【クリスマス"終了"のお知らせ】
まとめなな
【クリスマス終了のお知らせ】
夜十時三十分。大阪の中心街、御堂筋のイルミネーションを横目に、俺はコンビニ袋を片手に立ちつくしていた。煌びやかな光の帯をくぐり抜けるカップルたちは笑い、耳あてをした子ども連れはガチャガチャとうるさくはしゃぐ。そんな街の空気に反し、俺の頭の中ではひとつの言葉がこだましていた。
「クリスマス終了のお知らせ」
意味不明なのは自分でもわかる。けれど、なぜかその文句が脳裏から離れない。きっかけは三十分ほど前にあった。仕事が終わり、駅へ向かう途中に妙な看板が転がっていたのだ。金属のプレートにスプレーで荒々しく文字が描かれているだけなのに、まるで高密度の不吉さだけを凝縮したような迫力を放っていた。
誰かの悪ふざけかと思い、何気なく足を止めた。その瞬間、背後から妙にガサガサという音が聞こえた。驚いて振り向いたら猫が一匹、じっとこちらを見ているだけ。ほっとして前を向きなおしたときには看板などどこにもなかった。だからこそ、気味が悪い。幻覚でも見たのかと自問したが、「クリスマス終了のお知らせ」と書かれたあの白地に赤い文字のイメージは、今でもはっきり残っている。
「いや、そんなホラーみたいなことはないやろ」
自分で自分にツッコミを入れてみるが、どうにも落ち着かない。クリスマスイブだというのに、なにをやっているんだ俺は……いや、別に予定があったわけでもないんだけど。そうやって自嘲気味に笑い、閉店間際のスーパーに駆け込み、半額になったチキンとケーキを買って帰ろうとした矢先のあの看板——。
家に着いてドアを開けるなり、リビングでスマホをいじっていた妹の由香(ゆか)が「遅いじゃないの」と文句を言った。俺はスーツのまま靴を脱ぎ捨てて返事する。
「いやいや、こんな時間まで仕事なんやから仕方ないやろ。てか、今日はお前もバイトやったやろ?」
「うん。スーパーのレジ、地獄やったわ。クリスマスケーキとオードブルで行列ずっと絶えへんし……」
「そら大変やったな。店員への労いとか全然ない人ばっかりやろ」
「それな。こっちは無言の行列に耐えながらピッピやってて、ほんまに“クリスマス終了のお知らせ”してやりたい気分やったわ」
妹はそう言うと、ぷはっとソファに倒れ込む。まさにさっきまで頭にこびりついていた文句そのままのフレーズに、俺はどきっとする。
「ちょ、ちょっと待て。今なんて言うた?」
「え?『クリスマス終了のお知らせ』してやりたい気分、って言うたけど」
「いや、まさか同じ単語がここでも出てくるとは……偶然にしても気味悪いわ」
「何それ。怖い話?」
妹は身を起こして俺の表情をうかがう。俺は道端で見かけた看板のことを、できるだけ淡々と説明した。
「それ、ほんまに見たん?」
「そうやねんって。確かに一瞬で消えたけど」
「いやいや、それこそホラーやん。看板が急に消えるとか、お兄ちゃんだって疲れてるんやろ?」
「そやな。俺もそう思う。けど、なんかモヤモヤすんねん。これがクリスマスのマジックなんやったら、ちょいと悪趣味やろ」
妹は「ほんまや」と呟いた後、唐突に笑い出す。
「でもさ、24日の夜が終わるときって、実際、日本のクリスマスはもう終わりみたいなもんやろ。25日当日はみんな普通に仕事か学校やもん」
「まあ……確かに」
「だからその看板も、誰かのジョークかもしれへんよ。“お疲れクリスマス”みたいな」
そう言われても不安は拭えなかった。だからこそ、妹には言わなかったが、看板を見たときに感じた生々しさが、どうも引っかかる。塗りたてのペンキが滴って、床に赤い飛沫が落ちていたような気がしたのだ。あれが本当にペンキなのかどうか——想像をかきたてられるだけで背筋が寒くなる。そういう不安を紛らわすために、俺はとりあえず買ってきた半額チキンとケーキをテーブルに並べた。
「由香、ちょっとぐらいクリスマスらしいことしようや」
「ええよ。ありがとう。今日はアラサーの兄妹が、悲しく家で過ごすクリスマスイブってわけやね。いや、なんでやねん」
「しゃーないやろ。彼女もおらんし、俺もお前もバイトやら仕事やらで、真っ当なクリスマスっぽいことしてへんからな」
「まあ、家でのんびり食べるのも悪くないで? いただきまーす」
妹がチキンにかぶりつく。一人暮らしだったところに妹が転がり込むように居候してきてから数年たつが、まぁ気楽といえば気楽だ。
チキンをかじりながら、テレビをつけるとやっぱりクリスマス特番の真っ最中。「街頭インタビュー! クリスマスのご予定は?」という使い古された内容に小さくため息をつく。妹は「どこに需要あんねん」と言ってテレビを消し、スマホのSNSを眺め始めた。
「え、ちょっと……なんか妙な投稿見つけた」
「また炎上か?」
「違う違う、クリスマスに関するタグがバーッと並んでて、急に『クリスマス終了のお知らせ』っていう写真が拡散され始めてる。まさか、お兄ちゃんが見たっていう看板の写真じゃない?」
妹が画面を見せる。そこには斜めに撮られた夜の路上写真があり、まさに俺が見たものと酷似した白地に赤文字。しかも文字が微妙に歪んでいて、やはり“手描き感”がある。コメント欄を見ると、
「うわ、怖い……」
「血のように見えるんだが」
「誰かのイタズラ? でも本当に見てしまった」
などと騒がれている様子があり、リツイートや“いいね”が急速に増えている。妹がこめかみに指をあてて怪訝そうに唸る。
「なんか、ちょっと怖いわ。みんな似たような時間帯に見て、すぐ消えたって言ってる」
「……やっぱり俺、疲れてたわけやないんやな」
「そうかも。けど、こういうバズり方すると、ホラー系YouTuberとかが“検証”しに行きそうちゃう? それでまた騒ぎになるパターン」
「まあ、よくあるやつやな」
ふたりで顔を見合わせつつ、チキンをむさぼる。ケーキは紙皿に乗せ、プラスチックのフォークで頬張りながらも、SNSのその話題から目が離せないでいた。
やがて日付が変わる直前。外ではクリスマスイブを楽しむ人たちの笑い声が微かに聞こえる。俺たちはTVの音量を消し、スマホの画面でSNSを追っていた。すると新しいツイートがどんどん流れてくる。
「『クリスマス終了のお知らせ』が、ビルの壁一面に映し出されている」
「え、看板だけじゃなくなった?」
「ほんまかいな、プロジェクションマッピングかなんかのギャグやろ」
確かめようにも、外は暗い。何かを映し出すにはもってこいだろうが、バカ騒ぎのためにそこまでする集団がいるとも思えない。
「せや、窓から外見てみる?」
「ええよ……でも、また変なもん見たらイヤやなぁ」
とはいえ、どうにも気になる。俺は腹をくくってベランダに出て、妹も恐る恐る窓越しに街を見回す。視線の先、遠くにあるオフィスビルの壁面に、かすかに赤い文字らしき影が揺れていた。風になびくカーテンのように、それはうっすらと動いている。
「やばい、あれほんまに映っとる!」
「何なんこれ……。24日の深夜に“クリスマス終了のお知らせ”を大々的に……なんで、何の意図?」
「知らんがな。新手のホラープロモーションちゃうか」
妹は震え声で茶化すが、俺はどうにも笑えない。むしろ背中を冷たい汗が伝う。こんな短時間で大掛かりなイタズラが可能なのか。相当手間とお金がかかるはず。広告代理店か、映画の宣伝か。そのどれとも思えない得体の知れなさが、嫌な現実感を際立たせる。
日付が変わった。カレンダー上ではクリスマス当日。だけど、日本ではこの深夜をすぎたら一気に年末ムードへ移行するのが常だ。妹が冷蔵庫から缶チューハイを取り出してゴクリとやる。
「ふう、もう眠たいわ。じゃあそろそろ寝るか」
「そうやな。俺も風呂入ってすぐ寝るわ。変な夢見そうやけど」
「おやすみ」
妹は自室へ引っ込む。俺は手早くシャワーを浴び、まだ心の奥に残っている怖さを温かい湯で溶かそうとする。しかし、湯気の中で瞼を閉じると、どうしても“あの看板”がちらついて離れない。“血のような赤文字”を思い出して、思わず目を開けてシャワーを止めた。
シャワー室を出て、鏡に映る自分の顔を見る。青ざめている。ケーキとチキンを食べただけなのに、まるで疲弊しているようだ。意を決して洗面台の明かりを消し、真っ暗な廊下を通って自室へ向かう。ドアを閉めると同時に外の風の音が強く聞こえ、一瞬ゾクリとした。
布団に潜り込み、スマホを確認する。SNSには「まだビルに文字が映ってる」「急に消えた」「この先、おかしなことが起こるんじゃないか」などの書き込みが増えている。普段ならこういう流行りに飛びつくのはどうかと思うが、気になって仕方ない。画面を眺めているうちに、眠気が波のように押し寄せてきて、俺の意識は深く落ちていった。
午前七時。鳴り響く目覚まし時計で目が覚めた。クリスマス当日というのに、いつも通り仕事がある。就業先は年末年始ギリギリまで稼働、いわゆる年末進行ってやつだ。寝起きの頭で、昨晩の出来事は全部夢だったのかと淡い期待を抱いてリビングへ行くと、妹がテレビを見て呆然としていた。
「……お兄ちゃん、これ」
ニュース番組の速報テロップには、「大阪市中心部の複数ビルで不審な投影か? 目撃情報相次ぐ」とある。画面には街頭インタビューを受ける女性が、バッチリと「赤い文字を見ました」「血文字みたいで怖かった」と証言している様子が流れ、“クリスマス終了のお知らせ”と読めた、と言及している。やはり夢ではない。
「これ、絶対警察とか動くやろ」
「せやろな。悪ふざけにしては規模がでかすぎる」
まさに全国ニュースレベルになっている。妹が俺の腕を小突きながら顔をしかめる。
「ほら、どうすんの。こんなん気味悪いで」
「言われても困るわ。俺らも普通に仕事やし、とりあえず気にせんとこ」
渋々スーツに袖を通して家を出たが、今日は“クリスマス当日”とは思えないほど空気が乾いて、冷たい。通勤電車に乗り込むと、乗客の会話がなんだかざわついていた。イヤホン越しに断片的に聞こえてくる単語は、「終了のお知らせ」と「血文字」ばかり。俺は溜息をついてイヤホンのボリュームを上げた。
会社へ着くと、案の定、この話題で持ちきりだった。上司の矢口も朝から息巻いている。
「ったく、何が『クリスマス終了のお知らせ』だ。人騒がせにもほどがあるぞ」
「いやホンマに。なんかイタズラを超えて不気味ですもんね。事件なんちゃいますか?」
「ま、警察が調べるやろうから俺らは関係ないけどな。問題は年末進行の資料や。今日中にデータまとめといてくれ」
「了解です……」
仕事に没頭しようとしても、モニターの画面を見つめているうちに「終了」というワードに敏感に反応してしまう。業務メールの一文に「期日終了」などと書かれていると、鼓動が一瞬だけ早くなる。気持ちが悪いぐらい神経質になっていて、自分でも情けない。結局、集中力を欠いたまま朝が過ぎ、昼休憩を迎えた。
同僚の松田が昼飯に行こうと誘う。いつも行っている定食屋へ向かいながら、やはり話題はあの投影事件になる。
「なあ、あれって何が目的やと思う?」
「さあ……SNSでバズるための悪ふざけ、と言ってしまえばそれまでやけど、手が込みすぎやろ」
「ほんまにな。俺、会社のそばでも見たって人おるし、どうなっとんのや」
「もしかしたら、自称アーティスト集団がやってるとか?」
松田は「あー、 バンクシーみたいな?」と例をあげて苦笑いする。もっとも、こんな根暗なやり方は芸術でもなんでもない気がする。思い返すと、昨夜見た看板も血が滴るような文字だった。一連の行為には統一感があるように思える。
午後、また仕事へ戻るが、頭の隅にはずっと「クリスマス終了のお知らせ」がこびりついていた。結局、残業になり、会社を出る頃には外は真っ暗。今日もイルミネーションが輝いているが、なんだか全体がくすんで見える気がする。
帰宅ラッシュの波に押されて駅を歩いていると、人混みの中で誰かがポスターをばらまいていた。すれ違いざまにチラリと見ると、やはりあの文字が!
「クリスマス終了のお知らせ」——背景は真っ赤で、文字は逆に白抜き。ただそれだけが全面にデザインされた不気味なポスターが道端に散乱している。誰もが気味悪がって拾わない。俺は足を止めて一枚拾い上げてみた。裏面にも何も書いていない。
ふと、ポスター配りをしていた男らしき人影を探すが、もう消えてしまっている。人波を縫って追いかけようにも見失った。背筋を冷たいものが走る。昨夜は看板、深夜にはビル投影、そして今日はポスター——いよいよもって尋常ではない。
ようやく家に帰りつくと、妹が酷く青ざめた顔で待っていた。
「おかえり。兄ちゃん、これ見て」
スマホ画面に映し出されたのは、昼過ぎに警察が緊急の記者会見を開いたというニュースの動画だ。広報担当者が「悪質な迷惑行為であり、情報提供を呼びかけている」という内容を述べている。さらに、これまでに複数の市民から、血のような液体で文字が描かれていた看板を見たという通報が相次いでいるらしい。
「やっぱり血とか……まさか本物? いややな、気持ち悪い」
「そこまではまだ断定できへんのちゃうか。けど、確かにただのペンキとは違う感じやった」
「それがどんどん拡散されてさ、SNS上でも“このまま日本が滅ぶ”みたいな謎の陰謀論が出始めとる。どないなってん」
妹の手が震えていた。俺は冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぐと彼女に手渡す。ちびちびと飲むうちに、多少は落ち着いたようだ。
クリスマス当日の夜。いつもなら恋人たちが盛り上がるであろうこの時間帯に、街はすっかり冷え切った空気をまとっている。SNSやニュースに踊らされ、みんな不安を抱えているように見える。俺も妹も気を紛らわせるためにテレビをつけたが、どのチャンネルでも同じ報道ばかり。「“クリスマス終了のお知らせ”は誰の仕業か?」と専門家やコメンテーターが好き勝手に持論を語っている。陰謀説、宗教団体説、新興アート説、どれも説得力に欠ける。妹がつい声を荒らげる。
「もうええわ! こんなん見てても不安になるだけやん」
「せやな。いっそ全チャンネル“終了”してくれたら、清々しいんやけど」
「いや、なんでやねん。情報ゼロも困るわ」
思わず二人で吹き出した。こんな笑いでも、少しは心が軽くなる。
そうこうしているうちに時刻は夜十時をまわる。クリスマス当日もあとわずか。妹がソファでゴロリと寝転んでスマホを眺めながら口を開く。
「これ、日付変わった瞬間に何か起こるんちゃうかって噂になっとる。いわゆる“本当の終了”が来る、みたいな……」
「また大げさな。ネットはいつでも騒ぎたいだけやろ」
「だとしても、昨日の深夜にあれだけ奇妙なことがあったわけやし」
「……」
言い返せない。昨夜のビル投影から考えると、日付が変わるタイミングで、何か仕掛けがある可能性は否定できない。いくらネット上のデマだと言い聞かせても、心は落ち着かなかった。
結局、俺たちはまた日付が変わるまで起きていることにした。まるで心霊現象を見張る実況配信者みたいだが、落ち着かないものは仕方ない。冷蔵庫の中にある残り物をつまみつつ、カウントダウンを待つように時計を見つめる。
23時50分。外からドスンという重い振動音が聞こえてきた。地震かと焦ったが、揺れは感じない。妹と顔を見合わせ、意を決してベランダのカーテンを開けてみる。遠方にあるビルの上部にぼんやりと赤い文字が漂っていた。
「な、なんか出とる……またや。今度はなんて書いてあるん?」
「ちょっと読みづらいな……“クリスマス——終了……の、お知らせ……”?」
「え、微妙に変化してるような?」
一部が切れているのか、はっきり読めない。だが、確実に赤い文字は街に浮かび上がり不気味に歪んでいた。見るうちに俺の心音が早まる。妹の手が震えているのが伝わってくる。
23時59分。街は静まり返っている。昼間の騒ぎが嘘のように、皆が身を潜めているのかもしれない。駅前のイルミネーションが淡く瞬き、どこからか吹く風がかすれた笛のような音を鳴らす。妹が小さな声でつぶやく。
「あと1分で……本当に“終了”するのかな」
「わからん。でももし何かあったら、すぐ逃げるぞ」
「うん……」
大晦日でもないのに、カウントダウンするような雰囲気。時計の秒針が動くたびに胸が苦しくなる。息を殺して待つ。やがて、日付変更の瞬間——
カチリと時計の針が動いた刹那、それまで遠くにぼんやり見えていた赤文字が一気に消え、街が闇に沈んだ。さっきまで煌々と光っていたイルミネーションの電源が一斉に落ちたようだ。思わず妹が悲鳴をあげる。
「ぎゃああっ、真っ暗!」
「落ち着け、停電かもしれへん……」
そう言いながら、部屋の電気は消えていない。冷蔵庫のモーター音も聞こえる。つまり家の中は無事。しかし街灯やビルの照明が一斉に消えてしまったのだ。まるで“クリスマス終了”と同時に、世界の灯りが終わったかのような光景。
恐る恐るベランダから外を見ると、わずかにヘッドライトをつけた車が走っている以外は真っ暗。周囲の家々も電気が点いているのかどうか、距離があるせいで確かめにくい。ごく近所だけは明かりがあるようだが、とにかく街全体の煌びやかさが消え失せた。
「何が起こってるん……」
「わからん。けど、ひょっとして——」
俺が言いかけたとき、スマホに緊急地震速報のような警告音が鳴り響いた。それは防災情報や災害警報ではなく、民間の防犯アプリからの通知だった。画面を開くと、そこには大きくこう書かれている。
「“メリークリスマス——終了しました”」
妹が口を開く前に、俺は急いでSNSを確認する。みんな同じ通知を受け取って混乱しているようだ。一体誰が、どこで、どうやって? 想像を超えた大規模な悪質行為だ。暗黒の街に浮かぶスマホの画面だけが人々の不安をあおる。
「もしかして、本当にこれで終わりなん?」
妹が震えた声で言う。俺はどう返せばいいかわからない。クリスマスの当日が終わって、当然次の日が来るはずだ。なのに、この惨状。もしこれがクリスマス“だけ”の終了で終わればいいが、妙な予感が胸をよぎる。
そのとき、遠くのほうでパチパチという小さな音が鳴った。花火のようでもあり、電線がショートするようでもある。夜の底から、かすかな赤い光がちらついては消える。
「……まさか、まだ続きがあるん?」
妹はおびえた表情を向ける。俺は生唾を飲み込みながら彼女の肩に手を置いた。その赤い光は、いくつも点在しながら街へ広がっているように見える。ポツポツと点火するランタンのようにも見えた。
「終わるっつうか、逆に“始まる”感じがすんねんけど」
「え、なにそれ……やめてよ、怖い」
俺たちは息を呑んで窓の外を見続けた。そのパチパチという音がだんだんと増えていく。まるで闇の中で火花を散らすように、街が不気味な赤い点を無数に宿していく。
——“クリスマス終了のお知らせ”という言葉が、たった一日のうちにここまで不気味な存在感を放つようになるとは、誰が想像しただろう。浮かれた飾り付けや、甘ったるいケーキの匂いにかき消されていた闇が、一気に表へ押し出されたかのように街を覆っている。恋人たちの囁き声も、家族団欒の笑い声も、すべて止まってしまったようだ。
静寂の中、俺は妹と目を合わせる。まるで何かに対する覚悟を共有するかのように、軽くうなずきあった。クリスマスイブが終わった瞬間から“何か”が侵食しはじめ、そして本当の意味での“クリスマス終了”が通達された今、さらに次の段階へ——。その“何か”を止められる方法があるのかどうか、皆目見当がつかない。
呼吸するたびに冷たい夜気が肺を刺す。外の赤い光はどんどん増えているようだ。遠くで誰かの絶叫が聞こえたような気がして、妹が肩をすくめる。正直、俺だって逃げ出したいが、どこへ行けばいいのかわからない。こうして家に留まるしかない状況に笑いが込み上げてくる。俺は震える声でジョークを言った。
「……こうなったら、サンタさん呼んでまえって話やな。え、サンタはどこ行ったんや?」
「そもそも、もう“終了”してるからね。サンタもトナカイも正月のだるまも、みんなご退場ってか」
「なんでやねん、こんな結末ってアリかいな」
二人して自分たちの言葉に苦笑するしかない。不可解な闇と赤い光が広がる中、夜はずるずると深まっていく。時計を見たら、もう日付が変わって30分以上経っている。クリスマスなんて、カレンダー上ではまだ今日が終わったばかり。なのに、まるで世界が闇に塗り替えられてしまったかのようだ。
ふと外を見ると、先ほどまで強く灯っていた赤い点のひとつが、すうっと消えた。すると周囲の点もいくつか同時に消えていき、その場には重苦しい黒だけが残る。まるで拍子抜けするほど静かだ。
「終わった……んかな?」
妹がか細い声を出す。その瞬間、スマホの画面が一斉に明るく点灯し、SNSの通知がどっと押し寄せてきた。一瞬で表示しきれないほどのメッセージが流れていく。
「なになに? 『少しずつ明かりが戻ってきた』『謎の赤い光が消えた』『ただの停電だった?』……何が本当?」
「さあ……どうやろ。みんな必死に情報交換してるっぽいな」
俺たちは言葉を失い、部屋の照明だけがやけにまぶしく感じる。どうやら街のイルミネーションも一部が復旧しているらしい。ただ俺の胸には、何か不吉なしこりのようなものが残る。“本当に終了したのはクリスマスだけなのか”——そんな疑問が消えないのだ。
外を見れば、赤い点はもう見えない。遠くのビルにも例の文字は現れていない。まるで、すべてが幻だったかのように静まり返っている。だが、クリスマスという華やかな日を境に、何か別の世界へ移行したのではないかという嫌な予感が拭えない。妹も同じ思いなのか、小さくこう言った。
「お兄ちゃん、たぶん……これで全部じゃないよね。まだ、何か始まったばかりって感じがする」
「そうやな。ま、いつか“新年終了のお知らせ”とか出てきても驚かへんで」
「いや、絶対イヤやわ。それだけは勘弁して……」
そのやりとりに、俺たちはまた笑ってしまう。冗談を言い合わないとやってられない。それでもしばらくは夜更かしして動向を見守るしかない。朝が来れば、いつも通り出勤し、いつも通り仕事をするだけ。だが、一度その“夜の異常”を目の当たりにしてしまったからには、普通の日常に戻るのは簡単じゃないかもしれない。
時計の針はまもなく午前一時を指す。いつもの日常なら、こんな時間には深い眠りに落ちている頃だ。妹は「もう寝るわ……」と立ち上がった。その顔にはまだ不安が色濃く残っている。けれど一日中緊張しっぱなしでは人間のほうが参ってしまう。俺もできるだけ穏やかな声で「おやすみ」と返した。
リビングの電気を消し、部屋のドアを閉める。真っ暗な天井を見つめながら、ずっと考えている。“クリスマス終了のお知らせ”——何とも言えない恐怖と滑稽さが同居した言葉だ。あの気味悪い赤い文字、街を包んだ闇、ポツポツと生まれた赤い光。それらはいま形を潜めているだけで、また別の契機が来たら姿を現すに違いない。そう思うと落ち着かない。しかし、それならそれで仕方ないのかもしれない。いつだって世界は移ろい、終わっては始まるのだから。
布団に潜り込むと、遠くで風が唸る音がした。それはまるで、「次の出番を待ってるからな」とでも言っているような、不気味なざわめきだった。俺は無理やり目を閉じる。結局、怖いものは怖い。どうにもならないものはどうにもならない。
こうして長いクリスマスイブと当日が、俺たちに奇妙な爪痕を残して過ぎていった。“クリスマス終了のお知らせ”の印象的な文字が、不気味な未来の予兆でなければいいのだが。
暗闇の中、耳を澄ますと、妹が部屋の向こうで「なんでやねん……」と寝言のようにぼそりと呟いた。その声を聞いた瞬間、思わずクスリと笑ってしまう。こうして普通の笑いがまだある限り、俺たちの日常は完全に終わりはしない……そう信じたくなる。
もしも“次”が来るなら、俺は俺で、その“謎”にちゃんと向き合ってみるしかないのかもしれない。それがどんな悪夢であれ、笑い飛ばして前へ進むために。俺は目を閉じ、眠りの底へゆっくりと身を沈めた。夜の帳が、一切合切を包むように静かに降りてくる——。
——本当にクリスマスが終了したのは、今夜か、それとももっと前からか。それを知るのは、まだ先の話なのかもしれない。
【クリスマス"終了"のお知らせ】 まとめなな @Matomenana
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