雪のドールと英雄の冬

❄️風宮 翠霞❄️

ただ穏やかな時を

 とある国の辺境にある丘の上。

 静かに佇む屋敷の中で、男が足を組んで読書をしていた。


 男は綺麗な藍色の髪を後ろで一つに雑にまとめていて、雪で反射された光を受けて輝く紫色の瞳を伏せて……本の文字列を追っている。

 シンプルなデザインのシャツとスラックスという服装が、男の上品さを際立たせているように見えた。


 外は一面が銀景色となっていたが、部屋の中は暖炉でパチッ。と爆ぜる薪のおかげで暖かい。


「なぁ、ネージェ」


 疲れたのか、ふと窓の外を見た男が……自身の後ろに佇む存在へと、声をかけた。


「はい」


 男の後ろにいた執事服の少女は、素早く……そして静かに応える。

 シルクのように輝く銀の髪を緩く三つ編みにしてまとめ、水色の瞳は真っ直ぐ主人を……男のことを見ていた。


 戦争が終わり、男と彼女……ユグラルシアとネージェが二人でこの屋敷へと移ってから、そのまっすぐな瞳が変わったことはない。


「今、幸せか?」


 かつて戦場で、と言われて敵の抹殺の為に使われた力……魔術を使って自分の為に淹れられた紅茶が置かれるのを見ながら、男は彼女にそう尋ねずにはいられなかった。


「……そう、ですね。主人様マスターは、私を人形ドールとして尊重しながらも……気遣ってくれますから。私には幸せというのがどういうモノなのかわかりませんが……きっと、幸せというのは今のことを言うのだろうと思います」


 ネージェの答えは、回りくどいものではあったが……それでも、男を満足させた。


「そうか……」


 男が【英雄】と呼ばれるようになった理由である戦争が終わりを告げてから、時が流れること早十年。

 ただ命令を聞いてそれを遂行するということだけを目的として教育を施された少女……感情を失った少女をネージェと名付け、戦場を駆けた記憶は過去のものだ。


 だが、その全てがなくなったわけではない。


 雪が降ると、今でも思い出す。


 目の前で消えた、命の灯火を。

 倒れゆく戦友達の姿を。

 自身の右足が失われた痛みを。

 人を殺めた後悔を……自身の罪を。


 白い足元が、赤く染まっていく中……必死で魔術を放った恐怖が蘇る。


 戦争が終わってすぐ、男はというものを知らぬ二人で辺境にこもった。


 戦争における【英雄】というものが、ただの人殺しを正当化したモノであると……【英雄】になった男自身が、一番よくわかっていたから。


 恐怖を抱えて人を殺した自分が英雄と呼ばれることが、耐えられなかったから。


 雪は、そのきっかけとなった記憶の全てを思い出させる呼び水となる。

 だが、男は口を開いた。


「ネージェ……雪が止んだら、二人で外に出ようか。きっと、楽しいだろう」


 男はネージェに告げながら、自分の口元が珍しく緩むのがわかる。

 義足で出かけることを、男は好まなかった。

 それに、雪の中出かけるのは戦争の記憶を思い出すから避けていたのだ。


 それでも……かつては、清らかで美しい雪が好きだったから。


 執事服のネージェの白手袋の下にあるのは、義手だ。

 自分を守り、傷付いた。

 そんな彼女が、毎年雪を眺めて楽しそうにしているのを知っていたから。


「それは……はいっ。楽しみに……そう、楽しみにしていますね」


 ネージェと出かけたいと思った。


 最近は時々、穏やかに微笑むようになった……雪の精霊のような少女と。


 儚く、美しい。


 だから男は、少女にネージェ……『雪』と名付けたのだ。

 心が壊れそうな戦場で、かつて自身が好きだった情景を思い浮かべて。


「……雪は、やっぱり綺麗だ」


「そうですね……」


 ネージェと男は、かつて激動の戦場で壊れた心を繋ぎ止めるように……二人で静かに、そして穏やかに笑った。


 窓の外では積もった雪が光を反射し、部屋の中をキラキラと照らす。

 それはまるで……再生し、絆を深める二人を祝福しているようにも見える。


 一年が終わりかける中、屋敷は何処までも穏やかだった。

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