精神領域スタジアム

 視界が戻ると、不思議な景色が広がっていた。

 ファンタジーの闘技場コロシアムのような円形の客席に囲まれた、広大な芝生のフィールド。

 客席は無人だが、芝には見覚えのある白線が引かれ、金属でできたサッカーのゴールが設置されていた。

 サッカー場のようだ。

 前方には、さっきと同じように赤い竜が浮いているが、尻尾の上でサッカーボールを回していた。


「ここは……?」

「オレが作った精神領域だ。お前の身体にオレの血を馴染ませる間に、竜の力を使いこなせるよう精神のほうを慣らしておく」

「血を馴染ませる?」

「お前を竜の眷属にするための処置だ。オレの死体に残っている血をお前の身体に染み込ませることで、オレの力の一部をお前に譲り渡す。その力を使って卵を守り、ロンドンへ運んでもらう」

「どうしてサッカー場?」


 妖精郷フェアリーランドにもサッカーがあるのだろうか。


「オレとおまえにとっては、フットボールが共通言語のようだからな。オレも死ぬ前はオベロンリーグでストライカーとして鳴らした身でな。おまえもそれなりにやるんだろう? 精神領域にこんなものが埋まっているくらいだ」


 赤い竜は、尻尾に乗せたボールを静止させると、そのままひょいと放ってきた。

 私が日本で触れていた合成皮革のサッカーボール。

 赤い竜の持ち物ではなく、私の心の中に落ちていたゴミだったらしい。


「ポジションは?」

「ゴールキーパー」


 異世界の精神世界でこんな話をすることになるとは思わなかった。

 妖精郷フェアリーランドには、かなり本格的なサッカー文化が根付いているらしい。


「よし、それならまずオレのシュートを受けてもらおう」


 妙にうきうきした調子で言うと、赤い竜はグラウンドのセンターラインのあたりまで移動した。


「急げ。時間を無駄にするな」


 フットボールがしたいだけに見えるのは気のせいだろうか。


「ちょっと待って」


 ゴール前の前に立ち、芝生の具合を確かめる。

 石などは落ちていないが、グローブもプロテクターもなしに跳んだり、転がったりするのは少し怖い固さだ。


「今のおまえの身体ならピッチの端から端まで吹き飛んでもどうということはない。心配ならこれでもつけておけ」


 頭にボールを乗せた赤い竜が尻尾でなにか投げてきた。

 サッカー用のグローブやすね当て、ではなく、いわゆるファンタジー風の篭手ガントレット脚甲グリーブ、腰や太ももを保護するクッションがついたサーコートのセットだ。

 篭手と足甲、サーコートを付けて動きを確かめ、キャッチングの要領で左右に転がり、跳んでみる。精神世界の中だからか思ったより動きやすく、地面にスライディングしてもダメージを感じない。

 ただ、妙に速度と距離がでる。

 勢い余ってゴールエリアどころかハーフウェイラインまでダイブしてしまったり、真上に跳ぶと頭を通り越して踵がゴールポストの上まで届いてしまう。

 試してみたら足首のスナップだけでゴールポストの上に飛び乗れた。

 元々フィジカルには自信があったが、ここまで行くとフィクションの超人スポーツの世界だ。

 

「……なにこれ」


 有名サッカー漫画のワンシーンのようにゴールの上に立って呟く。

 現実でやると反則だと聞いた。


「竜の眷属としての力だ。生物としての潜在能力を完全に引き出した上、竜としての異能を与える」

「異能?」

「色々あるが、火と水を操る力と剛力、俊敏さと頑健さだな。天地の間で発生する大方の災厄には耐えられる。ここでの能力はあくまでオレのイメージに基づいたものだから、現実世界でのおまえの能力とは多少違ってくるが」


 シミュレーターのような、仮定の条件での予行練習らしい。


「早速行くぞ、まずは目を慣らせ」


 虚空から湧き出させるように数十個のボールを空中に浮かべた赤い竜はセンターサークルの上に静止した状態から長い尻尾を鞭のように振り、シュートを放ってきた。


 ドン!


 熟練者がふるう鞭の先端は音速を超え破裂音を放つというが、竜の尻尾はそれと同等以上の速度が出るようだ。

 経験したことのない速度。

 一応反応はしたが手は届かず、あっけなくゴールを撃ち抜かれた。

 精神世界内ではあるが、これが私の生涯初失点だった。

 日本での試合や練習ではあまりにも失点しなさすぎ、一点取られたら一気に自信喪失してボロボロになったりするのではと心配していたが、そこまでの動揺はなかった。

 

「見えてはいるようだな。動き出しも悪くない。動作の速度をもっと上げろ。今のお前ならもっと速く、精密に動けるはずだ」


 赤い竜は再び尻尾のシュートを放つ。

 砲撃のような破裂音と共に放たれたボールは、まともに受けたら大怪我をしそうな勢いでゴールに迫る。その上異様な回転がかかっている。ゴールの真ん中を狙うコースからゴールの上隅を狙うように曲がり、浮き上がって行く。

 だが、赤い竜の言った通り、精神世界における私のスピードには限界がないようだ。篭手を付けた手を思い切り伸ばし、指先をボールに当てゴール外へと軌道をずらした。

 ゴールポストの端をかすめたボールは、そのまま観客席の方に消えていった。


「悪くはないがもう一歩だな。正面からでも止められるはずだ。もう一回行くぞ」

「そこからでいいの?」


 確かに止められそうな気がしてきたが、赤い竜はコートの真ん中のセンターサークル上からシュートしている。

 普通のペナルティキックよりだいぶ遠い位置だ。


妖精郷フェアリーランドのルールでは、オレのような大型選手はセンターマークからシュートする。おまえのような小型選手はそっちのペナルティマークからだ」


 日本では超大型選手だったのだが、こちらでは小型選手らしい。


「行くぞ」


 赤い竜は再び尻尾シュートを放つ。

 やはり殺人的な速度、衝撃波が出そうな勢いで飛んできたボールは、今度は正面のコース。両手を出し、普通に受け止めた。

 凄まじい衝撃が全身を貫いたが、吹き飛ばされるようなことはなかった。

 

「よし、次だ」


 三発目のシュートはいわゆる無回転シュート。

 ボールの後方に乱流を作り、打った本人にも読めない軌道でボールが変化する取りにくいタイプのボールだが、無回転であることは見てとれたので、ボールに指先を当てゴールを阻止した。


「上出来だ。次は攻守を交代しよう。好きなところから打ってこい」


 今度は赤い竜がゴールの前に陣取る。

 体長十メートルの上、羽根や尻尾まで生えているので、凄まじい遮蔽率だ。

 抗議したくようなサイズ感だが、正式な試合というわけでもないので黙って続けることにした。

 好きなところ、ということなので、普通にペナルティマークの上にボールを置き、赤い竜の股下へと蹴り込んだ。

 赤い竜のシュートに負けない勢いで地面を這うように飛んだボールは、


 シュパン!


 尻尾の一振りで真っ二つにされ地面に転がった。


 ボールを破壊された。


「……反則じゃないの?」

「妖精フットボールではよく使われるテクニックだ」


 人間のサッカーとはだいぶ違うようだ。

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