【BL】ネットワークセンターの神様 一年目の冬
畔戸ウサ
アーク放電
よくもまぁ、こんな付き合いを性懲りも無く続けているものだと洋人は自身のことを反省しながら隣を歩く男を見やった。
星野誠は社内どころか取引先の女性たちからも注目されるイケメン社員で、企業パンフレットのモデルに抜擢されるほど美麗な容姿の持ち主だった。
一八〇センチを軽く超える肢体は指の先まで美しく、完璧なパーツが完璧な比率で配置された顔は、美術品のように洗練されている。
独身、三十路の適齢期。オマケに彼女なしという好条件の彼に秋波を送る女性は後を絶たない。しかしながら、アドバンテージが過ぎるその外見を除いてしまえば、彼はとんでもないお子ちゃまで、中身の方の成熟はからっきしである。職場では言いたい放題やりたい放題の問題児でもあった。
洋人と誠は電力会社をグループ企業に持つ通信会社のサラリーマンである。
営業出身の洋人と保守の誠は年齢も経歴も全く違っていたが、今期の異動でコールセンターに配属され、現在は同じ職場で働いていた。
提供エリア五県分の電話を一手に引き受けるコールセンターは、問い合わせ内容によって、一般、技術、料金と三つのグループに分かれている。洋人はサービスの一般問い合わせを受けるコールグループ、誠は機器の故障など、技術関連のトラブルを解消するテクニカルサポートグループで、日々舞い込んでくる顧客からの問い合わせに対応していた。
同時期の異動だったため、二グループ合同の歓迎会が行われたその日、二人はひょんな切っ掛けで関係を持ち、以降、気持ちが良いから、都合が良いからとあれやこれやの理由があって今も尚、体だけの関係が続いていた。
洋人は性的マイノリティだ。昔から恋愛対象は男性ばかりで、女性に対してその手の興味を抱いたことはない。誠の方は男女の区別がないという話ではあるが、本人曰く『男と付き合う方が気が楽』ということらしい。
そもそも論ではあるが、誠は洋人の好みから完全に外れていた。
洋人は『生涯の伴侶を見つける』という人生における大目標を掲げ、再三に渡ってそれを誠にも伝えてきた。にも拘らずこんな関係を続けているのは、二進も三進も行かない社内における二人の立場故であった。
洋人はまもなく社歴丸四年になる若手社員である。入社直後から素晴らしい成績を上げ、数々の賞を総なめにした経歴も然ることながら、人柄、性格、そしてマナーに関する細部まで完璧に整った彼のことを、社内の人間は『社員の鑑』と絶賛していた。
自ら望んで今の地位を築きあげ、なるべくしてなった『社員の鑑』ではあるが、そこには弛まぬ努力と研鑽が重ねられていた。職場での洋人はこれまでの人生で培ってきた巨大な猫を被って『社員の鑑』を演じているが、本来は良くも悪くも年相応で、人並みに不満を抱くこともあれば、誠が躊躇いもなく口にする暴言とさほど変わらない罵詈雑言を品行方正な笑顔の裏で唱えることもある。
そんな本性を見せられるのは、社内広しと言えど、出会って早々にセックスするだのしないだの、しょうもない理由で喧嘩をした星野誠ただ一人だけであった。
誠の方はと言うと、卓抜した容姿により社内には淑女協定が布かれていた。何かにつけて騒ぎになるこの環境ではおいそれと恋人など作れるはすがない。そんな不満を抱えていたある日、目の前に手頃な人物が現れた。巨大な猫を被り社内の人間をペテンにかけている洋人であれば、誠と関係したところで吹聴して回る恐れもないし、後腐れもなさそうだ……というわけで、見事に二人の利害関係は一致したのである。
しかしながら、洋人の好みのタイプは包容力のあるラガーマンのようなガッチリ系の男性であり、当の本人は恋人にベッタベタに甘えていたい文字通りのネコである。いかに神懸った容姿の持ち主であろうと、タイプでもなければ、包容力もない……どころか年下にたかるような
恋愛関係にない二人は、今日も今日とて約束をしていたわけではない。それでも互いに遅番で、業務終了後何となく休憩室で顔を合わせてしまったところから、一緒にご飯を食べる流れになった。珍しく誠の方から夕飯に行こうと声をかけてきたので、何かあるのだろうと警戒していたら案の定。誠の狙いは食事ではなく洋人の車であった。
一週間ほど前から天気予報で告知されていた通り、今日は今季一番の冷え込みになった。夕方から雪という予報も出ていたため、車通勤の洋人は公共交通機関を使って出勤した。
帰り際にそれを知った誠は「何で車で来ないんだ」と悲壮な顔で洋人に抗議してきた。実際、爪先が痛くなるような底冷えはしているものの午後九時を過ぎても雪は降っておらず、安全策は空振りに終わってしまったが、万が一車を会社に置いて帰ることになれば翌日の行動にも影響が出てしまう。
洋人にとっては当然の選択も『今日は寒い→遅番→洋人は車→送ってもらう』という短絡的かつあざと過ぎる計画を練っていた誠のアテは外れてしまったのだ。
重ねて言うが、こんな甲斐性のない男は洋人の好みではない。あまつさえ誠には事あるごとにタバコを掠め取られ、困っているのだ。
この関係の利点と言えば、手近なことろで性欲処理が出来ることぐらいしか洋人には思いつかなかった。
互いに都合が良く、更には過去一というぐらい身体の相性もピタリと一致しているのだが、如何にセフレとは言え、同じ職場で働き、毎日のように顔を合わせていれば共通の話題も多くなる。単なるセフレとも言い切れない、はみ出しがどうしても出てきてしまうのだ。
溜まっているものが排出できればそれでいい。そう思う反面「何だかなぁ……」と洋人は浪費されてゆく時間に肩を落とさずにはいられなかった。
元は一つの身体だったのではないかと思うぐらい何もかもがピタリと当て嵌まり、飽きることなく互いを求め合ってしまうのに、その情熱とは裏腹に洋人が真に求めるものがここには微塵も存在しない。
これほど空しいセックスをしているカップルが他にいるだろうかと考えると、洋人はこの先の未来に対しても懐疑的にならざるを得なかった。
食事を終えた後、誠は当たり前のように自宅とは逆方向の洋人のマンションへと足を向けた。寒いの何のと言いながら今日は予定を変更し、洋人の部屋に泊まるつもりなのだろう。そうなれば当然事に及ぶ。頭ではその無意味さを理解しているはずなのに、洋人の身体はそれに反比例するかの如く期待を膨らませていく。
こんな適当なことをやっていたら生涯の伴侶など見つけ出すことなどできるはずがないのに、ダメだダメだと思いながら年を越し、新しい一年が始まって既に二週間が経過した。
春になればコールセンター勤務歴も丸一年が経過する。その前に、いい加減、終止符を打った方がいいのかもしれない。
「あ……」
暗澹たる気持ちを抱える洋人の隣で、誠が小さく声を上げた。
空を見上げた誠に倣って洋人がそちらに目をやると、小さな雪の結晶がダンスを踊るように降ってきた。
「……天気予報、当たりましたね」
遅ればせながら、の雪に洋人は頭上を見上げて白い息を吐いた。
誰ともなしに呟く洋人の隣で、誠は何も言わず立ち止まったまま空を仰いでいる。
洋人はその横顔をチラリと盗み見た。
シャープな顎のラインとマフラーからチラリと覗いた喉仏に、トクンと胸が高鳴る。マンションに着けば当たり前のようにこの男と体を繋ぎ、翌日はまた何食わぬ顔で互いの生活に戻るのだろう。
「…………誠さん、何考えてます?」
音もなく漆黒の空を舞う雪に彩られ、誠の姿はより一層美しく見えた。
こんなに綺麗な景色を共に見ている相手が、身体だけで繋がった男であることに胸が苦しくなって、洋人はそっと尋ねてみた。
小さな問いかけにこちらを見た誠は、透き通った黒い瞳を真っすぐ洋人に向け、この夜空にも負けない艶のある低音でこう言った。
「明日は残業かなぁ……って」
「…………え?」
「いやほら、雪積もったら障害増えるからさぁ」
上、上と誠が空を指さす。
「………………」
洋人の中にフルフルと怒りがこみ上げてきた。
セフレ関係に虚しさを感じ、それとは相反する男の性に切なさを覚え、こんなにも苦悩しているというのに、この男ときたら!
「そういうことじゃないでしょう!」
新年初! 今年最初の雪だ! 人間として、日本人として詫び錆びだとか情緒だとか、他に感じるシンパシーはないのか!?
「いや、そういうことじゃん? コールも絶対大変になるって」
「雪の重みでケーブルが切れて、クレームが増えるとか、そんなことを言いたいわけですか?」
この期に及んで仕事の話か!
「まぁ、それもあるけど、あんま寒過ぎると、ケーブルが縮んで接続不良とか出るんだよ。で、工事班が融着機持ってたらいいんだけど……」
「誰が冬場の障害対応の話してるんですか!? もういいです!」
絶対に、絶対に『生涯の伴侶』を探してやる。こんな、光ケーブルのことは解っても人の気持ちが分からないチャランポラン男ではなく、筋肉も心もモリモリに温かい、まだ見ぬ王子様が洋人を待っているはずだ。
「洋人」
プンプン怒って前を歩き出した洋人を誠が呼び止める。
洋人は無視して尚も歩いた。
「満島さーん……満島洋人くーん」
誠は面白がって洋人の名を呼びながら近付いてきたが、足のコンパスがそもそも違うため、あっと言う間に追いつかれてしまった。
「はい」
隣に並んだ誠が横から手を出してきた。
「何ですか、その手? タバコは鞄の中なのですぐには出せませんよ」
二人分の朝食が入ったコンビニ袋をぶら下げる洋人は半眼で社内一の美男子を睨んだ。
「違う。手、寒くない?」
しかし、予想だにしなかった誠の言葉に洋人は目を丸くして立ち止まり、その手をマジマジと見た。
大きな掌に落ちてきた雪が融けて水滴へと変わる。
「ほら、早く」
誠に促され、洋人は不承不承その手に自分の手を重ねた。
「うわ。冷たっ……!」
……が、しかし、眉を顰めたのは洋人の方である。
「余計に寒いですよ!」
「いや、お前意外に体温高いんだな」
誠はケラケラ笑いながら、洋人の手ごと自分のブルゾンのポケットに突っ込んだ。
外気が遮断され、多少は温かくなったが、誠の手にどんどん体温を奪われていく。
何だこれ。まるで学生カップルみたいじゃないか。
人気がないのをいいことに路地裏の一角でアラサー男子が手を繋ぐなどあり得ない。
誠の手は氷のように冷たいのに、恥ずかし過ぎるシチュエーションに洋人は見る見る赤くなった。そして、心なしか手ではない、胸の辺りがほんわり温まった気もする。
そんなことを知ってか知らずか、誠の方はしらっとしたもので、クロージャーがどうとかメカスプがどうとか、洋人にはよく分からない光回線の話をしている。
本当に意味がわからない。
繋いだ手を振り解くことも出来ず、持ち前の猫被りも発揮出来なかった洋人は、馬耳東風の誠にいつものように素敵な大人の何たるかを口が酸っぱくなるほどお説教する。
そんなこんなで、切なさも虚しさも完全リセットされてしまった洋人は、融着接続された光ケーブルの如く、誠との関係を断つことができないまま、車も煙草も、体温さえも搾取される不毛な関係にまた堕ちてゆくのであった。
【BL】ネットワークセンターの神様 一年目の冬 畔戸ウサ @usakuroto
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