「ダーリン最低」
あお
1/1話(完結済み)
「いやー飲んだ飲んだ」
「新田(あらた)はいつも飲みすぎなんだって」
夏の夜。
居酒屋の帰り道、小道を二人の男性が歩いていた。顔を赤くして気持ちよく酔っている彼らはどこにでもいるような青年だ。
「だってよー。俺らがこんな生活してるのは今の社会が悪いんだよ!」
「その話はいつも聞いてるから。どうする? ウチくるか?」
「いいのかぁ? いつもすまねぇなぁ漣(れん)」
「このまま一人で返したってたどり着けずにどっかで潰れて警察のお世話になるだけだからな。それだと俺が面倒だ。いつも警察に頭を下げてるのは俺だからな」
居酒屋でいい感じに酒が回り、声も大きくフラフラと千鳥足で歩いているのは東雲新田(しののめあらた)。そして毎回のように彼の介抱をしているのが集貝漣(ためがいれん)。
彼らはいわゆる就職氷河期の若者で、今のバイト先で知り合った仲だ。
歳は互いに二十代中盤で、まだまだやり直せる年齢ではあるが、それでも先細りする経済と、変化の激しい時代に取り残されしまった若者たちだ。
新田も漣もこれまでバイトや派遣、他にも人には言いづらいことをしながらでもなんとかここまでやってきた。
今はコンビニでアルバイトをしており、たまたまシフトが何日か重なったことがきっかけで二人は飲み友達になった。付き合いこそまだ数ヶ月程度だが、飲み交わすうちに似た境遇ということがわかり、すぐに意気投合し、今では境遇を愚痴り合う仲となった。あまり生産的な行動ではないだろうが、それぞれが資本主義の渦に飲まれた弱者、という傷をなめ合いながらなんとか明日へとつないでいるという具合だった。酒を飲んで今を忘れているのは、一寸先は闇、という言葉の意味をこれまでもなんども味わってきているからこその必要な逃避とも言える。
「よし、行くぞ。新田(あらた)。歩けるか?」
「大丈夫大丈夫! 水も飲んだし絶好調よっ!」
「うるさいって! 人通りが少ないとはいえ、夜なんだから。近所迷惑だろ、新田は声デカいんだから」
「へへ、さーせん! ……あっ!」
「どうした?」
「スマホ、店に忘れちまった」
「おいおい……」
「ちょっと取りに行ってくらぁ!」
「ああ! もう! 新田、おまえちょっとここでおとなしくしてろ。酔っぱらいが飲み屋に戻ってなんかトラブルがあったら面倒見るのは俺なんだぞ。俺が取ってきてやるからちょっとまってろ」
「わるい。ケースは青の手帳型だわ。見覚えあるだろ?」
「ボロボロだから間違えないよ。ちょい待ってろ。そこ動くなよ」
「うぃーっす!」
彼らが飲み始めたのはバイトが終わってからだから、21時は過ぎている。
ちょうど最初の客が出る辺りの時間帯で、その時間帯からは二次会の客が多くなる。もっとも混雑している時間帯だから、トイレに落としていたりするともしかしたら誰かに拾われる可能性だって低くはない。
「はぁ……なんで俺がこんな」
漣は愚痴りながらも店に入る。
ちょうどさっき会計をしてくれた店員がまだレジにいたので、要件を告げると、ものの三十秒ぐらいで新田のスマホが戻ってきた。
漣は胸を撫で下ろし、礼を言うと店を出て新田と合流した。
「ほらよ」
「おお! あったか!」
「すぐに見つかったよ。今度行ったらちゃんとお礼言えよ。俺たち常連なんだから」
「そうだな。なんて人?」
「名札にはふゆこ、って書いてたな」
「よく覚えてるな。漣すげー」
「お前ほど酔ってないしな。それに今と季節が逆だからちょっと面白いなって思っただけ」
「けっこう細かいとこ見てるよな、お前」
「新田が雑なんだよ。スマホ忘れるか? ふつー」
「ほんとそれな。Twitterになんか書くか。飲み会楽しかった! みたいな」
それから二人は帰路に付きながらスマホをいじって数分無言で歩いていた。
いつものバイト先。
いつもの飲み屋。
いつもの帰り道。
暗く寒くて人通りが少なく寂しい道。
そんな何もなくて悲しい雰囲気の道だったが、二人はそこが気に入っていたのかもしれない。
たしかに二人の人生は大変だ。スーツを着てバリバリ働いている人や、指にリングを輝かせた幸せそうなカップルを彼らが見ると、時給1,000円以下で休み無く働くのが虚しく感じる時だってあるかもしれない。
それでも二人は納得しているのかもしれない。
――今歩いている道がなんとなく自分たちの身の丈にあっている気がして、その情景が「焦らないで今のままでいいんだよ」と言外に告げてくれているんだ、と。
だからいつもどおりでいいとなんとなく思い、ダメだと分かっていても流される今が心地いいとすら思っていた。
いつものバイト先。
いつもの飲み屋。
いつもの帰り道。
そしていつもの家に帰る。
飲みすぎた日は友達の家に寄ることだってある。
変わらない、変わらない、変わらない。
「あれ?」
「どうした新田」
新田はまるで酔いがさめたかのように真顔でスマホを見つめると、
「なんか知らないアプリがある」
「アップデートでアイコン変わったんじゃねーの? それかエロサイトでなんか踏んだか?」
新田はスマホの画面を見せる。
そこにはSNSが数種類と、音楽映画のサブスクアプリがいくつも並んでいた。
流されるまま生きている新田らしいアプリ一覧ではあるが、だからこそその中にある『CKTC』というアプリは違和感を放っていた。
「確かに。見たことないな」
「だろ?」
「酔った時にダウンロードしたんじゃねーの?」
「……うーん、かもしれん。どうしたらいいかな?」
「ググれば?」
「そうする。なんて読むんだ?」
「し、しぇ……ちゃねる? わからん。そのまま英語入れて検索しろ」
アプリのアイコンは黒猫にバッテンがしてあるちょっと不気味なデザインだ。
iPhone アプリ CKTC 猫 ばつ印
新田は5つのキーワードで検索する。
だが不思議なことに。
「……なにも出ないぞ」
「ちょっと怖いな」
と新田がアイコンを見つめる。
「消したほうがよくね?」
「ちょっと気になるんだよなあ」
「もし詐欺アプリだったら情報抜かれて大金の請求が来るかもしれないぞ」
「それは困るなあ」
新田はアイコンを長押しする。画面すべてのアイコンがゆらゆらと揺れ、ばつ印が浮かび上がる。
そこを押せばアンインストール完了だ。
「どうした?」
「漣、これちょっと起動してみよう」
「マジか?」
「危ないアプリかもしれないけど、俺今日はSNSぐらいしか使ってないし、広告にまみれたエロサイトも使ってない。だから多分大丈夫だと思うんだよ」
「それって新田がただこのアプリを起動してみたいだけじゃん?」
「まぁな。なんかあったらスマホの電源切ればいいだろ」
「……まぁ俺のスマホじゃないし好きにすれば。ただ何があっても俺は責任とらないぞ」
「わかったよ。でもさ、ちょっと怖いからせめて見るだけ見ててもらっていい?」
「しゃーねーな」
二人は一つ路地を曲がった先の公園のベンチに腰掛ける。
新田はアプリをタップした。
ドット絵みたいな猫が画面をよこぎり『ようこそ』の文字。
そして『あなたはこのアプリに興味がありますか?』のテキストの下にはい・いいえ。
新田は漣とアイコンタクトを取ると、それをタップした。
すると画面には『おめでとうございます。あなたは選ばれました』の文字が流れる。
「新田、これちょっとやばくね?」
二人の額に汗がじわりと滲む。漣が少し距離をとりつつも画面をチラリと覗く。
「でもまだ金の請求とかされたワケじゃないから大丈夫だろ」
漣の心配をよそに新田は文章を読んではタップを繰り返す。
ようやくアプリの説明へ。
どうやらゲームのようだ。
「なになに……えーっと、このアプリがインストールされているスマホは催眠スマホになります。概要欄から使い方をよく読んでください。子猫ちゃんをたくさん見つけて楽しい生活を……って、ええ!?」
「なんだよ、催眠スマホって」
「漣、知らないのか?」
「しらねーよ」
「これはネットのディープな連中が大好きな夢のアイテム『催眠スマホ』だよ! 撮影した女の子を自由自在に操ることができる夢のアイテムなんだ! これがあれば他人を思った通りに操れれるんだぞ!」
「いや、そんなわけねーだろ」
「…………まぁ、そうか」
超冷静に突っ込む漣に、我に返る新田。
ネットに出てくる催眠スマホは、それを手にした主人公が、気に入った女の子を撮影しまくって楽しい女の子ライフを送る……そんな創作ストーリーだ。
だが現実世界にそんなモノがあるわけもなく、ただのジョークアプリと、新田も冷静に現実を見つめる。
相変わらず画面はチュートリアルや長ったらしい同意文が流れているが、酔いがだんだん冷めてきたこともあってタップを連打しているうちにいつの間にかアプリを閉じてしまった。
「もう帰るわ」
「俺の家、寄らなくていいのか」
「一気に酔いが冷めた。明日は早番だしか帰って寝るわ」
「そっか。じゃあ俺も帰るよ。気をつけろよ」
「近いから大丈夫。じゃあまた明日な」
「おう」
新田と漣は公園を出るとそれぞれ逆の道へと歩き出した。
新田は再びスマホを開いてSNSをぐるぐる巡回する。
何度更新してもいいね!はつかない。
社会でもSNSでも、有象無象の一つだと思い知らされる。
「あーあ。漣は明日昼番だもんなー。いいよなー。俺は早番だから帰ってすぐ寝ないと起きるのキツイわ」
ひとりごちながら、ただ歩く。
あの角を曲がれば新田の家だ。築三十年のボロアパート。
そこに入ってしまえばあとは寝るだけ。そしてバイトの日々へと戻ってしまう。飲み会が終わった夜で次の日が仕事だと、その落差ゆえに憂鬱になる。
だから新田は一日の中で楽しい時間をたくさんつくろうと、ついつい夜ふかしをしてしまう。
だがやっていることは動画サイトを巡回してSNSで他人を羨むことばかり。
もっと刺激があって本当に楽しいと思えること、充実することがしたいと願っていた。
だからその偶然は神が与えたチャンスだったのかもしれない……と新田は勝手に思ってしまった。
数メートル先歩く女性に気づく。
出来心か好奇心か。
気づけば新田は『CKTC』内のカメラを起動して女性へ向けていた。
説明書によれば撮りたい被写体にかまえてテキストボックスに、その被写体にしてほしいことをかけば実現する、とある。シャッター音もならないと記載されている。
そんなの嘘っぱちに決まっている。
そんな都合のいいことあるわけがない。
仮にシャッター音が鳴っても、街頭の電球が切れそうなぢーぢーという音がギリギリかき消してくれる。
そんな思考を一瞬巡らせた後、テキスト欄へ下心満載のテキストを書き込み、シャッターを押した。音は確かにしなかった。胸を撫で下ろし、スマホをしまうとそのまま歩く。
ボロアパートの前まで来た。
飲み屋で愚痴っただけの一日が今日も終わり、明日からまた低賃金の労働が始まると肩を落として部屋に入ろうと、足先をアパートへ向けると、
「あの」
「…………僕ですか?」
「はい」
さっきこっそり写真を撮った女性に声をかけられた。
新田は驚いた。もしかして盗撮がバレて警察に通報される!? そう思ったのだ。
だが彼女はあたりを見回し、人がいないとことを確認すると、
「あ、あの……実は私、だいぶ前にあなたのコンビニに傘を忘れたことがあって、取りに行ったことがあるんです。そしたら丁寧に保管してくださってて、対応も良くて」
「は、はあ」
どうやら警察に突き出されるワケではなさそうだ。
「ありがとうございました!」
「いえ、仕事、なので当然ですよ。では……僕はここなので」
最後にちょっとだけいいことがあった。隠し撮りをしてしまったことに後ろめたさを感じながら、今度こそ本当に帰ろうと思うと、
「待ってください!」
手首を掴まれていた。
「あ、あの! お礼させて……もらえませんか?」
「お礼、ですか。いえ、大丈夫です」
「私!」
今度は両手をぎゅっと掴まれ、接近される。
新田に彼女がいた事はないので、どぎまぎしてしまう。
「何度かあなたのコンビニに行ってるんです」
「そ、それは、ありがとうございます。それと覚えていなくてすみません」
「いいんです! ただ傘の件があってから、あなたのこと、少し気になってしまってて……だから一度お話がしたいなって。ここでお会いできたのもなにかの縁です。私の家も近くなので、寄っていってください。大丈夫です。一人暮らしなので何もお気遣いなく」
「え、や、その……」
「もしかして私……信用されてませんか?」
「いや、そうじゃなくて。女の子が初対面の男性を連れ込んで大丈夫なんですか?」
「あなたは初対面かもしれませんが、私は違います。それに名前だって知ってます。東雲さんですよね。いつも名札を見てましたから」
「じゃあ、ちょっとだけ。明日も仕事が早いのですぐに御暇しますが」
「だったら泊まって行ってください。朝は私が起こしますから」
「はぁ!?」
その発言には驚いてしまった。ほぼ初対面の男を家に連れ込んであまつさえお泊り。
だが、その裏で新田は「あのアプリは本物では」と思い始めた。
写真を取る時に女性の行動に「家に泊める」と書いたからだ。
「わかりました。ではお言葉に甘えて」
「やった!」
女性の年齢も新田と同じぐらいに見受けられるが、そのリアクションは女子学生のようだ。
それから彼女と一緒に新田は歩く。
何気ない会話の中から『CKTC』に書いた願望を照合するように会話を引き出す。
ちょっと踏み込んだ質問もいくつかしてしまったが、新田の予想を超えるような答えがいくつも返ってきた。
それで新田は確信した。
あのアプリは本物だ。
そしてこの調子ならアプリに書いた内容はおそらく実現できるだろう。
何があっても新田のせいにはならいだろうし、警察などの外部にも漏れることはないだろう。
鈍感で常識がなく、ネット上で踊っているような新田にも確かな手応えがあったと言える。
明日のバイトなんてどうでもいい。一日サボったぐらいどうってことないし、首になっても次を探すだけ。もとより失うものなんて雀の涙ほどの貯金程度――と、新田は強気になっていた。
疑心暗鬼だった新田は、彼女の家につく頃には、これまでの人生にはないほど自信に満ちあふれていた。
彼女の部屋へと入る。
「お邪魔します」
「ようこそ。ゆっくり楽しみましょうね」
彼女はドアの鍵を閉め、チェーンをかける。
そしてシャワールームへと案内してくれた。
これもCKTCに書いた筋書き通り。
新田はシャワーを浴びた後、彼女が入り、そして寝室で二人だけの濃密な時間を過ごす。
シャワーから出て寝室へいくと、大きめの布団に枕が二つ。
新田は念の為もう一度CKTCを起動して、自分で書いたプロットを確認する。
ここまで何一つとして外れていない。
強いて言うなら名前を聞き忘れているぐらいだが、どうせ一夜の付き合いだ。
ほぼ完璧なプロットと言えるだろう。
気が大きくなった新田は、布団に入り彼女を待つ。
そこへ彼女が戻ってきた。
髪をタオルでまとめて、身体はバスタオル一枚。
「……おまたせ」
「う、うん」
さすがに緊張したのか、新田の声も上ずる。
「そう言えば一つだけ謝らないといけないことがあるの」
新田の返事を待たずに、彼女はスマホを彼に向けてとつぜんシャッターを切った。
「!?」
「あなたのCKTC(クートック)ね、偽物なの」
新田は何を言われているのかわからなかった。
彼女はスマホを彼の眼前へと突き出す。
そこには新田と同じアプリが表示されていた。
「本物は私の方。つまりあなたが私を操ったんじゃなくて、私があなたを操るの。これからね」
新田は彼女が言っていることをまだすべて理解できずにいた。
だがこれだけは直感が告げている。
やばいことになってしまったと。
そんな心境に構わず、彼女は続ける。
「私ね、あなた達がよく通ってる飲み屋の店員なの。それで適当なカモをみつけるの。隙きを見てスマホを拝借。アプリをインストール。当然あなたは見知らぬアプリがあるから驚くわよね? それで警戒されて消されたらそれまで。次のカモを探すわ。でもあなたは好奇心に抗えずアプリを起動してしまった。そしてあたしを見つけて撮影してしまった。それが運の尽きね。撮影されると、位置情報が私のCKTCに来る。この時間は人が少ないからすぐに後ろを歩いているあなただってわかったわ。知ってる? あなたの位置情報と一緒に、あなたが書いた下心全開のテキストも私に送られて来るの。あとはそれをみて、あなたに操られているフリをして家に連れ込んで、本物のアプリであなたを撮影する。そしたらあなたは私の思うがままってわけよ」
ふふっと笑って彼女は椅子に腰掛けると、新田を見下ろす。バスタオルから惜しげもなく太ももを出し、脚を何度も組み替えながら話を続ける。
「今の気分はどう? 今なら発言権をあげてもいいわ」
彼女は新田へ向けてスマホを操作する。おそらく体の主導権を切り替える機能があるのだろう。
「最悪だよ……」
「そうでしょうね。たいくつな日常を抜け出して刺激的な一夜を迎えられるかと思ったら、それはぜーんぶ他人によって仕組まれていた。絶望したでしょ? 私はその表情を見るのが大好きなの。下心丸出しでノコノコとやってきた子猫ちゃんの顔が絶望に変わる瞬間を見るのがね」
「最低な人間だな」
「それはお互い様でしょ? 夜道で女性を盗撮して、その上あんなことやこんなことを平気で書き連ねて。あなたが書いたテキストは私のアプリにも共有されてるのよ。…………ヘドが出るわ。まぁでも、男ってそんなもんよね。あんただけじゃない。みんなこんなことばっかり書くのよね」
「俺をどうするつもりなんだ」
「どうって? 財布にするに決まってるじゃない。もう今後の命令はあんたを撮影した時に書き込んでるんだから」
「絶対にお前の思い通りには動かないからな!」
「それは無理。あんたのは偽物だけどあたしのアプリは本物なのよ。ほらね!」
彼女は通帳を開いて乱雑に新田の前へと投げつける。
そこには多数の男性名義からの入金履歴があった。
「俺にはそんな金、無いぞ……」
「それは私が決めることよ。貯金が少なくたって、あんたの体と親がいればなんとでもなるのよ。――そうね、例えば人身事故だったら殆どの場合は歩行者に保険金が支払われるでしょ?」
「クズが!」
「まあそこまではしないわよ。あなたとは長期的なお付き合いをしたいからね。ということでほんのささやかなお礼として、一晩一緒に寝てあげるわ。もちろんあなたは私に何もできないようにセットしてある。一晩中私のバスタオル姿を眺めるだけ。眠ることは許されない。ただ眺めるだけ。それで朝を迎える。最初の命令はそうセットしてあるわ」
するとインターホンが鳴った。
こんな遅い時間に一体だ。
新田は願う。
もしかして警察が不正アプリの取締でやってきたのかもしれない、と。
だがその願いはすぐに消えてしまう。
「はーい。ダーリン」
親しい男性のようだった。
後を追う気にもなれない。視界に玄関の様子はすべては収まらず、男の顔は見えない。そして声と雰囲気、僅かな音だけを拾うことができる。
彼女はその男と唇をあわせ、豊満な肉体を押し付ける。
五分ほど濃密な時間を過ごした後、彼女は戻ってくる。
「ごめんなさいね。ちょっとカレシが近くまで来たみたいで。でも今日はあなたのために帰ってもらったわ。それじゃあ一晩よろしくね。あ、そうだ。アプリの名前の意味、教えてあげる。好奇心は猫を殺す――黒猫にバッテンは気をつけないと猫でも死ぬって意味かしら。アプリ名はその
こうして新田の絶望が始まったのだった。
◆◇◆
翌日の昼、冬子のアパート。
新田がバイトに出かけたのと入れ替えで、冬子の部屋に漣が入ってきた。
「昨日はうまくやったな」
「ダーリンのためだもん。私なんでもしちゃうんだから」
「でも俺以外の男と寝るのは関心しねーぞ」
「何もなかったわよ。そういう命令してたからね。でもあいつ本当に金持ってないわね、漣の言う通りだったわ」
「バイトだから仕方ないだろ。それに金づるは新田だけじゃないんだ。また適当なやつ見つけたら、俺かお前がアプリをインストールすればいいだけだ。あとはいつもどおり」
「もう、ダーリン最低」
「お前もな」
さっきまで新田が寝ていた布団の中で、漣と冬子は体を重ねる。
床に置かれた漣のスマホにもCKTCがインストールされている。
黒猫のアイコン。
そこにバッテンは描かれてはいなかった。
偽物のアプリをインストールされているとも知らずに冬子は、今日も漣の命令通り、彼のために身体も金も貢ぎ続けるのだ。
「ダーリン最低」 あお @Thanatos_ao
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