DIVA
形霧燈
第1話
観客席を撫でるように指差していく彼女と、目が合った気がした。
ツアー限定のTシャツの裾を、汗ばんだ手でぎゅっと掴んだ。
一瞬のブレスのあと、彼女の声が私を貫く。
透明で豊潤で、優しくて強い。
5万人が息を呑むのは、現代の歌姫。
歌奈。
激しいドラムのフィルイン。ギタリストがオーバードライブを踏む。配信映画の主題歌として、北米とアフリカ大陸で大ヒットした曲だ。
滝のようなバンドサウンドの中。歌奈は、全身をのけぞらせ震わせた。
――私の代わりに、叫んでくれている。
不器用な十代の私の代わりに、歪んだ焦燥や、割り切れない葛藤を、美しく昇華してくれている。そう思えた。
私は、救われていた。
アンコールは三回に及んだ。
「今日はみんな、来てくれてありがとう!」間奏をバッグに歌奈は語りかける。巨大なホログラムに世界中の言葉が浮かび上がる。Thank you all for coming today! 今天感谢大家的到来! Gracias a todos por venir hoy! شكرًا للجميع على حضوركم اليوم! ライブは、メタバース上で世界中へ同時中継されている。
全開の照明が、歌奈のシルエットを浮かび上がらせた。彼女はマイクから唇を離し、ビブラートを響かせる。
絶唱。きらきらとした余韻が、観客席に吸い込まれていく。
刹那の陶然のあとに、熱狂が溢れた。
歌奈の人気は、初の全世界中継ライブのあとも上がる一方だった。
そして、絶頂のさなか、「天使の声」と称えられたグラミー賞の授賞式を最後に、歌奈は姿を消した。
公の場から、完全に。
◇
24階に着くと、私はオフィスの入り口に設置されたモニターを見つめた。虹彩。顔。社員証。次々にカメラへと認識させる。すうっと扉が開いた。
高いパーティションで入り組んでいる執務スペースを、挨拶と会釈を繰り出しながら進んでいく。
「おはよーっす」席に着くと、気の抜けた挨拶を社長がしてきた。持ったコーヒーから湯気が立っている。ウェーブのグレイヘアーが、茶色いスマートグラスに似合っている。
「おはようございます、佐藤社長」
「ヨシダ先生の許諾、取れたんだって? すごいじゃん。通い詰めたもんね」
「いやあ」
「ほんと、うちのエースだよ、サツキちゃん。あの先生のタッチ特徴的だからさ。引き合い多いし、どうしても学習させたかったんだよね」
「交渉上限いっぱい要求されましたけどね」
これね、と彼女は親指と人差し指で丸をつくる旧世代のハンドアクションをした。私は笑ってうなずく。
「その分回収できるからさ。データ使いたい出版社は世界中にいる」
「令和レトロブーム来てますもんね」
「私の青春よー。ヨシダ先生、昔すごかったんだよ。尖ってて、美麗で。何冊あの人の漫画読んだかわかんない」
「いい絵ですよねえ」
「今はなんかデッサン狂っちゃって……」
「切ないですよね……でも、AIに絵を完璧に学習させたら、自分がそのAIまっさきに使いたい、って言ってましたよ」
「強いね」
「俺がいちばん俺の絵が映えるネーム切れるんだ、って言って。ああいう人がほんとの芸術家なんだと思いますよ」
「わかる」そう言って、社長はコーヒーをぐびっと飲んだ。
「あのさ、新規の相談したいんだよね。ビッグなやつ」
「いいっすね」
「でも、ちょっと、まあまあ、いやかなり?難しい案件かも」
「どっちなんすか……」
「絶対サツキちゃんに向いてる」
「っていうと音楽系ですか?やった」
「――うん。今日クイックに打ち合わせできる?」
スマートウォッチからカレンダーアプリを浮かび上がらせて、中空でスワイプする。「16時からなら」
「おけ。じゃ会議室予約よろしく」ひらひらと社長は手を振りながら、パーティションの向こうへ去っていく。
私は、IDカードをPCのインナーカメラにかざしてログインした。
学習官 渡井沙月。私の肩書きと名前が、そこにあった。
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DIVA 形霧燈 @katagirit
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