第4話
男は、強く居なければいけないという価値観の中で育てられる。弱音をはくことは、恥ずかしいことだと教えられる。
男のステータスは、地位と金。
女とやった人数を競うような奴もいる。
純粋に愛する事だけに生きるなんて、男としてどうかしてる。
不倫もいわばステータス。「ばれないようにな」なんて、飲みの席で言うだろう。
そんな時代の中で生きてきた。
でも、ユキに出逢ってからことごとくその価値観は無意味だとわかった。
俺にできることは、ユキを幸せにすること。
なんの不安もなく、ただ甘えて抱きしめられることを躊躇なくできる相手がユキには必要だ。
それは、俺ではなくシンジなんだろう。
シンジにもう一度、会う約束をした。
また、同じ場所でシンジと会う。
「また何を言いに?」
俺の方を見ないで、つっけんどんな態度の割にはちゃんと約束の時間にくるんだから、ユキと俺との関係を気にしてるんだろうな。
「お前のことが好きなままのユキと一緒になろうと思ってる」
「結婚するってこと?」
「まだ先だけどな。どんなユキでもいいんだ。俺にはユキが必要だから」
「わざわざそれを言いに?勝手にやれよ」
「本当にいいのか?俺が幸せにして」
「ユキがそうしたいなら、止める権利は俺にはないだろう?何を言ってるんだよ」
シンジの手元がかすかに震えている。
「仮に、シンジがユキのことを本当に愛していたとしよう」
「は?」
「まあ、聞けよ。そうだとしたら、一番心を許せる相手がユキのはずだ。ユキが今一人だから、無意識にでも余裕を感じている。
“ユキはまだ俺の事が好きだろう”って。
微かでも、その心の余裕がお前の行動を鈍らせるんだ。だって、子供を悲しませたくない。子供には親が必要だろうって思い込んでた方が、自分は悪くないって思えるもんな」
「でも、ユキが本当に他の人を愛したらどうだろう?自分のもとから完全に居なくなるんだ。想像できるか?心を許せる相手もいない世界で、死ぬまで生きることを」
「虚無だろうな…。俺は、それが嫌だったんだと思う」
「最後に、孤独を選ぶのか。それとも、愛する人を選ぶのか。俺なら、後者がいいけどな」
自分は今、孤独を選ぼうとしてるけどな。
ユキが一番居たいと思う人と、できれば安心して一緒に居て欲しい。
シンジが、ぶっきらぼうに答える
「理想論だな」
俺は、シンジをまっすぐに見た。
「理想のための選択を繰り返すのが人生だと俺は思うけどね」
「世間の目は、安定とステータスだけしかみてないよ。シンジの気持ちなんて、誰も見てない」
不倫の中身を知らない赤の他人の大勢が、本人たちをよそに再起不能なまでに叩き潰す世の中に、俺は怖さも感じている。
「お前みたく、浅はかな考えだけで離婚ができないだけだ。逆にタカヤはどうしてそんなにすぐ手放せたんだよ。父親としての責任があるだろう?」
「ユキが好きだから。それに、家族を続けるなんてどっちにも失礼なことだろう?単純なもんだよ」
「俺は、ほとんどが単身赴任だったから、麻美にもしかしたら好きな奴がいたのかもしれない。でも、仮にいたとしても、俺は何とも思わないな。麻美とは、離婚する時ですらケンカもなかった。子供もそっけないもんだったよ。そのくらい、俺たちは上辺を装っていた家族だったんだ。他人の気持ちなんて、経験則から推測する程度で、本当のことはわからない」
「父親の責任というけれど、家のローンは55歳までだったから、全額繰り上げ返済して、名義も俺から麻美の名義に変更した。これまでと同じ金額を養育費として入れている。生活に困らないようにするのが父親の責任というなら、果たしているんじゃないかな?籍が入っていないだけで…。俺だけで、家族を再構築って難しいだろう?今さら、気持ちがないのに無理して取り繕ってさ。そう思うと、父親の責任って誰が決めるんだろうな?」
「離婚の原因って、DV、借金、死別、不倫もな。色々あるけど、同じ離婚だよ」
「犯罪者の親だろうが、男遊びして帰ってこない母親だろうが、DVが激しく暴力を振るわれてても、乗り越えるのは子供だって大人だって自分だろう?」
「街ですれ違う、年増の女性が一人で歩いている時“不倫の代償だろう”なんて思うか?全然気にもとめないだろう?自分の周りの人間が“不倫して離婚したんだって。最低ね”なんてそんなゴシップ好きの集まりの価値観と同調するのが人生かな?」
「そんな簡単なことじゃないんだよ!」
シンジのボルテージが一気に上がった。ユキはシンジのことが好きなのに…。
選択肢を目の前に提示されても、本当にしたいことに蓋をして、環境を維持することから抜け出せない。
良い・悪い、正しい・間違い・成功・失敗。
そんなジャッジはいらないんじゃないかな。
「難しくしてるのは自分だけだよ。割と、人生はシンプルだ」
「タカヤはさっきから、何が言いたいんだよ!」
「ユキが幸せなら、どっちでもいいってことだけだよ」
「意味がわからないな…」
「お前にはまだ理解できないのか!幼稚だな(笑)」
こぶしが飛んできた。
俺を思いっきりぶん殴って、シンジは足早にその場を後にした。
口の中が切れている。
年甲斐もなく殴って、あいつのこぶしにひびが入ってないといいが。
俺は、二人のトリガーになれただろうか?
こんなことで、選択を変える奴じゃないのかもしれない。
もしかしたら、ユキをさらに苦しめてしまうのかな…。
ユキが欲しいのはシンジでも、俺がユキと一緒に居て、ユキが傷つかないように、笑わせたり安心させる存在になればいい。
…でも、俺はそんな風にはどうしてもなれない。
ユキが安心して幸せに居れるなら何でも良いと思いながら…。
俺は、小さい男だ。
もしかしたら、俺が一番、自分勝手なのかもしれない。それでも、やらない後悔はしたくはなかった。自分の中の感情にケリをつけて、前だけを向く決心をした。
俺は特に、地位や収入といった欲もない。
ユキがずっと笑顔で幸せでいられるなら、会社を辞めるのは俺だ。
ユキには、今の仕事が必要だ。収入も福利厚生も申し分ないだろう。
何より、仲間もできて楽しそうにしている。
営業として実力も付いてきているし、多分次の異動ではリーダーになって部下も持つようになる。
俺はこれから先、順当に行けば定年前の数年間はさらに上の管理職について、営業の一線からはずされるだろう。絶対的な安定がある場所に未練は感じていなかった。
でも、本当のところは…
二人が一緒になるところも、その逆も感じたくない。
俺には、どちらも受け止める強さなんてないだけだ。
なんのうわさも届かないところで、誰も俺のことを知らないところで新しい人生を送ってみようかな。
“ここはもう終わりだ”
そんな感覚もある。ふわっとした、それでも確かな感覚だった。
辞表を社長に提出する。
何が不満だったのかと長く説得をしてきたが、最後には俺の力になってくれた。
こんなに会社が大きくなる前から、俺を雇い育ててくれた恩人だ。
「約束された将来を捨てられるなんて、君らしい。そんなかっこいい生き方が私は好きだよ。私の立場では、もう冒険は出来ないからね。何百人もの社員と、その家族を守らなくてはいけない。君は、私のような大きな責任を背負えるパワーも頭の良さもある。自分の力でここまで来いよ(笑)。困ったらいつでも相談しにきなさい」
社長が元気なうちに、また会いに来よう。
退職金は3000万円。退職金の1/2を使い、これからの養育費分を一括で払うことを麻美に了承してもらった。法的な手続きも済ませて、しがらみの全てもリセットした。息子とも話し、落ち着いたら連絡すると告げる。
「父さんは、普通じゃないね(笑)頑張ってね」
以前の、感情がわからない息子ではなかった。なんだか、たくましくなった気がする。辛い思いも経験させてしまったかもしれない…。20歳になったら、一緒にお酒が飲めると良いな。
自分の指針になるものがあれば、道を見失わずに行ける。
そんな指針がいくつもできた。
俺が辞めるまで、課長以下には知らせないで欲しいとお願いした。
一番は、ユキに知られたくないというのが本音だ。
俺を止めに来ても、そうでなくても辛いから…。
この勢いのまま旅立ちたかった。
「何も告げずに行くんですか?!あいつらだって急に居なくなったら混乱しますよ!お礼だって言いたい奴がいるはずだ」
ユキがいる営業一課長の佐藤が、涙ながらに俺に懇願してきた。
「そういうのが苦手なんだよ。俺のわがままで迷惑をかけるのに。佐藤、頼りにしているよ。ありがとう」
大きな人事改変を水面下で完了させた。
退職日は、シルバーウィーク前。
ユキとはあれ以来、二人の時間を作っていない。
ユキからのラインも、一言程度の返信だけ。
その後は、連絡がきていない。
新天地を決めることに集中して、ユキのことは気にしないようにしていた。
すべてが整い、来週は退職日。
ユキに電話をする。
「ユキ、今度一日だけ俺に時間をくれないかな。泊まりで…」
「うん。いつ?どこに行けばいい?」
「来週土曜日はどうかな。うちに来てよ」
そして、退職日。
誰にも知られずに、いつもと同じ一日を終えた。
みんなが帰った後、課長連中が残ってくれ、荷物をまとめて車に積みこんだ。
俺の人生は良い人ばかりだな…。
流石に涙がこみ上げた。そうして、30年務めた会社を後にした。
土曜日の朝、ユキを駅まで迎えに行く。最後は、あのことを知る前の2人で過ごしたい。
「俺の家でいいかな?つまらない?」
「そんなことないよ。楽しみ」
俺を見て、ユキはにっこり笑った。
手を繋いで、スーパーへ向かう。
「2人の好きなのを作ろうか」
ありきたりな買い物風景だけど、ずっとこうしていたかのような懐かしさを感じる。ずっと前から一緒のような、息の合う2人。
そう感じるのは、俺だけかもな…。
急に寂しさが襲ってきて、慌てて理性で蓋をした。
ランチは買ってきたもので軽く済ませて、コーヒーを入れる。ソファーに並んで座って、さっき色違いで買ってきたカップでとコーヒーを飲んだ。
無言のこの時間がたまらなく好きだ。
「ユキは、何かやりたいことある?」
「小さい時は、歌手になりたかった。というか、今でもなれるもんならなりたいかな(笑)あと、絵本作家とか、エッセイとか小説家とか」
「…今、思い出したんだけど、昔コピーライターになりたくて、とりあえず文系の大学出たんだけど…。結局全然関係のないところに就職して、すっかり忘れてた」
「後は、本を出してみたいかな」
「たくさんあるね。全部をまとめると…ユキは表現することが好きなんだね」
「今更、私にできるわけないでしょってバカにされるかと思って、誰にも言ったことなかった」
「それは、ユキの父親の影響もあるんじゃないかな。でも、お父さんもお母さんも責めちゃいけないよ。そういうことか…ってだけでいいんだ。否定的な言葉を言う人に引っ張られるな。そういう人たちは、そこでしか生きられないだけだから。ユキもそこに留まらせたいんだよ。仲間は多い方がいいからね」
「やりたいことを表現した先に、また新しいコミュニティができるから。その時の自分に合う人が必ずいる。俺はそう思うよ」
「タカヤのことも聞きたい」
「前にも言ったけど、恥ずかしながら野心がなくて(苦笑)小さい時、母親に医者になれって言われて、大学まではなんとなくそう思ってたかな。でも、大学はことごとくダメだったんだよ」
「そして、ここ。って感じ。やっぱり、温かい家庭を持ちたい…なのかな」
「本を読むのは好きだけど、書くとなると自分の熱意とかより、評価されたいっていう他人軸を気にしてしまうから、ユキみたいに表現する方にはそんなに興味がない。どちらかというと…まだ埋もれている才能を見つけて、たくさんの人に知って欲しいって方が強いかも!生まれたものを循環させる方が、俄然面白味を感じる」
「自分で見つけたものを、広めて喜ばせたい。かな」
ぼんやりしていた自分のこれからに、勢いがついた。
「いいね。タカヤ素敵な顔をしてる。私が書いたものを売ってくれたら最高かも!」
「それで食べていける…楽しそうだな」
夕飯は一緒に作った。
俺の得意な唐揚げと、ユキの得意なオムライス。
子供みたいなラインナップだと、笑いながらお酒を飲んだ。
ずっと、俺たちは他愛のない話しをした。
サブスクで、ランダムに洋楽を流していた。ふと、一つの曲で涙が流れる。
“You Raise Me Up”
何とも言えない、優しい曲線に心が震えた。
「どうしたの?」
ユキが俺を、優しく見つめる。
「わからない。ただ、素敵だなって涙が流れるんだ」
直訳すれば
“あなたが私を引き上げてくれる”
「素敵な声だね」
そう言って、ユキは俺を抱きしめた。
そのまま俺たちは一つになった。
一生忘れることはないだろう。初めて一つになった時のあの衝撃。
すべてが、ピッタリとはまる感覚は言葉では言い表せないほどの幸福感だった。
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