こちら、猫耳グチ聞き窓口

星見守灯也

こちら、猫耳グチ聞き窓口

 「神さまは乗り越えられる試練しか与えない」。


 そんなの、絶対、絶対、嘘。

 越えられないなら自分が悪いのか、神様が意地悪なのか。

 神様がいるなら自殺者なんて出るはずがないじゃない。




 三十九戦、三十九敗。

 そろそろ五十敗が見えてきた。

 就職シーズンも終盤、卒論も考えなきゃいけないのに。


 うつむいて歩いていると、いろんなものが見える。

 タバコの吸い殻、空き缶、レシート……。

 あ、百円落ちてる。ラッキー。

 ……ラッキーかなあ。こんな小さなラッキーで運を使い果たしたくない。

 普通の幸せがほしい。


 けれども、拾ってみれば、それは百円玉ではなかった。

 どこかのゲーセンのコインだろうか。

 猫らしき耳の下に、一枚で十五分と書いてあった。


「電話番号?」


 猫耳の上には、0から始まる十桁の番号だ。

 でもこれ、どこのだろう。見覚えがない市外局番だ。

 私は何かに引っ張られるように近くの電話ボックスに入った。

 コインを投入口に入れる。カコンと音がした。


「0……」


 そう、このころは電話番号を覚えるなんて簡単なことだった。

 私はさっき見た番号を打ち込み、すがるように待った。

 プルルルルル……。本当に鳴った……。

 ビックリしている間に三コール鳴って、誰かが電話をとった。


「はい、猫耳グチ聞き窓口ですニャ。秘密厳守。ワンコイン十五分です。どうしましたニャ?」


 私は頭が真っ白になった。

 そして、早口でまくし立てていた。


 親の期待を背負って大学に入ったこと。

 大学で友達ができなかったこと。

 成績はいつもギリギリだったこと。

 バイトも上手くいかなかったこと。

 就職できそうにないこと。

 卒論も進んでないこと。


 泣けてくる。

 私はぼろぼろと涙をこぼしていた。

 親には絶対言えないと思ってたことが、次から次にあふれ出てくる。


「そうですか。大変でしたニャ」


 相手は静かに聞いていたが、嗚咽の間にそっとそう言った。


「あたしもう、どうしよう……」


 公衆電話に覆い被さるようにしてこぼす。


「『神様は乗り越えられる試練しか与えない』って言うけど、嘘。絶対、嘘。もうダメ、耐えられない!」


 しばらくの無言があった。

 それは、私にとっては何時間にも感じられた。


「それは乗り越えた人のことしか数えてない。乗り越えられなかった人は『努力が足りなかった』のではなく、『運が悪かった』のかもしれませんニャ。そう考えるとずいぶん勝手な言い分だ……そう言いたいのですニャ?」

「私は……確かにみんなより努力してないかもだけど、でも、もうわかんないんだもん。どうすればいいのか……」


「……ふむ? 猫の手アドバイスが必要ですかニャ?」

「アドバイス……あるの?」


「はい、猫の手をご希望ですね。では……あなたは道を見失ってるだけなのですニャ」

「どこに……」

「そうですニャ。『努力すれば、いずれ乗り越えられる』などと言うつもりはありません。でも『今、乗り越えないといけない』山か『今は乗り越えなくてもいい』山か見極めるのも人生を歩くのに必要なスキルですニャ」


 受話器の奥に、淡々と言葉が落ちていく。


「山は登ってもいいし、迂回してもいいのですニャ。登るのだって、道はいくつかありますニャ?」

「それ、どういう……?」

「人生はお散歩なんですから、こう行かないといけないなんてことはありませんニャン。それでも乗り越えなければならないと決まったら、準備と装備は万全に、ですニャ!」


「おお、もう十五分ですニャ。ご利用ありがとうございましたニャー」


 ガチャン、と切れたすぐ後にコインが飲み込まれる音がした。




 それから――私は地元に戻った。

 あれこれとあって漆器を作るようになって三十年。

 私の仕事は蒔絵師などの華やかなものではないけれど、意外と上手くやっていけている。

 ただひたすら塗り、乾燥させ、重ねていく。静かな時間。

 私の越えるべき山は、ただ木と漆と向き合うだけのものだ。


 正直、大変じゃなかったとは言えない。

 あの時、潰れていてもおかしくなかったと思う時期が何度もあった。

 登るかどうかも選べないまま直面する試練がいくつもあった。

 乗り越えられる試練かどうかなんて、乗り越えてみないとわからない。

 乗り越えられた今だから、言える話だ。


 今でも時々、あの「猫耳グチ聞き窓口」を思い出す。

 静かで落ち着いた、ふんわりと優しい声を。

 あれ以来、あのコインは見ていない。電話番号も忘れてしまった。


 どうやったって乗り越えられない試練もたくさんあるんだと思う。

 この世界には、そういう「理不尽」なことがある。

 でも迂回すればいい試練も、乗り越えなくてもいい試練もきっと、たくさんある。

 ひとりじゃだめでも、協力すればなんとかなる試練だって。


 試練を課す神様がいるかはわからないが、あの電話はきっと神様の電話だった。

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こちら、猫耳グチ聞き窓口 星見守灯也 @hoshimi_motoya

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