第3話
初夏の昼下がり。
道場の中央に、座禅を組む坊主頭があった。
学生と賢者を兼任する男児、百道である。
道場に他の影はない。
板張りの床には色様々な幻石が転がされているが、その他は整然としており、殺風景を通り越して寂しげである。
百道は日課の修行に取り組んでいた。
星祓士たる者、見習いから大賢者まで欠かさない基礎修行、瞑想である。
人には、幻力を格納する丹田があり、幻力を流す回路がある。
術理は、丹田に蓄えた幻力を回路を通し捻出することで、発動する。
術師の引き起こす超常現象や身体強化も、全て幻力を糧にしているのである。
つまり、術師にとって幻力の貯蔵が重要になってくるわけだが、丹田を広げることは難しい。内臓を鍛える術がないように、丹田もまた鍛えようがないのである。
では処置なしかといえば、そうではない。
無論、素質は重要だが、されど全てではないのだ。
幻力には密度があり、鍛錬を積むことで密度の高い幻力を得ることができる。
そして、今し方まで百道が行っていた瞑想修行は、幻力の密度を向上させる修行なのである。
百道は瞑想を解除した。
自らの幻力の状態を確認し、よし、と頷き立ち上がる。
「幻力は十全だ。はじめるか」
百道は呼吸を整え、大太刀を構えた。
総身は激しく気纏い、その表情は気概で溢れている。
──今日こそは、成し得てやる。
百道は、瞑想で高まった幻力を大太刀に通した。
大太刀を百道の
瞬く間に大太刀が金光に包まれ、その表面が硬質化を開始した。
黄金色をした結晶が伸びるように刀身を包み込み、より硬質な武器を形作る。
百道が試みている技は奥義・幻装である。
「ぐっ」と百道が顔をしかめた。
幻装とは本来、装具を全く新しい武器に転じさせる技術である。
しかし眼窩の幻装の出来は、不完全と言わざるを得なかった。
刀身に太々しく結晶が纏わりついた、不恰好な大太刀である。
決して新たな武器に至ったわけではない。
百道の纏う幻力が乱れ始め、眉間に深い皺がよる。
あと僅かでも押し出せれば成功しそうだというのに、その一歩が踏み出せない。
百道は表情を強張らせ、幻力の捻出に神経を注ぐが、それ以上硬質化が進むことはない。
まるで生命の琴線に触れてしまったかのように、本能が進歩を拒絶するのだ。
──この、岩盤に当たったような硬い手応え。
百道はきつく歯を食いしばった。
その脳裏を、あの黒髪の少年が嘲笑が過ぎる。
──いいや、無理を通してでも超えなければ先はない!
百道が半ば力ずくに幻力を押し流した。
その瞬間、大太刀が一際強い光を放ち、硬質化を再開。
刀身表面の結晶が、爆発的に膨れ上がり──
バチバチっ!と火花が散る。
幻力が反撥し、周囲に波動を呼ぶ。
百道の総身に、全神経が破裂したかのような激痛が駆け巡った。
「がッ!?」
まるで
顕在化した幻力の結晶も霧散している。幻装は強制的に解除されてしまったようだ。
百道は全力疾走でもした後のように項垂れ、浅い呼吸を繰り返した。
「ぐ‥‥!またも、失敗か‥‥」
──似合ってるぜ、猿。
あの黒髪の忌々しい声が百道の脳裏で木霊する。
百道は「くそっ」と感情任せに床を殴りつけた。
百道には孤児だった過去がある。
故郷の島を星霊に滅ぼされ、路頭に迷っていた所を拾われ、星祓隊を志した。
それからは修行に明け暮れる日々だった。
数多の術理を身に刻み、必死に研鑽を続けた。
全ては己の価値を示すためだ。
そしてやっと、賢者の称号を預かるに至った。
その矢先だ。己の成長に限界を感じ始めたのは。
皮切りは、幻装だった。
百道は、賢者の称号を預かる中で唯一幻装ができない。
幻装が出来なければ、これ以上の成長は望めないだろう。
それは術師としても星祓隊としても致命的だった。
「焦りは禁物だよ」
背後からたおやか声がした。
振り返れば、道場の入口に男が立っている。
筋骨隆々の、襟足が異様に長い男性だ。
「どうした、らしくもない。幻装修行は根気よく、が鉄則だろ?」
男の名は長谷部宗司。
五大都市の一つ、南都の運営管轄を担う名家、長谷部家の次期当主であり、星祓隊の筆頭。また、孤児だった百道を引き取った親代りでもある。
突然の恩師の来訪に、百道は跳ね起き「お疲れ様です、宗司様!」と居住いを正した。
「様呼びは止してくれっていつも言ってるだろう?」
「しかし‥‥貴方は本来俺などと気軽に言葉を交わして良い相手ではない。やはり敬称は必要でしょう」
「だが当人がそれを望んでいないのならば時に慇懃無礼に値するだろう?」
宗司の言葉を受けて、百道は目を細めた。
「では、改めまして宗司さん。今日はどうされたんですか?」
「ああ。頑張った息子に報償を渡そうとね」
「褒賞、ですか?」
極貧生活の百道にとって朗報のはずだが、百道は心当たりがないと小首を傾げた。
この愚直な程の正直さが百道の美徳だ。
最も、純真という訳ではない。
幾多も俗界の塵埃に揉まれ、少年の純真はすでに途絶えている。
宗司が肩を竦めた。
「親父殿からだ。曰く、今月の手当に
「誠司様からですか?それに色とは?」
「さぁ?俺もさっぱりさ。まぁ、詳しい話は親父がするだろう。あの人の慧眼はいつまでも健在だ」
「なんだか嫌な予感がします」
「まぁ、ありがたく懐に収めておけ」と宗司は嗜めるように言う。「金は持っておいて損はない」
「不明なお金ほど怖いものはありません」
「まあな。けど、褒賞についてはわかるぞ。先日の星霊の討伐手当てだろう。小熊座の」
小熊座という用語に百道は相好を渋めた。
「ん、どうした?我慢ならぬという面持ちだが‥‥」
「小熊座を倒したのは俺ではありません。あの男です」
「あの男?」
「不吉な黒髪の男です」
宗司もその正体に思い至ったようだ。「なるほど、彼か」と頷いた。
不吉な黒髪の少年とは、時雨の事だ。
学び舎・朱雀校に在籍する弱冠一六歳の才児である。
百道は雪辱を噛み締めるた表情で呟いた。
「俺はあの男を認めない」
生まれ持った膨大な幻力と色術への深い解像度。
非凡な才に恵まれたあの男は、いつも強気で不遜で傲岸で、周囲の人間を見下しているように見える。
百道は、そのおこぼれを授かるのがどうにも我慢ならなかった。
「俺はあの日、星禍の浄化に失敗した。
宗司が顎髭を摩りつつ苦笑する。
「お前はなんだかんだ言って時雨を意識してるもんな。そりゃ悔しいわ」
何も百道とて、初めから時雨の事が憎かったわけではない。
だが何かと共通項の多い二人だ。
「百道は幻装ができないが、時雨は一日もかからなかった」とか「百道は一七才で賢者となったが、時雨は一五才だ」とか──
とにかく引き合いに出されることが多かった。
だが直接交わる機会は無かった。
決定的な出来事は今から二年前だ。
放課後、偶然すれ違った時雨に呼び止められ、決闘を申し込まれたのだ。
学び舎では修行の一環として生徒間の模擬戦が認められている。
百道は内心驚きつつも決闘を受諾した。
そして、破れた。
痛烈な敗北の記憶に苛まれる百道を、「はははっ」と宗司が豪快に笑った。
「何が面白いんです?」
「根に持っているな。少年」
「そりゃ持ちます。だって坊主頭ですよ。廊下を歩くだけで笑われますし、おかげで暫くは帽子が手放せませんでした」
「いいじゃないか坊主。似合ってるぜ」
「煩いです」
百道は借り上げられた頭部を撫でた。
決闘に敗北した百道は、敗北の代価として、髪を剃り上げられたのである。
「それでどうだ?時雨に勝てそうかな?」
百道は首を横に振る。
「あれ以来、打倒時雨を志し修行に励んでいるのですが、未だあの黒髪の伐採には至っていない。どうやら、道は長そうです」
時雨は間違いなく天才だ。
並外れた幻力に、色の垣根を越えた高度な色術。
簡単に真似できる芸当ではない。
時雨の実力は、大賢者不在の南都において、最強と言っても過言ではないのである。
「俺が
百道にとって、あの出来事は形容しがたい屈辱だった。
大観衆の面前で自慢の金髪をひん剥かれた記憶は未だ夢に見るほどだ。
その恨みは雪辱の域に至っていると言える。
「だが、それ以上に腹立たしい話がある。奴は俺を有象無象と言いました。あの黒曜の目は俺を見ていない。俺は奴のそんな態度が気に食わない」
星祓隊の存在意義は、土地の奪還にある。
ならば同期に時雨ほど強い術師がいることは喜ばしいことなのだろう。
だが百道は、時雨の存在を素直に認めることは出来なかった。
負けず嫌いであること、苦汁を飲まされた因縁、理由を挙げれば切りがない。
だがそのどれよりも、あの周囲を突き放す居丈高な振る舞いを、看過することができないのである。
「だから、いずれ完膚なきまでに叩きのめしてやる。それが今の俺の目標です」
「知ってる。だが、焦るなよ」
宗司が神妙に微笑んだ。
その微笑は、どこか諦観めいた後めたい感情が見え隠れしているようだった。
「宗司さん?」
「覚えておけ。歩幅を、一度でも歩幅を乱せばと転落が始まる。転落はやがて崩壊に至り、破滅へ導くんだ。だから、焦るな。それに、お前も十分凄いんだ。親の贔屓目抜きにしてもな。その年で賢者なんて100年ぶりの快挙なんだから」
宗司の言葉に、百道は首を振った。
謙遜などではない。自分が凄かった試しなど一度も無いのだ。
何故ならこの二年間、百道がどれだけ頑張っても、時雨に追いつくことは出来なかった。自信など何度打ち砕かれたか分からない。
時雨という巨才の前では、半端な自信など持ちようがないのである。
「勿論、時雨も凄い。けど、お前には、彼にない凄さがある」
「時雨にない凄さ、ですか?」
と百道は聞き返した。
これまでも数多の賛辞を進呈されてきた。しかし、それらは決まって時雨にも当てはまる話だった。
「諦めの悪さだよ、往生際の悪さと言ってもいい」
思わぬ言葉に、「は、はぁ」と百道から溜息のようなものが漏れ出る。
宗司は苦笑しつつ続けた。
「誰だって、こうありたい、こうしたいっていう理想を持ってるんだ。けど行動まで伴なわない。理想っていうものの大半は身の丈を超えた夢だから、何かとかこつけて目を逸らす。俺もそうだった」
「宗司さんもですか?」
「ああ、寧ろ、俺こそがその最たる例かもな。デカい親父の背を追って、現実に打ちのめされて、その癖口だけは達者で、いつも
宗司は目を細め、道場の中央あたりを眺めていた。
もしかすると、彼の学生時代を思い起こしているのかも知れない。
宗司が優しげに百道を見据えた。
「俺は疲れた。けどお前はめげない。それはお前にしかない力だよ」
百道は自嘲気味に視線を落とす。
「そうであればいいですけど、自信は無いです。何せ俺は、時雨に追いつくどころか、幻装さえままならない」
百道も──本人にとっては微々たるものの──成長を続けている。
うだつの上がらぬ日々であるが、着実に進歩しているのだ。そして、その歩調は大抵の者よりも早い。
すれば、今は途方もない壁も、いずれは突破するだろう。
しかし百道の胸中は、苦悩と焦燥に踏み荒らされていた。
今すぐにでも
「意地でも突破します。目の前の壁を越えねば、俺という人間は、本懐を遂げることなく朽ちていくことになる。そんな気がするんです」
宗司は微笑を湛え、首を振った。
「追いつくよ、お前は。だから──」
その時、「宗司様、お時間です!」という切迫した声が道場に響き渡った。
振り返れば、宗司の付人の女性がお冠の様子である。
「おぉ!もうそんな時間か!失敬失敬!」
腕時計を確認した宗司は即刻立ち上がり、踵を返した。
かと思いきや、と出口付近で唐突に立ち止まり、
「今日の19時に理事長室に来てくれ。
そう言い宗司は封筒を投げ渡した。
「こ、これは?」
「今日の本題の褒賞だ。開けてみな」
中にはなんと、
「え、えぇ!?そ、宗司さん!こんな大金受け取れま──!?」
慌てて顔を上げる百道だが、すでに宗司の影は跡形もない。
百道は手持ち無沙汰に耽るのだった。
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