第2話

ゴンっと岩を砕く音がした。

一泊遅れてズンッと深い震撼の音が続く。

闇中、巨大な何かが暴れ回っている。

三メートル先も不鮮明な闇夜。百道は岩陰に身を潜めていた。

額に汗の玉をぎっしりと浮かべ、鬼気迫るほどの切迫で周囲の様子を伺っている。

「こんな事では‥‥ッ!」

百道は拳をキツく絞める。

星禍を検知した百道はそのまま現場へ急行した。

酷くとも三等程度だろうと予想し、単独で対処可能だと判断したからだ。

そして一度は星禍の浄化に成功した。そのはずだった。

抜かりがあったわけではない。

ただ、今宵の星禍は想像を凌駕していたのだ。

更に、不測の事態が重なり、モタつく間に星禍は強大に膨れ上がり、ついには一等にまで至ってしまったのである。

一等星禍──の誕生である。

星獣とは星禍が実体を得た形態であり、全身を漆黒に包んだ異形である。

その危険度は賢者に迫るという。

しかし百道の真の懸念は他のところにはある。

星禍は瘴気を餌に成長を続ける。星獣はいわば、進化の途中なのだ。

間違ってもに覚醒させてはならない。

然りとて光源は松明の灯りと足下の細い火種のみ。

それはこの闇を前にしてあまりにも心許ない。

百道は浅い呼吸を繰返した。

奴は確実に迫ってきている。既に隣に追いすがっているかも知れない。

夜目の術理を使いたい所だが、それはできない

百道は焦燥と葛藤を擦り潰す。

「くそっ」

不意に、百道の裾が引かれる。

裾を摘む手は細く幼い。

十にも満たなく、年を組んだとしても小柄な年齢不詳の子供だ。

声を漏らさぬよう口を塞いでいる。

この子供こそ、百道にとっての最大の予想外だった。

恐らく孤児だ。

もっとも、灰色区域この区域ではよくある話だ。

今の世情、戦力にならぬ子供の命は軽く扱われやすいのである。

だが。いや、だからこそ。

百道は見捨てられなかった。

「大丈夫だ。ここは俺がなんとかする」

百道の口調は子を諭すようでいて、自らに向けられているようだ。

それを自覚しつつも、百道は毅然な態度を装う。

「心配するな、俺が必ずお前を安全な──っ!?」

その刹那、パキッという音が鼓膜をゆすった。

子が呻き声を漏らす。

音の正体は、火種が弾けた音であった。

百道は胸を撫で下ろす。

安堵も束の間だ。

ごばっ!という轟音と共に、眼前の土地が深々と抉れ飛んだ。

「なっ!?」

百道は目を瞠る。

瘴気の弾丸が大地を穿ったのだ。

土煙が吹き飛び、火の粉が飛び交う最中に、ぬっ、と闇を裂き、龍の如き巨獣が姿を現す。

「く、来たかっ星獣!」

「ぐらぁぁあ!!」

耳を裂かんばかりの咆哮が、瘴気の壁を生み出し周囲を吹き飛ばす。

一等星禍──星獣だ。

全身に硬質な結晶を纏い、獰猛な爪と牙、鎚の如く長尾を備えてた漆黒の異形だ。

星獣は背の翼を広げ、百道らへと踊りかかった。

「くそっ」

咄嗟に百道は、手を地面に打ち付け、術理を仕掛けた。

土式の結解術である。

忽ち金色の浄気が障壁を成し、星獣の突進を受け止める。

百道は夜目を施し視力を補完、大太刀を構え、臨戦体制に入る。

「いいか!ここは俺が引き受ける。だから今のうち逃げ、──!?」

子は腰を抜かしていた。

百道の表情が一層険しくなる。

子供を守りつつ星獣と戦うという選択は、現実的ではない。

眼前の星獣は今にも障壁を突破しそうだ。

融通の効かぬ子と、切迫する状況に、百道は怒鳴った。

「立てっ、立って逃げろ!死にたいのかっ!?」

百道は逃げるよう必死に訴えるが、その怒声が寧ろ逆効果だ。

子は血に伏せて耳を塞いでしまう。

前方の星獣と後方の幼子。百道は板挟みだ。

「くっ、くそ、このままではっ!」

そんな中か細い呟きが聞こえる。

「もう、一人は嫌なの」

百道は、冷や水を見舞ったかのようにハッと目を開き、目頭を押さえた。

「そうだ。俺もかつてはそうだったではないか」

百道は子を起こし、肩に手を添えた。

「怒鳴ってすまなかった、焦ってたんだ。それと申し訳ついでにもう一頼む。誰か、助けを呼んできて欲しいのだが頼めるだろうか?」

諭すような優しい口調。

子は顔を釣り上げ目を丸くし、それから下唇を押しつぶした。

けれど次の瞬間には涙を湛えた目で強く頷いた。

かたじけない」

折も折。星獣の獰猛な爪が障壁を砕き割った。

百道は子供を後方へと押し出す。

「なるべく遠くへ走れっ!!」

子供は走り去る。

その背を見届けた百道は、星獣と対峙する。

「俺とて賢者だ。貴様らの事は熟知している。発展速度にせよ、幻力にせよ、貴様は異常だ。俺の知る常識をいくつも凌駕している。放置はできないっ」

百道は懐から鉱石を取り出し、投擲した。

それは幻石と呼ばれる特別な鉱物だ。

幻石は、星獣の眼窩で凄まじい光を解き放った。

発光の術理が刻まれていたのである。

星獣が光に狼狽えるその隙に、百道は大太刀に幻力を充填した。

刀身が黄金の輝きを放ち、その表面が硬化を始める。

武器を進化させる奥義、を試みたのである。

光が止む頃、百道の手には先程と様相の違う大太刀が握られていた。

「幻装、完了!」

幻装とは装具を技術である。

にも関わらず、百道の大太刀は歪な形状をしていた。

重心は前傾し、刀身はハリボテを巻き付けたよう。全体的に散漫な印象を受ける。

端的に、不完全な幻装である。

百道は、賢者の末席を預かるにも関わらず幻装ができないのである。

幻装なしに星獣を祓うことは難しい。百道は不完全でも幻装を使用すべきと判断した。

眼前では、混乱から回復した星獣が、地面に擦るほどの前傾し、尾を聳やかしていた。

百道は果敢に吠える。

「貴様はここで確実に殺すっ!行くぞ、星獣!」

百道の怒号に、星獣が長尾を振り放った。

戦鎚の一掃の如く尾の一撃が、周囲の木々を容赦なく薙倒しながら肉薄する。

百道は迎撃すべく大太刀を振り抜いた。

鍔迫り合いの瞬間、大太刀の刀身の高質化が砕け散り、

「ぐ!?」

どうやら星獣の攻撃は百道の想定を大きく上回っていたらしい。

百道は後方へ吹き飛ばされる。

そのまま木に背を打つけながら転がり、崖に激突した。

「がふ‥‥!?」と百道は吐血する。

恐らく内臓を損傷したのだろう。

もし咄嗟に防御術理を展開していなかったのならば、今頃戦闘不能に陥っていたかもしれない。

「ぐっ、やはり不完全な幻装では、太刀打ちできないかっ!」

百道は治癒の幻石を砕く。

散った幻石の破片が淡い光となり、百道を抱きしめるように包み込む。

光はフシューと腹部や腕に吸い込まれ、瞬く間に傷を癒した。

遠方の星獣が、翼を叩き、宙を跳ねるように滑空した。

「来るか!」

星獣は疾かった。その巨躯と帳尻の合わぬ突進である。

百道は横に転がり逃れたが、間一髪だった。

不意に、脇に迫る不穏な気配に気がつき、総身が引き締まる。

尾の一撃かと思ったが、どうやら爪らしい。

刃渡1メートルを越えた、狂気的な爪が百道に迫っていた。

百道は飛び上がり回避したが、爪の先が擦過。隊服が引き裂ける。

「くっ!」

そのまま百道は空中で前方宙回り。

曲芸のように大太刀を回転させ、星獣に斬りかかる。

「つがぁああ‥‥!」

斬撃が星獣の腕を切り落とす。

その切断面から鮮血が噴き出し、錯乱した星獣が「ぐらぁああ!!」と激しく慟哭をあげる。

体重と遠心力に幻力を上乗せした一撃は、星獣の頑強な表皮を砕き、腕ごと断ち切るに至ったのである。

「畳み掛ける!」

百道は大太刀を槌のように大地に振り下ろした。

大地に幻力を通し、土式百道の十八番を発動する。

「土式・巨岩慟后きょがんどうご!」

百道の令を受け、大地が針状に隆起した。

それはまるで無数の槍だ。星獣を串刺しにすべく襲いかかる。

星獣は翼を叩いて夜空に飛び上がる。

霊的存在である星獣は、幻力の機微に鋭敏なのである。

「無論、想定済みだ」

その時、既に百道は星獣の頭上を取っていた。

「勝機はここ、逃さない!」

空中その場でぐるんぐるんと回転し、大車輪の如く斬りかかった。

狙い澄ました一撃が、星獣の脳天へと打ち込まれる。

「取った!」

不意に、百道は時間が止まったような感覚に陥った。

視界の中で、大太刀の描く軌道がやたら遅滞に見え始める。

宙を舞う黒い結晶の破片や鮮血、土煙までもが動きを止め、一連の動作が明らかに遅い。時が流れを忘れたかのようなスローモーションである。

曰く、それは死の危機に瀕した際に起きる走馬灯という現象だ。

脳が死を回避すべく記憶の遡及を繰り返し、白濁する思考。

白い世界の中で百道は立ち尽くしていた。

ふと声が聞こえた。懐かしい母の声だ。

修練服に身を包み、前屈みで何かを提言している。

内容は思い出せない。

ただ、それを聞いた幼き日の少年は、首を振った。

『ううん。俺は星祓隊に入って、武勲をあげて、必ずこの村に都を作ってやるんだ!』

記憶の遡及だった。

それは母親との修行の日々に始まり、父親との船旅、麗らかな春の、姉の嫁入り衣装と、目眩くめくるめく

白けた世界にか細い声が響いた。

『にぃ、さん?』

病室で、顔中から結晶を生やした少女が、手を伸ばした。

『私、星獣なんかに、なりたく、ない。星獣なんか、大っ嫌いっ』

震えるか細い音声には、積年の恨みが宿っている。

『あぁ、あぁ、約束する。俺が、必ず全ての星獣を浄化する!だからっ』

少女は、少年が誓いを終えるよりも前に砕け散り、灰となった。

それらは少年の記憶だった。

星獣がゆっくりと牙を剥いた。

岩のような牙のその奥で、青白い爆発が揺らいでいる。

高密度に圧縮された幻力が炎として顕在化し、蓄えられているのだ。

炙られるような熱に、百道の思考は冷めてゆく。

──俺は、何一つ約束を果たさないまま死ぬんだな。

星獣が灼熱を放射した。

それは百道が目を瞑ったのと同時だった。

火炎がうねり、炎流が百道に直撃する。その極薄く細い時間の切れ目に、黒い影の乱入があった。

軌道が大きく外れる。

目を瞑った百道は、その異変に気が付かない。

無様に地面に落下し、「がっ!?」と転がった。

星獣が「ごぁぁああ!!」と鼓膜が破れんばかりの絶叫を放った。

星獣の立ち場所がかなり後ろに下がっている。

平手打ちでも食らったように顔を傾け、口の周りの結晶が凹み砕けている。

百道は没我に呟いた。

「一体、何が‥‥?」

「はんっ、雑魚が」

夜気を裂く強い声に、百道は視線を釣り上げる。

落下する短身痩躯の影が、夜空に揺らいでいた。

腰に刺した木刀に、少女と見紛うような端麗な目鼻立ち、黒髪。

その不適な横顔は、百道にとって因縁深いものである。

「時雨っ!何故、貴様がここに!?」

百道の一つ下の後輩にあたり、巨大な才能と、傲慢、不遜、放埒の三拍子を兼備するの少年だ。

「テメェはちゃんと噛み応えあんだろうな?」

少年──時雨は不敵な笑みで星獣と対峙する。

百道など眼中にない様子だ。

百道の横顔が針金の如く強張った。

「時雨、貴様、いい加減にs!?」

「──ぐらぁああ!!」

百道の怒声を、星獣の凄絶な叫声にかき消した。

その咆哮に呼応して、周囲の瘴気が集まり、渦巻き始めた。

瘴気の気流は周囲を取り込みながらとぐろを巻き、やがて星獣を中心にした大渦へと発展する。

「ぐっ、これは!?瘴気が、星獣の身体へ劇的に溶けてゆくっ!」

星禍は六等から始まり、周囲の瘴気を吸収し、《星獣》に至る。

だがそこが終着おわりではない。があるのだ。

そして、には至らせてはいけない。

時雨が傲然と舌舐めずりをした。

「へぇ。こりゃまた随分と成長の早い。楽しめそうだ」

瘴気の渦が止み、星獣が姿を現れた。

その様相を目の当たりにして百道は絶句する。

黒光りする表皮に、引き締まった凶爪。

巨竜のような巨軀は人型サイズにまで収まり、しかし内包する幻力は桁違いに増大している。

胸部には意味を伴う光点の配列を持っていた。

星禍がその先へと至った瞬間であった。

星禍の最終形態、である。

「そんな‥‥」

首を竦める百道。

対し、時雨は余裕そうだ。木刀を振り、星霊の胸の紋様を示す。

その紋様こそ、星霊の証だ。星の意味を示す配列、星座紋である。

「だが小熊とは、また随分可愛いもん宿しやがって」

星座を宿す最上位星禍を星霊と呼ぶ。

星霊の最大の脅威は、星禍を誘発する能力にある。

星霊の発する濃密な瘴気が、周囲の幻力に濁りを生み出し、周囲の幻力を歪め、黒化現象を誘うのだ。

「グラぁああ!!」

小熊座の星霊が、爪に集めた瘴気を振り放った。

瘴気が泥水のように周囲に付着する。

異変はすぐに起きた。

ずぞぞぞ、と木々が戦慄き始める。その内部の幻力が自然回復の望めない色、黒へと偏向を始めた。

「不味いっ、が来るぞ‥‥!」

百道が大音声をあげた。

星霊に触発された星禍は、その濃密な瘴気の煽りを受け、秒単位で悪化。急速に星獣に転じる。

時雨は「はっ」と鼻を鳴らした。

「うるせぇ。こんな雑魚、いくら増えたとてどうとでもなる」

星霊がギロリと振り返り、値踏みするような視線を注いだ。

瞬時、星霊が時雨に定め、その凶爪を振り放った。

狙い澄ました一撃が衝撃波となり、矢よりも早く時雨へ襲いかかる。

「たく。脅威が足りねぇんだよ」

時雨は口角を歪めた。

木刀を振り下ろす恐ろしく早い動作があり、次の刹那、小熊座の星霊は両断されていた。

正確に正中線を別たれた星霊は、胸の核星座紋ごと真っ二つに斬り裂かれ、その実態を失う。

鎌鼬。そうとしか形容できない一撃だった。

「馬鹿、な」

星霊の頑強な肉体を斬り卸すその技量もさることながら、恐るべきはその速度だ。

百道は、時雨が木刀を振り上げた所までは追えていた。だがその先は無理だった。

「ありえない。なんなんだ、貴様は‥‥」

時雨は目の前の星霊を消滅させると、何事もなかったように隊服の埃を払った。

その時ようやく百道の存在を認知したようだ。

「あん?テメェは、猿じゃねぇか、猿真似百道。こんな所で一体何してんだ?夜のお散歩かぁ?」と嘲笑する。

百道は眉根を釣り上げた。

「散歩ではない。任務だ」

「任務って、テメェがか?餓鬼学生は参加できねぇルールだろうが」

「貴様も学生だろう」

「はん、テメェと一緒にすんな」

怪訝そうにする時雨に、百道はバッチを示した。

黄金に輝く胸のバッチだ。

「俺も賢者だ。貴様と同じ、な」

時雨は退屈そうに肩を竦めた。

「ま、どうでもいいが。んなことよりも、次が来るぜ?小熊の置き土産だ」

置き土産、とは星霊が振り撒いた星禍の事だろう。

今のやり取りの間に、星禍は星獣へと変貌を遂げ、百道らを取り囲んでいた。

闇夜の中、妖しく煌めく視線が百道らを狙い澄ましている。その数は両指では事足りぬだろう。

その一体一体が相当量の瘴気を纏い、並の隊では対処できない軍勢である。

「チッ。数が多すぎるっ!時雨、連携して‥‥時雨?」

しかし時雨は自信に満ちた笑みで肩を聳やかす。

「テメェと連携?笑わせんな」

時雨の木刀が夜気を斬り裂いた刹那、間合いの虚空がギラリと輝めきを見せ、瞬時に星獣の一体が中央から斬り伏せた。両断された星獣は忽ち霧散し夜に溶ける。

「なっ!?」

百道はもはや二の句も告げぬ。

軽く振った木刀の斬撃が、たったそれだけの動作が、星獣を灰燼に返してしまったのである。

「ここは俺の独壇場だ。手出しすんじゃねぇぞっ」

時雨は立て続けに木刀を振った。

すると今度は背後に居た星獣が苦悶の叫びを上げ、かと思えば次の瞬間には、右奥の星獣を胴から泣き別れにして蹴散らしている。

「飛ぶ斬撃。これが、千年ぶりの逸材」

時雨は折に触れてクルリと木刀を遊ばせつつ、左、右、上、下、後ろ、好き勝手に木刀を振り回し、次々と別な場所の星獣を切断して回った。

その度に星獣が、悲痛な叫びと共に夜に消える。

神出鬼没の斬撃を前に、星獣どもは為す術もなかった。

苦悶の断末魔を叫びながら次々に消滅していく。

そんな阿鼻叫喚の中心で、黒髪の少年は踊っていた。

これほど無法に星禍の群れを蹂躙できる術師を、百道は他に知らない。

「ちっ。骨のねぇ連中だ」

時雨が指貫に木刀をしまった。星獣の群を片し終えてしまったのである。

「‥‥くっ」

百道は顔を逸らした。

星獣の群れを蹴散らしたというのに時雨に息一つ着く様子は無い。

百道はか細く呟いた。

「救援、感謝する」

「あん?」と時雨が顔を訝しめた。

「テメェを助けたつもりはねぇ」

「だが、お前が来てくれなかったら今頃俺は死んでいた。この借りはいずれ返す」

時雨は取り付く島もなく首を振った。

「テメェの生死なんざ心底どうでもいいし、貸したつもりもねぇ。羽虫を潰すくらい誰がやっても同じことだろ」

「羽虫、だと?」

百道の額にピシリと青筋が浮かぶ。

百道とて時雨の性格は十分に理解している。それでもなお噛み付いてしまうのは、二人の間にある深い溝が原因だろう。

百道は咳払いし、時雨に向かい合った。

「だが、それでは俺の気がすまない」

時雨が傲然と肩を聳えた。

「はん。纏わり付かれるだけ迷惑だ。そもそも、あんな雑魚に苦戦してる奴に貸した所で何も返ってこねぇだろうが」

時雨の挑発的な物言いに、百道の表情は強張るばかりだ。

「本来ならばここで決着をつけておきたい所だが、それは後だ。時雨、ここに来るまでに子供を見なかったか?」

「子供ぉ?見てねぇな」

「そうか。もし見かけたら本部に保護してくれ。それと何故お前がここに居る?今宵のこの区域は俺の管轄のはずだ」

すると時雨はばつの悪そうに後ろ頭を掻き「俺は忙しいんだ」と踵を返す。

「待て」

百道がその行く手を阻んだ。

「まさか、星祓隊はお前の出陣を把握していないのか?」

「答える義理はねぇな」

「巫山戯るな。もしそうであれば、由々しき事態だ。ここで真偽を確かめておく必要がある」

百道と時雨の視線が激しく交錯し、一触即発の空気を醸す。

不意に草ズレの音がして、木陰から影が姿を現した。

杖をついた白髪の少女だ。

「あ、雨君みっけ。もう、急に飛び出して行っちゃったからびっくりしたよ?星禍の反応もあったけど」

影はもう一つ現れた。

今度は渋い青鈍の髪を一つ括りにした少女だ。腰に長刀を刺している。

「一応周囲の星禍は一通り片しておいたわよって、あら?お取り込み中?」

「んなわけねぇだろうが」と時雨が悪態づいた。

白髪の方は物静かで、一括りの方は凛とした印象だ。

双方、浮世離れした雰囲気を纏い、それを隠すべくか外套に身を包んでいる。

「何故、お前らが」

百道と二人は面識があった。

白髪の少女は月美、ポニーテールの少女は夜見。

二人は百道と同じ学び舎・朱雀校に席を置く同期なのである。

「あれ?百道君もいる。どうして?」

小首を傾げた月美の緊張感のない問に、百道は口を尖らせた。

「それはこちらの台詞だ。お前らこそ何故ここにいる?」

「任務ですよ」

「ねぇちょっと」

夜見が月美を小突いた。

その機微に、何やってんの?と責めるような意味合いが滲んでいる。

百道は疑り深く問い正した。

「任務だと?一体何の任務だ?今宵、この区域は俺に一任されているはずだ」

「星祓だよ。力ある者なら当然のお仕事だ」

答えたのは時雨だった。

だがその返答は件の要諦を判然とさせない。

「そう言う話ではない。俺は、お前たちがここにいる理由を聞いている。今宵の配属に、貴様らの名はなかった」

「そりゃそうだ。これは俺たちの独断だからな」

「なっ、独断だと!?まさか貴様、またも無許可で灰色区域に立ち入ったのか!?」

時雨の立場を弁えぬ発言に、百道は頭を抱えた。

本来、灰色区域は無断で立ち入っていい場所ではない。

同じ結界中でも、都市安区とはかなり扱いが異なる。

正規の手続きを済ませてようやく立ち入りが許可されるのだ。

勝手に出入りするなど暴挙にも程がある。

最も時雨の暴挙は今に始まったことではない。

天賦の素質を持つ彼は、どこまでも傍若無人だ。世間の俗情など意に介さないのである。

無論、生真面目な百道から見れば、このような勝手な行いは好ましくない。

百道と時雨の視線が激しく交錯した。

互いに睨みを利かすその様はさながら犬猿だ

「はいはいそこまで」と夜見の手拍子が険悪な雰囲気を裂いた。

「道中で子供が助けを求めてきた。あれってアンタの事?」

夜見の問いかけに、百道は弾かれたように振り返った。

「子供を見たのか!?どんなだった!?保護はしてくれたか!?」

「落ち着きなさい」

食いつく百道に、夜見は溜息を吐く。

「十歳くらいの孤児よ。ちゃんと保護したから、今頃は星祓隊の拠点でぬくぬくしてるはず」

夜見の言葉に溜飲が下った百道は、赤くなった目頭を押さえた。

「そうか、それは良かった」

安堵する百道は「辱い」と告げた。

「どういたしまして」

月美が笑み、夜見が頭を振る。

時雨は鼻を鳴らした。

その瞬間。

突如として時雨の背後の大地が盛り上がった。

大地の亀裂の狭間から、瘴気を気纏う不穏な気配が姿を現す。

現れたのは全長三メートルほどの、両の手に鎌を備えた星獣だ。

夜見と月美が同時に叫んだ。

「レイン!」

「雨くん!」

背を獲られた時雨は僅かだが対応が遅れてしまっていた。

そこに容赦なく、星獣が手の鎌を振り下ろす。

「時雨!」

百道は突っ走った。

馬鹿みたいに、藻掻くように、這いずるように、必死の様相で。

その時百道の脳裏に浮かばれた景色は、、だった。

あの日のあの夜、燃え盛る火の中、未熟な少年の手は誰にも届かなかい。

時雨が中性的だからだろう。今の光景は、どこか重なる節がある。

間一髪だ。百道が時雨の身体を突き飛ばした。

鎌の先端が百道の脇腹を擦過する。その衝撃で百道は地面に倒れ込んでしまった。

「テンメェっ!」

時雨が屈辱だと言わんばかりに顔を歪める。

──そんな顔するなよ

百道はすぐには立ち上がらない。

星獣の斬撃を受けて、決して浅くない傷を負ってしまったのである。

眼上で、星獣が鎌を聳かしていた。ギラリと黒光りする鎌状の腕を、振り翳している。

次の瞬間、赤い鮮血が舞い、百道は意識を手放した。

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