美貌の宰相様が探し求める女性は元気いっぱいの野太い声の持ち主らしい……それ私かもしれない

黒星★チーコ

本編

1.「えーい! どっせい!」で恋に落ちる!?!?


 アマリア・セーブルズは女だてらに文官勤めをしている。


 今をときめく宰相、サミュエル・ドーム公爵閣下の第二秘書官だ。第二って所が実にやっかいである。第一秘書は男性。そして宰相閣下は本当に今をときめいている。


 アマリアはその能力を買われて秘書になったのだが、宰相の激務ぶりとその秘書の多忙ぶりを知らない無責任な連中はこう言うのだ。


「はっ、愛人を日中堂々とはべらせるために第二秘書にしたんだろう」


 なんという侮辱か。それも面と向かっては言われず陰でひそひそと囁かれている。今日も宰相の使いで城内の別の政務官へ書類を届け、執務室へ戻る途中のアマリアの耳に、男達が噂話をしている声が微かに聞こえて来た。


「ほら、あの宰相殿の……」

「くくく、あれが」


 彼女は下劣な連中の下劣な行為に内心腹を立てたが、何も訊ねられていないのにこちらから「愛人じゃありません! 大体、愛人ならもっと美人を雇うはずでしょう!」と言うのもおかしな話なのでぐっと堪えていた。


(くっ……それもこれも……いつまでも妻どころか恋人さえ作らない閣下がいけないのよ!!)


 アマリアの考えは最早やつ当たりである。彼女自身、そうと自覚している。だがやつ当たりもしたくなるというものだ。何故なら……


「ただいま戻りました」

「ああ、お帰りなさい」


 執務室に戻ったアマリアを出迎えたのは第一秘書のイアン・キューテック。黒髪をきっちりと撫でつけ、琥珀色の目に眼鏡をかけた男である。そのキューテックの声に、執務室の奥で書類に目を落としていた男が顔を上げた。その拍子に長い銀色の前髪がさらりと美しい顔の前に落ちる。彼は髪をかき上げながらアマリアに声をかけた。


「お帰り、セーブルズ。首尾は?」

(うっ)


 アマリアはその眩しさに目がくらむ前に、0.5秒で端的に回答する。


「万事つつがなく」

「流石だね。やはり君に任せて正解だ」


 宰相、つまりサミュエル・ドーム公爵閣下は透き通るような青い目を細め、にこりと微笑んだ。


(まっ、眩しっ! 顔が美しすぎます!)


 今度こそアマリアの目がくらむ。だがそれを表に出さない様に必死でスン、と真顔になり素っ気なく答えた。


「いえ、今日は書類のお受取りがミレー様でしたので」


 アマリアは内心の動揺を抑えつつ上司から視線を外し、自分の席に戻る。


「ああ、ミレーか。確かに彼ならその場できちんと確認してくれるからな」

「はい。皆があの方のようでしたら話が早いのですが」

「ははは。まあ皆が皆、優秀なわけではないからね」

(くっ、笑い声すらキラキラね。目に毒だけじゃなくて耳にも毒ってなんなの!?)


 サミュエルは今をときめく宰相閣下である。そう。その手腕の高さだけではなく「氷の貴公子」と呼ばれるほどの美しい顔と出で立ちで、世の女性達をときめかせているのだ。ただ、群がる女性に対するその態度も「氷」の名に相応しい程に冷たく、婚約者も決まった恋人もいないまま公爵位を親から受け継ぎ、22歳の未だ独身である。

 ――――そう、その筈なのだが。


「セーブルズ」

「はい?」


 上司に名を呼ばれれば、そちらに目を向けざるを得ない。アマリアが返事をするとサミュエルは彼女にまたも微笑みかけてきた。


「君より無能な男がこの城内にどれほどいると思う?」

(うっ!)


 その姿は「氷」ではなく「ぬるま湯」ぐらいには温かい。サミュエルは何故かアマリアには心を許しているようなのだ。ただ、その笑みは異性に対する甘いものではなく、あくまでも部下に向ける用だ。キューテックへの態度と変わらない。


(それだって十分目に毒なのよ!!)


 アマリアは手元の書類に向き直ると冷たく一言答える。


「さあ」

「さあ?」

「……その様な事、興味ありません。私がどれだけ努力しようと、閣下に評価いただこうと、男になる事はできませんので」


 そう。アマリアが文官であると言われるのは、この国の中心である王城に勤める文官はほぼ男ばかりであるからだ。文官は特別優秀な平民から抜擢される事もあるが、貴族出身者が多い。アマリアも例に漏れず伯爵令嬢ではあるが、彼女のように20歳まで独身の貴族女性は珍しい。


 それに城内はサミュエルのように「性別や身分に関係なく優秀な者を引き立てる」という考えを持つ者ばかりではない。故に、どうしてもアマリアに対して男からのやっかみや下衆の勘繰りが生まれるのだ。彼女は腹が立つだけなので自分より無能の男が城内で幅を利かせる事について考えないようにしていた。


 そんな無表情のアマリアを思いやってか、キューテックが口を挟む。


「閣下、確かに今の発言はセーブルズさんに失礼ですよ」

「……すまない。君の優秀さを褒め称えたかったのだが、配慮が足りなかったか」

「いえ。気にしておりません」


 第一秘書の眼鏡がキラリと輝いた。


「閣下、もうすぐ昼になります。今のお詫びにセーブルズさんを昼食にお誘いしては?」

(は?)

「ああ、それはいいな。何でも好きなものをご馳走しよう。城内の食堂にしようか。それとも城下のレストランは?」

(キューテックさんたら余計なことを!)


 アマリアは思わず先輩であるキューテックを見る。彼はいつも通りの愛想の良い顔だが、この状況を楽しんでいるように見えなくもない。彼女は手元の書類を怒涛の勢いで選り分けながらサミュエルの方を見ずに返答した。


「ありがたいお話ですが、お弁当を持参しておりますので辞退致します」

「そうか、では明日の昼ではどうかな」

「お気持ちだけ、いただいておきます。ありがとうございます。では私は昼食をいただいてまいります」

「……ああ」


 選り分けた書類を揃えると、アマリアは弁当の入った袋を手に素早く離席した。



 ◆



「……はあ」


 独りになりたくて、アマリアは城内でも人気ひとけの少ない場所に腰かけた。膝の上には伯爵家の料理人が作ってくれた弁当がある。といっても野菜のペーストを塗ったパンに、薄切りにしたチーズだけという簡素なものだが。


「ああ、食堂で一番豪華なランチ、食べたかったわ……でも」


 あのサミュエルの美しい顔と向かい合わせて食べるなんて緊張するし、しかも食事をする二人を見た周りの連中がまた嫌な噂をするかもしれない。それを気にしながらでは、どんなに美味しい料理も味が感じられないだろう。


(嫌になってしまうわ)


 彼女は後ろに身体を倒しながら、ハッと気がつき慌てて止まった。ここは中庭に面したベンチで、すぐ後ろには城の白い石壁がある。そこに紺色の服が触れたら真っ白い汚れが付きそうだ。


 アマリアは出来るだけ宰相と噂にならないよう、王城内ではワザと地味でお堅い恰好をしている。紺色の服は侍女長や家庭教師が身につけるような実に飾り気のないもの。更にガラス職人のツテを使い作らせた特注の伊達眼鏡をかけ、こげ茶色の髪をシンプルにひっつめている。その姿を「……喪に服してらっしゃるの?」と訊かれた事もあった。なるほど、若き未亡人に見えなくもない。


 そこまでしているのに……と気分が沈み、一度反った背は逆に丸まっていく。と、アマリアが見つめていた地面にふっと陰がかかった。顔を上げると見知らぬ男が立っている。


「おやおや、こんな所に誰がいるのかと思えば、宰相殿の所の女じゃないか」


 男は下卑た笑いを隠そうともしない。


「あんた、愛人なんだろ?」

「違います! 大体……」


 アマリアの反論は途切れた。男がいきなり彼女の左手首を掴み、引き上げたからだ。膝からパンが転がり落ちる。


「なっ」

「こんな人気の無い場所に居るなんて誰かと逢い引きか?」


 男がアマリアの瞳を覗き込む。


「おっ? 良く見るといい目だな。その格好も逆にそそる。俺の愛人にもならないか」


 彼女は久方ぶりにゾッと背筋が寒くなった。反射的に、掴まれた左腕をぐいと後方へ引く。


「宰相殿との掛け持ちでも……おっと」


 意外と強いアマリアの腕の力に引かれ、男が僅かにバランスを崩した瞬間、彼女はクルリと半回転した。背中を密着させ、右手を男の右上腕に添え、その服をぎゅっと掴む。端から見れば男に後ろから抱きつかれているようにも見える体勢だが、それは一瞬だけのことだった。


「えーい! どっせい!」


 アマリアは腹から太い声を出しながら片足を跳ね上げ、見事に男を投げ飛ばしたのだ。


 男の身が地面に叩きつけられ、中庭にドンと大きな音が響く。彼女はハッと我に返った。武官として城に勤める兄に以前教えて貰った護身術を咄嗟に使ってしまった! いや、この場合は身を護る為だから正当な使い方だが。


「あ……う」

「ご、ごめんなさい!」


 男が酷い怪我はしていなさそうだと確認だけして、アマリアはその場から逃げ出した。



 ◆



(大変! 昼休み時間ギリギリかも!)


 弁当を落としてしまった為、改めて食堂で昼食を摂ったアマリアは慌てて執務室に戻る。急いでドアを開けた瞬間、第一秘書の声が聞こえた。


「確かに由々しき問題ですね……」

「た、ただいま戻りました」


 サミュエルとキューテックがハッと顔を上げ、アマリアを見た。思わず彼女も身が引き締まる。


「何か緊急事態でも?」

「え、いや、違いますが……」


 珍しくキューテックが口を濁した。サミュエルが時計を見る。


「あと1分あるな。セーブルズ、これは仕事ではなく個人的な問題なんだ」

「は」

「休憩中の世間話と思ってくれ」


 そう言いながらも宰相の顔は極めて真剣だった。


「俺は、遂に理想の女性を見つけた」

「あ、はあ……おめでとうございます……?」


 なんの問題があろうか。彼ならどんな女でも口説けるだろうに、とアマリアの頭に疑問符が浮かぶ。


「だが、俺はその女性の顔を知らぬのだ」

「はい?」


 サミュエルの顔が僅かに赤らみ、普段はクールな青の目つきが蕩けた。


「先程、中庭で『えーい! どっせい!』という声を聞いたんだ。あの力強い声に俺は恋をしてしまった……」

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