第5話

 朝食をとり、ユキを駅に送った。


 ユキは、まだ一緒に居たそうだったが、そっと手を離して送り出した。


 ユキが電車の中で、すぐにラインをくれた。

「楽しかった。ありがとう。あんなに話したのに話し足りない感じ。また、一緒にたくさん話そうね」


 そのラインを最後に、俺は携帯を解約した。

 

 明日の午後には、引っ越し業者がくる。無心で、部屋の荷物をまとめる。

 ほとんどは、残していくつもりだったがまとめてみたらそれなりの量になるもんだな。でも、今度は1Kだし…。さらに荷物を選別しなおした。


 色違いで買ったカップは持っていくリストにいれた。


 未練が残るかなと思って迷ったが、迷うなら捨てない方がいいと決断した。


 捨てる時がきたら、捨てられる。そうして、俺は住み慣れた土地を後にして、誰にも告げずに新しい人生を踏み出した。


 新天地は、ただ出雲大社に行ってみたかったからという興味だけで、島根県に決めた。縁も所縁もない土地に行きたくて。東日本から西日本へ。そう簡単に戻れない距離をわざと選んだ。


 新居の鍵は渡しておいたから、荷物は部屋に運んでくれているはず。

 俺は、最初に出雲大社に挨拶に行く。


「新しいスタートにはぴったりだな!」


 快晴で、秋の風がすがすがしい。


 新居は、車さえあればどこでも行けるから郊外を選んだ。土地柄的に、家賃6万円くらいでも相当広い。搬入中の業者と一緒に、部屋に荷物を運び入れる。


 やっとひと段落した頃には、夜になっていた。


 「明日は平日だな…」


 ユキのことを考えると、心が傷んだ。

 突然消えた弱い俺。シンジと手を取り合っていられるといいけど。


 2人のことが、頭に浮かぶ時にはすぐに他のことをするようにした。


 ユキだけをずっと心に残して。


 何度も恋愛を繰り返す人がいるけど、出会いに恵まれてる人たちが、たくさんいるんだと思うと驚きを隠せない。


 俺には、1人しか愛せない気がする。


 あんな出会いがまたあるのかな。


 とはいえ、今は自分のこれからを考えなくてはいけないが、気持ちに焦りは不思議となかった。


 とりあえず退職金も失業保険もある。まとまったお金は心の余裕を与えてくれていた。


 組織のなかで自分にしかできない仕事なんてない。だけど、そこから離れてみると、自分にしかできないことが見えてくる。


 『生み出したものを広める仕事』


 はなっから、雇われで第二の人生なんて考えていなかった。


 やるなら起業だ。


 漠然とある思いに、一つひとつロジックを組み立てていく。


 個人事業主か起業か。

 信頼をつかむなら、株式にした方がいいな。

 旧制度だったら、株式会社は最低1,000万円は資本金で持ってかれるけど、今なら1円でも1人で設立ができる。でも、手続きにはお金がかかるし、法人税も…。


 パソコンと睨めっこして、初期費用や損益分岐点などを計算していく。


 やりたいことは決まっていても、どうアプローチしていけばいいのか。


 不安と期待が交互に襲う。


 若ければ立て直しもきくが、一発勝負だな。


 でも、何かあっても余生は短いと思えば若い時より、苦しむ期間は少なくて済む。


 現地視察をかねて、車であっちこっちを回った。


 よし!


 ロジックを組み上げて、5年先までの計画を立てた。


 これに沿って進むだけ。机上の空論を現実にしていこう!


 ふとサブスクから、2人で最後に聞いたあの曲が流れた。


 “You Raise Me Up”


 和訳を検索してみると、



“気持ちが沈んで、心も疲れたとき

 そんな時は、君が隣に座るまで、僕は待っているんだ。


 君がいるから、高い山にも立てるし

 嵐の海も歩いて行ける。


 君がいるから、僕は強くなれる。

 今以上の自分になれるんだ”



 これからの鐘を告げる歌だった。あの時の、無意識な涙の意味の答えを貰う。

  

 新しいステージの始まりだ。一歩を出してしまえば、後は流れにのるだけ。


 不安は火薬と同じ。予定外の爆発に怯えるよりも、ここぞで使えば花火にもなるし、厚い壁にも風穴を開け、新しい道にも導いてくれるだろう。


 守るべきしがらみは置いてきたのだから、思う存分やれる。


 初めて自分のためだけに進み始めた。株式会社を立ち上げることにする。

 

 社名は“Raise(レイズ)”


 スタートした時、そしてユキと結ばれた時に流れていた曲からとった。

「引き上げる」「育てる」という意味がある。


 これから始める仕事にピッタリだと思った。


 一人だけの会社だが、法人登録や、社会保険の手続きなど、工程は大企業でも一人でも同じ。沢山の工程がある。税理士を探したり、全てが新しいことだらけ。


 一つひとつクリアしていくたびに、不安と喜びが入り混じる。


 あまり先のことは考えず、目の前のことだけに集中していた。


 ずっと一人でやっていると、何度も心が折れそうな時があった。

 これまでの経歴なんて何も役に立たない。


 俺自身を試されている。すべては自分の責任で進んでいく。新しい人脈づくりに寝る間も惜しんで邁進した。それでも、顧客開拓がうまくいかない。


 起業で最初に躓くところとって言うのは本当だったんだな。

 俺も同じようにその洗礼を受けた。


 とりあえず、思ったことはすべて行動していった。HPも作り、SNSを毎日更新。

 後は、ネットで検索してアポイントをとるために、電話やメールをしたが反応は皆無だった。


 そりゃそうだよな。名の知れた企業にいたって新規開拓は苦労した。


 無名の会社がそもそも信用されるはずがない。

 それに、ネットで目を引くようなところはHPもお金をかけていて、自社で受発注できるしくみが確立している。

 

 その中で、売れなくて困っているというところを見つけるには相当の数をこなすしかない。

 

 一人では限界がある。


 何度もロジックを組みなおす。


 SNSも、つまらない広告みたいな内容で誰が見るんだよ。

 老眼おじさんの起業日記でもやってみようかな……。


 とりあえず、とっかかりが欲しい。


 遠回りでも何でもいい。非効率だろうが何だろうが思いつく限りのことを実行していく。


 昼間は歩き回って飛び込みを繰り返し、夜はSNSの更新作業。


 歩みを止めたら、心が折れそうだ。

 でも、無理に夜中まで仕事をして体を壊したらそこで終わり。


 無駄な時間を一切作らずに、酒もやめて早寝早起きをする。


 転機は、思いもよらないところからやってきた。


 40歳くらいの女性が、一人でやっているカフェ。カウンターに8席と、テーブル席が2つ程度の小さなお店だ。


 お昼時なのに、俺しか客はいなかった。


 とりあえずカウンターに座り、日替わりパスタのランチセットを注文。

 他にお客もいなかったから、話しかける。


「いつからやってるんですか?」


「4月にオープンしたので、間もなく7カ月くらいですかね。最初は、忙しい時もあったんですが、一見様ばかりでなかなかリピートに繋がらなくて…」

「頑張ってお金をためて、ずっとやりたかった念願のカフェをオープンしたんですが、難しいものですね」


「すごいじゃないですか!一人で?」


「はい。内装もこだわりたくて。でもお金がないから、あの辺は自分で。100均で買ってDIYです(笑)」


 そう言って、レジ周りや窓際を指さした。

 ヨーロッパ風で落ち着きのあるつくり。

 レジ周りには、雑貨と洋菓子も置いてあった。


「あの雑貨は?」


「あれも手作りなんです。趣味程度なんですが」


 どこにもない一点もの。

 シルバーやピンクゴールドの葉や羽がモチーフのヘッドドレスや、中に地球がある小さなスノードームなど、俺が見ても、オシャレでかわいいなと思う。


「お待たせいたしました」


 ジェノベーゼの日替わりパスタと、プリン、サラダ、コーヒー。

 どれも、普通に美味しくて満足感はあった。

 が、人目を引くにはパンチがないといえばそうかもしれない。


「甘いものは大丈夫ですか?」


「はい。全然食べますよ」


「じゃこれ、良かったらサービスです」


 そう言って、イチジクとドライフルーツのパウンドケーキを出してくれた。

 

「美味しいです!」


 これが、一番のヒットだった。

 一瞬で幸せな気持ちになる。


 「これをメインにしたらいいのに!」


「え?」


「実は、私も起業したばかりなんです」


 そう言って、名刺とパンフレットを渡す。


「あなたと同じですよ。今一人で奮闘中です(笑)良かったらうちに営業を任せて貰えませんか?」


 急に、営業トークになって引いているのが伝わる。


「でも、立ち上げた借金の返済もギリギリで…余裕がなくて。ごめんなさい」


「お金は結果が出てからでいいですよ。実は俺もきっかけが欲しくて。だから、おあいこ(笑)」

「レジのところに置いてある雑貨も、とても良いと思うんです。ぜひ力にならせてください」

「お互い、夢を叶えた者通し。2人で頑張ってみませんか?」


 少し考えていたが、

 「そうですね。じゃ、お願いします」


 しくみの説明をして、さらに売り方などを打合せする。

 契約書を交わし、最初の受注が決まった。…と言っても、まだ売り上げにつながったわけではないが。

 

 やっと、自分の夢の一歩が踏み出せた。


 一眼レフを取り出し、店内の写真や雑貨、パウンドケーキの写真を撮らせてもらう。

 

 売り始めたら、ユーザーの反応が早い。

 もともとが良い素材だ。


 雑貨の注文が好調。1人で数をこなすには限界があって、商品を絞り外注をすることに。


 小ロッドから受けてくれる製作元を見つけて、何度も足を運ぶ。


 彼女と一緒に、製作元に挨拶と打ち合わせに行く。

 製作元でも俺の仕事にも興味を持ってもらえて、次の受注に繋げる事ができた。


 人の繋がりが広がっていく。

 人と人を繋げ、モノと技術を結び、新しい未来が生まれる。


 カフェの方も、思い切ってパウンドケーキメインのメニューにシフトチェンジ。

 徐々に口コミで客足も増え、仕入れも分散されなくなった分、利益率も上がりカフェの経営も軌道にのったと言える。


 成功のお礼をしたいと彼女から連絡を貰い夕方に訪問。彼女は、たくさんの料理とお酒を準備してくれていた。


 「本当にありがとうございました」彼女が、深々とお辞儀をした。


 「こちらこそです。私の方も次の仕事が決まったし。ありがとうございました」


 2人でシャンパンで乾杯。スタートダッシュにふさわしい成功を納めて、久しぶりのお酒を楽しんだ。

 

「また時々顔を出します。困ったら呼んでくださいね」


 「はい。ありがとうございます。頼りにしてます」


 彼女は初めて会った時より、明るくなった気がする。

 なんだか、とても誇らしい気持ちになった。


 「桜井さんは、奥様とかいるんですか?」


 「離婚してます。高校生の息子が1人、元奥さんの方にいますよ」


 「そうなんですか。まだ、お付き合いされてる人いなかったら、プライベートでお話しとか」


 少し、そんな風に思っているのは感じていた。

 夢に向かって、懸命に頑張る彼女はとても素敵だと思う。


 それでも、好きという感情にはならない。

 人を好きになるって、どうすればいいんだろう?


 ユキ以外を好きになる方法がみつからない。何もない一年と、たった3ヶ月付き合っただけなのに、抑えきれない高揚感と、執着や嫉妬で苦しんだのに。


 何をしているのかもわからない。

 写真も、連絡先もわからない。


 それでも、他の誰かで埋められるものじゃない。


 あの時の感情を経験してしまったら、気軽に誰かと繋がりたいという気持ちにはなれなかった。


「すみません。想ってる人がいるんです」


 忘れたくても忘れられない人。


 好意は嬉しかったが、目の前に浮かぶのは、ユキだった。

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