海に雪は積もるのか?

赤城ハル

「こいつぁ、魚が風邪をひいちまうな」

 雪降る空を見ながら親父が偏屈なことを誰ともなしに呟いた。

 これは誰かが突っ込むべきかと視線で探り合い、その結果、息子の俺が聞くことになった。

「どうした? 荒れるのか?」

 雪はぼたぼたと降っているが風は弱く、波は船を赤ん坊が眠る揺り籠のようにあやしているだけ。

「ん? いや、寒いなと思ってよ」

 親父の言葉はそれだけだった。

 そこで客の1人が呼応するかのようにくしゃみをした。

 その客は防寒装備を怠ったようで、見ているこちらも寒くなりそうな服装だった。

「毛布を貸してやんな」

 親父に言われて俺は船内の毛布を客に届ける。

「これ使いな」

 客は毛布の匂いに嫌な顔をしたが、寒さをしのげるならと渋々受け取り、毛布を羽織る。

「どうしてその服装で?」

 長袖ではあるが薄いジャケット。

「家を出る時は暖かかったんですが、まさかここでは雪が降っているとは」

 客は苦笑いして答えた。

 年齢は30代後半くらいで船釣りは初心者らしい。

 ここへは上司と先輩に誘われて来たらしい。その上司と先輩は反対側で陣取っている。

「確か大阪の人だったね。向こうは冬でも暖かいのかい?」

「いや、寒いですよ。でも、雪が降るほど寒くはありません」

「ここは日本海だからね。普通に雪は降るよ」

「魚も風邪をひくのですか?」

 親父が言っていたことを客は聞いた。

「さあね」

 生き物だから病気の一つや二つはあるだろう。寄生虫にだってかかったりするのだから。

「やはり海は冷たいですかね」

「そりゃあね。落ちたらショックで心臓が止まるかもな」

「魚は平気なんですかね?」

「平気かどうか分からんが泳いでいる。泳いでいるから……まあ、平気なんだろう」

 どうしてこんな馬鹿みたいな話をしているのだろうか。

「ま、ここで獲れるのは暖流のやつだから」

 そう言って俺は客から離れた。

 船内に入る時、俺は親父を伺った。

 親父は何を考えているのか、ただ海を見ていた。

 船内に戻ると魚群センサーを見ていた若いクルーが、「船長どうしたんですかね?」と俺に聞く。

「知らねえな。それよりセンサーに反応はないのか?」

「ええ。今のところ。珍しいですね。そろそろヒットしてもおかしくないのに」

 ずいぶんと船を走らせいるが、魚群を見つけられずにいて、どの客も未だヒットはない。

 と、そこへ親父が戻ってきた。

「もう少し北西へ走らせろ。あっちだ」

「ああ」

 俺は船を北西へ移動させる。

「よし。ここだ。めろ」

 するとどうだろうか。魚群が見つかり、俺はすぐに餌をばら撒いて、客達に群れが来ることを告げた。

「どうしてわかった?」

 俺は親父に問う。

「勘だ」

 親父は顎をさすりつつ答えた。

「魚が風邪ひくだの言ってたやつか?」

「んん? 言ったか?」

「言ったよ」

 話は以上だと言わんばかりに親父は口を閉じた。

 親父は何も言わない。船に乗ったときもだ。何も教えてはくれない。

 昔の人のように見て覚えろ。それを背中で語るタイプだ。

 最近は高性能な魚群センサーや海流マップ、気候情報、他船との連絡情報網があり、論理的になり始めてきた。

 だから親父のような抽象的なタイプは古い。けれど、長年の技術と勘が今も健在である。

「船長は?」

 船内に入るとクルーに聞かれた。

「外にいる」

「外に? 何してるんです?」

「さあな? 俺にはわからん」

 勘というものはどうすれば備わるのか。

 昔はセンサーも何もなかった。あるのは長年伝えられた鉄則と知恵袋、そして経験。それらが勘を鋭くさせたのか。

 窓から見える親父の背は老熟された気配を漂わせていた。

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海に雪は積もるのか? 赤城ハル @akagi-haru

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