お姉様と白い謎の行末

ナインバード亜郎

雪まつりお姉様

「九官鳥イルという、いけ好かない推理作家をご存知かしら? 推理小説なのに人物の特徴について全く書かないアンフェアな作家を」

「もちろん知ってますわ。『チクウィスマスの沼底』は怪作でしたわね。ちくわでどうやって冬の海の中で息継ぎをしていたんだろうと思っていたら、まさか犯人が半魚人だったなんて」


 夜も更け、閉園の時刻となって雪まつり会場の観光客がぞろぞろと帰路に着く頃、お姉様はまさかの雪だるまと推理小説の話で盛り上がっていた。お姉様と会話するなんてかれこれ一年振りだというのに、まさか鼻の出た雪だるまに出鼻を挫かれるなんて思いもしなかった。

 「まったくいただけませんわね」と雪だるまは返す。


「少なくとも推理小説なら、読者に対してすべてを晒した上で推理させるべきですわ。謎は雪の様に何も残さず綺麗に解けるから価値が有るのですわ。解き始めてから出てくる情報なんてナンセンスですわ」

「さすがは雪の精様。解ける事に関しては一家言ありますのね」


 何とも奇妙で奇怪な会話であるけれど、そうか、雪だるまではなく雪の精だったか。雪の精なら人間の描く作品を知っていてもおかしくないな。一方のお姉様はといえば、お姉様のことなので脳内でゼロベースで築かれた話であるとしてもなんら驚かない。

 だってお姉様だし。

 しかし、私もいつまでも黙って見ているわけにはいかない。


「あの、お姉様――」と、私から声を掛けたにもかかわらずお姉様は、

「あら、あなたにはすっかり紹介が遅れていましたね」


 と、会話の主導権を奪い、完全に自分ペースで話を進めてしまう。


「こちらは雪の精のスノウーマン様」

「はじめまして。わたくしはスノウーマンですわ。どうぞよしなに」

「スノーマンさん?」

「いいえ。スノウーマン、ですわ。スノウとウーマンでスノウーマン。そしてこちらは御近付きの印、宮城県は白石しろいし市名物、白石温麺うーめん。スキー場と双璧を生す、我が町を代表する自慢の一品ですわ」


 その白石温麺と合わせた自己紹介はあれか、雪の精だからジョークも寒いというダブルミーニングか。というか、白石市出身なんだ、雪の精って。


「ちょうどいいですわ。あなたは推理小説についてどうお思いか、聞いてもよろしくて?」

「あー、いや私はそっち方面には疎くて……」


 お姉様の主導権を握れそうにない会話は早急に終わらせるに限る。余計な口を挟んでは会話が冗長に流れてしまいかねないのだから。

 のに、雪の精――スノウーマンはこちらの気を気にする様子もなく、「例えば夏目漱石の『吾輩は猫である』」と、勝手に続ける。


「この名作の書き出しである『吾輩は猫である。名前はまだ無い。』には、あらゆる作品が手本とすべき要素が詰まっていますわ。語り手は猫という名前ではなく猫という動物なのだと、一目見ただけで分かる姿を二言――たった十六文字できっちり説明していますわ。まずはこちらにご賛同いただけるかしら?」

「え、ええ……」


 とは言ってみたものの、そもそもそんなものを私は見たことも聞いたこともない。どこのどれに賛同すればいいのだろうか。

 が、スノウーマンは勝手に「そこへ行くと九官鳥イルは頂けませんわ」と続けてくれるので良しとしよう。


「登場人物の名前や仕草こそは地の文に記すのに、語り手の名前は常に他者に呼ばせる。その上見た目についてはほとんど触れようとしない。これではその名前が本当に語り手の名前なのか、実在するのかすらも怪しい。そんな信用できない語り手の言葉をどうして読者は信用できるのかしら。信用できない言葉を受け入れ続けるなんてのは苦痛でしかありませんわね」

「さすが雪の精様。慧眼に感服いたしますわ」


 お姉様は手放しでスノウーマンを褒め称えた。どっちも同じような口調で喋るからなんだか私も混乱してきてしまうけれど、ポンコツ要素が多いのがお姉様だ。

 私は沈黙を貫き、いっそお姉様にスノウーマンが満足するまで付き合ってもらうとしよう。


「そういえば『チクウィスマスの沼底』も主人公の正体がちくわ笛が得意なサンタクロースなのに、本人は一言もそれに触れてませんでしたわ。クライマックスで犯人を捕まえるためにその力を使いましたけど」


 とお姉様。


「それ自体は意図的な情報の隠蔽ですわね。主人公が実は伝説のサンタクロースでした、という展開自体はわたくしも認めますわ。問題なのは無意味な隠蔽の方、ですわ」


 とスノウーマン。どうやら私が知らないだけでそういう作品が確かにあるようだ。どうにも内容が想像できないけれど、きっと二人が知っている作品なのだから、悪い意味での問題作に違いない。


「挿絵の有無にかかわらず、最低限の人物の見た目を言葉で説明するのは読者に対する義務として作者に課すべきと、わたくしは考えますわ」

「難しい話ですわね。地の文で自分を指して『私は肌が雪のように白い人間です』というのは難しいですわね。私にはそんな自己紹介は出来ませんもの」

「何を仰るのかしら。そんなに白い肌を晒して」

「いえいえ雪の精様こそ。白い玉の様な肌ですわ」

「雪だるまですもの」


 何とも白々しい会話だ。互いに本心で話してるはずなのに寒い。夜で雪の精で、雪まつりだからかもしれない。


「けれど、それならそれで他者に評価させることもできますわ。普段と違う格好をさせることで、比較のために普段の恰好をあえて描写する。これで自然に描写が出来ますわ」

「雪の精様であれば、『人参を鼻に見立て、黒バケツを被った可愛らしい雪だるま』と言えますわね」


 見たまんまではあるけれど、まあそれはそう言える。むしろそれ以外の言い方は何だろうか。両手が木の枝だとか、目玉はミカンだとか、その辺を良い感じに表現するのだろうか。私に表現力が無いのでこれ以上の描写は控えよう。お姉様の描写が惨憺たるものになってしまう。ましてや私の姿なんて化物そのものだ。



 雪まつり最終日もスノウーマンは雪まつり会場に現れた。あの日現れた時と同じく、観光客がほとんどいなくなった閉園間際に。


「ごきげんよう。今宵も月が綺麗ですわね」

「あらあら雪の精様。ごきげんよう」


 この二人はどこで波長が合うのか、私が会話に混じる余地はない。


「月明かりに照らされる雪像には人工照明には真似できない美しさがありますわ」


 スノウーマンは本当にご機嫌な様で、雪の様にひらひらと舞い踊る。雪の精なんだから『雪の様』という表現も正しいようで間違っている気がするけれど、私の表現力には決して高くない限界がある。

 

「月明かりには魔性が宿ると古来より言いますわね。ルナティック、まさに狂気」

「『月面C地区ワラメントの鉄塊』の序盤の一節ですわね。九官鳥イル最初の作品」

「よくわかりましたわね。登場人物全員が六本腕の宇宙人だった、ミステリー作品風のSF小説ですわ」


 どうやら今夜も推理小説談義が始まってしまうようだ。私は彼女たちの話を聞きながら、巻き込まれないように静かに、雪像と同化するように佇んで空気に徹することにした。


「あの作品は作者の悪癖が詰まっていたと言って過言ではありませんわ。世界観を何一つ描写してないせいで、何一つ理解できないまま終わってしまいましたわ」

「あれはそういう風に読むものだと思ってましたわ」

「六本腕の宇宙人による一人称視点で、当人の常識で物語を進めているせいで、何が謎なのかも不明なまま不完全燃焼ですわ」

「謎はそのままでも面白ければよろしいのでは?」


 お姉様は言った。物語とは突き詰めてしまえばそういうものであると。

 だが、スノウーマンはそれに負けることなく「それではすっきりしませんわ」と返す。


「本を閉じてすっきりして終わる、それが物語における謎の役割ですわ」

「尾を引く謎もまた魅力ではありませんこと?」


 お姉様の言葉に対して、スノウーマンは少しだけ間をおいてから答えた。


「それも一つの魅力ではありますわ。ですが、わたくしは物語を読み終わった後、すっきりとした気持ちで終わるのが一番だと思ってますわ」

「なるほど、雪の精様のお考えもよくわかりますわ。でも、やっぱり私は少し違いますの」

「違うとは?」


 お姉様もそれに負けじと返す。


「謎がすぐに解けることが必ずしも良いことだとは限りませんわ。時にはその謎が、読者の心の中で長く漂い続けることで、物語の余韻が深くなり、記憶に残るのではないかしら?」

「けれどそれは、解けるべき謎の上に成り立つべきですわ。本編中に解き明かされなくても、読者が推理して真実に辿り着けるならともかく、解けない謎なんてただの混乱でしかありませんわ。美しくありませんもの」

「雪の精様にとっては美しさが大切なのですね」

「当然ですわ」


 最初の機嫌の良さはどこへ雲隠れしたのか、次第にスノウーマンの口調は不機嫌なそれになっていく。


「謎があってその謎が解ける、それこそが推理小説の形式テンプレート様式美テンプレートですわ。どんなものも様式美テンプレートから外れてしまっては美しくありませんもの。解けずに残るなんて、ただ煩わしいだけですわ。推理小説然り、残り雪然り」

「さすが雪の精様。仰ることが一味違いますわね」

「当然ですわ。それにしても――」


 その場の空気がひときわ冷たくなったような気がした。

 スノウーマンの軽蔑するような眼差しがお姉様を刺す。


「崩れてしまった雪像というのは、切なく儚くこそあっても、まるで美しくありませんわね。あの頃の魅力なんて微塵も感じませんわ」

「氷解する途中の謎は美しくありませんか?」

「謎と雪像は似て非なるものですわ。解けないからこそ美しい雪像と、美しい解が用意されている謎では真逆ですわ」

「雪の精様にとっては何よりも美しさが大切なのですね」

「当然ですわ。美しくなければ、例えわたくしが生み出したものであっても手放しますわ」


 お姉様はそんな冷たい眼差しを送るスノウーマンに対してただ笑みを含んだ言葉を返す。


「冷たいのですね」

「当然ですわ。だって雪の精ですもの」


 そう言って、スノウーマンはひらひらとどこかへ飛んでいく。


「さようなら。もう二度と会うことはないでしょう」


 会場に取り残された私たちは、ただそこにしばし佇んでいた。

 雪解ける春は、まだずっと先だった。

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