第2章 見えない循環
六本木のタワーマンション最上階。天草志乃は、壁一面のホログラムディスプレイに映し出されたデータの群れを凝視していた。深夜3時。神谷涼から送られてきた母・美咲の研究データが、新たな光を放ち始めていた。
「これは...」
画面上で、ミトコンドリアの電子伝達系を示す3Dモデルが回転している。通常の細胞では、この小さな構造体がエネルギー産生の中心となる。しかし癌細胞では、この仕組みが異常を来たしているというのが、ワールブルクの理論だった。
志乃は深くため息をつき、視線を部屋の片隅に据え付けられた古い箪笥に向けた。そこには、師である楢崎皐月から託された巻物が収められていた。カタカムナの伝承。見えるものと見えないものが核で統合する、生命の根源的な
十年前、六甲山での最後の教えを受けた日のことを、志乃は鮮明に覚えていた。霧に包まれた山頂で、
「天草さん、あなたは二つの世界を結ぶ架け橋となる。現代科学という目に見える世界と、カタカムナという目に見えない世界を」
その言葉の意味を、志乃は今まさに理解しようとしていた。彼女は立ち上がり、
「
カタカムナが示すトーラス構造。それは単なる幾何学的な形状ではなく、生命エネルギーの根源的な流れを表していた。志乃は大学院時代から、この構造と現代医学の接点を探り続けてきた。そして今、神谷美咲の研究データの中に、決定的な証拠を見出そうとしていた。
志乃の
ホログラム画面に、新たな解析結果が表示される。
「ミトコンドリア活性異常:トーラス構造の
「エネルギー
データは明確な相関を示していた。ミトコンドリアの異常は、カタカムナが示す生命エネルギーの循環構造の歪みとして捉えることができる。癌細胞では、この目に見えない流れが破綻し、その結果として異常な
「神谷先生、緊急でお会いしたいのですが」
送信ボタンを押した直後、警告音が鳴り響く。
「侵入者検知:研究所セキュリティシステムがハッキングされました」
画面には、第一研究棟のセキュリティカメラ映像が次々と表示される。黒いスーツ姿の男たちが、静かに建物内を移動していた。
「まさか、もう動き出すなんて...」
志乃は急いでタブレットを手に取った。画面には、楢崎皐月の最後の言葉が保存されていた。
『生命の真理は、見えるものの中にだけではない。見えないものとの調和の中にこそ、
それは六甲山での最後の教えだった。以来、志乃はカタカムナの秘儀と現代科学の融合に人生を捧げてきた。彼女は楢崎皐月から受け継いだ古代の叡智を、最新のデジタル技術を駆使して解析し続けた。そして今、その集大成が、彼女の目の前で展開されようとしていた。
「やはり...」
志乃の直感は正しかった。癌細胞における代謝異常は、単なる化学反応の乱れではない。それは生命エネルギーの循環構造そのものの歪みだった。
カタカムナが示す「見えないものの流れ」は、ミトコンドリアの機能と不可分に結びついている。そして、その調和を取り戻すことこそが、真の治癒への道なのかもしれない。
タブレットが再び振動する。涼からの返信だ。
《六本木ヒルズ展望台、4時に》
志乃は急いで準備を始めた。バッグに巻物を収めながら、彼女の脳裏には楢崎皐月の言葉が響く。
「カタカムナの真理は、時が満ちた時にのみ、その姿を現す」
今こそが、その時なのかもしれない。彼女は防犯カメラの映像をもう一度確認し、慎重に部屋を出た。エレベーターを避け、非常階段を選ぶ。夜の街に紛れ込むように、建物を後にする。
夜明け前の東京。古代と現代が交差する中で、新たな医学の夜明けが、静かに始まろうとしていた。
▢▢▢ 次回予告 ▢▢▢
暗闇に
世界へと広がり始めた母のデータ。
そして、京都の地下データセンターで待ち受ける新たな脅威。
次章「遺伝子の向こう側」。涼の決断が、医学の未来を変える。
次の更新予定
ワールブルクの忘れられた遺産(癌は怖くない) 三分堂 旅人(さんぶんどう たびと) @Sanbundou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ワールブルクの忘れられた遺産(癌は怖くない)の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます