水中行

「ただ蹴るだけではオレからゴールは奪えんぞ。ボールに魔力を乗せろ」


 赤い竜は地図を描いた時と同じように火を吐き、空中に人とボールの輪郭を描く。


「竜の血を受けた者は、その身に竜の魔力を宿す。それを操作してボールを覆い、強化しろ」


 人の輪郭が細かな火の粉の群れに取り巻かれたかと思うと、その火の粉がボールに乗り移って激しく燃えあがる。


「この火の粉のひとつひとつが魔力の粒子だ。目に見えないが、呼吸に合わせて身体を出入りし、身体の周囲を飛び回っている。目を閉じて、皮膚に意識を集中しろ。全身を小さな虫が這い回っているような感覚があるはずだ」


 指示通り目を閉じると、確かに全身の皮膚を何かが這い回るような感覚があった。だが、ぞわりとして身震いすると、すぐに何も感じなくなった。


「わかったか?」

「なにか感じた気がするけど、今はわからない」

「それでいい。粒子の存在を感じたお前は、反射的に粒子との接触を拒否した。粒子はその意思に反応して、おまえから距離を取った。初歩的な操作に成功したということだ。それができればあとは簡単だ。自分の周囲を飛び回る粒子たちに指示を出して行けばいい。まずは発光と指示してみろ、自分の粒子が視覚できるようになる。目に見えない羽虫の群れに心の中で呼びかけるイメージだ」


 目を閉じて発光と念じる。

 瞼を開くと、白く小さな光の群が周囲を飛び回っていた。

 これが魔力の粒子らしい。羽虫をイメージしろと言われたが、どちらかというと桜の花びらを連想した。


「これに指示を出してボールを覆わせるんだ。被覆ができたら、そのまま蹴る。そして間髪入れず硬化と命じろ。タイミングが重要だ。強化が早すぎるとまともに蹴れなくなる」


 赤い竜が新しいボールを転がしてくる。

 指示された通り、ボールを覆う格好で魔力の粒子を移動させて蹴り出す。

 再び尻尾が振られる前に硬化と念じると、ボールは切断されることなく、普通に跳ね飛ばされた。

 硬化しただけでは切断を免れるだけらしい。


「いいぞ。あとは加速や回転、爆発といった効果もある。色々組みあわせて行けばいずれオレからゴールを奪えるだろう」

「爆発?」

「基本的にはキックの瞬間に打点を爆発させて威力を上げる。ボールそのものを爆発させることもできるが、さすがにカードを食らう危険がある」


 なにそれと言いたくなったが、今回の目的はサッカーをすることではなく、サッカーを通じて身体や魔力の使い方を身につけることだ。あまり考えないことにして、ボールに魔力を込め蹴り続ける。


 失敗と工夫を繰り返し、ボールを蹴り飛ばす瞬間に小爆発を起こし、更にボールそのものの弾性を強化することで弾速を高めて赤い竜の反応を振り切りゴールを奪う。


 あとはボールそのものを爆発させる方法も一応身につけた。

 サッカーの技というより例の怪物馬のような相手から身を守るための攻撃魔法的な位置づけらしい。


「よし。では次のステップだ。もう一発打ってこい」


 赤い竜の前脚と羽根の間を狙い、再び爆発・加速型のシュートを放ったが。


「ぬん!」


 赤い竜が気合いの声をあげると、赤い光の障壁が生じてボールを受け止め、跡形なく灰にする。

 炎のバリアでシュートを焼きつくす技らしい。


「ディフェンス用のテクニックだ。理屈はシュートのときと同じだ。魔力の粒子に命じて炎の壁を作る。これも護身術として役に立つ」


 随分とアグレッシブなディフェンスだが、もうそういう世界なのだと受け入れることにしかないのだろう。

 攻守を交代し、再び赤い竜のシュートを受ける。

 シュート練習でカンはある程度掴めていたので、そう苦労することなく炎の壁を作り、赤い竜のシュートを焼き尽くした。


「まずはここまででいいだろう。あとは現実世界で慣れて行くしかない」


 そう告げた赤い竜は、今度は炎でホワイトボードのようなものを作る。


「次は座学だ。妖精郷フェアリーランドのことをざっくりと教えておく。オレが死んで五十年経っているから、変わっているところもあるだろうがな」


 それから体感時間で五十時間ほど講義を受ける。

 講義の内容は、妖精郷フェアリーランドの基本的な地理と情勢、一般常識、妖精郷フェアリーランドに生息する妖精の種類、危険な妖精と対処法など。

 最後に口述テストを受け、合格したところで講義は終了。


「そろそろ戻る時間だな。おまえの身体の調整も終わった。常時と言う訳には行かんが、寝ている間に夢の中に顔を出す。質問や相談があったらその時また聞け」

「わかった。ありがとう」


 そう応じると、現実の世界に意識が戻った。

 例の大穴の真ん中。

 丸く切り抜かれた青空が目に入った。

 透明な水の上に仰向けに浮いていたらしく、赤い竜の骸骨が私を見下ろしていた。

 転落中に見たときは、タールの塊のように腐った死体だったが、綺麗な白骨になっている。

 赤い竜は死体に残った血を私の身体になじませ、眷属にすると言っていた。腐乱した死体から血を搾りだした結果、白骨になってしまったようだ。

 赤い竜との記憶はきちんと残っている。

 水中に目をやると、透明度の高い水の底に白いものが見えた。

 卵というのは、あれのことだろう。

 水中に身を沈め、水底の卵へ手を伸ばす。

 いわゆる鶏卵型ではなく、サッカーボールのようなサイズ感の真球だった。

 触れると温かく、鼓動のように微動していた。

 卵を両手でつかまえて浮上。水上に顔を出した。


「これを持って行くの?」


 そう問いかけたが、骨から返事はなかった。

 ここからは自分の判断で動いていくしかないのだろう。

 赤い竜の話によると水路があるとのことだった。

 卵を抱えたまま再度水中に潜るとトンネル状の横穴が口をあけていた。赤い竜の骨が問題なく移動できそうなサイズの大穴だ。

 日の光が届かないのでトンネルは真っ暗だが、暗視カメラを通したように通路の様子を把握できた。

 赤い竜の血によって、水棲の竜の能力を与えられているらしい。

 また、空気を吸い込まなくても苦しさを感じない。

 肺は動いているので別のどこかから酸素を取り込んでいるようだ。

 身体の動きを確かめてみると、右肩と背中のほうに違和感があった。

 卵を水底に降ろし、制服をずらす。右肩の皮膚が赤い肩当てでも付けたように変色し、肩甲骨のあたりで何かが動いているのがわかった。

 魚のエラのような器官ができ、水中の酸素を取り込んでいるようだ。

 ちょっとした半魚人のような怪物になってしまったといえるが、高すぎる身長のせいで異様な目で見られることには慣れている。特別なショックは感じなかった。

 二木の娘として政略結婚するという責任については遂行困難になりそうだが、かえって気が楽になった気もした。


 卵を抱え直し、地下水のトンネルを泳いでゆくと、やがて小さな空洞に出た。

 最初に落ちた穴に似た、地上に向かって口を開けた縦穴だ。壁は柔らかい泥なので登って行くのは難しそうだが、奥の方には石の島があり金貨や銀貨、宝石と言った宝物が散らばっていた。

 赤い竜の話によると百年ほど前に赤い竜に仕えていたケルト神官ドルイドが溜め込んだもので、路銀として持っていってもよいそうだ。

 石の島にあがると、RPGの宝箱のような木箱が目についた。

 開けてみると緑のローブが収まっている。赤い竜が言っていたドルイドが身につけていたものらしい。状態が良く、ラッシュガードの代わりになりそうなので、制服を脱いで着替えることにした。ドルイドというのは大柄な男性だったのか、サイズ的な問題もなかった。

 夢の中で使ったものに似たガントレットとグリーブもあったので一緒に身に付ける。

 竜の卵を背負って運ぶのに良さそうな背負い袋も見つかった。

 あとは金銀財宝の類になる。

 無理のない範囲で金貨や宝石をポケットに入れる。

 中身を出した宝箱に制服を詰め込み、隙間にもう少し金品を押し込んで、三〇メートルほど上にある地上に投げあげた。

 投げやすい角度とはいえないが、今の私の腕力はそれまでよりずっと強くなっている。宝箱はいわゆるレーザービーム風の直線軌道で地上に飛び出し、見えなくなった。

 自分もジャンプで出られないか試してみたが、五メートルほど届かない。

 垂直跳びで二十五メートル跳べてしまうあたり、おかしな体になったものだった。


 宝箱は地上に出てから回収することとして移動を再開する。

 竜の卵を背負い、水中のトンネルを進んでゆくと、赤い竜の言葉通り川へとつながった。

 そのまま水上に出ようとしたところで、怪物の姿に気付いた。

 ヒレのついた四肢で水を蹴り、空を飛ぶように泳ぐ巨大馬。

 妖精郷フェアリーランドに来て最初に出くわした妖精馬、水妖ケルピーだった。

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