2.いや、もうなんか、色気ダダ漏れである。
「……な」
(冗談でしょ……)
アマリアの背中が冷え、いやな汗がじとりと湧いた。身体が強張り、自然と手は拳を握る。
「中庭で?」
今、サミュエルは女性の顔を知らないと言った。だが後ろ姿でもアマリアが男を投げ飛ばしたのを見られたかもしれない。そうなればその女性は自分だと遅かれ早かれバレてしまう、と彼女は息を詰めた。
「ああ。中庭で間違いないと思う。正確には北棟の1階の廊下を歩いている時に、窓越しに元気いっぱいな声が聞こえて来たんだがな」
「……あ」
アマリアは即座に頭の中で位置を思い描く。彼女が居た中庭は、その昔、戦乱の世には籠城戦のキーポイントのひとつだったと聞いている。
つまり、彼女がベンチに腰かけて背を反らし「服が壁に触れれば汚れてしまう」と思ったその壁が、正に北棟の1階にあたるわけだ。1階は防御の為、天井際に明かり取り用の小さな窓しか開けていないから、梯子でもなければ廊下から中庭を望むことはできない。
あの時、たまたまサミュエルはそこを通りかかり、窓越しにアマリアの声を聞いたが姿を見る事は叶わなかったという事だろう。あの場所から状況を見ようと思えば、一旦大回りをして出口に向かい、中庭に出る必要がある。その間にアマリアは逃げ出したはずだ。
(良かった……姿は見られていない。でも!)
アマリアのピンチはまだ終っていなかった。引き続き背中は冷たいまま、逆に頬にはほんのりと熱を伴っている気がする。彼女は今の自分は普段の冷静な彼女の姿ではないだろうな、と自覚する客観性を持っていた。
だから、思い切ってにへらとした笑みを作ってみせたのである。これは仕事中の彼女にしてはウルトラレアな表情だ。
「どっせい……って……閣下、ご冗談ですよね?」
これでいい。上司の前では常に堅物女の見本のような素振りしか見せない自分が、思わず笑ってしまうほどのおかしな冗談を聞いた、という様に見えるだろう。心の内の動揺はきちんと隠せているはず、と彼女は思った。……が。
「冗談? ……はぁ……」
宰相は夢見るような表情を戻さぬまま、微笑む。それはアマリアの動揺を何倍にも高める、見る強心剤と名付けてもいいぐらいの光景だった。
(うわわっ!!)
アマリアの心臓がバクバクと高鳴る一方、サミュエルはそんな事に気づかず、ただ恋に落ちた瞬間に浸っている。蕩けた青の視線を宙に送り、切なげなため息を漏らすと銀の髪がさらさらと揺れた。その図は色気が匂い立つような……いや、もうなんか、色気ダダ漏れである。
「冗談なものか。あの、生命力の
(ひえええええ! 眩しい!! 目、めが!)
恋を語る姿がいつにも増してキラキラしているサミュエルを直視できず、思わず顔を半分逸らせたアマリア。背中に湧いた冷や汗がツツーっと垂れてきたことでハッと気を取り直し、1分以上が経過したと気づく。
「そ、そうですか……では仕事に戻ります」
「あ、ああ。すまないな。個人的な話をして」
「いえ」
サミュエルはいつも通りの、きりりと冷たさをはらむ仕事の顔に戻った。その横でずっと表情が変わらずにこにこと愛想良くしていたキューテックが口を開く。
「閣下、あと15分で会見のお時間です」
「ではそろそろ行くか。セーブルズ、あとは任せた」
「かしこまりました」
アマリアを部屋に残し、宰相と第一秘書は部屋を出る。ドアの閉まる音がした後も、アマリアはいつも通りぴしりと背を伸ばし書類のチェックを続けた。そのまま5分以上が経過し、万が一にも二人が戻ってこないだろう……というタイミングで。
「……はあ……」
伸びた背骨が抜かれたように、アマリアの背中がくにゃりと丸まり机に突っ伏す。頭を傾け、頬を机に預ける。眼鏡が壊れるといけないので外して机に置いた。
(もしかして…………)
もしかしてどころではない。アマリアも自分でわかっている。
(閣下が恋をした声の持ち主って、私の事よね)
今日の昼、中庭で「えーい、どっせい」なんて腹から声を出した女性が他に居るはずなどない。居てたまるものか。ド田舎の農村や平民が集まる下町ならともかく、ここは国の中心も中心、皆が憧れる華やかな王城だ。城内に居る女性は女性騎士を除けば皆がおしとやかで、非常時でもなければ大きい声を出す事も無い者ばかり。
(ううっ)
アマリアは自分の行動を思い出して、恥ずかしさのあまり思わず頭を左右に揺する。こげ茶色の髪が机で擦れた。
(でもあれだって非常時だったもの!)
下手をすれば貞操の危機もあり得たわけで、あの時の彼女の行動に大きな非は無いと言えよう。だからと言って、取った手段が常識的かと言われれば、まあ……その、珍しいケースではあるが。
それに、既にやらかした恥を後悔するよりも優先させるべき問題がある。サミュエルに正体がバレるかどうかだ。アマリアはもう一度状況を頭の中で整理した。
(うん、このまま私さえ知らんぷりを貫いていれば、声の主だとバレることはないはずだわ)
彼女は無体を働こうとした男を投げ飛ばした後、謝罪もそこそこに立ち去った。入れ替わりであの場に宰相がやってきたとしても、被害者(?)の男性は何があったか決して口を割らないだろう。「女に強引に言い寄って投げ飛ばされた」なんて男の一生モノの恥だろうから。少しだけほっとしたアマリアは再び睫毛を伏せる。
(はぁ……閣下が声フェチ……それもちょっと……かなり特殊な部類のお好みをお持ちだったなんて……)
先ほどサミュエルは、アマリアの野太い声を大地の女神ラーヴァに例えたが、それは普通なら女性に対する褒め言葉とは言い難い。ラーヴァは非常に強く、また10人もの子を産んだ伝説から勝利や豊穣と安産を司る女神ではあるが……およそ美からかけはなれた、ムキムキの姿で描かれているのだ。
(そりゃあ、今まで閣下に浮いた噂も無いわけだわ……)
目を閉じると、先ほどのサミュエルの恋する顔が簡単に瞼の裏に蘇った。美しすぎて、まるで陶磁器で作られたような完璧な顔かたち。その頬が僅かに染まり、青い瞳はとろんと優しく細められ、微笑んだ唇から恋の言葉が零れる姿は。
(はあ、凄かった……破壊力抜群ってああいうのを言うのね)
もしも他の女性ならば皆、あの姿を見てうっとりするだろう。だがアマリアは彼の美貌を心の中では激しく称賛しつつも、彼に恋焦がれる事は決してなかった。
その理由はふたつ。ひとつはアマリアはこの仕事を失いたくないからだ。
彼女は今の仕事にやりがいも感じていたし、忙しくはあるが充分な賃金も貰っていて満足していた。もしもこの職場を辞める事になったら、女の身で同じように働ける場所などありはしない。実家のセーブルズ伯爵家に戻り、以前のように領地経営の手伝いをするのが一番マシな仕事だろう。
もうひとつの理由。それはサミュエルの顔が良すぎるから。
「……閣下があんなに綺麗な顔じゃなかったらな……」
独り言を呟いた後、アマリアは自分が酷く矛盾していると気づいて自嘲した。
(私ったら、バカね。綺麗な顔じゃなかったら、そもそも興味が湧かないくせに)
綺麗な顔じゃなかったら興味が湧かない、とは。平たく言うと面食いだ。実はアマリアは昔から超弩級の面食いだったのだ。あの、宰相への塩対応からは信じられないかもしれないが、イケメンや美女にしかトキめかない正真正銘の面食いである。
……だが、そんな彼女がサミュエルに恋をしないのは、過去のトラウマ……美形に裏切られたからであった。
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美貌の宰相様が探し求める女性は元気いっぱいの野太い声の持ち主らしい……それ私かもしれない 黒星★チーコ @krbsc-k
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