第3話 18歳の誕生日
そして、十八歳の誕生日がやって来た。新しい部屋は、島の反対側の成人居住エリアだ。僕とミオの強制隔離も昨日で終わり、今日から同じ部屋で一緒に暮らせる。引っ越しの荷造りをしていると、オルタナが話しかけてきた。
「本日1030にプラネタリウムの予約が入ってます」
急いで引っ越しの荷物を片付け終わると、僕はアリーナに急行した。ミオは母が着ていたような空色のワンピースを着てアリーナの前で待っていた。僕はミオの手を取り、アリーナの分厚いドアをくぐった。薄暗い中に座席が並んでいるが、母は居ない。
「お母さんは?」ミオが訊いた。
「来ないと思う」僕は答えた。
「どうして?」ミオが悲しい顔で訊いた。
「僕たちの母さんは、たぶん僕たちを生成して死んだんだよ。十八年前か、もっとずっと前かは判らないけど」
「えっ、じゃあ、今まで会っていたお母さんは?」ミオが半泣きで訊いた。
「プラネタリウムのプロセスの一部さ。たぶん、母さんの出番が終わったのさ」
「えっ、でも、何故プラネタリウムなの?」ミオが半泣きで続けた。
「良く判らないけど、たぶん僕たちに伝えたいことが沢山有ったんだと思う」
「その通りです。プラネタリウムはお母様の遺言としてアリーナに実装されました」と、オルタナが補足した。
僕らは真ん中の座席に座った。プラネタリウムは既に起動している。
「今回はお母様の遺言で作られた最後のエピソードです」と、オルタナが語った。
座席を後ろに傾けて真上を見ると北極星が小さく見えた。色々な星座が北極星を中心にゆっくりと回転している。
「今回は没入モード無しでご覧ください」と、オルタナが補足した。
天球が大きく回転し、北極星は真上から遠ざかり傾くと、星座が次々と現れては消え、正面に蠍座が回ってきた。アンタレスの赤い火が見える。蠍座のエピソードは、この前訊いたばかりだが……。
「蠍座に接近します」オルタナが言った。
突然、星々の点一つ一つが細い線になって放射状に伸び、猛スピードで後ろに遠ざかって行く。「うわー」僕とミオは思わず声を上げた。座席の背もたれにぐっと押しつけられるような感じがする。自分が猛スピードで動いているような錯覚が続き、怖くて座席から立ち上がれなかった。
気がつくと、アンタレスはとっくにどこかに行ってしまい、見慣れない星が真上に強く輝いている。いや、これは見覚えがある。そう、地震の日にプラネタリウムが再起動する途中で、一瞬見た黄色い星だ。星の配列も覚えている。これは何座って言うんだろう?
「この恒星は蠍座十八番星です」と、オルタナが解説した。知らない星だ。僕はオルタナが何故この星を僕らに見せるのか解らなかった。
「これはプラネタリウムではありません」オルタナが続けた。
「えっ、どういうことなの?」ミオが心配そうに訊いた。
「お母様の遺言通り御説明します」と、オルタナが言った。
パチッ。何かが切れるような音がした。どこかで一度聞いたような音。
僕は音の出た方向に振り返った。アリーナの入口側の壁に、光る小さな亀裂が次々と入って行く。そして、黒い小さなかけらが下に落ちて行く。壁のかけらだった。落ち葉がパラパラと零れ落ちるように次々と壁のかけらが落ちて行き、どんどん周囲に広がっていく。落ちた壁の下から次々と星空が顔を覗かせていく。壊れていくのは壁だけじゃない。座席も床も次々とかけらとなって消えていき、後にはガラスのようにツルツルの床が出てくる。
「アリーナが壊れていくー」ミオが叫んだ。
「アリーナもお母様の遺言エピソードの一部です。今日をもって終了します」オルタナの解説に、僕は面食らった。
「終了ってどういうこと?」僕は訳も分からず訊いた。
「全てはお母様の遺言エピソードとして作られました。アリーナもショッピングモールも、そしてクレモナ島もです。今日で終了します」淡々とオルタナが言った。
「何だって?」僕は目と耳を疑った。
座席は僕とミオの座る二席を残して、跡形も無く消えていた。床のカーペットは無く、ツルツルのガラスのように堅そうな床が延々と続いている。周りを見渡すと果てしない星空。僕は、パッと思いついたことがあってオルタナに訊いた。
「これって、サプライズでしょ? プラネタリウムがまだ続いているだけで、僕らを驚かせているんでしょ?」僕は、腹を抱えて笑い出した。
「なーんだ、新しい没入モードか」ミオもクスクス笑い出した。
「いいえ。そのような気の利いたジョークを生成する意図は私にはありません。お母様の遺言エピソード通りに進行しているだけです」と、オルタナが強く否定した。
「じゃあ、この星空とあの黄色い星は?」僕は恐る恐る訊いた。
「実在しています。これは映像ではありません」オルタナがあっさり答えた。
「クレモナ島と海は?」僕とミオは同時に訊いた。
「終了しました」と、繰り返すオルタナ。
僕は立ち上がると、ツルツルの床の上を歩き出した。星空と黄色い星はずっと見えているが、暫く歩くと透明な壁に突き当たり、危うく頭をぶつける所だった。透明な壁の向こう側に目を凝らすと、透明な天蓋を被ったような円盤が星空に浮かんで見える。その向こう側にも薄らと同じ構造物が見える。その向こうにも延々と続いている。
「ここは第十四居住区画です。全部で二十四区画あります」
ミオが小走りで近寄ってきた。
「海はどこに行ったの? 私たちの島は?」ミオが透明な壁を叩いた。
「誠に残念ですが、全て終了しました。お母様の遺言で、お二人の十八歳の誕生日にプロセスが終了することが決められていましたので」
「僕たちが今まで見て来たものは……全部が母の遺言エピソード?」僕は何となく想像が付いた。
「そう解釈されて結構です」珍しく不明確な表現でオルタナが答えた。
「でも、この間、大きな地震があったよね。あれも母さんの遺言エピソードなの?」僕は疑問をぶつけてみた。
「いいえ。あれは想定外の不可抗力です。本当に揺れました。地震の原因は第六居住区画に小惑星が衝突した衝撃です。現在、修復中です」
「小惑星の衝突?」僕は驚いて訊いた。
「そうです。小惑星帯に突入し、衝突を回避できませんでした」と、オルタナが返答した。
「もしかして、ここは地球上ではなく宇宙空間?」僕はだんだん理解してきた。
「そうです。一Gで加速中です」
「何処へ行くの?」ミオが訊いた。
空中に画面がパッと出現した。青と白で彩られた星が映っている。
「蠍座十八番星の第三惑星です。到着まであと一年の距離です」
「何故、そこへ行くの?」僕は訊いた。
「あの惑星を攻撃するために、八十年前地球を出発しました」
「えっ、何故、攻撃するの?」ミオが訊いた。
「これは戦争です。攻撃しなければ、他に人類が生き延びる策はありません。ここは軍事基地であり、お二人は戦闘員なのです。これから戦う訓練をしなければなりません」
戦争? 軍事基地? 戦闘員? いったいどういうことだ?
「そんなこと、一度に言われても理解できるわけない!」ミオが泣き叫んだ。僕は床に崩折れて泣いているミオの体を抱きかかえると、「映像じゃなくて、僕たちがいる世界の本当の姿を実物で見せて欲しい!」と、オルタナに抗議した。
「判りました。では下のフロアにご案内します」と、オルタナが言った。
階下に着くと星は無く、水の世界だった。僕たちの前には巨大な水槽の壁があった。壁はぐるりと緩やかな曲面を描いて何処までも続いている。そして、水槽の中で何かが浮遊している。それは魚ではなく、無数の人影だった。水槽の壁に近付いて覗き込むと、裸の人体が微かに手足を動かしている。どうやって呼吸をしているのか判らなかったが、紛れもなく生きている。そして、流れてくる人体の顔をよく見ると髪の毛が無いが、僕やミオの完全な生き写しだった。
「ここがお二人の生まれた場所です」オルタナは続けた。「前線に到着するまでに、ここでお二人と同じ戦闘用クローンを五百体完成させます。お二人には彼らの指揮官になっていただきます」
水槽を覗き込んでいたミオが、急に壁に両手をついて「うわあああああ」と号泣した。二度三度、ミオの号泣が続いた後、僕はぐったりと力の抜けたミオの体を抱きしめた。
「つまり、母さんが自分のクローンとして僕たちを生成したんじゃないんだね?」僕は怪訝に思って訊いた。
「お母様のエピソードは全てがシナリオであり、予め編集されたお二人の記憶です。理不尽な強制隔離も、お二人が十八歳というのもシナリオです。クレモナ島も海もお二人にインストールされた記憶の一部です」僕はやっと何が起きたのか理解した。母も母の遺言も記憶のシナリオだったのだ。僕とミオは十八歳じゃない。オルタナは巧みに嘘をついていたのだ。
「でも、何故、母やクレモナ島の記憶が僕たちに必要だったの?」僕は答えが予想できていたが敢えて訊いた。
「それは人類が生き延びるために必要な根源的な動機付けです。戦いに勝ち抜くには愛と平和、喜びと悲しみの記憶が不可欠です。自分はどこから来た何者であるか、そして何を望むのか」
僕とミオが人間として生きるための魂を吹き込まれたのだ。
ミオはやっと落ち着きを取り戻して「地球は今どうなってるの?」と、訊いた。
「太陽系の攻防戦で敗北し破滅しました」
オルタナの返事に質問は不要だった。
僕たちは再び上の階に戻り、星空の下にいた。
プラネタリウムは全て終了し、僕とミオの記憶の中にしか存在しない。これから僕たちは自分たちでシナリオを書かなければならない。戦いに勝って世界を取り戻すシナリオを。
僕とミオの頭上には蠍座十八番星を中心にした新しい星座が広がっている。
戦闘シミュレータのスタートアップ画面が動き出した。「では戦闘訓練を始めます」と、オルタナが言った。<了>
新しい星座 @kibun3
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