに、指が震えちゃって」
ふーちゃんが感動してる。
事情を知らない俺でも、俺たちの再会を喜んでいるんだとわかる。
「ふーちゃんが、言ってくれたの。始まりは、日本一の縁結びの聖地、出雲大社がある島根県からだって」
少し首を傾げていると
「そうだよね。ここまでのストーリーがわからないよね。後でゆっくり話すね。タカヤが言っていた通りだった。私、新しい仲間がたくさんできたんだよ」
ほっとする声だ。
「ふーちゃんが落ち着いたら、事務所に案内するよ。俺の仲間にも紹介したいからさ」
「部長が、私の名前を!きゃー!」
部長?
ユキが、大声で笑った。
「名前知らないからさ(笑)初めてなのに、馴れ馴れしく“ふーちゃん”なんて、ごめんね」
「全然です全然です!ふーちゃんでいいんです」
大きく深呼吸して、やっと興奮が落ち着いたようだ。併設されているスタバでコーヒーを買って、公園のベンチに腰をおろす。
「はい、ふーちゃん」甘いラテを府ーちゃんに渡す。
「想像通り…!あ、ありがとうございます!」
まだ目を潤ませてる。
「ありがとう」
ユキには、ブラック。今まで一緒にいたかのように、一瞬で、あの時に戻った感じだ。
「ゆきちゃん!この時のためのあれ!使いますよ?!」
「うん。これから、ビデオ通話が始まるけどいい?」ユキは、照れくさそうに笑っている。
「いいよ?」
ふーちゃんがiPadを出して、俺たちに向けてくれた。
画面の中には、男性と女性の姿があった。2人とも同じ笑顔で、こっちをみている。そこに見慣れた姿が…
「二階堂?!」
「探しましたよ部長。あの去り方はないっすわ」
ユキと同じ営業一課の新卒メンバー。
ユキに「彼女と仲直りできましたー」って言っていた、天真爛漫な奴だった。
「ここまで3年ですか。俺は今チームリーダーになりましたよ。あれから雨宮さん、凄かったんですから」
何でこんなことになっているのかわからなかったが、そんなのを飛び越えて、ユキの力になっくれた人達なんだなと嬉しくなる。
「はじめまして。奇跡を目の当たりにして…本当に嬉しいです」
ウルウルとした目の高齢の女性。
「彼女は、さとこさん。本の装丁をしてくれた人なの」
綺麗なブルーの神秘的な表紙に、どこか切なさもあるデザインだった。
「素敵なデザインで、1番に目にとまりましたよ。ありがとうございます」
さとこさんも、ふーちゃんと同じくキャーキャーと興奮している。
「みんなが、ユキの支えになってくれたんだね。こうして、俺たちが出会えたのもあなた達がいたからだ。本当に嬉しいよ。ありがとう」
深々とみんなに頭を下げた。
「部長。俺たちは、雨宮さんの熱意があったから仲間として集まれたんです。もう、雨宮さんが…」
「二階堂くん。後で私から話すから。恥ずかしいからやめて(笑)」
俺たちが目を合わせるだけで、みんなキャーキャー言っていた。
「俺の仲間も紹介したい。夕方にでも、また繋がれるかな?」
「もちろん!」
みんなが一斉に笑った。
「俺、酒とつまみ用意してこよーっと」
「私もー!」
と、さとこさんも同意していた。
18時に俺の事務所で再会することになり、その時は解散した。俺の会社のメンバーに、理由を説明して事務所で待機してもらう。
ふーちゃんは、2人の時間を!といって、制止を振り切り、走って行ってしまった。
「いいのにな。1人にさせるなんて…申し訳ないよ」
「せっかくだから、喜んでふーちゃんの気持ちを受けとろうよ」
そう言って、ユキが俺の手を引いてそのまま公園のベンチに腰を下ろす。
話したいことが山のようにある。どれから話せばいいのか、お互いわからずに、ただ無言の時間に佇んでいた。
やっぱり落ち着くな。
コーヒーを片手に、久しぶりに感じる二人だけの空気を味わう。
「タカヤが居なくなって、初めて優しい愛に気がついたんだ」
優しい声に癒される。あの時の、絶望的な嫉妬心や悲しみなんてもうどこにもない。
「シンジとの未来を置いてきたつもりだったのに」
俺はそこから逃げただけ。祝福する度量もない弱い男だから。
「タカヤがいつもいたから、大きな愛に気が付かなかった。私は、私を信じていなかっただけなの。タカヤが言ってくれた“ 自分の感覚を信じて。自分をいじめちゃだめだよ”って言葉。この意味が最初はわからなかったけど、いなくなって初めて心からわかった」
「タカヤを探してた。狂うほど探した。でも、携帯も解約されてるし、手がかりが全くなくて。だったら、私が有名になれば見つけてくれると思ったの。最後に、お互いの夢を語りあったでしょう?それをカタチにしようって決めたんだ。タカヤに届くようにって。その思いだけだった」
「たくさん書いたよ。これなら!って思った小説も、全然読んでくれない。どこがダメなのかもわからない。何やってるんだろうって思う時もあった。素人の、それもそろそろ50歳になる独身女の小説なんて誰も興味ないじゃんって。すがるような藁もない。手を伸ばしてもどこにも届かない。心が折れまくるほど誰にも響かなくて」
「でも、タカヤが浮かぶの。信じれば叶うなんて甘いものじゃなかった。でも、諦めようと思っても諦められなくて。他の人を好きになったタカヤでもいい。もう一度会いたいって…。それは、ただの執着だったのかもしれないけど…結局は、その執着が原動力になっていたと思う」
「“やりたいことを表現した先に、自分に合う人が必ずいる”って言ったの覚えてる?そうやって、ふーちゃんと二階堂くんとさとこさんに巡り合ったの。みんな、私の思いをサポートしてくれて、自費出版しようって決意できた。夢だった本を出版できたの。1人じゃ怖くて決断できなかったから…」
「二階堂くんは、私がタカヤに会いたいから書いてる!って思い切って告白したら、広告を打ったり、SNSと連動してファンを増やしたりとかしてくれて。さとこさんと引き寄せてくれたのも二階堂くんだった。私が苦手なことを、スイスイとやっちゃうんだよ。彼は根っからの営業マンだね(笑)」
「ふーちゃんは、今大学院生。あの小説を書いてwebに上げてる時からのファンだったの。持ち前の明るさと自由が利くからって、私に変わって書店にPRしてくれてる」
「さとこさんは、私の小説を気に入ってくれて…。趣味で描いている絵が役に立てばって、無償で提供してくれたんだ。私たちが一緒になれるようにって祈りも込めて。とっても優しくていつも癒されてる人なの」
「私も、半ば諦めてた。連絡もとれなくて、どこにいるかもわからない人に会えるはずない、そんな奇跡みたいなことあるわけないって。でも、ふーちゃんだけは、明るく元気に私たちを引っ張っていってくれて、今ここにいるの」
ニコッと笑うユキ。みんなの支えだけしか褒めないけれど、こんな俺と会うために頑張っていたのはユキだろう?ユキが引き寄せた奇跡だろう?
どこまでも謙虚で、自分は二の次なんだな。それを自己肯定感が低いと表現するのだろうか?
そんなユキだから、誰も放っておけないんだよ。
自分が一番気が付かないかもしれないけど、誰もが生きてるだけで、誰かの何かの力になっている。
そんなたくさんの力に助けられて、俺もこうしてユキと会えたんだ。
半世紀、愛を知らないで生きていた。ユキと出会う前は、憎悪や執着や醜い感情にも気が付かずにいれた。その感情に翻弄されるのが嫌で、俺は逃げていただけだった。
待ち合わせの時間が近づいて、ふーちゃんを見つけて事務所でまたみんなと繋がった。
「社長にそんな過去があったなんて。水臭すぎる」俺の仲間たちは、ブーブー俺を責めていた。
「部長、社長になったんすね!」二階堂が、ちゃかした。
俺もこれまでのストーリーをみんなに話す。お酒も入りみんな上機嫌。二階堂が話し出す。
「ふみ!奇跡を目の当たりにしたろう?俺と一緒になろう!」
俺はびっくりしていたが、ユキもさとこさんも
「2人の漫才が始まった」と笑い転げていた。ふーちゃんが話し出す。
「部長は知らないですよね。私、海堂ふみって言うんです。そう!一つたりてない。名女優になりそびれた名前。私の名前が先か、二階堂ふみが先なのか…。だから、二階堂くんが“俺と一緒になれば二階堂ふみだろ?これも奇跡だ”って言うんですよ。でも小説の中の憧れの部長には、二階堂くんは程遠い!私は部長みたいな人がタイプなんで」
腹が捩れるほど笑って声が出ない。こんなに笑ったのはいつぶりだろう?
「笑ってないで、部長からも、ふみを説得してくださいよ!」
元部下からの懇願に、笑い涙を拭きながら答える
「ふーちゃん。俺は、この関係をもう少し見ていたいな。ふーちゃんは、そのままでいいよ。好きなように生きるふーちゃんが素敵だよ」
ふーちゃんは、ユキにもたれかかって「腰砕けー」とふざけていた。ユキも笑って頭を撫でている。
「二階堂。どんな時でもふーちゃんの支えになってやれよ。俺に言えるのはそれだけかな」
「全然頼りにならねー」
「好きな女をものにするのに、人を頼る方がそもそも間違いだ」
みんなで大笑いして、2人の行く末を見守る。
「さて、ユキの本の営業は、我らRaise(レイズ)で引き受けよう!」
俺の仲間たちも、頼もしい顔つきでみんなにグッドサインをした。
俺の仕事は、ここに繋がっていたんだ。
「だから、ふーちゃん。そして、二階堂もさとこさんも、これまで本当にありがとう。ユキを信じて支えてくれたことに、心からお礼を言わせてくれ。俺たちのことを信じてくれてありがとう」
俺とユキは、みんなに深々と頭を下げた。涙と嬉しさと、これから始まる新しいスタートに。
「私、就職先探してるんです!ここで働きたい!」
ふーちゃんが言った。
「卒業するまで待ってるからね。いつでも大歓迎だよ」
俺が言うと、またふーちゃんはユキにもたれかかった。ユキは同じ笑顔で、ふーちゃんの頭を撫でていた。
まるで親子のようだ。
血の繋がりはなくても、ユキも俺も新しい仲間を見つけて、家族をもつ父と母のよう…。
二階堂が俺の仲間を見て「えー!…俺も行こうかな?」と、つぶやいた。
「お前は、多分そこにいれば大企業で将来の部長、そのまた上が保証されてるぞ?手放せるのか?まだまだ俺んとこは小さいぞ?」
さらに、ユキがハッパをかける。
「その度胸が、二階堂くんにある?」
とはいえ、二階堂はユキの側で、俺のような仕事をしてくれていた。俺の会社に来てくれたら、これほど頼りになる奴はいない。
「ふみー!俺に力をー!」
みんなで大笑いして、宴はまだまだ続いている。
こんなふうに再会できなかったら、いずれユキを忘れて生きていたのだろうか?
お互い別の人生を歩いて幸せならそれでいい。
会わない時はそう思える…。それは、心からそう思わないと、生きていけないくらい苦しいから。
思い出さない時間は増えるけど、忘れるとは違う。
忘れたいと思うことが愛なのかもしれないな。
これから、後何年一緒に居れるんだろう。残された時は、これまでの時間よりは短いけれど、新しい世界を二人で歩いて行こう。
花屋で貰った、レインボーローズの蕾がいつのまにか咲いていた。
完
これを愛と言うのか、忘れたいと思うのか 月乃ミルク @milkymoon
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