第7話 立川のチョーチュー

立川駅前 


午前、サラリーマンや学生などが通勤と通学の為、立川駅を行き来している時間帯

そして夕方、多くの人が帰宅の途につく時間帯

それは、立川にある朝鮮中学生たちにとって、トレーニングと朝鮮を植民地にしたチョッパリへの復讐を兼ねた度胸試しの場でもあった

もちろん、相手するのは不良学生や突っ張ってる男だけだが。


そのチョーチュー生たちの学び舎である、立川の西東京朝鮮第一初中級学校は、在日コリアンのエリートの子息が通う学校でもあり、非常に裕福な家庭が多く、親の職業は、朝鮮総連幹部、実業家、パチンコ、金融、土建、飲食(焼肉など)、医者、弁護士などで財や名誉を成したりしていた。

もちろん、日本企業による就職差別により、優秀であるにも関わらず就職できなかったからこそ、在日たちは独立起業したり、手に職をつけ、国籍の関係ない医者や弁護士を目指さざるを得なかった事情もある。

特にパチンコは、銀行が朝鮮人というだけで金を貸してくれないので、キャッシュで現金を稼ぐのにうってつけの職なのだ。

そういう側面もあり、在日の多くがパチンコ業をやっていたりするのだ。

別にパチンコが好きだからパチ屋を経営しているという訳ではないのだ。


話を戻す・・・・・・

そういう訳で、立川は朝鮮中学と他中学との激しい抗争が毎日のように起こっている激戦地でもあった。


「おい!」

「ああ!?なんだガキ!」


オールバックとリーゼントの不良高校生2人組が、中学生と思わしき坊主頭の小僧にぶっきらぼうに声を掛けられ、反射的に喧嘩腰に対応した。

だが、その2人組の1人、オールバックの男三宅は、何かに気づいたようにリーゼントの男にヒソヒソ耳打ちした。


(こいつチョーチューだ)

(げ、ほんとだ)

(喧嘩になったら後々面倒だ無視して行くぞ)


「チューボー1人にびびってんのかぁ!?チョッパリィ!」


前かがみで威圧する坊主頭をよそに、その場を足早に2人組は去っていった。


「ちっ!チキン野郎が」


チョーチュー生1年のキムシュウジは、興奮状態のまま逃げるように去っていった2人を見送っていた。



この様に、日夜特訓に精を出しているチョーチュー生だが、中には喧嘩になる事もある。

喧嘩上等のチョーチュー生だが、1人で複数を相手にしたり、相手が高校生だったりすると、体格差や数で負ける事もある。

そういう時は、近くで待機しているチョーコー生の出番である。

チョーチュー生のバックに泣く子も黙るチョーコー生が控えているので、立川駅前でチョーチュー生と喧嘩する不良は年々減っていった。

そして、立川駅前はチョーチュー生のナワバリになった。


立川駅を離れて落ち着いたのか、日本人不良組三宅と上条は、悔し紛れにこう言いあった。


「チョンの野郎はいつも群れてやがるから厄介だわ」

「タイマンなら勝てるが、すぐ仲間呼びやがるからな」

「どこから嗅ぎつけてくるのか、気づいたら集まってきやがる」


日本人の不良たちは、チョーコーの組織力、団結力を恐怖交じりによくこう言いあう。

現在のネットでもよく見かけるチョーコーをバカにするときに使われる言葉だ。

何故、チョーコー生、チョーチュー生含め朝鮮学校の生徒たちは常に集団で行動するのか?


昭和時代、朝鮮学校の小学中学高校生含め、1人で通学中、公園で1人で遊んでいた時(朝鮮学校では日本の学校ではないので、日本の休日の日にも学校に行き、朝鮮民主主義人民共和国の休日が適用されるので、朝鮮学校が休みの日、地元に在日が少ない場合1人で公園で遊ぶこともあった)、地元の小学生や中学生さらには高校生の悪ガキに襲われリンチされる事件が続出した。


国士館などは大学生が高校生のフリをして、国士館の高校生と一緒に、チョーコー生だけでなく、朝鮮学校の小学生中学生を登下校途中に襲撃する男の風上にも置けない事件を繰り返してきた。


その為、朝鮮学校の生徒を心配した在日コリアンでもあり世界最大の武道団体である極真会館の大山倍達総裁が、極真空手の黒帯たちに朝鮮学校の生徒を登下校時護衛するよう指示を出したりする出来事もあった。

さすがの国士館のごんたくれどもも、極真の黒帯には勝てず。襲撃しようと朝鮮学校の小学生の群れに突撃した国士館高校生は、極真の猛者の横蹴り一発でフッ飛ばされKOされてしまった。


少し話が脱線したが、このように昭和時代は朝鮮人、朝鮮学校への差別がひどく、毎日の登下校すら命がけだった。

被害を警察に相談しても朝鮮人として相手にされず被害届も受理されない。


日本の朝鮮植民地時代に、主要な土地、豊かな土地は、ほとんど日本政府と朝鮮へ移民した日本人に分け与えられ(石原慎太郎で有名な石原家は終戦時まで朝鮮半島で、朝鮮人たちから奪った土地で優雅に暮らしていた)、元々の自分たちの土地を奪われ職もなくした朝鮮人たちは、仕方なく満州、中国、アメリカ、そして日本へ職を求めてやってきた。

その為、政治家で言う「地盤」「看板」「鞄」のような人脈も金も土地を日本では何も持ってない在日朝鮮人たちは、否が応でも同じ民族同士で団結せざるを得なかった。

日本人には頼れない。頼っても朝鮮人という事で相手にもされない、警察も味方になってくれない以上。

在日コリアン同士で団結するのは必然だった。

その団結力が、朝鮮学校内を介してより強固なものになっていった。


日本人の不良たちが、卑怯にも1人で登下校している在日を集団で襲撃するなら、こちらも人数で対抗する。

仲間がやられそうになったり、やられたら、命がけで助けに行く。

日本人不良たちからの襲撃に備えて、常に数人で固まって登下校する。

朝鮮学校の鉄の団結力は、こうして培われて行った。


そうして、日本人の不良に対抗するために朝鮮学校生は、集団で行動するようになる。

日本人たちが攻撃しなければ、わざわざ集団で行動する必要もなかったのだ。


その光景を、喧嘩に負けた日本人不良たちが悔し紛れに「群れやがって」というようになった。

ただそれだけの話だ。



話を立川のチョーチューに戻す


チョーチュー生たちは、ここで度胸試しの他に国士館の上本の情報も集めていた。

チョーコー生の縄張りである、新宿、池袋、日暮里での聞き込み含めたチョーコー生のネットワークのおかげで上本のよく通う喫茶店やディスコ、そして自宅が特定された。

そして近々、4月29日の昭和天皇誕生日に「チョーコー狩り」が行われ、上本も参加する事がわかった。


右翼たちにとって、天皇誕生日は非常な重要な日であり「天長節」として崇めていた。

その日を記念して大々的な右翼系たちによる「チョーコー狩り」を実施するのである。

参加する右翼たちの構成は、国士館高校生だけでなく、国士館大の最強集団である応援団や右翼系格闘技同好会などである。

(さかん大は、いつもチョーコー生とバチバチやっているので今更だが)

そして、奴らは、チョーコー生の縄張りである、新宿、池袋、日暮里に現れ、総攻撃をかけてくるのである。

だが、天下のチョーコー生は、そんな情報を手に入れてもビビらない。

何故なら、俺たちは誇り高き朝鮮人であり、数多くの修羅場を敵地日本で大多数の日本人相手に1人で生き抜いてきた。相手が右翼系大学生だろうがヤクザだろうがチョーコー生がビビる事はない。

逆にやってるぞ!という反骨心が沸き上がってくる。

俺たちは、金日成主席の為なら平気で死ねる、朝鮮バカでもあるからだ。



そして、決戦の4.29が刻々と近づいてくるのだった・・・・・・・

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