好きになっていく。野良猫に傘を貸す君を。

ななよ廻る

第1話 雪降る聖夜に、野良猫に傘を貸す典型的な不良と遭遇する

「どうして、そんなに優しくしてくれるの……?」

 手が頬に伸びてくる。

 細い指。冷たいのに、触れられた箇所から熱が広がっていく。

「どうして、て」

 動揺が胸を叩く。

 これまで誤魔化してきたけど、理由なんて明白で。

 大人びているのに、無垢な瞳に突き動かされるように震える唇を開く。


 ――好きだからに決まってる。


  ■■


 朝、隣の席はいつも空席だった。


 窓際の1番後ろの席。授業を受けるには難儀する席だけど、窓際で後ろなんて高校生活においては特等席みたいなものだ。

 クラスメートの誰もが羨望の眼差しを向ける。そんな席……のはずなんだけど、向けられるのは同情の色が多い。

 それは隣の席に座っているのが、とびきりの不良だったから。


「……おはようございます」

 3時間目の半ば。現国の授業中に彼女は登校してきた。

 相手を威嚇するような目つきの悪さ。目の下の隈が余計に冷淡な印象を強めている。

 着崩した制服に、ピアス。

 その上、堂々と遅刻しているのだから、教師から指導を受ける理由に事欠かないのだが、現国担当の老齢な女性教師は、顔を顰めて「次からは気をつけるように」と言うだけで席に座るように促す。

「はい」と、遅刻してきた女生徒は反省の弁を述べることはなく、ただ頷くだけだった。


 次からは気をつけるように、ねぇ。

 その台詞を今週だけで何度、教師の口から聞いただろうか。授業があった日数分はあったように思う。

 女生徒はそのまま教卓の前を通り過ぎて窓際に歩いて直角に曲がる。そのままLを描くように歩くと、窓際から2列目の1番後ろ。つまり、俺の隣の席に鞄と腰を下ろした。


 12月の気候と相まって、冷蔵庫並みに冷え込んだ空気を気にすることなく、鞄から現国の教科書のノートを取り出して、平然と授業を受ける姿勢になっている。

「……んんっ。授業を再開します」

 凍った空気を変えるように咳払いをした現国教師が宣言するが解凍には至らない。気まずさばかりが教室内に蔓延している。


 俺は心の中でため息をついて、隣を見る。

 席の位置を羨ましがられなかった理由。

 教師も怯える女生徒、湖月こづきユキハが隣の席だったから。


  ■■


 不良って、本当に野良猫に傘を貸すことってあるのか。

 12月も間もなく終わる。世間がホワイトクリスマスと洒落込んでいる頃、隣の席の不良生徒が公園で野良猫に傘を貸していた。

 こんこんと雪が降る中、震える黒猫を膝に抱えて公園のベンチに座っている。

「寒いよね」

 そう呟いて、コートの中で震える猫の背を撫でていた。


 スカートに素足。

 コートも羽織らず、防寒はマフラーだけ。

 見てるこっちが寒そうなのは湖月なのだが、自分のことなんて構わず、自分のコートにくるんだ猫をしきりに撫でて温めようとしている。

 その姿を見ていると、不良という教室で抱いている印象が薄れそうになる。


 このままなにも見なかったことにして帰る。それが1番、面倒にならないだろう。誰にも責められない。

 けど、それは俺にとっての1番で、

「どうしようかな、このままだとバイトも遅れちゃう」

 でも今の状況も、これからの予定も困りきっている女の子を見捨てるほど、俺は薄情ではなかったらしい。関係ないけど、うちの高校はバイト禁止だ。


 公園の入口にある柵を避けて、積もった新雪をぎゅっと踏む。

「……?」

 音が聞こえたからか、傘に隠れていた顔を上げた湖月は、近付いてくる俺を見てくる。その鋭利な目にうっとさっそく臆しそうになるけど、公園の敷地に踏み込んだ勢いで彼女のそばにざっくざっくと駆け寄る。


旭陽あさひ……?」

 ぐっと下瞼を持ち上げて睨んでくる。

 それに呼び捨て。いいけど。

 強い眼力にたじろぐも、いまさら尻尾を巻いて逃げ出す気はない。……いや、ちょっとはあるけど、ぐっと堪える。


「なにしてるの?」

 怖いからか、それとも寒さのせいか。

 声が震えるけど、どうにか尋ねる。なにしてるかなんて見ればわかるけど、こういうのは話のきっかけだ。なんだっていい。

「見てわからない?」

 ……きっかけだから、なんだっていいけど、伝わらないこともあるよね。


 冷たく突き放されてひぇっと泣きそうになりながらも、「野良猫を保護してる?」とどうにか絞り出す。

「……保護してるわけじゃない」

 答えたら答えたで否定される。この子と接する方法がわからない。怖い。「そう、なんだ」と応えるのがやっとだった。


「うん」

 と、頷かれる。……ここで止まると、雪降る極寒の中、2人と1匹で凍えるだけになってしまう。

 頑張れ俺と鼓舞しつつ、どうにか会話を試みる。

「湖月さんの飼い猫、ではないんだよね?」

「この公園の子。たまに見かける」

 ちゃんと返事はしてくれることに胸を撫で下ろす。


「たぶん、野良。最近、寒かったから心配だったんだけど、雪が降ってきて、見に来たらベンチの下で震えてたから」

「連れて帰れないの?」

「……家、アパートで動物飼えない」

 その声には悔みと、同時に残念さがにじみ出ていて、心配なのもあるが単純に飼いたいと思っているのかなと感じた。


 やっぱり、あれだろうか。

 人間には怖がられるから、懐いてくれる動物が好きになるというか優しくなるというそういうやつ。それとも、湖月も女の子だった、ということか。

「なに?」と横目で見られて、なんでもないとぶんぶんっ首を左右に振る。心の声が聞こえてるとかないよな。


 ただまぁ、事情はだいたい把握した。

 家には連れて帰れない。バイトがあるから、これ以上留まることもできない。

 さてどうしようと立ち往生……この場合座り往生? わからないけど、困っているのは確かだろう。

 声をかけた手前、なにもしないわけにもいかない。そうなんだーわかるーという共感同情は女性コミュニティーだからこそ許されるのであって、俺がやったらただウザいだけだ。


 湖月の正面に回ってしゃがむ。

「触っていい?」

「いいけど」

 仰ぐと、控えめだけど頷いてくれたので、コートの中から出ている猫の頭をそっと撫でる。大人しい子だ。警戒することなく、俺の手を受け入れてくれる。

 それとも、手から伝わってくる体温の低さもあって、抵抗する元気すらないのか。


 猫の気持ちなんてわからないけど、可哀想だなと思うには十分だった。それに、これだけ大人しいならなんとかなるだろうとも。

 よしよしと撫でながら、第1保護者に提案してみる。

「うちで預かろうか?」

「――いいのっ?」

 ぐっと顔を迫ってきて慄く。

 まさかこんな前のめりな反応を示されるとは思わず、「お、おぉう」と返事なのか鳴き声なのかよくわからない声がもれる。


 あまりの近さに視線を泳がせながら、言い訳のように口を動かす。

「まぁ、うん。平気。ただ、飼えるかはわからないから、一旦預かるって形になるけど」

 いいかな?

 と、そっと窺うと、パッと華やぐような笑顔を浮かべてくれる。

「それだけでも助かる。ありがとう、旭陽」

「お、おぅ」

 ……そんな顔もできるのか。

 初めて見る湖月の笑顔がどうしてか直視できず、顔を逸らす。

「どうかした?」

「……なんでもない」

 本当に、なんでもないはずなんだけど。

 雪が降るぐらい寒いのに、顔が妙に熱かった。


  ■■


 ――預かってくれるなら持っていって。

 そう言って渡されたのは猫缶や、ペットシーツといったペット用品だった。

 待っていって。

 雪の中、女の子のコートと猫を預かった後、戻ってきた湖月からコンビニの袋ごと渡された物だ。


 買ってしまった後なので断るのも難しくお礼を言って受け取ったけど、折半ぐらいはするべきだったか。家に帰ってからそんなことを思い悩む。

 が、それは今度でいいだろう。

 ベッドに腰掛けながら室内を見ると、預かった猫が電気ストーブの前で丸くなっていた。ホットカーペットとダブルで丁度いい位置なのかもしれない。


「もっと警戒する生き物だと思ってたんだけど」

 テレビで見る猫は、カーテンやテレビの裏に隠れているイメージがあった。どうあれ、初めて訪れた家で、堂々と姿を見せているなんてことはないはずだ。

 警戒心が薄いのかな。

 ベッドから下りて撫でてみても、離れていこうとはしない。丸まったまま、されるがままだ。ただ、その毛並みはガサガサで、猫を撫でた時に想像するようなふわふわさはない。飼い猫ならともかく、野良猫ならこれが普通なのかもしれないけど、心配になるごわごわさだった。


「風呂、入れるか」

 人用のボディソープやシャンプーを使っていいかはわからないのでお湯だけ。流すだけでもだいぶ違うはずだ。

 そう思って、猫をひょいっと抱える。

「うーん。軽い」

 成猫だと思うんだけど、綿の塊を抱えたぐらいの重さだった。都会の冬は野良猫には厳しかったか。そのまま抱えて風呂場に向かう。

 一応、途中でリビングでテレビを観ている母親に声をかけておく。


「猫、風呂入れる」

「私がやろうか?」

 ぎゅんっと振り返った母親が目をギラギラさせていた。腕の中の猫がびくっと震えたので、「自分でやる」と丁重に断る。

「そう」となんだか残念そうな声。

 そんなに猫好きだったのか?

 飼えるかの相談はまだしてないので、とりあえず預かるとだけ伝えてある。急なことなので難色を示すとも思っていたのだけど、むしろ喜色いっぱいの笑顔でこっちの反応に困ったほどだ。


 そういえば、昔実家で飼ってたとか言ってたっけか。

 うずうずと構いたそうにしていたのを追い返して、どうにか部屋に運んだのだけど、これなら飼うのも反対されないかもしれない。

「……すでに粗相はしてるんだけど」

 意外と匂うんだなと、いらない知識が増えてしまった。

 

「じゃー、洗うよー」

 風呂場で下ろすと、不思議そうにキョロキョロしている。その仕草は幼気で、猫の愛好家がいるのも頷ける可愛さだった。

 頬を緩めながら、シャワーヘッドを手に持つ。水を出すと、驚いたのか目を丸くして毛を逆立てている。

 じーっ、とシャワーの水を睨んでなんだか警戒モード。


「大丈夫……?」

 心配になる反応。

 とはいえ、汚れを洗い流したいから、我慢してもらおう。

 ……なんて、人間の考えを押し付けたのがいけなかった。


「ま」

「ちょ」

「おとな」

 お湯になったところでかけてみたら、暴れる暴れる。風呂場に逃げ場がないからか、室内をあっちこっち駆け回って、シャンプーを蹴っ飛ばし、桶をすっ飛ばし。

 諦めてドアを開けると、ぴゅーっと風のように飛び出してしまった。

「猫って、こんなに風呂嫌いなのか……」

 びしょびしょになって風呂を出ると、「だから私がやろうかって言ったのに」と母親に笑われてしまった。

 だからって。

 知ってたなら先に言ってほしかったよね。


  ■■


 その連絡が来たのは夕飯を食べ終えて、ベッドの上でうとうとしていた時のことだった。

 定位置になったのか、ストーブの前で丸まっている猫をぼやけた目で眺めていたら、スマホが震える。

 前に垂れていた猫の耳が反応してピクリと起き上がった。

 夜で外は雪だ。

 室内もしんしんとした静けさがあるが、たかがスマホの振動でこの反応。

「サイレントモードにしとくか」

 慣れるまではそうするべきかと考えながらスマホを見て、「おぅ」と声が出る。連絡してきた相手に驚いたからだ。


「こんな夜に」

 届いたメッセージの対応に悩む。でも、心配なのもわからないでもない。

 あんまり遅くならないならと前置きしつつ、了承と住所を送り返した。

 それから30分ぐらいか。

「ごめん、こんな夜に」

 頬を赤くし、寒そうに白い息を吐く湖月が玄関の前に立っていた。


  ■■


「よかった」

 猫を見た第一声は安堵に満ちた声だった。普段の強面からは想像できないほど相好を崩していて、よっぽど心配だったのが窺える。

 返事するようににゃぁと鳴いた猫は、ストーブの前から離れててこてこ歩くと、湖月が伸ばした手のひらに自分からすり寄っていく。


 懐かれてるなぁ。

 俺は抱きかかえることはできても、自分から近づいてくることなんてなかった。それだけ、この猫のことを可愛がってたということだろう。


 女の子と猫の触れ合いにほっこりしてると、湖月がしゃがんだまま振り返ってきた。その顔は申し訳なさそうで、初めて見る表情に瞼がわっと持ち上がる。

「ありがとう。急に猫を預けただけでも迷惑だったのに、こんな遅くにこの子と会わせてくれて」

「いいよ。それに気になるでしょ?」

 別れる前に連絡先を交換しておいた意味もあったというものだ。

「バイトは間に合った?」

「なんで知ってるの?」

 不思議そうにされて、そういえばそのことは直接聞いてなかったなと思う。不信感を抱かれてはいないようだったので、「公園でこの子に言ってるのが聞こえて」と素直に答えたら納得してくれた。


「遅刻したけど、少しだけだから」

「そっか」

 ならよかったと頷いたのだけど、どうしてか困ったように目尻を下げられた。

「学校に報告する?」

「ほうこ……? あぁ」

 バイト禁止だからか。

 しないしないと手を振る。

「する意味ないから」

「そっか。ありがとう」

「いいって」

 今日だけで何度目かのお礼を照れながら遠慮する。見慣れないせいか、どうにも湖月の笑顔が苦手だった。直視できない。


 安否を確かめて安心したのか、湖月は来て10分もしないで帰ろうとしていた。「長くいても迷惑だから」と苦笑する。

 もっといてもいい。

 そう否定できればよかったんだけど、たいして話したこともないクラスメートの女の子を自分の部屋に押し留めるというのも、よくないことのように思えた。

 なにより今日は聖夜だ。

 顔見知り程度の男女が過ごすのに、これほど不適切な夜もないだろう。だから、気にしないでとだけ伝えて玄関で見送る。

「なにかお礼ができればいいんだけど」

「これ以上、俺を気にしないでお化けにさせないでくれ」

「なにそれ」

「気にしないでー」

 そう言ったらくすりと笑われた。

 なんだか気恥ずかしくなったけど、素の笑いが見れたようで嬉しくもなる。


「それならこれ」

 コートのポケットから取り出した紙を差し出される。

「コーヒー1杯無料券?」

 知らない店の名前だ。喫茶店だろうか。

「今度飲みに来て」

「え、あぁうん」

 わからないまま頷くと、傘を差して聖夜の闇の中に消えていく。玄関でそんな彼女を見送って、渡された無料券を見る。

 まぁ、お金を渡されるよりはいいけど。

「クリスマスプレゼントがコーヒー1杯の無料券っていうのも、寂しいなー」

 なんだかおかしくて、笑ってしまう。


  ■■


 冬休みが始まって終わる。

 その間、湖月に会ってはいなかった。あの時、拾った猫を飼うことを報告すると、『そうなんだ。ありがとう』とメッセージが返ってきてそれっきり。

 時折、部屋の窓を向いて、にゃぁと猫が鳴いているのが印象的だった。


 年が明けて最初の授業。

 氷室ひむろのような体育館での始業式に始まって、換気のための窓の開いた教室で受けるホームルーム。

 カーテンが揺れて、北風が吹く室内はそれは寒く、学校に来たことを後悔し始めていた。


 家でぬくぬくしてればよかった。

 寒さに震えながらまだまだ自分から寄ってきてくれない猫を想っていると、教壇でこれからの予定を語っていた担任教師の声が途切れる。

 なんだ。

 顔を上げると、今登校してきたのか、相変わらず目つきと顔色が悪い湖月が扉を開けて立っていた。

 担任教師がなんとも言えない顔をしながら、「席について」と促すと、こっくりと頷いて歩き出す。


 真っ直ぐ教壇の前を歩いて、窓際で曲がる。

 このクラスでは見慣れた光景。

 そのまま席に着くまでがいつもだったのだけど、今日は少し違った。

「おはよう」

 椅子に座った湖月が、口元に手を当ててこしょっと挨拶をしてくる。驚いて顔を向けると、彼女は微笑みを浮かべていた。


 目をパチクリさせて、俺も小さく「おはよう」と挨拶を返す。

 窓際の一番後ろ。

 いい席なのに、誰も羨まない席だったはずなのに。

 ここでよかった。

 そう思える席になりそうな、そんな予感をさせる『おはよう』だった。

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2024年12月26日 08:03
2024年12月27日 08:03

好きになっていく。野良猫に傘を貸す君を。 ななよ廻る @nanayoMeguru

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