ドライグ・ゴッホ

 赤い竜の講義によると、ケルピーは貪欲な、肉食性の妖精馬。

 一頭だけのようだが恐竜パニック映画のティラサウルス並みの危険生物であることは最初の接触で思い知らされている。一旦トンネルの中に引っ込んだ。

 見つからずに逃げられればそれが一番だが、鼻が効く上、地上でもウサギやシカを追い詰めて捕食するくらいの速度で走り回るらしい。


 だが今は私にも対抗手段がある。いざとなったらそれを使おうと覚悟を決めて、穴から泳ぎだす。

 いちおうケルピーの姿が見えなくなるタイミングを見計らったつもりだったが、水をかく音で気付いたらしい。すぐに姿を現し追いかけてきた。

 魔力の粒子を左右の手のひらに集める。

 そのまま突っ込んで来るケルピーを引き付け、正面から突っ込んできた鼻面を両手でキャッチした。

 噛み殺されずに済んだが、突進の勢いは殺しきれない。そのまま水面上へ持ち上げられてゆく。

 そこまで狙ったわけではないが、好都合だ。

 手のひらに集めた粒子をそのままケルピーの顔面を被覆するように移動させ、水面を飛び出した瞬間に、爆発・・と指示を出す。


 ドン!


 ケルピーの頭部全体が発火、竜の吐息のような炎に包まれる。


 グオオオオオオッ!


 ケルピーは私の身体を吹き飛ばして絶叫、地面を転がるようにのたうちまわる。

 止めを刺す余裕はなかったが、戦意は奪えたようだ。

 妖精馬ケルピーは這々の体で川の中へと逃げ込んでいった。

 具体的にどのくらいのダメージになったのかはわからないが、しばらく襲ってくる心配はないだろう。

 背負い袋を降ろし、卵の無事を確かめる。

 背負ったままケルピーの突進を受け止めたり吹き飛ばされたりしてしまっているので心配だったのだが。


「……あ」


 卵には大きなヒビが入っていた。

 硬直し、顔を真っ青にした私の頭に。


<ご心配にはおよびません>


 そんな声が響いた。

 卵のヒビは大きくひろがり、さらには白い光と赤い炎を放つ。


<地面に置いて離れていてください。危険かもしれませんので>


 卵そのものの声らしい。指示通りにすると、


 ドロン!


 という音とともに白い煙があたりに立ちこめた。

 その煙が薄れると、ばらばらになった卵の殻と小さな生き物が姿を見せた。

 当然赤い竜の子供だろうと思ったのだが。


「……タヌキ……?」


 そこにいたのは鮮やかな赤色の毛を纏った子ダヌキ。

 犬のポメラニアンにもどこか似ていた。


「……どういうこと?」


 竜の卵だと聞いていたが、実際はタヌキの卵だった。

 いや、そもそもタヌキは卵生ではないだろうと混乱する私を見上げ、赤ダヌキは行儀よく「驚かせてしまいもうしわけありません」と告げた。

 今度は普通の声だ。


「私は妖精郷フェアリーランド赤い竜ドライグ・ゴッホの子。名前は特にございません。ゴッホちゃんと呼んでいただけると嬉しいです」

「……ゴッホちゃん」

「はい! 若輩者ですが何卒よろしくお願い致します」


 元気で行儀の良い口調。

 赤い竜の卵にはいわゆる遺伝情報などの他に、経験や知識なども込められているので最初から知識量が多い状態で生まれてくるそうだが、先代の赤い竜とは随分違うキャラクターのようだ。


「竜じゃなくて、タヌキみたいに見えるんだけれど」

「この姿は擬態になります。竜の幼体は捕食対象になりやすいもので」


 そう答えたゴッホちゃんの背中に赤い翼が開き、またすぐに消えた。その気になればもっとドラゴンっぽい姿になることもできるのだろう。


「どうしてタヌキ?」

「ゴッホちゃんの尊敬するフットボーラーはポンショ・イトーなのです。日本から来た技巧派フォワードです!」


 妖精郷フェアリーランドにはタヌキのフットボーラーもいるらしい。

 日系タヌキらしいが、歴史の授業で出てきた伊東マンショになにか関係あるのだろうか。


「タンタンタヌキノブーラブラと呼ばれる戦術で先代の赤い竜とオベロン・リーグの得点王の座や、ユニバーサル・カップの優勝を争いました」


 どういう戦術なのか見当がつかないが、微妙に不安を感じるので深堀りするのはやめておいた。


「……そう」

「そうなんです! ところで、あなた様のことはなんとお呼びすればよろしいのでしょう」

「二木撫子だから二木……撫子のほうでいいわ」


 なんとなくだが、名前で呼ばれるほうが収まりがいい。


「うけたまわりました! にゃ、にゃでしこちゃま……にゃ、にゃあ……なーちゃまとお呼びしても?」


 ゴッホちゃんには発音が難しい名前だったらしい。


「いいけれど」

「はい! よろしくおねがいいたしますなーちゃま!」


 ゴッホちゃんはどこまでも元気にいった。


「よろしくね」


 そう答えて腕時計に目をやる。

 金属バンドのアナログ時計は、ヘリの墜落や水面への転落、水没にも耐えて動き続けていた。

 ヘリに乗ったのは十三日だと記憶しているが、日付表示は十四日となっていた。

 気絶している間に一晩過ぎていたようだ。

 精神世界での体感時間だと一週間くらい過ぎていたので、予想したより大分短かった。

 移動を再開。まずは穴から放り上げた小箱を回収しに行くことにしたが、穴の方向にある森がやけに歪んで、蠢いているように見えた。


「迷いの森?」


 夢の中の座学で習った単語を呟く。竜の血のお陰で森の魔力を知覚できるようになったらしい。


「はい! 迷いの森ですなーちゃま!」


 ゴッホちゃんが元気に言った。

 頭や尻尾を器用に使って白いボールをポムポムとリフティングしている。さっきまで入っていた自分の卵の殻を魔力で固め、ボール代わりにしているようだ。

 先代から記憶情報を引き継いだ結果フットボールドラゴンという属性も受け継いだらしい。

 

「タン・タン・タヌ・キノ・ブーラ・ブラ」


 そのリズムの取り方でリフティングをするのもどうかと思う。

 英語っぽい発音だが元は日本語だったようだ。タマ・・の部分が抜け落ちているのは不幸中の幸いだろうか。

 変なセリフと綺麗なボールタッチでリフティングを続けるゴッホちゃんを伴い、森へと足を踏み入れる。

 ケルピーに追われたときは何も考えず飛び込んでしまったが、敵意を持った者を防ぐため、昔の赤い竜の眷属が幻惑の魔法を施していたらしい。

 赤ダヌキに擬態した竜のゴッホちゃんや、今の私のような竜の眷属は幻惑の対象にはならないようなので普通に移動して小箱を回収した。持ち運びに向いた箱ではないのでゴッホちゃんの卵を入れていた小袋に移し替える。

 ケルピーに叩きつけたトランクが残っていないかと思い、草原のほうに歩いてみると、


「オンナゾ」

「タヌキゾ」


 例の黒いトカゲたちが顔を見せた。


「ノームちゃま!」


 トカゲたちはノームと呼ばれる平和的な妖精種らしい。

 私の知っているファンタジーのノームは小人の一種だが、この妖精郷フェアリーランドではトカゲ型妖精だそうだ。


「イキテイルゾ」

「ワレワレノオカゲゾ」

「チップヲヨコセゾ」


 生々しいことを言い出すノームたち。

 赤い竜が教えてくれたところによると、親切で警告をしてくれたわけでなく、あとで金品をせびるため恩の押し売りをしているらしい。

 助かったのは事実なので銀貨を渡し、ついでにトランクの所在を教えてもらう。

 トランクは変形してしまっていたが、中身は無事なようだ。肌着などを回収できた。

 今できる旅支度はこんなところだろう。本格的に移動を開始する。


 目的地は大英帝国の首都ロンドン。

 妖精が支配する妖精郷フェアリーランドの外、人間の支配領域だ。

 距離は約五百キロ。日本でいうと関東から関西地方までといったところか。

 まずは南下し、グリーンチャペルという港町を目指す。

 赤い竜とゴッホちゃんによると霧つ国ミストアースの有力妖精、緑の騎士ベルシラックが治める町でブリテン・アイルランド島周辺を航行する妖精船が多く立ち寄るらしい。

 人間世界の中心地であるロンドン行の船が出ているかどうかはわからないが、街に入れば移動手段を探せるはずだ。


 再び川まで移動し、海を目指して歩きだす。

 ただ歩いているだけというのも時間が勿体ないので、魔力操作の練習をすることにした。

 サッカーボール大の魔力の塊を作り、崩れたり爆発したりしないよう制御しつつリフティングしたり、手でキャッチしたりパンチしたりしながら歩いて行く。

 ゴッホちゃんのほうも相変わらずタンタンタヌキのリズムでリフティングをしながら歩き、時々「なーちゃま! ゴッホちゃんはフリーです!」とパスを要求して来たり、逆に卵ボールをパスして来たりする。

 ボールが二つになったりボールを空中で交換することになったりしてなかなかの難度になったが、大きなミスもなく進んでゆく。

 キャッキャと声をあげるゴッホちゃんとボールと魔力を交換しつつ進んでいくと、遠くから怒号と雄叫びが入り混じったような声が聞こえてきた。

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