第3話

 ユキの高校生の娘が、俺に会いたいと言ってきたらしい。ユキが俺のことを、ちゃんと話してくれてたんだなと思うと嬉しかった。


 家に招待すふことになり、ラグが古びていたから新調したくてユキに買い物に付き合ってもらう。


 一つひとつ2人のものが増えていく。


 麻美との結婚生活は、何でも良かったから好きにさせていた。家まで建てたのに、内装も麻美の好きなようにして、口を出すこともなかった。


 こんなに幸せな気持ちになるんだな。


 「なんでも良いはなしだからね!」


 とはいえ、ほとんどユキ主導。何でも嬉しいんだが、何でも良いよは禁句なようだ(笑)


 ふと視線をあげると、懐かしい顔に目が止まった。


 相良慎司(サガラシンジ)


 連絡こそないが、俺が大切にしている古い友人だ。


 俺は、県内では有数の進学校に通っていた。父親は死んだと聞かされていたけど、本当のところはわからない。母子家庭だったが、ほとんど帰ってこない破綻した家庭。だから、幼いころから自分の将来は自分の力でなんとかしてきた。とりあえず頭が良けれ奨学金を利用できる。それに、一定数いる「そんな家庭だから」という世間の偏見に対抗するために、勉強して進学校に入学した。


 俺が高校の頃、反骨精神の源となっていた母親が死んだ。せいせいするかと思っていたが、予想以上に無気力になってしまう。学校に行く気になれず不登校を続けていた。真面目なやつばかりで、別に面白さも感じてない高校生活。自主退学もありかなと思って引きこもってた時、毎日家に来て、俺を強引に引っ張って学校に連れて行ってくれたのがシンジだった。


 シンジとは、気が合った。タバコや酒も一緒にやったいたが、別々の大学に行くようになってから疎遠になり、お互いの結婚式に顔を出した程度。それでも、ここまでこれたのも、あの時のシンジのおかげだと感じている。


 「久しぶりだな!」

 十数年ぶりの再会。一気に当時の記憶が蘇る。


 「おう。こんなところで久しぶりだな」と、シンジが答える。


 「1人?時間あるなら、一緒にコーヒーでもしないか?家族もみんな変わりない?」


 「あー、うん。変わらないよ何も。えっと、雨宮さんも久しぶり」


 「久しぶり」ユキが小さい声で答えた。


 「知り合い?」

 

 思いもよらない展開に、驚きと同時にモヤモヤとした感情が襲う。シンジが、俺の知らないユキを知ってることに引っかかった。


 「前の会社で一緒だったんだよ」


 そんな偶然あるんだな…。こんな形で、接点がない者同士が引き寄せ合う。


 「2人は、何で?付き合ってるの?」


 シンジの問いかけに、俺が答えようとした瞬間。


 「今日は、買い物に付き合ってって言われて。それで…。桜井さんは、私の上司なの」


 ユキが、他人行儀に俺を紹介した。確かに、まだユキからはっきりと答えを貰っていたわけではないけれど、俺たちは互いに好き同士ではないのか?付き合っているんじゃないのか?


 チクチクとした、なんとも言えない苦しい感情が俺を飲み込む。


 「雨宮さんは、今はタカヤのとこで働いてるのか。凄い偶然だな」

 「今日は、これから用事があって。タカヤ、またゆっくり話そう。連絡するよ」


 「あー。じゃまたな」


 幸せな時間が、全て嘘のように感じて、言葉が出ない。今、口を開いたらユキを責めてしまいそうだった。


 このまま、買い物を続ける気にもなれず店を出る。


 カフェに入って、顔を見るのも気が引けた。コンビニでコーヒーを買って公園のベンチに腰を下ろす。


 「ごめんユキ。さっきの何?」


 ユキは、ずっと押し黙っている。


 「俺たちって、付き合ってるんじゃないの?他の誰かに紹介もしたくないような関係?何とか言えよ」


 ユキを責めたくなかったが、どうしても口調がきつくなる。ユキは、俺と視線を一切合わせてくれない。


 「何で黙ってんの?その態度、何なんだよ」


 ユキが、覚悟を決めたような強い目つきで俺を見た。


 「知らなかった。タカヤがシンジの友達だったなんて」


 そのままユキは、堰を切ったように話し始めた。

「私、シンジと不倫してた」

「私は、シンジを本気で愛して…。だから、離婚したの。子供に対して、我慢できなかった懺悔の気持ちはあるけど、離婚したことに後悔はない。今でも、離婚して良かったとしか思ってない。やっと解放されたって思った」

 「でも、私が離婚したことで関係性が変わってしまって。シンジも、私を愛してると言うけれど家族に対しての責任は捨てられないって言って、関係がどんどんこじれていった」

 「当時の私は、嫉妬や憎悪が渦巻いてしまってたから。それで、何度もケンカを繰り返して…子供が高校生になるタイミングで、私は全てを手放す決心をしたの」


「タカヤに出会って、心から安心できて本当に幸せだって思った。穏やかな優しさに、傷も癒されていってた…」


 「でも…自分でもバカだと思うけど、シンジの友達とわかってしまったら、関係を続けられない。シンジを傷付けたくないって思ってしまう」


「このまま、タカヤと付き合っていれば幸せなんだろうなって思うの。でも、どうしてもできない。何食わぬ顔で付き合うなんて…。そんなこと…」


「でも『シンジはそうしてきたんだから!タカヤと幸せになって見返してやる!』とか、そんなタカヤを利用するような酷い考えも出たり入ったりしちゃう。最低な女だよ」

 

 ユキは、震える手でコーヒーを握りしめていた。


 俺は、唐突なユキの告白に怒りと悲しみで張り裂けそうになる衝動を見せないように、一言も声をかけずにユキを置いてその場から立ち去った。


 怒りなのか悲しみなのか、よくわからない。

 ユキの娘が来る予定も消え、部屋で酒を煽ったが、さっぱり酔えなかった。


 祝日もあったから、数日頭を冷やす時間があったことが救いだ。


 シンジは、ユキの心を今でも縛り付けている。安定した環境を捨てられず、子供が大切だっていうのは建前で、満たされない性欲と男として求められない寂しさを埋めたいだけにユキを利用した。

 

 ユキもユキだ。もっと、毅然にしてればいい。不倫女という蔑まれた立場で、振られても尚、シンジを愛するのか?どれだけ自分を下げているんだ。安い女だな。


 そうやって、俺の大切“だった”2人を蔑んでみても、一向に気持ちは上がらない。逆に自分のみじめさが助長するだけだった。


 俺だけが蚊帳の外。


 大切な二人は、愛し合っていた。


 俺にも知らない部分を沢山見せ合っていたかと思うと、気が狂いそうだった。


 怒りを通り越すと、壮絶な悲しみが襲う。どこまでも浮上出来ない。


 その繰り返し…。


 一人の時間が冷静さを取り戻すというけれど、逆に何もない時間が俺を苦しめ続けた。


 明日から、会社だ…。

 仕事すら、どうでもいい。そんな自分の異常な状態に、さらに落ち込んでしまう。


 携帯には、シンジの番号が入っている。

 十数年前の番号だけど、変わってなければ繋がるはずだ。


 俺は、何の計画もなくシンジに電話をかけた。


「よお、この前はゆっくりできなくてごめん」


 シンジが何食わぬトーンで、話していることにイラっとした。


「別に…。今日、少し時間作れるか?会って話したいんだけど」


 少しの沈黙。


「わかった。時間的に、飲みながら話そうか?」


「いや、外でいいよ。○駅で待ってるわ」


「…わかった。今すぐ出るよ」


 シンジが今どこに住んでるのかは知らなかったが、この前のインテリア店に近い駅なら問題ないだろう。俺も、すぐに家を出た。

 数分経って、シンジが現れた。


「この前は驚いたよ。雨宮さんと一緒にいるから。こんな偶然あるんだな」


「他人行儀な呼び方やめろよ。付き合ってたんだろう?」


 喫煙所に移動して、話を始める。


「聞いたんだな」


「それだけ?ユキと何年関係を続けてたんだよ」


「4年かな。タカヤはいつから?お前も結婚してるだろう?」


 俺は、出会ってから何もない1年。付き合ってたった3ヶ月…。この差が悔しくて話をそらす。


「俺は離婚してるよ。ユキとまだ始まる前、出会った時にな。お前とは違う」

「シンジは、ユキのこと不倫女として4年も囲ってたのか…。最低な奴だな」

 

「どうにもできなかっただけだ!ユキのことを不倫女だと思ったことは一度もない」

 

「言い訳がましいな。結局のところ、不倫だろう。何、自分を正当化しようとしてるんだよ」

 

「子供がいるんだ。そんな簡単な事じゃないんだよ!俺だって、苦しんでるんだ」

 

 苦しむ?おもちゃが無くなった寂しさだろう?

 

「子供が大切なら、なんで不倫するんだよ。何食わぬ顔で生活してるんだろう?どっちも不幸にしているだけで、結局は自分だけ満たされればいい関係で、お前だけぬくぬくしてるだけだよな」

 

「…そう思うよな。それでいいよ」

「てか、タカヤは?もうユキとやったの?」


 怒りで震えた手で、シンジの胸ぐらをつかむ。


「ユキは、まだお前に縛られてる。お前のことがまだ好きなんだよ。どうするつもりもないんだったら、ちゃんと振ってやれよ。何、最後まで好かれようとしてるんだ。しっかり嫌われてやれ!そんな勇気もないのか?どこまでも小さい男だな。そんなクズだったっか?」


 シンジは黙っていた。胸ぐらを掴まれた腕を振り払おうともせず、力なく俺を見ていた。


 そのまま、俺はその場を後にした。

 何もスッキリしない。むしろ、怒りを増幅させただけ。


 次の日、俺は会社を休んだ。


 50歳も超えて役職もあるのに、恋愛が原因で会社を休むなんてどうかしてる。


 何も食べず、コーヒーとタバコだけで、気がつけば夕方に。


 ユキのことをどんなに怒りの感情で蓋をしようとしても、苦しくてたまらない。


 執着、憎悪、妬み…ドス黒い感情に飲み込まれる。それでもユキの側にいたい…。心の大きな傷と穴。向き合い続けても結局答えがわからず、スッキリしない。


 考えることも疲れて、一日中無気力を続けたからか、幾分ましになった気もしないでもないが…。


 明日は会社に行かなくちゃな…。何でもいいから、口に何か入れとくか。


 立ちあがろうとした瞬間、ユキの気配を感じた。


 途端に鏡で自分の姿を気にし出す。起きたままのスウェットと、くたびれた顔のおじさん。動こうにも、物音を立てたくなくて硬直してしまう。


 ピンポン


 姿が見えていなくても確信があった。絶対にユキだ。


 会いたいような、会いたくないような…

俺は、居留守を決め込んだ。


 数分じっとしていたが、チャイムは一度だけ。物音一つしない。


 それから1時間、テレビも付けずにじっとしていた。


 でもまだ気配を感じる…。流石に気のせいかと思い、ドアスコープから外を見る。


 なんだ、誰もいないのか。そう思ってドアを開けたら、横にユキが立っていた。


 「やっぱりいた」


 「ずっといたの?ストーカーかよ…」


 「終電に間に合うまで居ようと…ごめん」


 「入れよ」


 顔を見るだけで、これまでの雑念が嘘のように消えた。嬉しい…でも、悲しい。そして、不恰好な俺。


 「具合悪いわけじゃなくて、良かった」


 部屋は乱雑で、タバコ臭い。窓を開けて、コーヒーを入れに対面キッチンに向かう。


 何も気の利いたことは言い出せない。ずっと無言の時間が続いていた。


 コーヒーを入れてソファーに座る。

ユキが口火をきった。


 「あんなこと告白しておいて、来るのもどうかとずっと迷ってたんだけど、何も言わず見てもくれないままでは気持ちに整理がつかなくて…私のわがままでごめん」


「私を蔑んで責めていい!ケンカでもいい!なんでもいいから、何か言ってよ。何も言われないまま終われない。お願い…。不倫の代償だって、バカな奴だって。罵られても何でもいい」


 ユキのことをそんな風には思えない。いや、怒りでそう思おうとしていたが、むしろやっぱり愛おしい。


 そんな傷付け方なんてできるわけない……


 

 

 そうか…シンジも同じなんだな。

世の中のルールに縛られて、どうにもできない2人。


 一瞬で、パズルのピースがカチッとはまった。

 

 これまでの経験にあてはまらない感情で気が付かなかった。

苦しいほど、ユキのことが愛おしい。唯一無二の気持ちにさせてくれる人。

 

 途端に心が軽くなって笑いが溢れた。


 「なに?どうして笑ってるの?」


 深刻な顔のユキが可愛くて、声を出して笑った。


 「世の中の価値観で、自分を下げちゃいけないよ。ユキ。」

 「自分の人生をガラッと変えるほど、シンジのことを愛したんだろう?かけがえのない尊い感情だと俺は思うよ」


「そんな優しい言葉はやめて。混乱する」


 「もう、今日は帰った方がいい」


 「どうして!なんでもっと言ってくれないの!なんでそんなに優しいの…気持ちを隠さないでよ!取り繕ってないで心からの言葉をぶつけて!」


 「怒りまくってたよ。ユキを見るまではね。でも、なんかさ、顔を見たらそんな気持ちなくなるんだよ。不思議とね」


 「なにそれ…シンジと同じじゃん。冷たくもせず、私を縛りつける……。ごめん」

そう呟いて、ユキはうつむいた。

 

 シンジと同じか。

 

ユキの愛をそのまま受け入れることを許されないシンジは、どんな気持ちなんだろう?


 なんのしがらみもなく、ただ一緒に手をとりあえれば…。そんな風にずっと思ってたのかもしれないな。

 

「ユキは、もっと男から愛されてる感覚を持った方がいい」


「どういうこと?」


 「ありのまま、どんなユキでも愛されてる」

「何かあったから嫌いになるとか、飽きがくるとか。それは、条件をつけて愛してるつもりの男だ」

「多分だけど、そんな男が寄ってきてもユキは自然と距離をとってたんじゃないのかな?」


「ユキが愛した人のことを考えて本気で心を痛める時があるのなら、それはきっと良い相手なんだよ。わかるかな?ユキは、ユキを本気で愛して、大切にしてくれる人をちゃんとわかってる」


「自分の感覚を信じて。大丈夫だよ、ユキ。自分をいじめちゃだめだよ」


 ユキが涙を流した。声を堪えながら、ボロボロと泣いている。


 近寄って抱きしめ、頭をなでた。


「さあ、もう終電も近いから帰った方がいい。駅まで送るよ」


「なんでそんなに優しくできるの?本心なのかわからない…」


「怖がらずに、そのままを受け取ればいいんだよ」


 ユキの家庭は、落ち着かないところだったから、愛情の受け入れ方がわからないんだ。


 小さな女の子のまま、甘えられずに…。

 ずっとそうやって、本当は怖いけど黙って生きるしかなかっただけ。


 スウェットのまま、ユキと一緒に歩く。


「こんな姿で、申し訳ない(笑)」


「私は好きだよ。タカヤの飾ってない感じが良い。そのままでもかっこいいよ」


 無言の時間も、声も、泣いて化粧が取れて腫れた目も……。

俺も、どんなユキでもかわいいよ。


 電車に乗るのを見届けて、家路につく。


 怒りは消えたが、涙は堪えきれなかった。


 二人の間には入れない。

 どんなに愛していても、ユキはシンジを愛しているんだ。


 俺は蚊帳の外…。


 涙をはばからなくていい空間で、声も堪えずに泣き続けた。

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